生成的な行程

流れの向きはいつも決まってはいない

2018年04月




「コリアン世界の、旅」であり、「コリアン、世界の旅」でない。
表紙カバーのタイトル文字の並びから誤解してしまった。
旅をするのはコリアンでなく、著者の野村さんであり、
彼のコリアン世界の真相をつかもうとする旅である。
「私はただ、すぐ隣にあるが見えなくされてきた世界に、足を踏み入れただけであった。」
足で稼いだ取材(日本、米、ベトナム)を中心に主題を掘り下げた良書。

戦後、日韓朝の関係が目に見えないところで相対的な関係を持ち続けていたのが良く分かる。
その前の「日帝36年」という暗い絶対的な関係も含めると、日本との関係は永続的で宿命的に思える。
そこから生まれてきた3者(or 2者?)の国民感情は、国籍と民族という点で単一民族国家の日本の特異性から端を発するところが大きい。在米コリアンにとっては理解しがたいもののようだ。
戦後、差別されてきた在日の人たちの一部には金日成の北朝鮮に幻想を抱き彼の地へ渡った人もいる。
在日の人たちにとって朝鮮国籍(総連系の同胞)か韓国国籍(民団系の同胞)の選択は自分の思想や信条に従う場合もあれば先祖の故郷の土地による場合もある。
いずれにしても政治的な北、南は関係なく祖国への思いは強い。

「恨の心を超える心」
「忍耐する自分を忍耐する」

この2つのキーワードが深層であり、真相であると感じた。

*恨は野村さんの解釈では、積もり積もった情念とそれをなんとか晴らしたいという切なる願い。
「うらみ」と曲解しやすいがそれはごく一部の原因であり、ポイントは後半の過程のような気がする。

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ソウルのカメラ機器展P&Iショー@Coexの視察に社長と出張。
ソウルは5か月ぶりで2度目。
毎回、短い滞在だけど、どこまで諸々吸収できるか。

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今回のキーワードは「教育(熱心)」かな。
ショーは期間の前半だけだけど若者の集団が目に付いた。
恐らく写真学校の生徒たちなのだろう。
またCoexモールで通りがかった図書館はいきなりショッピングモールの中で出現し、驚いた。
巨大な本棚は壮観でした。

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それともう一つ、裏のキーワードは「歩き」かな。
よく歩いた。健脚の社長のご要望により初日、ホテルから会場まで歩き。
また市内移動は、慣れない地下鉄に挑戦し、ハングル表記の目的地への路線を探し右往左往。
最後はさすがに空港まで地下鉄に乗る余力がなく、タクシーにしてもらいましたが。
(市内から金浦空港までわずか30kmなのだけ渋滞にはまり2Hくらいかかった)

さて、今回の食べ歩きは以下3つ。いずれも庶民的なお店で普段の味が食べられたんじゃないかと思う。

1. 河東館(ハドングァン) コムタンクッパ
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Coexに着いてすぐKiとランチ。社長と3人で。
これはうまい!
1月に池袋の妻家房で食べたコムタンと全然違う。
妻家房のお店自体悪くないと思っているけど、断然、本場やね。
まずスープが白濁してなくて透き通っている。
また肉の量が全然違う。
牛の内臓(胃袋)やヤンジ(牛の胸肉)などいろいろな部位が入っているようだ。
新鮮な刻み葱がステンレスボールで山盛りで提供され、好きなだけ入れて食べる。
ひと言でいうと、フレッシュ!とても体にいい感じ。

2. ヨスオドンド テチジョム / 여수오동도 대치점 / 麗水梧桐島 大峙店
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昨年11月に引き続き、今回も訪問。前回は昼だったが、今回はディナーで。社長と。
近くのサラーリーマンたちがアフター5で集まってくる。すごい盛況だった。
外で待っている人たちがいて、最初無理と言われたのだけど、前で待っているグループの人たちが、
せっかく遠路日本から来たことに同情してくれて、2人分スペースを分けてくれた。
韓日友好!
いつもどおり、名物のおばあさんがデーンとレジで鎮座し廻りに目を配っている。
今回は息子さんに大変お世話になった。
韓国語が分からない我々にスマホの翻訳アプリで一生懸命、料理の説明をしてくれた。
前回同様、うなぎ汁、まなかつおの刺身に今回はタコの野菜炒め料理を食べた。
前回量を取り過ぎたので気をつけながらオーダー。
ミッパンチャン(常備おかず)の種類がまたすごい。どんどん出てきて壮観。
韓国の家庭に入ってとても厚いおもてなしを受けているような感じかな。
味はもちろん最高です。

3. 미사리밀빛초계국수(ミサリミルピッ チョゲグクス)
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代理店と別れ、ランチ@Coexモール内で。インフォーメーション嬢のアドバイスに従い挑戦。
うどんでした。社長と冷麺冷麺とお念仏のように唱えていたけど、結局今回はありつけなかった。
カルグクス(칼국수, Kalguksu)
ハングル一色の文字環境とあるかないかの英語表記のなか、韓国文化との意思疎通はここまでが限界。
韓国語は残念ながら前回からの進歩なし。
ところでこのうどん、味は結構うまかった。鶏肉が結構入っていて細麺のうどんはコシがある。
昨日のコムタンクッパ同様、新鮮な刻み葱が入ってました。
スープがうまいね。これまた体にいい感じ。

インドネシアから韓国まで時間少なく事前準備(仕事外の話ですよ)がほとんどできなかった。
まあ、こういうときもあるさ。



■ノボテル ガジャマダ 19Fから
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■ムルデカ広場
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■コタ地区 - ファタヒラ広場
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■コタ地区 - 海方面へ
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■コタ地区 - 海洋博物館、港方面
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さて、満を持してのジャカルタ入り。
先方の都合で土日を挟んで滞在したので、5泊することになった。

まずは名物の交通渋滞。
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アジア諸国ではだいぶ導入が進んだ地下鉄がここにはまだない。
年々、中間層が増えるのに伴いクルマの量も比例する。
すると面白い現象だと思うのだが、電車のような扱いのバスが出てくる。
トランスジャカルタ。
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道路の端に低い柵が設けられ、その端の中を線路のようにバスが走る。
柵があるので他のクルマは物理的に入ってこれない。さすがに交差点でその柵は消えるが、明らかによくある優先車線とは違う。バス停も”駅”のような作りになっており、中央分離帯の場所にコブのように現れる。改札もある。
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時間が読めないクルマ移動のジャカルタ社会で唯一ある程度時間が読める乗り物のようだ。
発想が原始的だけど苦肉の策といったところだろうか。
また二両のバスが走っていることもあり、一両は女性専用だったりする。イスラムが多いお国柄か。
勇気を出して初めて乗った時、目の前のおばちゃんが何かガンガン言ってきたので、自然と防衛本能から車両を移ったのだが、きっと女性専用車両だったのだと思う。
クルマの数もさることながら、バイクの数はそれを上回る。

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一度、代理店とクルマで移動中、狭い一方通行の中を走っているとき、左右後方からバイクがひっきりなしにすり抜けていく状況があり、ドライバーが「家の中のネズミのよう」と形容したが、まさにその感じ。うまいこというなあと感心した。
地下鉄は来年2019年開通を予定しているが、まだ中心から南側のエリアのフェーズ1だそうで、北側をカバーするのはその翌年2020年だそうだ。

イスラムが主流であることもこの国の特徴。
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日に5度礼拝の呼びかけアザーンがどこからともなく聞こえてくる。
早朝4:30もある。
就寝中 目を覚ますことがあったが、イマムの抑揚のある朗誦のためか苦痛ではなく、逆に体に沁み込んでくる感じ。
当然、毎回、録音でななく生の音声。

イスラムは国教ではないため、仏教徒、キリスト教徒も共存している。
代理店のS氏は華僑3代目で仏教徒。ただパンチャシラ(5つの徳の実践)で唯一神の決まりはあるんじゃないの?と聞くと、天を指を指し、にやりと神は一つ、とのお答えだった。
郷に入りては郷に従え。
ただ本人同様アメリカの大学を出た息子は、あまり関心がないとの話。
それですまされるのか?
また宗教的な理由とは別に父親はベジタリアンで仙人のような風貌をしているが、息子は肉食で元気なアメリカンの雰囲気。親子で全く対極的なのが面白い。

S氏は仙人のように見えるが、実は話し出すと売れない貧乏学者のようにも見える。
マクロ経済の話が得意で、さまざまな経済誌を読んでいるようだ。
さかんに日本の経済状況と比較したがったり、AIなど技術トレントにも関心が強い。
おかげで色々こちらも勉強になるのだけど、話し出すととどまることがないのでこちらも次第に疲れてくる。
・大卒の初任給はUS$200~300/月
・マイホーム取得は10年以上の所得分
・一般的な家は2-30m2で4-5人の構成(かなりキュウキュウだと思うのだけど)
実は彼は高校もシンガポールの学校に行っており、結構エリートなんだということが今回分かった。
兄弟姉妹もビジネスをやっており、皆欧米の大学に留学している。
そのせいか、欧米志向が強る過ぎる面も感じられてしまう。
一般人はJKT48などもう少し日本も見ていると思うのだけど、彼らはそれも知らない。。

会食は前回同様、パダン料理などをごちそうしてくれた。
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これだと色々な料理が食べられてお薦めなのだと。
私は結構好きなのでありがたいけど、彼は菜食主義なので食べられるものが限られる。
しかもアルコールもやらないのでこちらもガンガン行くわけにはいかない。
あまり気にすると逆に向こうも気にすることになるので普通にしていた方がよいのかもしれないが。
これがなかなか難しい。

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別な人たちとの会食では、またベジタリアン(インド人)がいたのだけど、こちらの方は少し緩く、
月曜と木曜が「べジ曜日」ということで、その日は月曜だったので、肉料理は私の分だと勧めてくれた。

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今回は土日もあったので、モナス&ムルデカ広場、コタ地区・ファタヒラ広場の歴史博物館や海洋博物館、
ブロックMにも足を延ばした。
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ブロックMでは伝統の全身のオイルマッサージで体が再生された。

その帰りは Sahid Jaya ホテル (90年代後半出張で宿泊していた記憶)の武士道という居酒屋へ。

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インドネシアで最も有名といえば、ナシゴレン。
そういえば、まだ食べてなかったなと思い出し、最後のディナーは、マンガドゥア視察の帰り、
いつも朝食をとっているホテルのレストランに一人で入った。

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ビールはビンタン、これも決まり!
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最後に今回のジャカルタで思索したことの一つを記しておきたい。
目に見える変化(発展) と 目に見えない変化。
世のトレンドではAIなど、これからは目に見えない変化が主流になりつつある。
ところが、まだ開発途上のインドネシアでは目に見えるところでのハードの発展余地がまだまだある。
先述の地下鉄もそうだし、いくつもある巨大ショッピングモールもその象徴。
よってハード面では今後もさらに磨きがかかっていく可能性が実は先進国よりもあるかもしれない。
一方、目に見えない変化は、作り出す時は大変だろうけど、いざBizモデルが成功すれば享受する側は意外とハードルが低く、国が先進国だろうと開発途上だろうと関係ない。
配車サービスのUberやGrabのように。
人類として費用対効果が期待されるところ。
つまり時代のいいとこ取りができるという点でインドネシアの将来を注目していきたい。
人口2億を越える大所帯は経済運営が課題ではあるが、やはり時代の先を行く可能性を秘めている。

東南アジア7泊8日。

4/3(火)- 4(水) シンガポール Regent Singapore 2泊
4/5(木)- 9(月) インドネシア(ジャカルタ) Novotel Jakarta Gajah Mada 5泊
4/10(火) 帰国

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前回の2年前は今の会社に入社後すぐの出張だったので、T先輩の独断ペースでブルドーザーのように物事は進んだ。
個人的に海外営業リハビリの時期だったのであの時は半分浦島太郎状態でまた金魚の糞のようだったが、
今回はひとり旅なので、今後のため、自分なりの視点を持つことが目標だった。
どちらかというとインドネシアに比重を置いた出張でシンガポールはざっと現状確認まで。

ホテルはネットで予約していたRegent Hotel.
オーチャードロードの西端から少し南に行ったところで閑静な場所にあった。

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ホテルは建物内部を吹き抜けの空間にして周りを客室にしている。
2年前に泊まった香港ロイヤルガーデンもそうだったが、現代の中華建築の主流スタイルなのかな。

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初日はホテル到着が夕刻だったので海南チキンライスを食べに
オーチャードの中心にあるマンダリンオーチャード(前回泊)へ。

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期待の割にはフツーだった。サイドディッシュのもやし炒めもうまいんだけどフツーというえばフツー。
驚くほどじゃないのがちと残念。。日本でもこのくらいはありそうな気がする。

翌日昼、代理店に連れて行ってもらったバクテー(肉骨茶)は、文句なしの真的好吃だった。
松發(SonFa)肉骨茶@中華街で。

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(実はこの後のジャカルタにもあった。海外進出しているのね。)
やっぱ、これぞソウルフードという感じ。
何度もスープを注いでもらった。
サイドディッシュも日本では食べられない味。これなんだよね、求めていたのは。

吉野家のようなロゴマークを覚えておこう。
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夜は日本居酒屋を所望すると、おしゃれな欧米雰囲気の「日式」につれていってくれた。

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グルメなDくんはきっと自分のお店リストに加えたことだと思うけど、日本人からするとちと違う。
まだまだ居酒屋の"居"に開発余地がある。エラソーですいませんが。

物価が結構高いを改めて認識した。
ほとんどのものが日本よりも高い印象。
国家生産性庁(NPB)への放送AV機器導入など、かつて日本が援助したこともあるんだけどね。
今は生産性標準庁(PSB)と名称を変更しているようだ。




直美(ディア夫人≒デヴィ夫人)が持ち前の負けん気と天性に備わっていたかのような「(宮廷)政治力」を発揮している。
夫のスカルノに与える影響力もそうだし、ライバルである第2夫人クリスティ二や日本の政財界に対しても。
賠償の対象であるサリナデパートPJなどを餌に日イ双方が政治、企業資金のための賄賂の巣窟になっている状況がつぶさに描かれている。児玉誉士夫など当時の裏権力が働いていた様子もある。
一方、独立の英雄、スカルノの公私混同ぶりも次第に常軌を逸してきた。老害かな。。

軍部と共産党の争いのバランスの上に統治力を発揮していたスカルノは9.30(青年将校)クーデターが成就しなかったもののそれが決定的な打撃となり、勢力が衰退していく。
変わって、微笑みの将軍、スハルトの勢力が真綿でスカルノの首を絞めるように台頭してくる。
デヴィ夫人もスカルノ派として影響力をなくしていくわけであるが、それが娘カリナの出産のための日本帰国、養育のためのパリでの日々と重なりそのままスカルノとの永遠の別れを迎えてしまう。
まさにスカルノもデヴィ夫人も波乱万丈、周りを取り巻いていた人たちも人生の転機となっていったようだ。

インドネシアもそうだが、日本にしても今の時代から見えると政治、社会体制が未成熟だった。
逆にいえば、そこに有無を言わせぬ圧倒的な時代のエネルギーも感じられ、郷愁を覚える作品だった。

下巻はジャカルタ出張の旅途上で読んだ。
モナス(独立記念塔)の公園やムルディカ大統領宮殿、サリナデパートなどに実際に足を運ぶことができた。
モナスは市民の憩いの場所として緑の環境の中、美しく景観を保っていた。
サリナデパートも行ってみたが、今は時代の最先端を行くような圧倒的に巨大なショッピングモールがいくつも他に出来ており、
サリナは昭和の印象を残す日本の高度成長期のデパートのような建付けで懐かしさを感じさせた。

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