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2012年8月21日火曜日

【読了】岡崎久彦 『吉田茂とその時代』

岡崎久彦氏の日本近代外交史5部作、
5冊目をようやく読み終えました。


岡崎久彦 『吉田茂とその時代』
(PHP文庫、平成15年11月。初出は平成14年8月)

4冊目を読み終えたのは5月の初めでしたので、
時間が少しかかり過ぎましたが、
たいへん勉強になりました。


全体を読み終えての感想。

1・2冊目の、
歴史書としての完成度の高さから考えると、
3・4・5冊目へと進むにつれて、
違和感を覚えるところが増え、

5冊合わせて傑作と呼ぶのは
躊躇せざるを得ない結果となりました。


努めて客観的に書こうと
努力されていることは疑いないのですが、

岡崎氏の史観が、
ごく穏当ながらも「民族系」に属し、
その範疇を出るものでないことは明らかであり、

記述を少し過激化すれば、
左翼の史観とさほど変わらなくなる、

民族系のもつ致命的な欠点を
そのまま受け継いでいる点には
注意する必要があると思いました。


岡崎氏自身、
3冊目以降は、原史料にさかのぼることなく、

先行研究を自分なりに咀嚼した結果を
叙述し直した作品であると述べておられるので、

学会の研究成果の一番穏当なところを
わかりやすくまとめた作品として読めば、
よい仕事がされていると言えるかもしれません。


しかし日本の歴史学会が、
今なお左翼に牛耳られていることは
周知の事実ですので、

その中から、
いくら岡崎氏が、自らの責任で、
できるだけ穏当な部分を拾い出そうとされても、

自ずから限界があったと言うべきでしょう。


たとえば、
評価が定まる前とはいえ、

1990年代に刊行された
ヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』や、
小堀桂一郎氏の『東京裁判 日本の弁明』『再検証 東京裁判』
などを肯定的に紹介されるのには疑問がありました。


ただし現状として、
これを上回る出来の、読みやすい通史があるか、
といわれると、見当たらないことも確かです。

いろいろ考えるきっかけにもなり、
有意義な時間を過ごすことができました。


さて次は、
チャーチルの『第二次世界大戦』
を読もうと思っています。



※ミアーズについては、中川八洋「大東亜戦争肯定論は、『極左思想』の温床」(『亡国の「東アジア共同体」』北星堂、平成19年6月)270~273・285頁を参照。

※小堀桂一郎については、中川八洋 「“畸型の共産主義者”小堀桂一郎の女系主義」( 『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』オークラ出版、平成23年7月)を参照。

2012年5月9日水曜日

【読了】岡崎久彦 『重光・東郷とその時代』


岡崎久彦 『重光・東郷とその時代』
(PHP文庫、平成15年9月。初出は平成13年6月)

岡崎久彦氏の日本政治外交史3部作、
4冊目を読み終わりました。

4・5冊目は、
昭和5年(1930)生まれの岡崎氏にとって
同時代史に当たります。

岡崎氏自らが記憶してきた事柄を、
学会の通説と折り合いをつけながら、
わかりやすく書き下ろしてあります。


昭和一ケタ世代の方々の記憶をたどり直すのは、
それ自体興味深いものがありますが、

記憶にひきずられるせいか、
時代全体を見通す眼に、
若干の甘さがあるように感じられました。


穏当な通史として
相当成功していることは確かですが、

民族系の方々のもつ歴史観の限界を
そのまま受け継いでいる点は、
注意する必要があると思います。


例えば、
甚大な被害を出すことが必定な中、
無謀な戦争に突入して行った政治的な責任について、

左翼の定式にしたがう必要は全くないのですが、

この叙述では、
一体誰にどのような責任があったのか
はっきりさせていないことが不満でした。


中川氏が具体的に責任を追求されていた
米内光政、山本五十六、近衛文麿についても、
若干の失政を指摘しつつ、

民族系の通説通り、
戦争を防ごうと尽力した人物の一人として描かれており、
それは違和感がありました。

近衛文麿の手記を、
そのまま史実として扱っているのも問題でしょう。


ゾルゲ事件についても触れているものの、
スパイによる日本国内における共産主義の工作が、
日本にどのような悪影響を与えたのか
という視点はほぼ欠落しており、

尾崎秀実が
近衛文麿のブレーンであったことすら
触れていないのも違和感がありました。


こうしたいくつかの問題はあるのですが、

岡崎氏の世代が書かれた
一般国民向けの概説として、

これをこえるものはほとんどないことも確かです。


さて最後の第5巻、
楽しんで読み進めたいと思います。

2012年2月28日火曜日

【読了】岡崎久彦 『幣原喜重郎とその時代』



岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』
(PHP文庫、平成15年7月)


岡崎久彦氏の日本近代外交史5部作、
第3部を読み終えました。

本書で扱われているのは、
明治44年(1911)の中国の辛亥革命から、
昭和7年(1932)の満州事変に至る、
20年間の歴史です。

主に大正時代から、
昭和前期に陸軍のタガが外れて
満州事変に至るまでの歴史を、

幣原喜重郎の外交を基軸に、
背景にもよく気を配りつつ、
バランスよい叙述が行われています。


戦後はじめて達成されたかに見える
デモクラシーのほぼすべての要素が、

大正デモクラシーにおいて
すでに達成されていたことは、
こうした丁寧な叙述によってこそ、
納得できるものだと思います。


中庸な歴史を描くことは困難な時代について、
稀にみるバランスの良い叙述が実現しています。

それは各章ごとに、
大学の先生方に意見をうかがい、
穏当なものに記述を修正していくという、

なかなか誰にもできることではない、
知力、忍耐力の賜物だと思いました。


ただそれだけに、
今の学会で研究されていないこと、
謎のままで残されていることについては、
そのままで残されておりました。


大正デモクラシーを高く評価すればするほど、
その延長線上に、どうして軍部の独走があり得たのか、
その説明が十分ではないように思われました。


また、
英米の自由主義思想と対峙する
ソ連の共産主義思想、全体主義思想に対する
立場はさほど批判的でなく、

キッシンジャーの著書『外交』を高く評価する所からも、
思想的には、若干脇が甘いように思われました。


しかしそうしたスタンスは、
まさに幣原喜重郎のそれとも似ております。

英米の政治的立場はよく理解しながら、
思想的になぜ自由主義でなければならないのか、
その大いなる価値の部分を、
国民に向けて語ろうとはしなかった。

一外交官にその責任を問うのは酷なのでしょうか。


ここから先の歴史は、
できれば直視したくない失敗の連続ですが、

再び正道から大きく踏み外そうとしている
最近の外交を見て、より一層、
歴史に学ぶ必要性を感じるのでした。

2012年1月25日水曜日

【読了】岡崎久彦 『小村寿太郎とその時代』

岡崎久彦さんの外交5部作のうち
第2部『小村寿太郎とその時代』を読み終わりました。

年末年始に
他にもいろいろ読み始めたため、
ひと月半ほどかかりました。



岡崎久彦『小村寿太郎とその時代』
(PHP文庫、平成15年5月。初出は平成10年11月)


小村寿太郎の評伝を軸足に、

日清戦争後の世界の状況から、
日英同盟の締結、日露戦争の推移、
そして韓国併合へと至る歴史的な背景を、

ていねいにわかりやすく描いてあり、
たいへん勉強になりました。

歴史を叙述すること、
それも出来るだけわかりやすく語ることは、
本当に実力のある方でなければ難しいことです。

中高生の歴史教科書の副読本としても
秀逸な内容だと思いました。


小村外交の功罪についても、
バランスよく記述されています。

日露戦争を勝利するために、
小村が果たした功績の大きさは、
絶大なものがあったわけですが、

それだけに、
日露戦争の勝利後、
米国との間によい協調関係を築く機会が
何度もあったにもかかわらず、

小村自らそれを放棄していたことは、
たいへん残念でなりません。


その後の、東アジア一体が
共産主義化してしまった状況を目のあたりにすれば、

日本の判断しだいで、

満州をはさんで、
アメリカ(+イギリス)と強調しつつ、
ロシアに対峙する体制が築けていた可能性があることは、

今後への反省点として、
よく知っておく必要があるでしょう。


時期的に、
そこまで先を見越した判断ができないのは
責められるべきことではありませんが、

ここで明らかに道を誤っていることは、
知っておくべきことだと思いました。

それでは、次へと進みましょう。

2011年12月5日月曜日

【読了】岡崎久彦 『陸奥宗光とその時代』

ドナルド・キーンさんの
『明治天皇』を読み終わり、

久しぶりに、
岡崎久彦さんの日本外交史5部作を
じっくり読み返したくなりました。

高校生の時に、
渡部昇一さんと谷沢永一さんが、
『陸奥宗光(上・下)』の評伝を紹介しているのを読んだのが、
岡崎久彦さんを知ったはじめでした。

同書をもとに、よりコンパクトに書き直されたのが、



岡崎久彦『陸奥宗光とその時代』
(PHP文庫、平成15年3月。初出は平成11年10月)


です。コンパクトとはいっても、
文庫本で600頁をこえる大作なので、
読みはじめるのに少し気合いがいりますが、
表現がとてもこなれており、読みやすく、
ひと月かからず、あっという間に読み終えていました。

当たり前のことかもしれませんが、
こうして読み返してみると、キーンさんのより遥かに面白いです。

また、読者として中高生が想定されているのか、
文庫版では、ほぼ総ルビになっていることも、
たいへんありがたいです。

大人であろうと、知らない人名は、
ルビをふってもらわないと読めません。

感想を書けるほどのことを私は知りませんが、
以前に読んだ時よりも、
内容に合点のいくところが多かったのは、
これまでの多少の勉強の成果かもしれません。


陸奥宗光の、驚くほどの頭の冴えと、
それゆえの挫折の数々。

でもそうした陸奥の天才を
政治家として活かしうる
伊藤博文の懐の深さ。

この二人が、
自由社会を擁護する英米の地政学的立場をよく理解し、
絶妙なバランスで、日本を導き得たことは、
誠に日本にとって幸運だったと思います。

今の時代を生きる我々は、
何をどうしたら良いのか、色々考えさせられる本です。

次は日露戦争の時代、
『小村寿太郎とその時代』に進みます。
  翻译: