かみさんの死は、俺にとって過去の出来事ではない。
今ここにある現実だ。
だが、あれから月日が経ったことも事実だ。
それにも関わらず、なぜ過去にならないのだろう。
多分かみさんの死とともに時間が止まってしまったからだ。
アルベルト・アインシュタインが明らかにしたように、強い重力場では、観測者から見た時間の流れは遅くなる。
より重力が強ければ、時間の流れは止まってしまう。
俺(観測者)から見ると、かみさんの死は、強大な重力を持っているのだ。
生涯忘れることのできない体験だ。
俺の心をザックリと割った体験だ。
最も強烈で、最も悲しい体験だ。
俺はいまだに、あの体験に呪縛されているのだ。
しかし、それは俺にとっての「かみさんの死」だ。
一方で、俺以外のすべての人々にとって、かみさんの死は過去の出来事だ。
俺と俺以外の人々とでは、かみさんの死に対する認識がまったく違っている。
そこに軋轢が生じるのだ。
俺はかみさんを想い、かみさんを語りたい。
だが、俺以外の人々は、死んだ人の話は聞きたくない。
俺がかみさんについて語るとき、周囲の人々が嗤うことがある。
いつまでも悲劇の主人公ぶってんじゃねえよ…とでもいうのだろうか。
いいかげんに忘れろよ…とでもいうのだろうか。
しかし、体験した方々なら分かるだろう。
代替不能な人を亡くした方々なら分かるだろう。
その体験は決して過去にはならない。
それは、遺族の心の深くて大きな傷であり、生涯絶対に消えることはないのだ。
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だが、
それにも関わらず、
俺(観測者)
最も強烈で、
俺はいまだに、
しかし、それは俺にとっての「
一方で、俺以外のすべての人々にとって、
俺と俺以外の人々とでは、
俺はかみさんを想い、
だが、俺以外の人々は、
俺がかみさんについて語るとき、
いいかげんに忘れろよ…
しかし、体験した方々なら分かるだろう。
それは、
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