2013年05月
2013年05月23日
インドで音楽ワークショップ(2)
今日も暖かくならなかったオランダ。外の気温は、12℃位だった。
来週から暖かくなると言う話だが、さて。
インドの話の続きをば。
4月27日と28日には、カルカッタ音楽学校の演奏会があり、
ハンスさんやペルセフォネさんが教えるであろう生徒さんや、
ハンスさんが指導をするジュニアオケ(弦楽器のみのオケである。
この学校には、管楽器の学科がない。) 、大人の演奏するカルカッタ室内
合奏団の演奏があった。生徒のレベルはピンキリである。
ジュニアオケは、悪いレベルではなかったので、ハンスさんも嬉しそうにしていた。
29日月曜日朝には、同僚のYさんも無事カルカッタに着いて、午後からは
もうワークショップが始まるので、学校に行った。
ペルセフォネさんと一緒にやっていく学校の先生は、P先生。
多分お年は、80近くの筈である。多分学校でも長老的存在の人だと思われる。
お顔がベンガル人のお顔ではないので、訊いてみるとデリー出身の先生だった。
生徒は、ほとんどがポップを歌う人たちであるが、一人だけテノール歌手を
目指している19歳の青年がいた。
「愛の妙薬」のあの有名なアリアを見てほしいと言っている。
P先生は、年の割には、PCに長じた人で、ポップやクラシックの伴奏をPCで
再現して、カラオケの様に生徒に歌わせていた。(ピアノで伴奏して貰う、と
言うのはなさそうだった。弾ける人があまりいないのだそうだ。)
クラシック歌手であり、教師であるペルセフォネさんには、ちょっときついかも
しれないと思ったが、彼女はニコやかに最初の生徒から教え始めた。
生徒に教えるペルセフォネさん。窓際の生徒がクラシックを習うR君。
ハンスさんの方が、気になるので、歌のレッスンが調子に乗ってきたところで
教室を抜けて、ハンスさんの方に行ってみた。
彼の方に付いていたYが私に寄ってきて、「ちょっとこれを見て!」と
見せてくれた紙が私を驚かせた。
この学校の先生がする普通のレッスンに、ハンスさんが入り込んで教える
形でプログラムが組んであったのだ。
これじゃあ、話が違う!
バイオリンの生徒のリストが、何だか妙なリストになっていたのは、こういう
事だったのである。
仕方がないので、ハンスさんは、1番目の生徒をその先生と一緒に教えていると
言う事だった。
おまけに5月1日はメーデーで休日だから、学校が開かず、木曜日は、
全面的にインド古典音楽のレッスン日になっているので、ワークショップは
出来ない、と言う事だった。
土曜日は、レッスン日だが、日曜日は、また休みである。
タルい学校なんである。やれやれ。
ペルセフォネさんもY(彼女はフルート奏者だが、ピアノも弾くので、
今回は伴奏者も兼ねていた。)も自分の練習がしたい、と言うので、
宿に練習スペースがあるか訊いてみたが、それは無かった。
学校の事務局に、「朝の時間に教室が空いているなら、使わせて貰えませんか?」と
聞くと、「全部詰まってます。」と言う答えだったが、ひょっとしたら
どこか空いているかもしれないから、と火曜日の朝に学校に行ってみた。
朝の9時半頃着いた。
学校の小遣いさんみたいな男性たちが4人程いるのだが、その人たちだけが来ていて、
学校の先生も事務の人も誰も来てなかった。
それぞれの教室の前に、どの先生のレッスンがあるかと言う時間割があるのだが、
朝の時間は何も入ってない。
「なあんだ、事務のおばさん、勘違いでもしてたのかね?」と3人の女達は、
部屋をとって、それぞれ練習を始めた。
誰かが来たら、勿論部屋を出る積りだったが、誰も来なかった。
練習が終わってから、一旦宿に引き上げて、暫くするとハンスさんから電話。
一番最初の生徒が朝11時に入っているのに、誰も来ないと言う。
西洋音楽主任のガングリ先生に電話すると、事務局のミトラ女史に訊いてくれ
との事だったので、ミトラ女史に電話すると、「ガングリ先生に訊いて。」
「いや、彼女に電話をしたら、あなたと話をしろと言う事だったのですよ。」
「私がガングリさんに連絡してみます。」とミトラ女史は電話を切った。
結局、1番目の生徒は、連絡無しのサボりだったらしい。
この連絡無しサボりは、結構頻発するらしく、生徒が来なくてボケッと
待っているギターの先生と話をしたりした。
「今時の生徒は、何も先生に対する尊敬の念がない。」と嘆いてらした。
(ボケッと教室で待っている先生は、その後他の教室でも見掛けた。)
Yが見た風景は、もっと面白かった。インド古典声楽の教室だったそうだが、
男の子がハルモニウム(声楽で使う鍵盤楽器)を弾きながら歌っているのに、
老女教師が、船を漕いでいたそうである。10分後にもう一度見たら(それぞれの
ドアに小窓が付いているので、中が見えるのである。)、女教師は、完全に
寝ていたそうである。
夏休み近くで、生徒も先生もダレ気味だったのか(学校の中は冷房でキンキンに
冷えているが。)、元々そういう風紀がある学校なのかは分からないが、ほんま、
タルいなあ、と言うのが第一印象だった。
いやー、一度行ってみるもんですね。色々な事が分かります!
2013年05月21日
インドで音楽ワークショップ(1)
ブログを1ヶ月以上記さなかった。
4月26日にインドへ発つ少し前に、息子が私のPCを水没させてしまい、
PC環境が万全でなかった上に出発前はちょー忙しくしていた為、
書いている余裕がなかった。
5月14日に帰蘭したが、インド人の歌の先生が掛かっていたと思われる
風邪が私にも取り付き、先週は病気がちの日々を過ごした。
日曜日辺りからやっと普通の状態に戻った次第である。
2年位前から、カルカッタ音楽学校(カルカッタ・スクール・オヴ・ミュージック)と
連絡を取り始め、やっとワークショップ実現にこぎ着けた。
こちらとむこうの学校の都合が合う時期を模索した結果、インドの夏(今まで
過ごした事のない時期だった。)にワークショップを実行すると言う事に
なってしまったが、何、インドの建物は、「これでもかっ!」と言う位
冷房が入る建物が殆どである。あまり心配してなかった。
外を歩く時に、十分に日除けをするとか、食べ物に気をつける等などに
気を回す事が多いだろうと思った。
カルカッタ音楽学校は、全日制の学校ではなく、子供や大人が学校・仕事が
終わった後に、音楽の授業を受ける為に来る学校である。
所謂全日制の音楽学校は、今のところインド古典音楽のぶんはある(インドの
大学内に設置されているケースが多い。)が、西洋音楽のそれはない。
だから、ワークショップは、午後3時半から7時半まで2週間行われると言う
予定だった。
お連れする先生は、二人。
バイオリンの先生、ハンスさんと歌の先生、ペルセフォネさんである。
ハンスさんは、アムステルフェーンの音楽学校で教えているが、過去には、ハーグ
音楽院の教師でもあったし、イギリスのマンチェスターで教鞭を取った事もある
ベテランである。
ペルセフォネさんは、アメリカ人。英語を得意とするインド人とうまく
コミュニケーションが取れるだろうと思い、オランダ人ではなく彼女を選んだ。
バロック・古典系のオペラなどを得意とし、アレキサンダー・テクニックの教師でも
ある。
バイオリンは、全くクラシックの練習をしている学校なので、こちらは
あまり心配してなかったが、歌は、生徒9人のうち、クラシックを勉強したいと
思っているのは、1人だけ、と言う。ペルセフォネさんには、それでも少しずつ
クラシックの基本を交えてレッスンを付けていったら良いのではないかと、話を
していた。
2日遅れて、私の同僚は飛行機に乗るので、まず、先生方と私でインドに
到着する事になった。
エミレーツで、ドバイに飛び、乗り換えてカルカッタにダイレクトに着く。
何やら空調が壊れているのを直す、とかで、オランダからの出発が1時間遅れた。
繋ぎの時間は、2時間しかないから、大丈夫かなあ、と心配していたら、
案の定、ドバイの空港では走る羽目になった。
カルカッタには、予定通り27日、朝8時頃着いた。
飛行機から出た途端、ムワっと熱気と独特の香りに包まれる。
この一瞬、結構好きなんである。
自分のスーツケースと受け取ったら、取っ手が一つ取れており、肩の一つにヒビが
入っていた。先生方のスーツケースは大丈夫だったので、良かった。
エミレーツで、届出をするのにちと時間が掛かったが、空港からタクシーに乗って、
予約を入れておいたゴルパークにあるラーマクリシュナミッション・カルチャー
センターのホステルへ。
音楽学校からそんなに遠くないし、3食付き・お茶2回のサービスで、冷房付きの
部屋が1泊1100ルピー(16ユーロ弱)と言う好条件の宿泊所である。
ハンス先生は、普通のホテルが良い、差額は自分で払うからと言うので、
パーク通り近くのお宿である。
部屋に案内されると、とても広い部屋で、2,3人は泊まれる感じである。
そして、とても清潔なのも気に入った。
早速、お使いの人に頼んでミネラルウォーターを1箱買ってきて貰う。(1Lの
ボトルが15本入っていた。)
夕方には、学校に行って、先生方と面会をする事になっていた。
部屋の直ぐ外の廊下から庭を見下ろすと、聖人ヴィヴェカナンダの像が立っていた。
毎朝水を撒いて、美しい庭。いつも花が香っている。
物語のはじまり、はじまり…