1: 世界@名無史さん 2012/02/03(金) 18:49:53.30 0
純粋に理想の為に戦う万単位の軍隊なんて滅多にいないよね
4: 世界@名無史さん 2012/02/03(金) 21:41:07.12 0
>>1のように考えて軍に入った若者はその多くが戦場に屍を晒すことになった。
侵略軍の一兵士として。
侵略軍の一兵士として。
6: 世界@名無史さん 2012/02/04(土) 01:11:30.22 O
侵略じゃありません
防衛戦争です
エジプト・シリア遠征もロシア遠征も王党派と組んで陰謀を張り巡らせるイギリスを倒すには仕方ないことです
防衛戦争です
エジプト・シリア遠征もロシア遠征も王党派と組んで陰謀を張り巡らせるイギリスを倒すには仕方ないことです
7: 世界@名無史さん 2012/02/04(土) 01:57:01.58 0
第一次イタリア遠征とか死にたくなるだろうな
連戦連勝だけど行軍がキッつい
連戦連勝だけど行軍がキッつい
8: 世界@名無史さん 2012/02/04(土) 08:36:02.90 0
次第に多国籍軍化していったよな
各国の反王党・共和勢力を取り込んで行った感じか
この辺は後の共産主義と被るなー
各国の反王党・共和勢力を取り込んで行った感じか
この辺は後の共産主義と被るなー
11: 世界@名無史さん 2012/02/04(土) 14:54:29.56 0
革命勢力は使い潰されて、帝政になったり王政復古したりするけどな
共和政になっても下々が政権取るわけじゃないし
共和政になっても下々が政権取るわけじゃないし
13: 世界@名無史さん 2012/02/04(土) 19:51:42.41 0
しかしナポレオンも帝政にする前に国民投票をしたし、ルイ18世の王政復古も憲法も国民議会もある立憲君主制。
第一帝政下でも王政復古下でも、ナポレオン法典の「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」と言う原則はそのままだった。フランス軍自体はずっと国民軍のままだった。
アンシャンレジームの王政とルイ18世の王政は本質的に別物。
第一帝政下でも王政復古下でも、ナポレオン法典の「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」と言う原則はそのままだった。フランス軍自体はずっと国民軍のままだった。
アンシャンレジームの王政とルイ18世の王政は本質的に別物。
14: 世界@名無史さん 2012/02/04(土) 20:35:56.64 0
2年間給料未払いでも崩壊しない軍隊って凄いと思う
17: 世界@名無史さん 2012/02/04(土) 23:02:51.92 0
それでも耐えられるくらい貴族の平民への差別はひどかったんだろうな。
しかし指揮官と兵隊で食事の差別はなかった。指揮官がいいもの食ってるときは兵隊もいいもの食ってた。兵隊が食えないときはナポレオンも食わなかった。
あと平民出身でもネイやミュラーみたいに元帥にまで進級できるという夢を与えた点が他の王立軍と決定的に違う。そういう点では戦国時代の織田軍と共通する。
しかし指揮官と兵隊で食事の差別はなかった。指揮官がいいもの食ってるときは兵隊もいいもの食ってた。兵隊が食えないときはナポレオンも食わなかった。
あと平民出身でもネイやミュラーみたいに元帥にまで進級できるという夢を与えた点が他の王立軍と決定的に違う。そういう点では戦国時代の織田軍と共通する。
18: 世界@名無史さん 2012/02/05(日) 01:04:32.95 O
ロシア遠征ではナポレオンだけ良いもの食ってたらしいがな
20: 世界@名無史さん 2012/02/05(日) 01:29:41.58 0
そりゃあ部下がナポレオンに倒れられると困るから食わせてたんだろう。
ナポレオン本人は美味い食事よりも作戦指揮を優先させる男。
必要とあらばアルプスでもエジプトでもモスクワでも自ら行く。
ナポレオン本人は美味い食事よりも作戦指揮を優先させる男。
必要とあらばアルプスでもエジプトでもモスクワでも自ら行く。
16: 世界@名無史さん 2012/02/04(土) 21:25:49.29 O
毛布とかなしで軍服のみの野営だったらしいな
40: 世界@名無史さん 2012/02/29(水) 04:53:31.89 O
>>16
王制時代のフランス軍にも野外用毛布や大外套は無かったですよ(非正規品や騎兵用は除く)。
連隊によっては非正規品を調達していた所も有ったようですが、それは共和制下でも同じ(逆に徴発により増えたかも)。
正規の物が制定されたのは共和制後半になってからです。
因みに、正規の水筒が制定されたのはナポレオン戦争が終わった後です。
王制時代のフランス軍にも野外用毛布や大外套は無かったですよ(非正規品や騎兵用は除く)。
連隊によっては非正規品を調達していた所も有ったようですが、それは共和制下でも同じ(逆に徴発により増えたかも)。
正規の物が制定されたのは共和制後半になってからです。
因みに、正規の水筒が制定されたのはナポレオン戦争が終わった後です。
42: 世界@名無史さん 2012/02/29(水) 15:19:15.91 O
>>40
そうなんだ、勉強になるわ
将校だけ占領地に入れて兵卒は野営とか
紳士的に見えても兵に凄い負担を強いてるんだろうな
そうなんだ、勉強になるわ
将校だけ占領地に入れて兵卒は野営とか
紳士的に見えても兵に凄い負担を強いてるんだろうな
43: 世界@名無史さん 2012/02/29(水) 19:09:34.29 O
>>42
屋根の下が階級順に埋まるのは、国体とは無関係と言う事でw
兵士は、背嚢を枕に着の身着のまま地面の上で、が基本かと。
後は兵士の才覚で、どれだけ快適な寝床を作れるかですね。
屋根の下が階級順に埋まるのは、国体とは無関係と言う事でw
兵士は、背嚢を枕に着の身着のまま地面の上で、が基本かと。
後は兵士の才覚で、どれだけ快適な寝床を作れるかですね。
23: 世界@名無史さん 2012/02/05(日) 13:56:28.66 0
当時のイギリス陸軍とかの人事・進級は現代の感覚からすると異常で、大佐になった順番で階級の序列が決められ、その序列は絶対に変えられなかった。
ある優秀な大佐を旅団長や師団長に任命したい場合、序列を守るため先任の大佐を全員将軍にしないといけなかった。ウェリントンやムーアのような一部の優秀な指揮官を除いて全体的にイギリス陸軍がクソだったのはそのせい。
ある優秀な大佐を旅団長や師団長に任命したい場合、序列を守るため先任の大佐を全員将軍にしないといけなかった。ウェリントンやムーアのような一部の優秀な指揮官を除いて全体的にイギリス陸軍がクソだったのはそのせい。
45: 世界@名無史さん 2012/03/18(日) 23:09:06.07 0
>>23
そんなことはない。上に優秀な人間がいれば、制度など適当な理由で無視されている。
ピットはどんどん有能な人物を昇進させていた。平民出身でも、ウルフ将軍なんかケベック攻略の司令官にしているし。
そんなことはない。上に優秀な人間がいれば、制度など適当な理由で無視されている。
ピットはどんどん有能な人物を昇進させていた。平民出身でも、ウルフ将軍なんかケベック攻略の司令官にしているし。
46: 世界@名無史さん 2012/03/20(火) 14:45:41.09 O
>>45
イギリス軍には階級を金で買うシステムが有ったしね。
金持ち貴族の子弟の為のシステムに思えるけど、能力の有る者を引き上げる機能も有った。
若いく能力の有る軍人にはパトロンが付いたし、有意の軍人を支援する事は有産者にとって、国家や社交会でのステイタスの一つ。
確か、ウエリントも階級を買っていた筈。
イギリス軍には階級を金で買うシステムが有ったしね。
金持ち貴族の子弟の為のシステムに思えるけど、能力の有る者を引き上げる機能も有った。
若いく能力の有る軍人にはパトロンが付いたし、有意の軍人を支援する事は有産者にとって、国家や社交会でのステイタスの一つ。
確か、ウエリントも階級を買っていた筈。
47: 世界@名無史さん 2012/04/13(金) 22:42:35.13 0
自費で連隊の兵を集めると、大佐として連隊長に就任できる。
実際は、副連隊長の中佐が、叩き上げで有能とかだよね。
実際は、副連隊長の中佐が、叩き上げで有能とかだよね。
22: 世界@名無史さん 2012/02/05(日) 07:00:26.68 0
当時の人材の豊富さは凄いと思う
ナポレオンとネルソンが同時代のヨーロッパにいるとか奇跡だろ
他にもダヴー、スヴォーロフ、マッセナ、タレイラン、フーシェ、ゲーテ、ベートーベン等等
密度濃過ぎ
ナポレオンとネルソンが同時代のヨーロッパにいるとか奇跡だろ
他にもダヴー、スヴォーロフ、マッセナ、タレイラン、フーシェ、ゲーテ、ベートーベン等等
密度濃過ぎ
29: 世界@名無史さん 2012/02/15(水) 08:14:22.83 0
当時のエジプト遠征って現代で言えばどれぐらいの感覚だったのだろう
間違いなくアフガン・イラク派兵の比じゃないのはわかるが
間違いなくアフガン・イラク派兵の比じゃないのはわかるが
31: 世界@名無史さん 2012/02/15(水) 17:09:00.48 O
シベリア出兵みたいなものじゃね
いや、無理があるか
いや、無理があるか
32: 世界@名無史さん 2012/02/16(木) 23:56:47.37 0
当時はピラミッドでさえ古代文献上の存在だったからな
今の感覚で言えば北極に派兵されてオーロラ見る気分じゃない?
今の感覚で言えば北極に派兵されてオーロラ見る気分じゃない?
33: 世界@名無史さん 2012/02/22(水) 16:38:56.40 0
それを置き去りに出来るナポレオンさんは異常
35: 世界@名無史さん 2012/02/22(水) 19:39:26.97 O
織田信長や劉邦もそう。自分だけ逃げている。マキャベリが言っている。
君主(政治指導者)たる者は地獄におちる決意で政治に挑まなければならない。
君主(政治指導者)たる者は地獄におちる決意で政治に挑まなければならない。
36: 世界@名無史さん 2012/02/22(水) 19:51:28.69 0
フランソワ・ヴィゴ=ルシヨンの従軍記によれば、ナポレオンの帰国はエジプト遠征軍から結構好意的に受け止められていたようだぞ
ナポレオンがいるかぎりイギリスに譲歩するような交渉があり得ないことは皆分かってたから、ナポレオンの帰国自体も政府にエジプト脱出の援助を頼みにいくものと受け止められたみたいだしな
ナポレオンがいるかぎりイギリスに譲歩するような交渉があり得ないことは皆分かってたから、ナポレオンの帰国自体も政府にエジプト脱出の援助を頼みにいくものと受け止められたみたいだしな
38: 世界@名無史さん 2012/02/23(木) 21:26:27.54 0
こんな認識であってる?
革命軍の起こりは、バスティーユを襲撃し、武器を手に入れたパリ市民が、民兵としてパリを防衛。パリ近郊にはこれとはべつに旧来のフランス軍がいたが、王の命令がないので、パリ攻撃ができず。
この均衡が続いていた。
革命軍の起こりは、バスティーユを襲撃し、武器を手に入れたパリ市民が、民兵としてパリを防衛。パリ近郊にはこれとはべつに旧来のフランス軍がいたが、王の命令がないので、パリ攻撃ができず。
この均衡が続いていた。
39: 世界@名無史さん 2012/02/23(木) 22:13:31.22 0
パリ防衛にあたった民兵は国民衛兵といって別組織
「革命軍」というのはまた別の組織があるんだが(革命初期に食料調達のために編成された部隊など)、一般にいうフランス革命軍は大規模な徴兵やアマルガム法などの軍制改革で旧来の王軍を再編したもの。
「革命軍」というのはまた別の組織があるんだが(革命初期に食料調達のために編成された部隊など)、一般にいうフランス革命軍は大規模な徴兵やアマルガム法などの軍制改革で旧来の王軍を再編したもの。
41: 世界@名無史さん 2012/02/29(水) 09:05:28.31 0
あの無駄に刺繍されてる腰巻がかっこいいよな
なんの意味があるのか知らんが
なんの意味があるのか知らんが
※革命期のフランス軍。左の将官は腹にサッシュを巻いている。
43: 世界@名無史さん 2012/02/29(水) 19:09:34.29 O
>>41
3色旗のサッシュでしょうか?
それでしたら、将官や派遣議員の印しです。
旅団長(少将)、師団長(中将)、派遣議員、それぞれ刺繍が違っていて階級章としての役目も有るそうですが、詳細は・・・
3色旗のサッシュでしょうか?
それでしたら、将官や派遣議員の印しです。
旅団長(少将)、師団長(中将)、派遣議員、それぞれ刺繍が違っていて階級章としての役目も有るそうですが、詳細は・・・
54: 世界@名無史さん 2012/09/24(月) 20:53:18.86 0
国家総動員とか徴兵の走りだよね。
56: 世界@名無史さん 2012/09/25(火) 13:35:14.96 0
貴族が不足して、将軍から下士官まで、無能市民がカバーする。
第二次世界大戦のソ連軍みたいな。
第二次世界大戦のソ連軍みたいな。
67: 世界@名無史さん 2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN 0
ヴァンデ戦争の初期の頃、討伐に派遣された革命軍の部隊が、森で待ち伏せされて全滅してしまったような話がユゴーの「1793年」に書かれてたけど、実際そこまでヴァンデの農民って強かったのかな?(あるいは共和国軍が弱すぎたとか?)
68: 世界@名無史さん 2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN 0
>>67
初期に投入された部隊は志願してきたばかりの国民衛兵だからね。
外国軍との交戦経験の有る歴戦の部隊、それこそマインツ帰りが投入されると、そうは行かなくなったらしいよ。
初期に投入された部隊は志願してきたばかりの国民衛兵だからね。
外国軍との交戦経験の有る歴戦の部隊、それこそマインツ帰りが投入されると、そうは行かなくなったらしいよ。
69: 世界@名無史さん 2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN 0
ヴァンデ軍がどうこうではなくて。戦列歩兵の特性でしょ。
この時代の戦列歩兵は待ち伏せ攻撃に弱い。
この時代の戦列歩兵は待ち伏せ攻撃に弱い。
戦列歩兵とは、17〜19世紀の欧州の野戦軍で主流となった歩兵の運用形態のひとつである。戦列歩兵は士官の発する簡単な号令や太鼓による指示に従って行動し、その移動は徒歩であり、横隊の全員がほぼ同じ程度の歩幅(75cm前後)になるよう身長の基準が設けられ、一分間の歩数は70〜90歩(約60m/分)が基準の歩行速度とされていた。これに太鼓による指示が与えられる事で速度が調整された。
71: !nanja 2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN 0
最終的に破壊部隊に鏖殺されることに
ヴァンデの反乱
ヴァンデの反乱は、フランス革命期に発生したカトリック王党派の反乱である。ヴァンデ戦争とも言う。
1793年3月、30万人募兵令に反発する農民たちの蜂起によって、フランス西部ヴァンデ地方を中心に一気に広がり、フランス革命戦争でも苦戦していた国民公会を危機に陥れた。しかし共和国軍が反撃に転じるとカトリック王党軍はロワール川の北に追い詰められ、1794年12月のル・マン、サヴネの戦いの敗北によって組織的抵抗は壊滅した。
以後は少人数によるゲリラ戦に変化して長く不毛な戦いが続いた。
正確な数は不明だが、犠牲者は30~40万ともいわれる。ブルターニュ、メーヌ、アンジュー、ノルマンディーで発生したゲリラ組織「シュアヌリ(ふくろう党)の反乱」と結びついており、これらの反乱は時に『西部戦争』と総称される。
72: 世界@名無史さん 2013/09/23(月) 22:24:01.56 0
「地獄部隊」でしょ。フランス人っていったんキレると恐ろしいな。
73: 世界@名無史さん 2014/01/04(土) 15:21:11.13 0
ヴァンデでは、革命軍は、虐殺しまくっているよね。
まんまポルポト派だよ、フランス革命軍。
まんまポルポト派だよ、フランス革命軍。
74: 世界@名無史さん 2014/01/06(月) 00:46:51.48 0
フランス革命軍というと、皆の頭に浮かぶのは陸軍only。
海軍はおおむね存在を忘れられる。
海軍はおおむね存在を忘れられる。
75: 世界@名無史さん 2014/01/07(火) 07:59:47.30 0
6月1日海戦(イギリス名)とか有るのにね。
まぁフランス名が殆んど知られていない点で、お察しなんだけど・・・
まぁフランス名が殆んど知られていない点で、お察しなんだけど・・・
80: 世界@名無史さん 2015/10/17(土) 17:34:05
海軍はむしろ王制末期の方がよかったな。イギリスと互角に戦えた時もあった。
しかし革命で指揮官の貴族が海外に亡命するとガタガタになり、ナポレオンのへたくそな運用で大敗して潰えた。
しかし革命で指揮官の貴族が海外に亡命するとガタガタになり、ナポレオンのへたくそな運用で大敗して潰えた。
引用元: ・フランス革命軍って良いよね
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第二次英仏百年戦争でも植民地を失ったフランスがイギリスに惨敗した、という結論でしか語られていないが、ホームグランドのヨーロッパ本土ではやはりイギリスよりフランスの圧倒的に強い。海の向こうの戦いで海軍力の乏しさで兵力の輸送に失敗したフランスが下手をこいたというイメージ。実際ルイ16世時期になれば惨敗続きだった北米の「アメリカ独立戦争」でフランス海軍はイギリス海軍に勝利をおさめ始めていた。
王立軍がこのまま成長すれば、第二次英仏百年戦争も終盤でフランス逆転の可能性が高かったと言わざるを得ない。
逆に考えてフランス革命がフランスを弱くしたというのが真相だろう。あれだけヨーロッパ本土で強かったフランス軍が、革命後しばらく惨敗続きだったのは間違いなく革命の悪影響。その後勝ち始めても、ジャコバン派の監視とギロチンの恐怖から、指揮官が無理をやっていたという印象が強い。