2023.06.29 Thursday
サラ・ラム―初々しさから鮮烈な愛、絶望のきわでの強さまで サラ・ラム&スティーヴン・マクレー『ロミオとジュリエット』(ロイヤル・バレエ団来日公演)
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『ロミオとジュリエット』は若さの象徴のような作品です。ですから、今回の来日公演では若いダンサーの日程で行こうかとも思ったのですが、私の頭の中にあるジュリエット像を思い浮かべたとき、最もぴったりと来たのが、最年長のサラ・ラムでした。サラ・ラムも、スティーヴン・マクレーも、彼らの実年齢は物語の主人公の年齢とかけ離れていますが、それぞれのやり方で役柄に取り組み、若いダンサーではあり得なかったであろう物語を築き上げていました。
殺伐とした街の刻印を受けたロミオ
『ロミオとジュリエット』は、昨年、マクレーが怪我からの復帰を果たした作品でもあります。ただ、正直にいえば、今のマクレーのロミオには、往時の迸るようなエネルギーや輝きが薄く、ロミオらしい若々しさに欠けていました。
重い怪我だったことを思うと、マキューシオやベンヴォーリオに遜色ないテクニックを未だ持ち得ているということは確かに凄いのですけれども、それ以前のマクレーのテクニックはあまりにも鮮烈でしたから・・・。舞踏会におけるロミオとジュリエットの最初のパ・ド・ドゥでは一カ所、大きなリフトを失敗していて、かなりひやりとさせられました。
それだけにかえって、マクミラン版のロミオはテクニックがロミオの迸る感情を象っているのだということを改めて認識させられたのと同時に、若手ダンサーではないマクレーが『ロミオとジュリエット』で復帰するというのは、どれほどチャレンジングなことだったかを思い知らされました。
ロミオであれば、より若々しく、より情熱的であってもよいのにと思ったのは事実ですが、これはこれで年齢を重ねたマクレーが辿り着いた役作りなのだと思います。
マクレーのロミオは、これまでに見た数々のロミオの中で最も複雑な人間でした。
かすかに荒れてやさぐれた雰囲気をまとい、親友の二人にさえも完全に打ち解けず、自分の内面にずけずけと入り込まれると冷たく相手をあしらいます。また、ジュリエットと出会った後のティボルトへの態度は、確かに表向きは礼儀正しいものの、心の底では以前より根強く持つ嫌悪感を押し殺していることが見て取れます。
2幕で娼婦からキスをせがまれる場面でも、娼婦のお尻をどんと叩くなど、品性を疑いたくなる行為も散見されます。マクレーが考えるロミオは決して「良い子」ではない。争いに加担する青年でもあるのです。
最近のロイヤル・バレエ団の『ロミオとジュリエット』は、娼婦たちが乳母の目の前でスカートの中を見せる行動や、舞踏会の帰り道でマキューシオやベンヴォーリオが来客の女性たちに無理矢理にキスをする遊びなど、現代の観客に嫌悪感を抱かせる場面を変更しているように思われます。それだけにマクレーのロミオの行為には思わず眉をひそめてしまいます。
溌剌と親友たちと戯れるロミオばかりを見てきた私にとってはかなり想定外のロミオで、戸惑わずにはいられませんでしたが、そうした荒くれは、争いの種に尽きないヴェローナの街で生きる人間に刻印されて然るべきものだったのだとも考えさせられます。
そしてやさぐれているわりに、行動力に欠けている。マキューシオとティボルトの決闘では、より激しく止めに入ろうとするロミオダンサーもいるかもしれませんが、マクレーのロミオは危なっかしい決闘をおろおろと見守ることしかできません。マキューシオの死にあたっても、突っ走って駆け寄るのではなく、足に力が入らないとでもいうように、ふらふらと近づいていきます。
そもそもジュリエットと出会う前、舞踏会のダンスにおいてパリスが抜けたことによるロザラインのパートナーを務めるときですら、自分の決心ではロザラインの横には行けず、マキューシオに促されてパートナーを組んでいました。
この鬱屈とした性格は寝室のパ・ド・ドゥで頂点を見せます。必死でロミオを引き留めるジュリエットに対し、マクレーのロミオは痛切な後悔を見せるというよりも、それを通り過ぎて、受け止めきれない運命を前に全くの無力であることを示します。それだけにその後のジュリエットの行動の強さが際立ってくるのです。
マクレーのロミオがこのように複雑な造形ですから、ジェームズ・ヘイのマキューシオも、カルヴィン・リチャードソンのベンヴォーリオも、期待していたような若々しさには欠ける分、他のダンサーによるマキューシオたちであれば、若き青年の輝きのせいで見落としがちな、敵へのダークな悪意が見え隠れします。ティボルトのギャリー・エイヴィスも、大人の男性の冷静さと悪意と愚かさを見るような演技でした。
マンドリンダンスのアクリ瑠嘉はこの舞台に登場する男性の中で唯一、若さを保っていたダンサーだったと思います。小柄でありながら、アクロバティックなジャンプを溌剌と見せつけました。
ロイヤル・バレエ団のコール・ド・バレエは、そうした人々が生きる一触即発な街の様子を、他のバレエ団ではあり得ないほど自然主義的に描き上げています。「目が足りないとはこういうことだったか」と久しぶりに感じた舞台でした。
衝動的にナイフに駆け寄るジュリエット
今回の舞台はことのほか、大人の悪意に満ちた街としてヴェローナを作り上げていたがゆえに、ラムのジュリエットは鮮烈でした。
線の細い身体を生かした可憐で無垢なジュリエットは恐らく他のキャストでは見られないのではないでしょうか。ラムのジュリエットはお転婆を作り込む必要はなく、ただ両脚を床に付けて立っているだけで、初々しい少女そのものです。
初めこそ全て乳母に相談しなければ何もできなかったジュリエットが、秘密の結婚式の場面ではロミオの方へと促す乳母をそっちのけで、ロミオの元に一直線に駆けていきます。その迸るエネルギーはあまりに清新で、心を分け与えたい相手を見定めたジュリエットの自立を見るようです。
そしてラムのジュリエットが鮮烈なのは、可憐であると同時に、大人の相手を怯ませるだけの強さがあるからです。しかもその強さというのは、崖っぷちの苦しみがそのまま彼女の強さになっているといったもの、言い換えれば、困難な局面に立たされた人間だけが獲得しうるといったものです。辛さが大きければ大きいほど、それだけ現実を拒絶する強さも大きくなる。ラムの可憐な身体から迸る強さには、そのような痛ましさすらあります。
だから寝室のパ・ド・ドゥで顔を抱えてすすり泣くシーンは、これまで気丈に抱え込んでいた辛さが思わず涙として迸ってしまったという印象があり、どれだけジュリエットの心境は追い詰められたのだろうと思わずにはいられませんでした。仮死の薬を飲むまでの恐怖も同じです。これまで気を強くしていたからこそ、張った糸が切れて、恐怖に耐えきれなくなる。
ラムの最期も圧巻でした。ふと見つけたナイフに衝動的に駆け寄ってあっという間に腹部を刺してしまいます。確かにマクミラン版はロミオから離れた位置でジュリエットは腹を刺しますが、それにしてもラムの刺した場所はあまりにロミオから離れすぎていました。
ラムのジュリエットには「なぜジュリエットはロミオから離れたところで死のうとしたのだろう」などという疑問は湧き得ません。ナイフを見た瞬間、何も考えずに衝動的に腹を刺してしまったことが明白だからです。
『ロミオとジュリエット』は素で踊れる若いダンサーの方が面白い、若くないと迸るエネルギーは作れない、と言われがちですが、それは嘘であるという証明のようなラムのジュリエットでした。
■キャスト
振付:ケネス・マクミラン
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ(ブージー・アンド・ホークス音楽出版社)
美術・衣裳:ニコラス・ジョージアディス
照明:ジョン・B. リード
ステージング:クリストファー・サンダース
ジュリエット:サラ・ラム
ロミオ:スティーヴン・マックレー
マキューシオ:ジェイムズ・ヘイ
ティボルト:ギャリー・エイヴィス
ベンヴォーリオ:カルヴィン・リチャードソン
パリス:ニコル・エドモンズ
キャピュレット公:クリストファー・サンダース
キャピュレット夫人:エリザベス・マクゴリアン
エスカラス(ヴェローナ大公):トーマス・モック
ロザライン:クリスティーナ・アレスティス
乳母:クリステン・マクナリ―
僧ロレンス:ベネット・ガートサイド
モンタギュー公:ベネット・ガートサイド
モンタギュー夫人:ジーナ・ストルム=イェンセン
ジュリエットの友人:アシュリー・ディーン、ルティシア・ディアス、桂 千理、前田紗江、佐々木万璃子、シャーロット・トンキンソン
3人の娼婦:メーガン・グレース・ヒンキス、ミーシャ・ブラッドベリ、イザベラ・ガスパリーニ
マンドリン・ダンス:アクリ瑠嘉、レオ・ディクソン、デヴィッド・ドネリー、ベンジャミン・エラ、ハリソン・リー、中尾太亮
舞踏会の客、街人たち:英国ロイヤル・バレエ団
指揮者: クーン・ケッセルズ
オーケストラ: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団