生成的な行程

流れの向きはいつも決まってはいない

2022年02月




やはりこのシリーズ、面白い。

大森署管内でストーカー事件が発生。
事件の進展につれ、所轄、方面本部、刑事、警備など、警察組織内でそれそれの縄張り意識が表に出てくる。
さらにマスコミが外野から、ジャーナリズムなのかセンセーショナリズムなのか、批判精神をもって事件に絡んでくる。

物事の本質はどこにあるのか?
本当の合理性とは何か? 解決に向けた行動として。
予想外の問題が起きた時の対処の仕方は?

毎回、何かしら盲点が見つかり、どう対処するべきか?気づきがある。
銃器を持った立てこもり犯がいるという情報が間違いだと分かった時、
竜崎は、通常の組織を超えて即座に機動隊を撤退させた。
相変らず、彼の機敏な決断力、行動力にしびれますね。

「誰かの都合に合わせるのではなく、いかに本来の目的を効率よく達成できるかを考えるのが本当の合理化だ」

「警察上層部が考える合理化も、企業の合理化も似たり寄ったりだ」

ついに彼が資質を問われる監察を受けることになった時、本領は発揮された。

「一番大切なのは、組織を合理的に運用することだと思います。
 その際に障害となるのは、縦割りの役割分担だとか、縄張り意識などです。
 そういうものを排除して、柔軟に運用すれば、警察組織はもっと効率よく運用できるはずです」

言葉以上でなく、言葉以下でもなく、言葉通りが竜崎だ。
解説で、川上弘美さんが竜崎を「いっさい忖度しない人」と評している。
彼の言葉をそのままのメッセージとして受け取れるかどうかは、リトマス紙のように読者にも試される。
ストーカー事件を娘の「事案」にも持ち込んだところは、びっくりした。

忖度を美徳の一種と見るか、間違った行動の始まりと見るか、
そういう次元でないところにご本人の竜崎がいるところがこの物語の最大の魅力だ。

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注文から半年経って、ついに我が家にハイブリッド車がやってきた。
ブレーキを踏んで、スタートボタンを押す。
すると、「エンジン」がかかる。

音がしない。。。

今までのガソリン車のようにキーを回さない。
スゴく新鮮。
キーはポケットに入ったまま。
ヒジョーに不思議な感覚だ。
まるでゲーセンのゲームみたいじゃないか。
これから一連の操作を体に覚えさせなきゃ。
ガソリン車歴40年のおじさんには、慣れるまで時間がかかりそう。。
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さっそく娘が4月に入学予定の大学まで家族3人でドライブしてみた。
カーナビに目的地をインプットすると、スイスイと新しい土地まで案内してくれた。
西荻は、もうちょっと遠いイメージだったのに、思ったよりも時間はかからなかった。
1時間ちょっとで街の景色ががらりと変わる。
まるでタイムトリップしたような気分。
距離と時間の感覚もこれからは、だいぶ変わりそう💛

新しい世界への幕開けが始まる予感。
あるべき姿の本当のニューノーマルへ。
今のコロナ禍が早く終息することを祈りつつ。




脚本・演出家の鴻上さんが長年考え続けてきた日本人の共同体としての特性を鋭い洞察で解き明かしている。
先達の山本七平「空気の研究」や阿部謹也の「『世間』とは何か」の成果を踏まえながら、
近年起きている日本人の変化をどう見たらいいのか?
主に若者が”読む”とか”読まない”とかの文脈で使う「空気」を取り上げ考察をさらに先へ進めている。

キーワードは「社会」、「世間」、「空気」、「個人」など。

社会:日本では自分に関係ない世界のこと。西洋では自分の廻りの世界すべて
世間:自分に関係のある世界のこと。日本的
空気:世間が流動化して、どこにでも現れるもの。誰かの発言でくるくる変わる
   世間を構成する5つのルール(下記)のうち、いくつかだけが機能している状態

■世間の基本ルール
1. 贈与・互酬の関係
2. 長幼の序
3. 共通の時間認識 / 1-3 が根本原理

4. 差別的で排他的
5. 神秘性     / 4, 5は原理の結果

■事象の分析
・「世間体が悪い」とは言っても、「社会体が悪い」という言い方はしない
・「それは理屈だ」、「シカタガナイ」は、「世間」の中で独立していない日本人が使う言葉
  欧米で"It cannot be helped."は、ほとんど使わない→"We have no choice." やれることはやった、能動的なニュアンス
・「社会」は改革が可能と考えられているが、「世間」は所与されているもので、日本人にとっては変えられないもの

■西洋と日本の対比で思索は深まる
・かつて西洋にも「世間」はあったが、
 1,000年前、1215年のラテラノ公会議で年1回の告解の義務化が「個人」という内面(精神性)が生れた
 キリスト教の「神」に対して自己を確認しようとする姿勢の中で生まれた
 神の前ではすべての人は平等
 神の言葉だけが絶対で、それ以外は相対化される
 相対化の見事な見本:ディベート
 アメリカの大統領は政治の長でありながら、同時に大司祭
 聖書に手を置いて宣誓→「アメリカ人とは何か」を精神的に語る
 → 「ゴッド・ブレス・ユー! ゴッド・ブレス・アメリカ!」 
 → セイフティーネット
 福音派(聖書のみが真理)とリベラル派(聖書の社会的・文化的文脈で現実をみる)

・一般的な日本人は「神」の代わりに「世間」を持っている(いた!?)
 論理的判断の基準と空気的判断の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生活している
 会社と地域共同体が日本の「世間」を代表する二大要素(だった!?)
 「終身雇用」と「年功序列」は「世間」の特徴を会社用語で言い換えたもの
 「入社式」は世間の儀式性=神秘性の象徴

・「他人に迷惑をかけない人間になれ」は他人と接触に消極的になる迷い事
  真に求めらるのは、「相手を思いやる能力」ではなく、「相手ときちんと交渉できる能力」

■これから「社会」と出会う方法
・「社会」につながるということ=複数の共同体にゆるやかに所属すること
・「です、ます調」(上下のない対等性、適切な距離)を使ってにこやかに会話をしよう


分析も提言もすべて先端をいっているような感がある。
いい悪いの話ではなく、世界のグローバル化が進む今、日本人はこの先どのように歩んでいったらいいか、
多くの示唆に富んでいた。

人間の来し方行く末を俯瞰するような名著。
鴻上さん、只者じゃない。

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駅から会社の通り道にある寿司店で毎度横目に通り過ぎるだけだったが、ついにランチで訪店した。
昨夜、会社の帰り道、多慶屋でポイントカードを作っておいたので、準備はできていた。
なんの準備か?
そうです、会計時、カードを提示するとご近所のよしみで特盛にぎりが100円引きになるのです。
多慶屋は御徒町生活のパスポート!

1,000円のところを900円。
さらにPayPayで8円引き(キャンペーン3等が当たり加算)
締めて、892円也。
うしっし。

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全部で12貫。
一般的なマグロ、サーモン、イカなどの他に煮あさり軍艦なんてのもあった。
茶碗蒸しもあって満足いくランチでした。

アクリル板で仕切られたカウンターで両隣は、年配のおひとり様のオジサンたちが陣取っていた。
後ろのテーブルからは、若い小姐たちで、楽しそうな中国語が聞こえてきた。

多様化が進む御徒町のランチ風景。




明治生まれ
気骨の人。
戦前の三井物産時代、海外支店で業績を上げ、社長となり、戦後、78歳で国鉄総裁に。
「粗にして野がだが卑ではない」は国会での初めての挨拶の言葉だけど、
個人的には「野心も私心もない。あるのは素心だけ」という人物評の方に響いた。
「素心」の間に「精」を入れ、「素精神」とすると、石田の人柄がもっとクリアに見えてくるように思えた。

どんな精神か?

「パブリック・サービス」人生の晩年は公共奉仕
「サービス・アンド・サクリファイス」
 - 私の精神は何をするにも神がついていなければならぬということだ。
  それには正義の精神が必要だと思う。
  こんどもきっと神様がついてくれる。
  そういう信念で欲得なくサービス・アンド。サクリファイスでやるつもりだ-
「パスポート・フォア・ヘブン(天国への旅券)」
「人生は楽しむためにも精神がいる」→「ブレイン・ファーマー」
「ワンダラー・マン」公職として給与が出ても、形式的に1ドル受け取るだけ。若い頃シアトル時代の見聞から。

「金もうけの楽しみはその道行きにある」
「株は見切り」
「株のやり方は、スペキュレーション(投機)でなく、インベストメント(投資)だ」

株を大いにやっているところが意外だったが、相当な勉強家、研究家だったようで、
ここにも精神があっての投資行動という姿勢が伺えた。
失敗も多かったようだが。

彼の人生は二項対立、あるいは二項共立(そんな言葉があればだが)で考えると見えてくるものがある、という感想を持った。

明治生まれ x 昭和高度成長期
三井物産 x 国鉄
ビジネスマン x パブリック・サービス
ビジネスマン x ファーマー
松崎(伊豆) x 国府津
国府津 x 東京

人生100年時代の先駆けの人でもあった。

1992年文庫出版。実家から。

フランクリン自伝 (岩波文庫)
西川 正身
岩波書店
2014-12-18



今回も実家に眠っていた本から掘り出してきたもの。

ベンジャミン・フランクリン(1706年 - 1790)は、米100ドル紙幣に肖像が描かれている人。
図1
アメリカ合衆国建国の父の一人。
アメリカ資本主義の育ての親。
日本でいえば、140年ほど下って明治に活躍した渋沢栄一(1840~1931)のような存在だろうか?
同時代の人というと、江戸幕府8代将軍、徳川吉宗(1684~1751)が近い。
近代の自由、民主化の進み具合に彼我の歴史背景の違いを感じる。
アメリカは、国の始まり=新天地で人間の理念の実現国家スタートという点で、
天皇家が神話の時代まで遡るような日本の歴史とは性質が大きく異なるが。

そんなためか、彼が経験し作り上げてきた人生行路は、今想像しても困難さはなく、
現代の社会にも大いに通じることができる印象を持った。

自伝は、彼の父親がイギリスからアメリカに渡った植民地時代〜独立戦争へと向かう頃、
「ニューイングランド」のボストンで生まれたフランクリンの青年〜壮年時代にあたる。
ちなみに政治家として活躍が華々しかった晩年30年は多忙すぎたため網羅できていない。

さて、彼を年譜で追っていくと
印刷工から始まり社会活動家、共同図書館設立、大学設立、著述家、科学者、外交家、政治家、公共事情へとキャリアは広がっている。
その原動力が勤勉と節倹にあることを朗々と謳い、人に薦めている。
印象的だったのは相当な読書好きで勉強家だったこと。
それを個人の世界に留めず、仲間を作りシステマティックにジャントークラブ、図書館、大学へと社会的な運営組織に変えたこと。
個人の情熱を社会の形に発展させた人間力が彼の功績の本質ですね。

またどうやって人の気持ちを掴んでいったか、という処世テクニックも自説を展開している。 
人を打ち負かすという観点ではなく、それよりも重要なこととして。
なぜなら、人脈(人間関係の開拓)から自分の活動範囲を広げていった体験が彼の人生哲学の中心にあるからだろう。

人に育てられ、人を育てる。

目的を共有化する組織はその結果の「箱」であって、『始めに人ありき』を痛感した。
そのために必要な人間関係を構築するための要諦は何か?
また個人個人の人としての心がけは何か?
自伝は次の世代へ啓蒙書を兼ねていた。

「13徳」と「(貧しいリチャード*による)富に至る道」は彼のエッセンスとして銘記しておきたい。
*フランクリンの偽名

■13徳
1. 節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2. 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。

3. 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし
4. 決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。

5. 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6. 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。

7. 誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまた然るべし。
8. 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。

9. 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10. 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
11. 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12. 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。

13. 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。


13項目の謙譲は注目に値する。
日本人の心と思っていたものがアメリカにもあった!となんと不遜な印象を持ってしまった。。。
意見が対立したとき、フランクリンが事例として挙げている推奨会話:
「(頭から反駁するのではなく)まず最初に、時と場合によって君の意見も正しいだろうが、現在の場合はどうも違うようだ、
自分にはそう思えるが、などと述べる」

時間の大切さに関しても、彼の実践経験が生きている。
「ものぐさは病気を招き、その結果、大事な寿命をちぢめないではおきません」

「ものぐさは錆と同じで、労働よりもかえって消耗を早める。
 一方、使っている鍵は、いつも光っているのですから、貧しいリチャードも申しておりますように。
 人生を大切に思うと言われるのか。
 それならば、時間をむだ使いなさらぬがよろしい。
 時間こそ、人生を形作る材料なのだから」

アメリカの懐の深さを感じることができた。

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以前より店舗の外見が気になっていた店。

ランチで。

とりそばセット【塩】900円
とりそば【塩】と、炊き込みの【鳥ごはん】【自家製漬け物】の3点。

もう少しインパクトが欲しいなあ、というのが正直な感想。
すっきり、あっさりで健康志向のラーメンという感じだった。
漬物が瑞々しくて一番おいしかったかな。

さて、佐竹商店街はいつもながら人通りがまばらで、だいぶ寂れている様子だった。
寂れながらも商店街の人たちは街興しを気にかけているのだろう。
天井から吊り下げている大きな垂れ幕が唯一?頑張っているように見えた。
明治の頃はこの辺はすごかったんだろうけど。
タイムマシンとかあれば、それに乗ってやって来て当時の賑わいを肌で感じてみたいところなんだけどな。

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