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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/12(月) 21:07:06 ID:6b5s6IBB0
どっち?








208: 劉邦 2007/06/27(水) 12:04:48 ID:nREH7iav0
劉邦が結論的には上。劉備は劉邦より犯罪的な部分な行動が多い。劉備は三国志では善玉とされるが劉邦は項羽と劉邦だと善玉ではあるが劉備ほど行動に意識的ではない。劉邦より優れてるのは劉秀くらい。

210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/27(水) 19:13:29 ID:bFHVpx0v0
劉邦

やはり天下を取ってるのは大きい。
劉備は曹操と比べたらどちらが上とは言い切れないが劉邦と曹操なら確実に劉邦の方が上だと言える。
故に劉備以上だと思う。

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/06(月) 21:01:10 ID:KFsdeBE30
劉備の実力的に竇建徳ぐらいが妥当じゃないかな?
生涯に致命的な敗戦を経験している者同士で、ウマが合いそうじゃないか
人間性では、竇建徳の方が二枚くらい上だが
竇建徳

中国,隋末の群雄の一人。若い頃から任侠の風があり,煬帝 (ようだい) の高句麗征伐に兵士 200人の隊長として出征したが,群盗化した逃亡兵や飢民との関係を疑われて官憲に家族を殺され,反乱を起して自立,長楽王と称した (617) 。部下や捕虜に寛大で,官吏や士人を配下におく方針をとったため,勢力を拡大し,河北,山東を中心に夏国を建て天子を称したが,唐の李世民 (のちの唐の太宗 ) と戦って敗れ,捕虜となって長安で斬殺された。


225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/06(月) 21:38:06 ID:Lamiy4FV0
>>224
隋末唐初の群雄割拠では、竇建徳が劉備として準えられていますね。なんかそんな話を聞いたことがある。
それにしても、竇建徳はただの一戦で捕らえられたのが、その運と実力の及ばないところだったのかなぁ。
李世民の機転と戦術がおそろしく冴えていたといえばそれまでですが
もちょっとどうにかならんかったかと悔やまれます。

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 13:41:20 ID:J+hI43g60
基本的に高祖と光武は失地がはるかに少ない。
先主は徐州といい荊州といい、苦労して手に入れた土地を失いすぎ。
それを守ってた関張は基本的に攻勢の部将なので守勢には向かないし。

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 14:55:02 ID:uvu8yuxF0
劉備の運だけは中国史でも稀に見る逸材だと思う
逃げまくってるのに勢力は拡大しているという

234: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 15:23:36 ID:YXjm2R2A0
劉邦の運だけは中国史でも稀に見る逸材だと思う
負けまくってるのに最後は統一しているという

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 19:58:34 ID:RZ5eNi0a0
劉邦は自分からアイディアを発想する能力はないが、部下のさまざまな意見から最もよいものを選ぶ能力はすごい。
自分との親しさとかその人物の地位とか完全無視してよい意見だけを選ぶ。
選んだ策は必ず当たる。凡人にはできない技だ。

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 23:02:28 ID:P5YCZAd+0
俺、劉邦って将軍というよりむしろ偉大な政治家だと思うんだけどな

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 23:08:10 ID:xSj5/fs10
>>238
秦を滅ぼした優れた将軍で、現代にもつながる中国の基礎を築いた偉大な政治家である不世出の皇帝だと思うよ、マジで
将としても項羽と冒頓以外には大抵勝ってて、負けまくりみたいに言われがちだが勝ちも結構多いよ

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 23:47:01 ID:P5YCZAd+0
うん、将軍としての手腕も認めるけど、それ以上に政治家としての嗅覚が優れてる
簫何とかはむしろ官僚的だと思う。というか漢三傑が過大評価なんだよね
劉邦の「三人に及ばない」発言があるせいか。でも韓信と簫何は代用がきくと思うんだがな

242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/08(水) 00:04:56 ID:+374kN0Q0
>>240
いや、蕭何はあれだけの人物が劉邦のすぐそばにいたという青い鳥並みの奇跡自体が凄いんだよ
蕭何本人も凄いんだけどさ、当然

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/08(水) 00:55:46 ID:QnGbD0Dv0
蕭何は後の律令の原型ともなったと言われる「九章律」を定めたりするなど偉大な人物なんだけどな

244: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/08(水) 02:07:05 ID:n1+cjuRT0
簫何の代わりで曹参でいいじゃん
韓信の代わりで灌嬰でいいじゃん
統一は遅くなるけど、最終的に劉邦が勝てるだろ
義経いなくても源氏勝ったよ理論

245: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/08(水) 12:07:34 ID:lOQ+kY8E0
前202:垓下の戦
前200:白登山の戦

なんだが。
あれ以上遅いと匈奴に背中から討たれかねない。
三傑がいたから楽勝で勝てたのではなく、三傑がいてもギリギリな勝利だった訳だが。
冒頓と項羽に挟撃された場合、関中の要害に頼れば滅亡はありえないけど、分裂状態は長く続いたと思われる。

247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/08(水) 21:01:03 ID:kmwb7qet0
まぁでも劉備が凡庸というわけではなくて、こういう歴代の面子との相対評価だということで。
三国志のせいでなにか特別に感じるのもあるだろうけど劉備のような1地方政権は数多いし、劉備並の人間も多く居るからな。

ちょうどこの後蜀の支配者の李雄も孔明的な宰相を迎え、羅憲の子を破り中央が荒廃し放題な中巴蜀に、自ら倹約し稀有な安定した治世をもたらした。

こいつも2代目で失敗してるのでよく似てるけど、民にとっては過酷を強いられた蜀漢よりもずっといい政治をしただろう。
劉備はこういう小規模、地方軍閥の頭領タイプだ。全土や中央に安定した政権を立てることは難しい。

248: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/09(木) 01:40:27 ID:rvyP7LfwO
>>247
>民にとっては過酷を 強いられた蜀漢よりもずっといい政治をしただろう。

なるほど北伐の際の徴発などは民にとっては過酷だったろうが、少なくとも諸葛亮の政治は民も歓迎していたことが記述から伺えるよ。
(南蛮から徴発していたからかな?)
姜維があんまりに国力弁えぬ北伐やるから民から怨嗟あったようだ。
まあそれに歯止めをかけなかった劉禅もあれだが。
まあ無論安定した治世としては後蜀には及ばないだろうけど。

> 劉備はこういう小規模、地方軍閥の頭領タイプだ。全土や中央に安定した政権を立てることは難しい。

なんか同時代のとある人物も似たようなこといってた気がする。
「劉備は中原で覇権を争うことは出来ないが地方に割拠したら脅威になる」みたいなの。
それと劉備って、荊益両州得たあとならともかく、それ以前から「あいつは危ない」といわれたこともあったが、やはりただならぬ英気があったのかね。
まあこの手の発言は歴史家の創作というケースが多いみたいだけど。

249: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/09(木) 07:10:13 ID:IEtx/SMt0
そうかな~四川は今でも少数民族が多い。
ここに割拠しにくるのは塩目当てだったり、要害目当ての外人ら。

この地方は昔から清代まで土着の有力者が世襲で地盤をもっててそれらを懐柔して多少の間接統治しないと統治が難しいんだよね。 
ここに割拠しに来た群雄がなにか新しい政策なりやりだすと途端に反乱が起こる。
雲南だけでなく国内でも 蜀漢は幾度も反乱が起きてるし。

彼らは、上は誰でもいいから自分の土地の安定した生活を重視してると思う。
孔明は法で統御したから実際は、益州荊州混合軍団の統治は別として、兵役は多いし民衆としてはうざかったんじゃないかな~。

こういう土地だから後方にはいいけど拠点にしたらダメなんだと思う。
これだけの要害なのに、大抵先に崩れていくのが四川。 
領土拡大とかにも向いてないんだろうなぁ。 

250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/09(木) 10:59:11 ID:rvyP7LfwO
>>249
> 孔明は法で統御したから実際は、益州荊州混合軍団の統治は別として、兵役は多いし民衆としてはうざかったんじゃないかな~。

実情がどうだったかはともかくとして、その「法」を恣意的ではなく公平に運用したから、賞罰が厳格だったから民も歓迎した、みたいな感じで史料にはある。
ただ、蜀記という書物には「法治が酷薄だったため、民を苦しめた」みたいな記述はあるが、呉側の書物だからどれだけ実情を映したものかはわからない(まあそれは蜀記以外の史料に関しても同様だが)
ただ、元々益州勢力(劉璋)に仕えていた法正は「かつて劉邦が定めた法三章みたいにまずは緩く統治しましょう、土着の者を立ててやってくださいな」 といってる、多分これが民らの心情でも諸葛亮は「劉璋はいい加減な政治をしていたから私はそれ締め上げる為に統治する」といってる、民からしてみれば「え~」「おいおい…」といった心境になるな
ただ諸葛亮の統治は(法の運用などが)文句をつけようがなかった。
民としては諸葛亮の厳格な法治という方針は内心不満だったが、しかし実際の統治は文句のつけようがないもんだから、尚更意地悪。って感じかな?
つか、民衆が諸葛亮を賞賛したとしたら、もしやそれは汚職や不正を働いた官僚を徹底的に摘発・糾弾した点を賞賛したのかな?

> こういう土地だから後方にはいいけど拠点にしたらダメなんだと思う。
> これだけの要害なのに、大抵先に崩れていくのが四川。 
> 領土拡大とかにも向いてないんだろうなぁ。 


それはいえてるよね

252: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/09(木) 11:16:12 ID:JaeOdZU/0
>>250
蜀記は東晋の王隠じゃなかったっけ?

260: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/12(月) 16:35:09 ID:DJJ4kL3U0
劉備と劉邦どっちが好きと言われたら「劉備」と応えるが劉邦のほうが恐ろしい印象をうけるな。
「自分の子供突き落としたり、統一後の粛清」など。。。。

といっても劉備は演技と正史で違う所も難しいけど。
孟達・劉封の粛清とか「諸葛亮・劉備」もやるときはやるしな。

ただ、関羽のあだ討ちとかは劉邦なら、実行しない気がする。
部下の賢明な意見は何故かよくいうこと聞く劉邦。

劉備は頑固に自分の意思通すとき、失敗したりすんだよな。
やっぱり漏れは劉邦の方がバケモノみたく怖い印象が強い。

261: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/23(金) 22:07:50 ID:sk3XAz9z0
劉備も化物なみの生存力だよ
双方とも、有能な人材が集まる人間的な魅力と運は凄いんだろうな

262: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/24(土) 05:15:06 ID:8p2zrGUlQ
下手に勢力が安定してしまったからな>三国
劉邦の時は混乱したままだからあんなに早く収束したんだろう

263: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/24(土) 14:22:32 ID:JuUGXPFr0
>>262
韓信があちらこちらを平定してなお劉邦から自立しなかったことも大きな要因ぽい

265: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/02(日) 00:28:06 ID:OW8xtK1m0
韓信は死ぬまで劉邦が好きだったんだろうな

311: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/13(木) 22:48:47 ID:58SJGMld0
ところで、劉備の後漢での最終的な官位って何?
左将軍で終わり?

316: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/16(日) 10:28:02 ID:jSTdnHjB0
曹操が掌握するところの漢朝から劉備が正式に貰った官位は豫州牧・左将軍。
そのあと勝手に「上表」して荊州牧、益州牧を経て漢中王・大司馬を称するのが後漢での最終官位。
もっとも、そのあと漢の皇帝になるわけだけど。

個人としての武勇や能力では劉備の方が上に思えるな
関羽・張飛などはあくまで部将だし。
しかし人を使う能力では現実に天下を取った劉邦には及ばない。

359: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/09(金) 19:45:21 ID:sqz+oCko0
劉備のほうが優秀だと思うが、配下の質に天と地の差がある。
劉備には、樊噲、盧綰などに匹敵、あるいは凌駕する、優れ忠誠心厚い将軍が多数いたが、韓信もいなければ、ショウカも張良も陳平もいなかった。
せいぜい、甘めににみて曹参くらい。

376: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/26(木) 06:06:05 ID:NALRV+mu0
>>359
優秀な配下を手に入れるのもまた人の度量
猿から人に進化する訳でもないんだし、時代時代で優秀な人間の総量が大幅に違うということはない
つまるところ、そのような人物を発見する才能、使いこなす才能、働かせる気にさせる才能、みがく才能による
劉邦にはそれがあって劉備にはなかった

360: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/09(金) 20:56:56 ID:rWvnKtCL0
諸葛亮はショウカに匹敵するだろう

366: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/14(水) 22:00:35 ID:xyZZSWnx0
仁徳の差です。
陳羣に愛想をつかれるようでは劉備もまだまだ劉邦に及ばない。

377: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/26(木) 14:17:36 ID:dg1JKw0B0
あと、それがうまく活躍できる情勢というのもあるな。
個人個人の力量や有能さだけでは覆すことができない
世の中の流れというヤツだ。
中国式にいうと天命か?
まぁ、それすら正しく導く「人」のちからがあってこそなんだけどね。

アンチ項羽を貫いた劉邦は、項羽の失敗によって、その天命を得た。
アンチ曹操の劉備は、曹操が人心を失う失敗をしなかったので、どうにもならなかった。
違いはそこなんじゃないのかと。

378: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/26(木) 19:14:48 ID:NALRV+mu0
それって単なる劉備の戦略ミスだろ
つか曹操は割と人心を失ってると思うが

380: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/26(木) 22:39:31 ID:dg1JKw0B0
>>378
>>劉備の戦略ミスだろ


正解。つまり、項羽と曹操では、支配者としての冷徹さが違う。
劉備が能動的に社会に対して勢力を確固にする戦略を、自由に選べたかどうか。
その点については曹操より遅かったのは事実だから。
先に確固たる制度なり体制なりを作って、核を強固にし、それに世論を追従させるような政策を打ち出していれば、そうそう倒れることはない。
曹操が人心を失ったというが、確認はしていないが、失った人心より容認する世論の方が勝るから、政権が倒壊するような事態にはならなかったのではないか。

話は変わるけど、そこで曹丕が禅譲という名の簒奪をしたので、そこに世論に隙ができ、諸葛亮の北伐の可能性が意味をもったのだと考えるわけだ。

379: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/26(木) 21:22:47 ID:DyraD0Nw0
実際漢中奪取まではうまくいってたな
イケイケ路線で関羽に仕掛けさせたのはさすがにまずかったようだが

381: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/27(金) 00:05:24 ID:vzdhj4Zr0
初期に徐州の虐殺があり
中期に魏諷の乱があるから
曹操の地盤も大したこと無いと思うが
劉備が考えつくのが遅いといったのは曹操なのだからよく見ている
石勒や劉裕なんかは即断の人だったなぁ

382: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/27(金) 00:30:31 ID:gtBIdXXr0
>>381
比較の問題だからな。
曹操の地盤もあやういものだったろうが、それを大きく覆すだけの地盤を劉備が用意できなかったから、ああいう形での並立になるわけで。
逆に言えば、曹操の一人勝ちにさせなかった、と言う点で非常に評価できるというわけだし、出遅れたのなら、それに拮抗(国力や人的資源で、というわけではなく)する勢力を立ち上げたことも、その追い上げっぷりを評価してもいいのじゃないか。

まぁあと、乱を起こされること自体は地盤の脆弱性に直結するわけではない場合もあるから、それをもって曹操には人心がなかったとは一概には。

411: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/22(金) 03:36:51 ID:b/CKee+10
石勒の考え

劉邦>劉秀=石勒>曹操
劉邦の部下になりたい。
劉秀ならば天下を争うことになるだろう、勝てるかどうかは解らんが。
だが、曹操如きに負ける事は無い。

んな感じだよね。
ところで、劉備ってどう評価されたんだ?

412: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/23(土) 15:28:41 ID:/fXb5MQ30
>>411
劉備のほうが、劉邦よりも欠点が少ないと思う。
だから人を惹き付ける不思議なパワーは劉邦の方が圧倒的に上だったんじゃないかな?

413: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/23(土) 21:02:19 ID:IMI66ygA0
不思議パワーっつってもほとんどが褒美につられただけだろ。外様、古参問わずに。
出鱈目人事やるようなアホなのに28人も心中仲間がいた項羽の方が凄いと思うが。

劉備の場合微妙に参謀連中が頼りにならないというのはある。

414: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/23(土) 23:09:11 ID:C/E1fb0d0
石ロクがこういう評価をしたのは劉秀と曹操が似たタイプだったからかもしれないな。
学のあるインテリで一人で何でも出来る。何より陣頭指揮がメチャ強い天才軍事家。

石ロクも優秀だがやっぱり二人ほど天才肌の軍人って感じじゃないし万能型でもない。
だから三人の中で一番身分も低くて自分に近い劉邦が好きだったんじゃないかな。

根拠と言ってはなんだけど曹操も劉秀を尊敬してたし。

415: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/23(土) 23:13:22 ID:T0FRB/nO0
軍事に関してなら、石勒自身も言ってるように決して劉秀や曹操に劣りはしないと思う。
教養に関しては全く歯が立たないだろうけど。

416: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/23(土) 23:27:01 ID:ARRH+TSg0
石勒は、「独立した韓信」を地で言っているから
(違うのは、敗戦の多さと学のなさぐらい)
韓信は股くぐりで侮られ、石勒は異民族の出自で蔑まれ
関東を主力掩護のために経略したという軍事上の役割は一緒
無敗の韓信と功を競いたいと思うのは、武人としちゃありだろう

劉邦は、どうも軽く見られがちだけど対楚で三傑が活躍するまでの間は、結構本人の手腕でやりくりしていたところがあるからなあ
一概に劉秀に劣るところって、昆陽のような派手な武勲がないってことぐらいじゃねえかな? (冒頓単于に勝つのは、当時は不可能だと思う。)
逆に情勢の判断能力は、劉秀や曹操は劉邦の足元にも及ばないが

417: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/23(土) 23:46:46 ID:C/E1fb0d0
>>416
結構出たとこ勝負だからな<劉秀、曹操
そういう意味での戦略眼なら同じように石ロクも二人よりすぐれていただろう。

逆に言えばやっぱり劉邦と石ロクはタイプ的に似てるんだよ。やっぱり。渋いタイプっていうか
だから良くも悪くも天才タイプで共感しにくい二人があんまり好きじゃなかったんじゃないかな。

419: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/24(日) 00:08:55 ID:Cg1jrUX90
曹操や劉秀はよく自ら前線に立つのを好む出しゃばりな人物とか言われるけど、劉邦も常に前線に立ってるよね。
しかも統一後の反乱の討伐や匈奴との戦いでも自ら出張っていくほどだし。

451: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/25(月) 02:13:19 ID:dqwmvoFwO
てか劉邦と劉備のスレなのにここずっとみんな劉秀と曹操と石勒の話題なのは何故w

453: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/25(月) 11:42:19 ID:gKwbCq4B0
だいたい劉備と劉邦は、才能面に関してだけは劉備の方が優れてるって事で決着してるじゃないか。

454: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/25(月) 13:31:03 ID:yPxgMNne0
>>453
そうかあ?
俺としてはどっこいどっこいな気がするんだが。
劉邦は言われてるほど駄目男じゃないし、戦も政も十分英雄として相応しいレベルじゃん。
両者の仕事量の違いというのはスタッフの結集時期の時間差とライバルの項羽と曹操との相性がもろに出た結果だろう。

455: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/25(月) 15:38:21 ID:P8z9v3lU0
>>454
劉邦には挙兵時から、蕭何、曹参、夏侯嬰、周勃、樊カイ等が、部下に居た事をお忘れ無く。
オマケで盧綰 

参謀&武将が凄すぎるよ。殆どチートだ。

456: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/25(月) 16:21:42 ID:yPxgMNne0
>>455
まあ確かに 
まあ、そいつらも最初は参謀でも部将でもなく、小役人、牢屋番、御者、葬儀屋、犬肉屋なんだよな。
そんなツキにありつきたいものだ。

486: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/29(金) 22:31:19 ID:WeYzN+8W0
劉邦は項羽相手に一勝多敗だから戦下手
とかいう論調になることが多いが
ふつーなら初戦で負けたらそのまま死ぬか降るかだけだろと思う。

487: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/29(金) 22:34:57 ID:I+LPIvsM0
>>486
そもそも項羽との直接対決では負けてるがそれ以外には勝っている
最初の大敗以外は項羽の鋭鋒を避けるかひたすら防戦しつつ他方に味方を展開させるというとてもクレバーな戦い方をしてる
むしろ戦上手と評価するべきだと思う

491: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/30(土) 01:56:44 ID:cfMKaiFk0
負けた相手が当代最強の項羽だと考えたら当たりまえっちゃあ当たり前かもしれない
それこそ劉備が曹操に何回も負けたのと同じで

512: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/30(土) 14:52:29 ID:flNZncVM0
曹操対劉邦
曹操対劉秀
劉邦対劉秀
とかも面白いかも。

引用元: ・劉備と劉邦はどちらが優れている?