2022.09.30 Friday
小さいということの力を感じる公演 K-BALLET Opto「Petit Collection-Petit, Petit, Petit!」
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K-BALLET Opto旗揚げ公演「Petit Collection-Petit, Petit, Petit!」は、「Petit」をテーマにした三つのコンテンポラリー作品で構成されたものです。
正直なところ、全ての作品において消化しきれなかった部分が多かったのもあって、心から興奮したというわけにはいかなかったですが、どれも一定の完成度を誇る素晴らしい公演だったと思います。
一つ目の作品である『プティ・セレモニー』の振付家、メディ・ワレルスキーは、NDTを経て現在はバレエ・ブリティッシュ・コロンビアの芸術監督となっている人物です。私にとっては初見の振付家となります。
フォーマルな格好をした男女が一斉に展開する、一定のリズムを刻んだシンプルな動きの繰り返しが特徴的で、それがナンセンスと儀式性が隣り合わせになった奇妙なダンス劇を作り出しています。
「小さな」儀式というタイトルが示す通り、男女をひとつかみ、社交場や夜会といった何らかの小さな箱―つまりは社会の縮図―に入れたとき、人々はいかにエネルギーを変容させていくかを描いたような作品です。
初め、折り目正しい動きであったところから(その折り目正しさというのは、無意味なマナーが滑稽なのと同様に、一種のナンセンスさを帯びている)、次第にその緊張と秩序に綻びが生まれ、駆け引きや対立を強調するデュエットによって男女の性差が露わになり、最終的には秩序を乱す混沌のエネルギーが、ダンサーたちの作り出す箱の渦となって頂点に達します。
渡辺レイ振付『プティ・バロッコ』は女性の、ひいては人間の強烈な生の強さを描いた作品です。
女性ダンサーを一列に並ばせて膝下を幕で隠し、ピンヒールを履いた足元だけを強調する冒頭から、自分という自由な存在の強い主張を感じます。
作品の後半、女性ダンサーたちはピンヒールを脱いで踊ります。そしてそれらピンヒールは集められ、トルソ型に吊されて、舞台の後ろに立てられています。ピンヒールがあろうとなかろうと、彼女たちの存在の強さには変わりはなく、また後ろに立てられたピンヒールによるトルソの存在感も甚だ強い。
ピンヒールといえば、女性性の象徴であり、それを履くことが社会の上で「正しい女性」であるための一つのルール。また脚だけを見せるというのは「女の思わせぶり」として捉えられがちですが、渡辺レイの手にかかると、ピンヒールというアイテムは、強いエネルギーを履きこなす強い女性を描き出す手段となるのだから驚きです。
脚だけを見せて思わせぶりだと思うのは、そう思う人が勝手にそう思っているのであって、脚だけを見せる人が別に思わせぶろうとしているわけではありません。他人からどう思われようとも、社会のルールがどうであろうと、そんなものはくそ食らえという強靱な力がこの作品を支えています。
尺は短いものの、最後に展開される女性同士のデュエットは圧巻です。この作品ほどに女性同士の強烈なエネルギーをぶつけ合ったデュエットは見たことがありません。
ダンサーの中でも飯島望未の強靱なエネルギーは圧倒的でした。
森優貴の『プティ・メゾン』は、白と黒に分断された世界を描いた作品。大量の丸められた白と黒の紙が、くっきりと左右に色分けされて舞台一面に広がった画面構成は目を奪います。ダンサーたちも白と黒に分かれて配置されています。
決して交わることのなかった二つのグループがラフマニノフのラプソディとともに混じり合い、一つの小さな家へと集まっていきます。
「プティ」というテーマを据えたとき、不思議なことに三人の振付家が三人とも、ダンス作品を通して、人間の差異と対立、そしてそうした表面的な違いを超えた、人間が共通して持つ本質を描いているのは面白い。
小さいということが、どれだけ大きな世界の本質を扱えるのか―小さいことの力を感じる素晴らしいテーマだったと思います。