生成的な行程

流れの向きはいつも決まってはいない

2017年11月




タイトルが軽いので誤解されやすく思うのだけど、中身は香港のうわべだけでなくコアな部分にも入っている。
きっと下川さんご自身が中身で勝負の人だからかな。

香港の地下鉄で使う非接触カード、オクトパス導入(97年)を例に、あの頃香港は、日本よりも10年進んでいた、
と述懐しているが、僕も同感だった。
中国返還後も「中国化」をほとんど意識することなく生活ができ、10年前の日本のバブルな雰囲気が場所を変えて、そのまま香港に移っている感覚だった。
香港は香港であって、中国ではない、という国民性のようなプライドが返還後も強く感じられた。

しかし2003年のSAASを機に観光客は減り、様相が変わってきているらしい。
「経済救港」と銘打った中国の経済政策が一気に双方の「融合」を加速させたようだ。
豊かになりはじめた中国人が一斉に香港に押し寄せてきて、お金を落としていく。
香港の中国化か中国の香港化か、どっちが主語でどっちが目的かはあまり意味をなさないのかも。

「地産覇権」

中国人のお金がこの狭い開かれた土地の不動産を牛耳りはじめ香港を支配し始める現象がでてきたらしい。
一国二制度は50年続くという確約はこのようなプロセスを意味していたのか。

香港人が北京語を口にするときの間に彼らの言い知れぬ気持ちを感じる、と下川さんは言っている。

かつての香港のダイナミズムが懐かしい。




下川さんの週末アジアシリーズは、最近、出張先のお国事情をさくっと予習するのに重宝している。
庶民目線で人々の暮らしからお国の近年の状況が伝わってきます。
そういえば先月、NHK FMの松尾堂にもゲスト出演していたなあと思い出し、
録りっぱなしだったメモリーラジオから改めてMDにダビングして副読本的に視聴した。
今年は日タイ修好130周年の節目の年でもあるようだ。

硬軟いろいろあるけど、関心の中心はやはり彼我の国民性の違いにいく。
その根底は、どこに価値を見つけ、どんな価値基準があり、判断をするかという価値観の違いと思う。
その土地で長い人間社会のなかで生きる知恵として土地の人間のDNAに刷り込まれてきたものだ。
日本との違いを知ると、「違いが分かる人間」に一歩近づけた気がするのがうれしい。
・交通事情のグレーゾーンの中から自然発生したロットゥー(乗り合いバス)やバイクタクシー
・昨年のプミポン国王死去に対する喪の表し方:服装にどこか黒が入っていればいい、Tシャツでも
この辺はルールよりも人間関係、気持ちを優先させる国民性といえるだろう。
認可や許可が後からついてくることもあるようだ。

一方で政治におけるスタイルも独特だ。
実は穏健な国のイメージと対極的に、今はプラユット将軍(首相)の軍事政権だ。
ただ歴史的に民政と軍政が交互に繰り返されている流れがあっての今であり、必ずしも戦闘的なわけでなく、
汚職や政治的混乱(タクシン派 vs 反タクシン派)に対する自浄作用のようでもある。
要は、日本人には分かりにくい一流の「バランス感覚」といえるのかもしれない。

また2/3程度も華人との混血が進んだタイは、大国中国の影がちらつくが、
インドシナ半島で唯一社会主義化しなかった国であり、自由選挙と普通選挙が守られている点で
タイ国は本当の意味で「大国」なのかもしれない。
ただ国民の舌はもっと自由なわけでタイ料理にはタイ料理とタイ中華料理があるそうだ。
その辺は来週、体感してきたいと思っている。




図書館で見つけて、著者名とタイトルから、これは必読と手に取った。

著者は同年代(学年で一つ上)で、学生時代、面識はないものの移転して今はない西ヶ原の同じキャンパスで過ごし、在学中に文学賞を取ったことから、興味本位的な噂が耳に入ってくる「有名人」だった。

読後、得た人物像は、エラソーだけど、やはり文学的な素養がすばらしかった。
僕が描く文学者は、アーチストじゃなくてはならない。
つまり、クリエイターだ。
何のかというと、文学の範疇では、思想をつくる、構築することになる。
作家=ただのストリーテラーだけじゃ物足りない。そこに何か思想がないといけない。

またもう一つ。
この本も前回の四方田さん同様、1回目、2回目という時間を置いた2つの時点から対象のアメリカに迫っている。
1989年と20年を経た2008年だ。
この2つ時期の滞在経験を踏まえて、感じたこと、考えたことを記録に残しておきたいと思ったのが本作の動機のようだ。

四方田さんとの違いは、彼が映画をはじめ主に芸術で身を立てようとする移民たちとの交流から彼らを受け入れる国家の多様性の変遷であったのに対し、島田さんの場合は、超大国の政治経済の仕組みの変遷に自身の世界の歴史観を頼りに独特な想像力を加えこの先の時代への思索を試みている点だ。
共通するのは2回目の滞在では、アメリカのかつてのダイナミズムが失われているところ。

僕らが10代、20代を過ごした70年代80年代の社会のシステムは明らかに耐用年数を過ぎてしまったようだ。
かつてのソビエト連邦がそうであったように合衆国の連邦政府もそれぞれの州政府の独立を迎える日がくるかもしれない。
世界を自由主義と自国の産業育成のため戦争状態の継続させることで国力を維持することに、他の国々はそのまま追従するほどもうイノセントではなくなった。
どこかの国は未だに啓発されていないと思われても仕方ない状況だが。

最後に日本に対する提言として人類学の知見による日本人のDNA多様性を有利な点として挙げている。
歴史的に虐殺や追放が行われたことがなく、極東の島国として文化伝播の最終地点にあったため、何でも自国流に取り入れてきた。本国では廃れたものであっても。
人々との共存、共生が本来的に上手なDNAがあるのかもしれない。
世界の常識とは違う弱者が生き残れる変わった土地柄に実は日本の未来が見いだせるかもしれない。

タイトルからどんどん離れていく趣があるものの、
このような脱線は知的な刺激を与えてくれる点で個人的にはなかなか面白い読書体験だった。

ニューヨークより不思議 (河出文庫)
四方田 犬彦
河出書房新社
2015-07-04



四方田氏はリベラルな知識人の印象。
1987年と約30年を経た2015年の2度のNYの滞在を経て、
芸術家たちとの交流から彼ら彼女らだけでなく自身を含めた内面の変化、世の変化を思索したエッセイ。
日本語をさながら外国人のように書きながら思考することを心掛けた、実験的な試み?を自分に課していたそうで、なんてかっこいいと思ってしまった。

「考える人」
僕が最も共感を覚えるのはここ。
人と出会って勉強し、自分を成長させようとしている姿勢がいい。

人は2度、独り立ちするものだと思う。
始めは子供が親の保護、助けを受けながら成長する過程で。
もう一つは社会的に「大人」に見做され始めた自分が自分の才覚で「自分」になっていく過程で。
2番目は人によってはあったり、なかったりする。

そんな「自分」への過程がこのエッセイから多種多様なNYのストレンジャー(異邦人)から見えてくる。
NYというところは移民史こそがアメリカ史(すなわちアメリカ移民史というものはない)の象徴的な場所で起きていたんだな、ということを知った。
異邦人は中国人、韓国人、プエルトリコ人、キューバ人さまざま。
自ら出てきたもの、追われて出てきたもの、家族から希望を託され来たもの。
さまざまだ。

2015年の2度目の再訪はやはりNYから異邦人のダイナミックなエネルギーが薄まってしまったのを感じたようだ。
2001年の9.11テロ以来、NYはダイナミズムを許容しなくなり、管理された「キレイ化」の波に覆われてしまった。

残念である。

メモ:
レストランのサラダ・バアは73年に一人の韓国人によって考案された。
移民の最後列でやってきた韓国人のサバイバル精神、勉強熱心な民族性が感じられ興味深かった。

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台北のビジネスホテル新荘客旅を5時起きして、中華航空でソウルへ。2時間ちょっと。
ソウルの交通インフラは日本と似ていて、仁川空港からリムジンバスでLIVERAホテル前まで直行。
ことばの問題を除けばほぼ日本と同じような生活ができる予感。快適で便利。

実質初めてのソウルで土地勘がなく、右も左も分からないところだったけど、
徐々に気づいてきたのは、ホテル周辺は高級ブランド店が立ち並ぶ、おしゃれで物価が高い場所だった。
ソウル市江南区。東京で言えば港区と渋谷区を合わせたような場所。 
韓国経済の繁栄のすべてが凝縮されているようなところらしい。 
漢江を挟んで対岸の南大門などがある伝統的な場所とは物価も含め好対照のようだ。

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店廻りでソウル駅南大門の方も足を延ばしたが、確かに雰囲気が全然違った。
クリーンに安全に統制されたのような江南エリアと違い、カオスで庶民的な街の活気や雰囲気が肌に伝わってくる。
2日目の夕刻だけだったけど、ここを飛ばしては味気ないものになっていたかもしれない。
江南だけだったら、東京とまるで変わらないもんね。

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帰国日は江南と同じ側の東の端、ロッテワールド方面にも行ってみた。

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今回の滞在中、どこからも見えたロッテタワーがある。高さ555m、123階。
ホテル、ショッピングモール、ロッテワールド、なんでもある。
短い時間しかいなかったので、ほとんど場所と風景の確認だけになってしまった。
ファミリーでくれば楽しいところだと思う。
タクシーに乗るのにホテルのコンシェルジェのお姉さんは親切でいいスマイルだったのが印象に残った。

さて、お食事は初日のディーナーが韓国の伝統的なコース料理。
代理店の二代目若社長、Kクンに頑張ってもらってしまった。。
近くのステージでは笛と琴による伝統的な音楽演奏もあった。

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ちょっと肩肘はった雰囲気もあったので、そのあとは昼間、目星を付けておいた居酒屋へ。

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おでん
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特筆しておきたいのは、2日目1人でランチにいった
ヨスオドンド テチジョム / 여수오동도 대치점 / 麗水梧桐島 大峙店。
先日、NHK BSプレミアムの世界入りにくい居酒屋「韓国 ソウル カンナム」編で紹介され、
ぜひ訪れてみたいと思っていたのが実現できた。

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まなかつおの刺身。コリコリ!でも、たれが味噌なんだよね。やっぱ醤油がいいな。
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うなぎ汁、絶品!
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とうもろこしのひげ茶は今回お気に入りに。

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おまけ

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10月最終週~11月(月曜〜金曜)は台北、ソウル出張だった。
台北はこの会社でもう4回目、前回は4か月前で最も多く訪れている街だ。
一方、ソウルは仕事では初めてでプライベートでも1日しか滞在したことがない。
ともに2泊3日の駆け足だが、日本に最も近い両国を廻るのはフライトがどの期間も2~3時間であっという間だった。

台北は前回、初夏だった。今回は冬の始まりで朝、仕事前にホテルの廻りを撮影散歩した。

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ホテルの中では、駆け出しのカメラマンの個展が開催されていた。
作品は朝食のレストランにもあって眺めていると、中年の女給さん(古いな)が、「写真に興味があるのならまだ時間が早いけど特別開けてあげるよ」と、その上の階のギャラリーを案内してくれて、首尾よく見ることができた。

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あとで代理店の社長に聞くと、ホテルのオーナーは写真好きということだった。

仕事では今回、社長だけではなく、ネット系の仕事をしている若手の社員たちともディスカッションする機会を持つことができ、
一歩踏み込めた関係ができたのは収穫だった。

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店回り途中の街並み(中正区新生南路)

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お食事は全部、現地では、代理店持ち。(逆も真なりだから。。)
案内いただくところは、だいたい決まってきた。

1) 好記担仔麺
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2) 鼎泰豊@太平洋SOGO復興館B2
すごい行列。50分待ちだった。
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あと、会社でとるお昼のランチが結構まいうー。
東京と違って、直前の発注なので、熱々が届きます。

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ごちそうさまでした。

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