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大陸哲学事情 |
ちょっと前だが台湾で散歩しながら考えたことを書いたことがあった。台湾の大きな書店に入り、哲学の書架をのぞいたときのちょっとした感想めいたことだった。 翻訳が少ないのは、読む人口との関係なのでマイナー言語の場合には翻訳よりも、原書を読むことの方が多い。中国語はマイナーどころか超ド級のメジャー言語ではあるが、台湾の繁体字は香港ぐらいにしか通じないので、ある意味マイナー言語的な扱いにならざるを得ないのか?という疑問。 また富国強兵策を取りながら、日本近代150年は理系にかかわらず、主流ではなかったかもしれないが文系も大いに頑張ってきたんだな・・・という感慨。そして、このところの低脳政権政策による、文系軽視などはその真逆を行くもので、明治150年と派手派手しく集会したらしいが、その意義の一体何を認めたことになるんだろう。 文学あっての人間だ、この原則は揺るがない。 台湾という小国で、大陸の風向きを見つつも世界屈指の技術を磨いて、世界にうって出ているその姿には尊敬に値する面も多々あると同時に、哲学などにうつつを抜かす余裕はなかったのかもしれない・・・と、ただ一軒の書店を見ただけの信憑性のない感想を持ったという、内容であった。 その継続でもって、大陸の書店はどうなっているか?と確かめてみることにした。 この十月は、いろんなことがありすぎて、少しというかだいぶん混乱気味。十月の初めに北京に行っていたことが夢のように昔に思える。 他店と比較したことがないので、わからないが、規模としてはだいぶ大きな書店が北京市内にあったので、入ってみた。 哲学・・・、これは日本の西周の訳語なんだが、それを台湾でも中国でも使用している。 らしきところに行ってみると、台湾の三十倍の書架がある。想像つくと思うが、その前半は、偉大な中国古典の原著とその研究本の山が来る。これはもっともだあ・・・という感想、さて翻訳は? オオ、出た・・・。中国では会飲と訳すのか?日本では饗宴と訳すが、プラトンの翻訳本である。これを皮切りに、続々とという展開。 漢字が同じなんで、日本の訳本と一見区別がつかないが・・・、カントの批判書である。まあ古典中の古典でありますしね、基本、基本。 カントときたら、この人、ヘーゲルでしょう・・・。しっかりありますね、さすが大陸、教科書的にもokでしょうか。 近代の偏屈野郎、ショーペンハウエルもある・・・。全体としての翻訳本の質量はかなりといっていいが、整っているという印象でありました。 ちょっとこの辺に来ると、想定外というか・・・、現象学・・・フッサールの重要な書もしっかり訳されている・・・。イヤイヤ、かなりしっかりしている、という印象です・・・。 その先を行くと・・・、 日本のデカイ書店での書架ではおなじみなんだが、分析哲学・・・なんてアンソロジーがある・・・。 ちょいとこれには驚いたなあ・・・。というのも、かなり厳密で細かい議論をすることで有名で、継続的問題も今もなお活発にやり取りされている分野といってもいいんじゃないか?というジャンルなんであります。ちょっとやそっとの聞きかじりでは、接近することもできないような分野、そう言えると思いますね。 開いてみると、こういうページがあって、通訳の張さんに読んでもらうと、マイケル・ダメット、ヒラリー・パットナム、リチャード・ローティーとそうそうたる学者の名前が挙がっている・・・。 と同時に、現代中国の分析手哲学者による、解説の論文がまた同程度掲載されている・・・という。 ちょっと・・・ここまで来ると、ちょいと尋常じゃない・・・。最初は、オオ、やっぱりこの辺の訳書はあるねの、まあ基本基本、頑張っているじゃない・・・という感じが、その本気度と進度の深さ早さに、愕然としつつあるといった感覚か? それに追い打ち掛けられたのがこれ・・・。 この翻訳があるというので腰を抜かしそうになった・・・のだ。 これは店主が今を去る三十年前、学生時代にゼミで必死になって格闘していた本だったのだ。当時、日本でも翻訳は出ていなかった。だから、読めない原語を辞書片手に翻訳ではない、解読していた本だったのだ。 日本語訳を待望していたが、遅々として進まぬ翻訳に、指導教授が当ゼミの下訳全部送ってハッパをかけよう、という冗談が出るほどの本だったともいえる。 果たして本書が、今の日本でどのくらいのレベルで理解されているのかはわからないが、それがすでに完訳として、現代中国語で読めることになっている・・・。 この本を訳すには単に英語ができれば可能というものではない。概略以上西洋哲学に対する知見がまずは必要だ。それと同時に、19世紀末から20世紀初頭、論理実証主義の流れの詳細を知らねばならない。それが現代アメリカに渡って、どのような展開をしていったか?についてのかなり詳細で、立ち入った議論を知っていなければ、一行たりとも、意味の通った訳文にはならないだろう。 それは、実感として今でも感じるところである。 その完訳がすでに現代中国語で読めるとなっている。日本近代が120年かけてやってきたことを彼らはこの40年でやってしまっている、そのことの底力をどう見るべきか? 中にはそうはいっても翻訳の出来不出来はあろう・・・という意見もあるかもしれない。しかし・・・だ。現代哲学研究をすべき時、どの本が必要で、それを労力を使って翻訳書として成立させる、という時、この本を選択した、というだけですでに慧眼に値することなのだ。 翻るに、デニーが当選したら沖縄は中国に占領される、などというコンマ00パーセントも信じないようなくそデマが出る、というだけですでに負けているんだよ・・・、情けないことにな。 相手を全く見ていないで、まだ神風を信じ続けるのか? 国力というものが総力であるなら、もっときちんと中国を恐れないといけないと思う。 北京市内だけで、遺伝子のぶっ壊れているような人から、研ぎ澄まされた人まで、まあ多種多様である。今回の滞在中の四日間で、二メートル越えの男に5名ほどすれ違った。もちろんバスケのナショナルチームとかと全く無関係の市井の人だ。 馬鹿も十倍いれば、利口も十倍いる。もちろん怖いのは後者の方だ。 きちんと怖がり、翻るに自らの国の立て直しを真剣に考え直さないと・・・と、一介の自転車屋だが、そう思う、書店探訪であった。 |
線路を作りに行ってきた |
台湾の台中にいって帰ってきてから、ちょっとして、実は線路を引きに大陸に行って参りました。 北京のREさんが本オープンして、三ヶ月強となりました。さてどうなっているんでしょう?という視察と、挨拶をかねた訪問ではあったんですが、本来の目的は線路を引きに・・・または線路を引くための、下地を作るとでも申し上げましょうか? そんなことをしに行ってきたんであります。 十月の北京は、大変いい陽気でありました。国慶節という、建国記念のための大連休ということもあってか、北京市内に人が少ない、車も少ないという、日本でいうお盆の都会状態で、そのためか空がキレイ。 通常スモッグだなんだで、最上階辺りは見えにくい超高層ビルも、スッキリ見ることができる。こんな北京ははじめてだわな。 移動の途中で働く自転車発見。ゴミ専用の清掃車体なんだが、これが電気で動いている。音がしない。 フレームに補強が入っていますね。 こちらにも、こういう車体がアチコチで働いています。とにかく人が多いんで、ゴミも半端でない・・・。 このバイクに干されている、外套というか、コートというか・・・なんだかわかります?これ北京の冬支度ですね。 東京辺りの自転車バイクの冬支度といえば、ハンドル回りに取り付ける防寒用の袋のようなものありますよね、その中に手を突っ込んで、ハンドル握るヤツ。 北京の冬は東京の数倍、マイナス十度もあるくらいなんで、そんなんでは防寒にならないらしいんですね。なので、こんなコート級のデカイ車体取り付け用防寒風よけマット・・・的なものがある。 これをどう使うか?といおうと・・・。 見た目の通り、椅子にすわって、腰掛け、膝掛け、胸掛け、腕掛け、手掛け・・・という5箇所の防寒をこいつ一枚でやるという、最強の防寒マット・・・といっていい。 さすがに足を回す自転車にこれする人はいないだろうが、跨がっているだけのバイクでは、ほとんどの人がこいつを着用というか、バイクに装着しているといっていい。 日本の北国などでも、こういうものがあるんだろうか?と思うが、ないとするならば、これは輸入してボロもうけできるぞ! また、ここまでやらなくとも自転車用のこの手はありかも知れないね、自転車通勤でどうしてもスカートでなければならない人などは、これは必需となりましょう。 また体を冷やさない、冷えは万病の元などというソフトも付けて行けば、これは一定以上の普及は見込めるだろうなあ・・・等と考えますがどうでしょうね? まあそんなことを考えているウチに、北京のケリーセンター内にあるREに到着。 大型連休もあって、従業員さん、知り合いの方々がことごとく連休中。残った少人数で、しっかりと回していました。 やめた方もいましたね。そして新しい方々も。 REにはいい人材が集まる、新しい方にも相当の人格者とおぼしき方もおられました・・・・。 まずはオープンから三ヶ月強の時間が経って、売れる物と売れない物、売れそうな物と売れそうにない物等の見分けが大分付くようになってきた、という事です。どのラインナップが稼ぎかしらで、なにがそうで無いか?等ということがだんだん見えてくるようになってきた。 つまり、目鼻が付いてきたという事で、これから、改善点などを良く吟味しながら、ポイントを絞りつつ再度仕掛け直していく。 また、季節が冬に向かうところでの、扱う商品の衣替えではないが、大幅入れ替え、飲食もそう冬用の暖かいメニューの開発等もやっていかねばなりません。 まずはこの場でやって行けそうな自信をより太くしていきながら、次の戦略を練っていく。もちろん自転車の部門も同じ。 そして、店主は何をしに来たか?一言で言うと線路を引きに・・・であります。 生活必需品でないものは、そのものをポッと置いておいてすぐに売れるものではありません。それには何らかの物語がなければ、人の購買意欲を刺激し売り上げに繋げていくことはできません。 その物語作りというのが、ある意味ここでいう線路という事であります。これから、鉄の自転車を中心に、どんな物語をこのREを中心に北京に、中国に発信していくべきか?その下地を作りに来たといってもいい。 ちなみにブランドというのは、イメージという名の線路を既に持っている、その線路の維持経費と手間はすさまじい物ながら、一度引かれた線路がそれが堅固で頑丈であればあるほど、その上に重量機関車を走らせることができる。 つまり線路付きなんもんなので、自らが大した物語=線路を持たない店などはそうした物を置きたがる。 もちろんブランド側は、相手の店の物語の軽重とイメージの整合を考えるので、すべての店に自らの物語の着いた商品を置くことを許さない・・・。 まあ、多分そんなカラクリでありましょう。 では、どうやって北京で鉄の自転車を中心に売り出していくのか?その物語=線路とはいかなるものなのか?でありますな。 まあ、それは一言で言えば、タイムレス。時代や流行から完全に自由なもの、三百年後の箸が多分今日のそれと大差が無いように、三百年後にだってダイヤモンドフレームは残り続けるでしょう。変化する必然性がない、なぜなら完成されたものだから・・・。 そういうタイムレスだからこそ、自分だけの一台を時間を掛けて作り上げていくことができる。 その一台のバリエーションたるや・・・鉄自転車の持っているすさまじいばかりの奥行きの深さをトコトン北京のREより積極的に発信していくことでしょうな。 そのためには、言葉の壁を越えないといけません。そういう意味で、通訳翻訳は重要になります。それもただ訳せばいいというのではない、自転車に熱を持っている人でないと訳し出せない、思いやニュアンスがある・・・はず。 そして、こちらのスタッフだけでなく、現地のスタッフも大いに巻き込みつつ、やっていかねばならない。自転車の店は、商品としての自転車のみを売ってはならない、それは命を乗せるものだし、自分の人生の重要な選択肢だし、何よりも自分の目的に合った足そのものなのだ。 そういう物を売る店は、店員自身が自転車に酔心していないといけない、言葉は悪いが客をだます前に、味方がだまされていないといけないのだ・・・。 上からいわれて売らされるのではない、誰がなんと言おうと自分が売りたい!乗ってもらいたい!という自転車との関係にあることが重要である。 そうした要素をすべてつないだものがこの場合、小さい店でできる、物語=線路なのである。 できればだ、まわりに兵士を侍らせて、力尽くで守り続けるような大ブランド的線路ではなく、たまたまREから始まった線路が、北京のアチコチに自然と広がっていきながら、それなりの線路がどんどんつながっていくような、そういうイメージで進んでいくよう、考えたいね。 まあ、鉄の自転車自体が実に奥深いものなので、動き始めたら、そうなっていくだろうということはわかる、それが100年なのか?200年なのかはわからないが、その元になるような10メートルでもいいので、まずは線路を引くことから始めないとね。 あらかたの青写真はできているので、あとは向こうとの交流を軸としたミーティングを繰り返しつつ、実現化していくことだろうと思う。大変だが、動き始めたら、それはさぞや、面白いに違いない! |
Author:狸サイクル 店主 遠山健
狸サイクルと書きまして、リサイクルと読みます。
中古フレームは化かしますが、お客は化かしません。自転車提供を始めて17年。
今までは口コミ中心でしたが、今後はこうしたメディアを利用しながら、求められるところを彷徨していきます。
店の所在
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