2022.06.13 Monday
カラボスが最愛のオーロラに授けた贈り物とは? クリスチャン・シュプック振付『眠れる森の美女』(チューリッヒ・バレエ団配信)
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オーロラ姫の両親は長年、子どもに恵まれなかったと言います。プロローグでオーロラの母王妃が妖精たちの世界に行き、そこで妖精たちに慈しまれている、産まれる前の赤ちゃんたちの中からオーロラを盗むというクリスチャン・シュプック版の設定は、130年の歴史を持つこの古典作品に新たな光を当てました。
私は、優れたフィクションとは、あり得ないところに立脚して、なお堅固な構造を有しているものと思っています。子どもを盗むところから始まるシュプック版が、非現実性に立脚するがゆえに描けたのは、親による子どもへの愛とは何なのかという問題です。
常識的な正義では割り切れない子どもへの愛と大人の身勝手さ
母王妃が盗んだオーロラは、人間世界に降り立つまでの間をカラボスが育てていた女の子でした。当然、カラボスは怒ります。
怒りという次元ではないでしょうね。現実世界にも様々な背景があって、赤ちゃんを失ったり、子どもに会えなかったりする人はいます。愛情を注ぐべき瞬間に子どもが存在しないという悲痛さは、子どもを持ったことのない私には想像を絶するものなのだと思います。
王妃にしても、子どもになかなか恵まれないというのは、禁忌を破って妖精界に行くほどに、胸の痛む切実な苦しみだったはずです。
こうした王妃やカラボスへの同情と両立する形で、冷静に考えてみると、彼らの行動は身勝手でもあります。
プロローグにおけるオーロラの誕生祝いの場では、カラボスは通常の版と同様、オーロラに呪いをかけます。シュプック自身の意図はどうであれ、カラボスが呪いをかけたのは、オーロラを盗んだ相手が王妃だと分かっていたからなのだと、私には思えてなりません。
憎い相手を苦しめるためには、憎い相手が最も愛するオーロラを苦しめることが一番です。たとえそのオーロラが、カラボスにとって最も愛する子どもだったとしても・・・。
この愛情の一貫性のなさ、ただの憎しみがかけがえのない愛を打ちのめしてしまった経験は、大人であれば誰しも味わったことがあるのではないでしょうか。
子どもが授からないからといって盗み、あるいは、かっとした怒りで子どもを犠牲にしてしまう。子どもに苦しみを与える大人の身勝手さを認識しつつも、やはり私は元の地点に戻ってきてしまいます。
王妃やカラボスを、いわゆる常識的な正義で断罪できはしないのです。
身勝手さは身勝手さとして悪であることは間違いありません。それと同時に、王妃やカラボスにとっての、愛を注ぐべき子どもがいないという切実な悲しみは真実です。そういう割り切れなさがこの作品にはあります。
シュプック版の『眠り』は、なんと、デジレがオーロラに3回もキスをしてもオーロラが目覚めることはありません。わざわざデジレを苦労して連れてきた6人の妖精の間に、「あちゃ・・・デジレ君、お姫さまのお相手は君じゃなかったんだ・・・」という空気が流れる中、思わず、カラボスがオーロラの側に駆け寄り、額にキスをします。
オーロラの呪いが解けるのは、最も彼女を愛する人が彼女にキスをしたときです。
つまりカラボスのキスによってオーロラが目覚めるということは、オーロラを最も愛していたのは、デジレ以上にカラボスだったということなのです。
完成度の高い振付、舞台美術、衣装
この作品は振付や舞台美術、衣装に至るまで完成度が高い。発想の飛ばし方がとにかく素晴らしいのです。
中でも私のお気に入りは、妖精たちです。男性ダンサーが演じる妖精たちは背中に羽を付け、登場した瞬間からそれぞれに個性と性格が垣間見え、どの妖精たちも本当にキュート・・・!
先述したオーロラが目覚めないときに見せる「あちゃ・・・」という空気感も、プロローグでカラボスをやっつけたときに見せるガッツポーズやハイタッチも、あんまりに可愛いものですから、思わず微笑んでしまいます。
舞台の大部分を占めている宮殿の建物は回転式となっていて、100年の時間を舞台の回転によって表現し得ています。そしてこの装置には懐中時計を持った「時の番人」のような両性具有的な人物が二人座っているのも憎い。
また、この回転式装置には梯子が取り付けられています。妖精たちや蝶々(花のワルツに相当する)がまるで建物に止まっているかのように、梯子に登らせる演出にも驚嘆しかありません。
妖精たちのヴァリエーションには、通常の版のヴァリエーションの振付を知っているファンにとっては「ああ!」と唸らせられる踏まえ方と、シュプックならではの大胆な解釈の双方を見ることができるはずです。
妖精たちは全員、男性ダンサーが演じているのですが、キュートでありながら、踊り方は極めて優雅。ダンサーたちのレベルは総じてトップクラスです。
もう一つ、オーロラのヴァリエーションにも言及しておきましょう。
揃いも揃っていけ好かない求婚者に辟易したオーロラは、パーティの場から逃げ出し、宮殿の裏へと回ります。オーロラのヴァリエーションの音楽に合わせて、最初、表の様子をそっと覗いたり、耳を澄ませたたりし、その後、様子を見に来た父王と踊ります。
このヴァリエーションの音楽を思い出してください。
初めのピケ・アラベスクの場面、ピケ・アラベスクというパ自体、バランスが難しく、ダンサーたちもそろりと身体を動かすと思いますが、ここは激しく身体を動かすと壊れてしまいそうな繊細さを感じさせる小節となっています。
宮殿の表の様子伺いというシュプックの振付は、この部分の音楽に本当にぴったりなのです。
そして父王との踊りの場面は、通常の版で対角線上にピルエットをする場面に相当します。ここはプティパ初演では、求婚者が薔薇を渡し、拒絶するという振付になっていたと、井田勝大氏の講座で聞きました。そう思って聞くと、確かにひねくれたメロディになっています。
父王は逃げていったオーロラを責めることは全くしませんが、やはり思春期の娘と父とのやり取りですから、二人とも互いに愛情を抱きつつ、わずかに心のすれ違いを見せています。それはこのヴァリエーションの音楽に相応しい。
音楽と振付という点からは外れますが、ここにも親から子どもに対する愛情というテーマが見えるのも面白いところです。
さて、妖精たちは洗礼としてオーロラに様々な贈り物を授けました。妖精たちの役割は授けものを与えることにあり、本来カラボスはオーロラに何かを与えなければなりませんでした。
100年の眠りから目覚めたオーロラは、手を人にかざすと、その人がぴたりと止まり、キスをすると、そのフリーズが解けるという一種の力を手にします。
カラボスが最愛のオーロラに授けたプレゼントとは、他者から身を守り、正しい形で他者を愛する力だったのです。
■キャスト
Aurora Michelle Willems
Carabosse William Moore
Fliederfee Jan Casier
König Lucas Valente
Königin Inna Bilash
Gouvernante Elena Vostrotina
Zeremonienmeister Matthew Knight
Silberfee Matthew Bates
Goldfee Cohen Aitchison-Dugas
Blaue Fee Dominik Slavkovský
Grüne Fee Wei Chen
Rote Fee Mark Geilings
Vier Prinzen Luca Afflitto, Wei Chen, Kevin Pouzou, Loïck Pireaux
Prinz Désiré Esteban Berlanga
1. Diener Daniel Mulligan
Ballett Zürich
Junior Ballett
Philharmonia Zürich