いつか迎えに来てくれる日まで

数年前の6月27日、たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが「複雑性悲嘆」に喘ぎつつ、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

タグ:原発不明癌

かみさんの死は、俺にとって過去の出来事ではない。
今ここにある現実だ。

だが、
あれから月日が経ったことも事実だ。
それにも関わらず、
なぜ過去にならないのだろう。

多分かみさんの死とともに時間が止まってしまったからだ。

アルベルト・アインシュタインが明らかにしたように、強い重力場では、観測者から見た時間の流れは遅くなる。
より重力が強ければ、時間の流れは止まってしまう。

俺(観測者)
から見ると、かみさんの死は、強大な重力を持っているのだ。

生涯忘れることのできない体験だ。
俺の心をザックリと割った体験だ。
最も強烈で、
最も悲しい体験だ。

俺はいまだに、
あの体験に呪縛されているのだ。

しかし、それは俺にとっての「
かみさんの死」だ。
一方で、俺以外のすべての人々にとって、
かみさんの死は過去の出来事だ。

俺と俺以外の人々とでは、
かみさんの死に対する認識がまったく違っている。
そこに軋轢が生じるのだ。

俺はかみさんを想い、
かみさんを語りたい。
だが、俺以外の人々は、
死んだ人の話は聞きたくない。

俺がかみさんについて語るとき、
周囲の人々が嗤うことがある。
いつまでも悲劇の主人公ぶってんじゃねえよ…とでもいうのだろうか。
いいかげんに忘れろよ…
とでもいうのだろうか。

しかし、体験した方々なら分かるだろう。
代替不能な人を亡くした方々なら分かるだろう。

その体験は決して過去にはならない。
それは、
遺族の心の深くて大きな傷であり、生涯絶対に消えることはないのだ。

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世界はこんなにも広い。
そして、そこにはたくさんの人間が棲んでいる。

これだけ大勢の人間がいるのに、なぜ俺たちだったんだろう?
なぜ俺たち夫婦が、こんな目に合わなきゃならなかったんだろう?

なんで容ちゃんだったんだろう?
なんで俺だったんだろう?

みんな、「なんで?」と問う必要もないほど幸せに生きているじゃないか。
みんな笑顔で暮らしているじゃないか。

温かい家庭があって、大切な家族がいるじゃないか。
守りたい人がいて、守ってくれる人がいるじゃないか。

かつてはかみさんと俺も、そんな世界で生きていたはずなんだ。
それなのに、かみさんと俺は、そんな世界から排除されてしまった。

40歳代前半で癌になってしまい、この世を去らなければならない女性は、10,000人のうち、いったい何人いるのだろう。

悔しかったろう。
無念だったろう。

かみさんがかわいそうだ。

・・・

ほとんどの人にとって起こりえないことが、俺たちの身に起こってしまった。
ほんのわずかな人にしか降りかからない過酷な現実が、かみさんと俺に襲い掛かってきてしまった。

何故かみさんと俺なんだ?
何故かみさんと俺が選ばれてしまったんだ?

いったい、かみさんが何をしたというのだ?
いったい、俺が何をしたというのだ?

俺はこの広い世界が大嫌いだ。

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かみさんが亡くなって多少の時間が過ぎた頃。
俺の中に希死念慮が生まれた。

そこには、
いくつもの理由があった。

強烈な悲嘆に耐えられなかったからだ。
心身を引き裂かれたような、激しい痛みが苦しかったからだ。

持っていたモノすべてを失って、自分の人生に絶望したからだ。
自分が人生の敗残者のように思われたからだ。

かみさんのいない
ひとりぼっちの暮らしが、かみさんと一緒にいた年月より長くなってしまうのが怖かったからだ。

そんな俺に「生きていれば良いこともあるよ!」
とヘラヘラしながら言った奴がいた。
慰めるつもりだったのかもしれない。

かみさんが亡くなってから。
それなりの時間をひとりぼっちで生きてきた。

残念ながら、
生きてて良かったと思ったことは何もない。
むしろ、
死んだら楽になれるのにと感じることばっかりだ。

それでも俺は確信していた。
そう遠くない将来、
かみさんの後を追えるだろうと信じていた。

しかし…
それは次第に「確信」から「渇望」に変わっていった。
俺も近い将来に死ぬはずだという「確信」が、死にたいという「渇望」に変化していったのだ。
どうやら、
そう簡単には死ねそうにないと気付いたからだ。

こんなはずじゃなかった…と思う。
いったい、いつまで続くんだ?
と思う。

最初に想定していたのとは違い、
かみさんのいない余生は長くなるかもしれない。
哀しくて、
淋しくて、虚しくて、面白くもクソもない余生が延々と続いていくのかもしれない。

その間、俺は、少しずつ老いていく。
ダラダラと生き続け、
次第にあちこちが壊れ、いずれは朽ち果てて、干からびて死ぬのだろう。

だからこそ思うのだ。
こんなはずじゃなかった…と思うのだ。

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ある方から頂いたコメントを読んで、思い出したことがある。

ごく最近のことだ。
俺がテレビを見ていたら、
出演者が言っていた。

夫婦はいずれ死別するんだから。早いか遅いかだけの違いだよ。

俺は愕然とした。
言っていることに間違いはない。
だが、
それが夫や妻を亡くした人に対する言葉だったことに愕然としたのだ。

その発言をした人は、伴侶との死別をしていない。
また、
その言葉を聞いて頷いていた人々も、伴侶を亡くしていない。

伴侶を亡くした人ならば、早いか遅いかだけの違いだよ…なんて(普通は)言ったりしないはずだし、その言葉を聞いて頷いたりもしないはずだ。

伴侶のいる者たちが、
伴侶を亡くした者に対し、早いか遅いかだけの違いだよ…と言ってしまう残酷さ。
その残酷さに愕然とし、
怒りと憎悪を覚えたのだ。

あれは慰めるための言葉だったのか。
それとも、伴侶を亡くした人々の悲しみを嘲笑するための言葉だったのか。
あるいは、達観している自分に優越感を覚えるための言葉だったのか。

仮に慰めるための言葉だったとしても、いくら何でも無神経だ。

早いか遅いかだけの違いだよ…と言ってドヤ顔をしていた奴ら。
いずれは奴らも知るがいい。

伴侶を亡くし、半身をもぎ取られ、
心も身体もボロボロになり、それでも死ねないという経験をしてみるがいい。

そのとき俺は、
奴らを黙って見ているだろう。
俺は決して、
奴らに手を差し伸べたりはしない。

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かみさんが元気だった頃。
配偶者や子どもを亡くした遺族の話を聞いたことがある。

遺族たちは、俺の身近な人々ではない。
名前はおろか、
顔さえ知らない人たちだった。

テレビのニュースや新聞を見ると、
誰かが死んで、誰かが最愛の人に遺されたという記事が頻繁に出ていた。
そういうニュースを見た俺は、まるで別の世界のことのように感じられた。

かみさんと俺は大丈夫。
俺たち夫婦には、
そんな哀しい出来事は起こらない。
なんの根拠もないのに、
俺たち二人は無邪気に信じていた。

だから俺たちは、
ずっと幸せだった。
穏やかで、楽しくて、心地好かった。

そういう日々が、死ぬまで続くと思っていた矢先のことだった。
かみさんが癌だと診断された。
そして俺は主治医から、
かみさんの命が年単位ではない…と告げられた。

それでも俺は、
奇跡を信じた。
あらゆるものに、
かみさんを助けてほしいと祈った。

しかし…
かみさんは俺を遺して逝ってしまった。

・・・

かみさんと過ごした約20年間。
その幸せな日々を「当たり前」
だと思っていた。

かみさんが俺の隣にいること。
かみさんが俺の横で笑っていること。
かみさんが俺の心に寄り添ってくれること。

かみさんの美味い料理を食べられること。
かみさんと一緒に散歩をすること。
かみさんと二人で旅行をすること。

それらは当然に与えられているモノだと思っていた。

だが…
あれらはすべて「奇跡」だったのだ。

今日も仕事が終われば、
俺は家路を急ぐことだろう。
玄関を開けて、家の中に入るだろう。
家の中は真っ暗で、人の動く気配はないはずだ。

そうだ。
ただいま!と言えば、おかえりなさい!と返ってくる。
たったそれだけのことだけど、あれは奇跡だったのだ。

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