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2008年06月
梅雨晴れの青田を囲むように「かやぶき」の家が点在する、荻ノ島集落(新潟・高柳)、ホタルが舞い、自然豊かな田舎の風景がたたずむ。
囲炉裏のある「かやぶきの宿」は、(写真右下)地元産の山菜料理が自慢、海外からもお客さんが訪れるという。
「かやぶきの里」近くの「じょんのび村」では、(写真左下)震災復興事業として、〜さらなる未来〜「じょんのび あんべい市」を8月23日と24日の両日開催する。
参加者は、ジャガイモやトウモロコシなど収穫した野菜や「かまど」で炊き上げた焼きおにぎりなどが「ふるまわれる」ことになっている。
「じょんのび」は、方言で「ゆったり・のんびり」をさし、第三セクターで運営する温泉や宿泊施設があり、本格的な懐石料理や手づくり工房の「豆腐」や「がんもどき」などが人気商品となっている。
隣接する、県立こども自然王国は、たくさんの自然体験プログラムが用意され、夏休み期間は、子供たちで賑わう。
耕作が不利な中山間地帯での耕作放棄地が年々増える「むら」。高齢化が進み後継者不足で「限界集落」となり、存続問題となる深刻な事態の集落もある。
平成12年の農業センサスの調査では、平野部で3.2パーセント、中山間部で7.1パーセントまで耕作放棄地が上昇している。
棚田の里でも、昭和初期の3分の2が耕作放棄地となり、雑草の「かや」が生い茂る。秋の黄金色は消え、寒空に白いススキの穂がいっそう、寂しさを醸し出す。
・・・中間評価は、合理的・・・
中山間地域の支払い制度
こうした、中山間地の農地を守ろうと、平成12年度から始まった「中山間地域等直接支払制度」。
平成17年度に一部見直しされ、21年度まで続くこの制度、中間年度となったことから、このほど、農林水産省は、「中山間地域等直接支払い制度の中間年評価」の結果をまとめた。
それによると、協定ごとの総合評価結果は、約95パーセントの優良の高い評価となっている。
集落マスタープランは、耕作放棄地の防止活動、水路・農道の管理活動で順調に取り組んでいることがわかった。
都道府県における評価でも、耕作放棄地の発生防止に「効果がある」との評価が出ている。
「棚田の里」もほとんど、この制度に該当し、10アール当たり最高の2万1千円あまりの補助金が入っている。
この補助金で、農道・水路の整備管理や農薬の購入資金に、ホ場整備などの借金返済などが出来ると大喜び。また、この制度で、農家の話し合いも活発化し絆が強くなっている。
このお金、借金と社会補償費がかさむ日本の財政(税金)からの補助金、大切に使ってほしい。
・・・耕作放棄地の研究会発足(農林水産省)・・・
このまま、耕作放棄地が増えると、国民全体としても大きな損失になると、農林水産省は、耕作放棄地対策研究会の設置を決めた。
このほど、有識者からなる委員10名を選出し、7月1日に初会合を開き、現状や課題を踏まえ、耕作放棄地の解消や有効活用など研究会を重ね、秋を目どに取りまとめることになった。
平場の重要な地域(優良農地)にとどまらず、中山間地域の耕作放棄地にも目を向けて欲しい。
・・・ 半夏生 ・・・
あまがきさん わるがきさん おはようさん
ひめりんごさん おこりんぼさん こんにちは
いちじくさん いじわるさん ごきげんよう
あまなつさん あつがりさん こんばんは
さくらんぼさん 甘えんぼさん おやすみなさい
(チェルシーの詩・NO418)
(長い海岸線が続く出雲崎町、妻入りの家が特徴)
2度の地震で風評被害に悩む新潟県出雲崎町。復興を元気づけたのが、米国出身の黒人歌手が歌う演歌「海雪」だった。出雲崎が舞台の「海雪」は、全国的にヒット曲となり、町の名前を全国に広めた。
同町は、お礼に、この歌を応援しようと、町の一般会計予算に町民を対象にCD購入補助の予算65万円を計上したが、これまで半数近くの町民から、申し込みがあり関心が高まっている。また、紅白の出場の夢をかなえようと、ポスターを作製し観光施設などに貼り出している。(写真左)
1,200円のCD購入補助金は、1枚当たり500円、一世帯1枚とし1,300枚分が2月の臨時議会の補正予算案で可決している。
8月10日、同町で開催予定の「汐風ドリー夢カーニバル」にジェロさんの出演も決まり、復興の促進に弾みをつけ観光客の入りこみ数の回復を願っている。
日本四大「あやめ園」の一つ、新潟県・新発田市のあやめ園の花が見ごろとなり、市民や近隣からの観光客の目を楽しませている。
今日は、週末の土曜日とあって、朝から人の波が続いている。「あやめ茶会」や「あやめクイズラリー」など楽しみながらの「花見」をする、親子連れなどで賑わった。関係者は、天候にも恵まれ今シーズン最高の8千人を見込んでいる。
この「あやめ祭り」6月14日から始まり、公園入り口に設けられたイベント会場には、露店が並び特設ステージで踊りや音楽演奏などが行われた。
あやめは、新発田とゆかりが深く、新発田城は別名「あやめ城」とも言われていた。
昭和62年には、「サクラ」と「アヤメ」が新発田市の花に指定されている。
この「あやめ園」は昭和41年に公園整備が始まり、300種、60万本の花が1.8ヘクタールに咲き競う姿は、初夏の風物詩となっている。
この祭りは、早咲きから遅咲きまで、さまざまな品種がり、6月30日まで開かれる。
最近の画像から。
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