2023.01.28 Saturday
唯一無二の身体で紡ぎ上げたきれいな「言葉」 森山開次『星の王子さま―サン=テグジュペリからの手紙』
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まさか王子さまが現れる場面でポロポロ涙が出てくるとは思いませんでした。
三角の小さな火山のような舞台装置に小さな穴が開き、そこから黄色の薄いスカーフが現れます。スカーフの中に入っている数個の大きな風船ゆえに、スカーフはすうっと上方にたなびいていき、スカーフが全て穴から出ていった最後、好奇心いっぱいの王子さまが顔をのぞかせて這い出てきます。
ぽろんぽろんとオルゴールのような音楽と相まって、このゆったりと流れる時間は、まるで夢のようで、優しくて、いじらしく、そしてこの物語の最後を予感させるように寂しい。震えるような詩情に満ち満ちています。
唯一無二の身体で表現した個性豊かなキャラクターたち
砂漠に不時着した飛行士は思いがけず小さな王子さまに出会います。王子さまは地球ではない別の星からやってきたのだといい、彼が住んでいた星のこと、そこで大切に育てた少しワガママなバラのこと、そのバラとのけんかと彼女を見捨てて星を出てきてしまったこと、さまざまな別の星を経て最終的に地球にやってきたことなどを話します。
地球では蛇やキツネ、自分の星でともに暮らしたバラと全く同じ種類のバラに出会い、王子さまは「目に見えないけれども、いちばん大切なこと」の存在を見出していきます。
この小説で有名なフレーズ、「いちばん大切なことは、目に見えない」はキツネとの会話の中で出てきます。このキツネは「自分をなつかせてちょうだい」と、大人が見れば何ともばかばかしい頼みを王子さまにするのですが、まさに時間をかけて互いになつき、絆を築いていくこと、すなわち、ある人が自分にとってなくてはならない大切な人になるまでに紡いだ時間こそが、私たちの一生において極めて尊いのだと教えてくれます。
こうした大人にはどうでもよいように見えて、実は大切なことを飛行士に話し、飛行士と絆を築いたときには、王子さまは星へと戻らなければいけなかったのでした。
『星の王子さま』は確かに作者による可愛らしい素朴な挿絵も重要ですが、何よりもまず言葉、詩のうえに成り立つ感動ゆえに全ての人を魅了してきた物語です。ですから、言葉をほとんど使わないダンスでこの物語を表現するというのは、本来は無茶な話です。
しかしこの作品が「無茶な話」でなかったことは、このブログの冒頭で述べた通りです。音楽、衣装、美術に加え、個性豊かなキャラクターを演じるダンサーたちの唯一無二の身体によって、この上なくきれいで心に染み入る「言葉」を紡ぎ上げていきました。
王子さまのアオイヤマダは、ヘンテコで好奇心旺盛で無垢で素朴な男の子です。22歳のダンサーですから、大人としてすでに身体は完成されているはずなのに、どうしてあのような、こすれば簡単に壊れてしまいそうなデリケートな少年性を作り上げられるのだろうか。恐らく彼女以外のダンサーでは王子さまは演じられないでしょう。稀有な身体の持ち主だと思います。
飛行士は小㞍健太。ジェット機のうんうんうなる轟音やうねるように進む軌道を求心力ある質感で表現しています。
地球に到着した日に出会い、王子さまの郷愁を見て取った猛毒の蛇は森山開次自身が演じています。ぬめるような質感がありながら、直線的な動きとなっています。
蛇はしなやかに這う一方で、頭をもたげられるほどの筋肉と固いうろこを持った生き物。森山の振付にはそのような蛇の特性を読み取らせると同時に、王子さまを噛んで「抜け殻」にし、魂だけを元の星へと帰らせるという、取り返しのつかない手法で手助けをしてあげたこの蛇の意思の強さをも感じ取らせます。
島地保武のキツネは、何を考えているのか分からない動物ならではの無関心さに、そうはいっても相手に構ってほしい愛着心をほんの少しのぞかせます。無関心を装いながら相手を推し量る表情は、「自分にとって大切な人になるまでの時間こそが大切なのだ」という金言を教えてくれるキツネにふさわしい。
王子さまの星で成長したバラは酒井はなが演じています。フェミニンな美しさの持ち主だけれども、ワガママで自分勝手。おまけにトゲも四本持っている。こうやって自分を強くコーティングしているけれども、その実、心弱い性格なのだということも酒井の踊りからはよく分かります。
大切なものとなるまでの長く尊い時間
この物語のテーマの一つは「誰のためになら人は死ねるのか」という問題です。
貯蓄用の飲料水を飲み切った飛行士は王子さまとともに井戸を探しに出かけます。砂漠の中ですから、なかなか見つかるわけがなく、この舞台でも、飛行士と王子さまは肩を組み、助け合いながら、よろめき進んでいきます。
私たちは効率よく水を得て、時間を浮かせているわけですが、はたして浮かせた時間を「いちばん大切なこと」に使えているのだろうか。そんな「効率」を目指すくらいなら、大切な人のために時間をかけて水を汲んであげた方がよいのではないか。
飛行士と王子さまだけで肩を組んでいたところから、他のダンサーたちが次第にその肩に連なっていき、一つの連帯となる場面は、このダンス作品の中で大きな感動を呼ぶ場面の一つです。
そして飛行士と王子さまがよろめき走る軌道が、舞台床に照らされた丸い照明の縁であることもよく計算されていると思います。
この作品では、少数のシーンを除いて、舞台に星の球体を象るようなクレーターの質感がついた丸い照明が舞台床に当てられています。それによって王子さまが住んでいた星や、その後、王子さまが訪れた星を表現しているわけです。
それと同時にこの球体の照明は、大切な人のためにかける時間をも表現しているように私には思えます。
サン=テグジュペリの小説において王子さまは「悲しいときには夕日を見たくなる」と言っています。王子さまの星は小さいので、数歩歩けば、見たいときに夕日を見ることができ、44回夕日を見たこともあったらしい。王子さまのバラはワガママですから、それくらい悲しくなることもあったのかもしれません。
もちろん、そのような細かい説明はダンスで表現することはできません。ですが、自分の星で一緒に過ごしたバラが唯一無二の存在であったことを知って大泣きし、キツネが現れるシーンで思わずハッとしました。キツネが現れるのは、舞台後ろが夕日のように赤く染まったときだったからです。
夕日というのは自転が一周しないと見ることはできません。
何度も何度もお互いに傷つき、成長し、絆を築いていってこそ、まさに44回以上の夕日を見る年月が流れてこそ、いちばん大切なことを見出せる。
王子さまと飛行士が球の照明に沿って走るシーンは、二人が絆を強めていく時間そのものを表現していると考えられるのではないでしょうか。
昔は子どもだった大人たちへ
時間をかけて絆を結んでいくことの尊さは、教えられなくとも子供だったころの私たちも知っていたはずです。
この作品の前半で、アオイヤマダの王子さまがてんてこ舞いになりながら、愛すべき自分の星の手入れを大切そうにやっている姿に、私は楽しく懐かしい子供時代を思い出してしまいました。それは時間をかけて絆を結ぶ尊さを、ほとんど忘れてしまいながらも、心のどこかで覚えていたからかもしれません。
それは飛行士も同様で、砂漠への不時着で壊れてしまった飛行機を直す間、王子さまの物語を聞いて、ほとんど忘れかけていた「いちばん大切なこと」を思い出していきます。
その意味で、王子さまと飛行士の物語(そして鑑賞する大人の私たちの物語)はパラレルです。
このダンス作品では、バラのモデルとなったともいわれるサン=テグジュペリの妻であるコンスエロが登場し、「大切なものを見出していく」というテーマを小説の作者の人生を重ねながらより鮮明に描いていきます。
バラに愛想をつかし、また遠くの何かに憧れて星を出ていった王子さまは、再び星へと戻っていくまでの時間をかけて「いちばん大切なこと」、すなわち自分のすぐそばにこそ大切なものがあったのだということに気づいていきました。
そして、遠くの何かに憧れた飛行士が懸命に飛行機を直していた時間というのも、また「いちばん大切なこと」の存在を再発見していくためのものだったのです。