2022年06月
2022年06月28日
忙しい6月が漸く終わる...(4)
昨日は、友人と"Délicieux"と言う仏映画を観に行った。
時代は、フランス革命前夜辺り、貴族のお抱え調理師のお話である。
カメラワークが美しく、音楽もクラシックがふんだんに使われて
私好みの映画だった。日本では、去年の横浜でのフランス映画祭で
上映されたのみ、なのかな?
ドイツ旅行の最後の日は、夕方の電車でアムスに戻る積りだったので、
マンハイムのお城にお邪魔した。
ここの入場料は、10ユーロだが、現金支払いのみなので、行かれる方は、
現金を用意されますよう。
このお城はマンハイム大学の校舎にもなっている。
訪れたのは、ペンタコステの日曜日だったので、大学はお休みだった。
朝10時頃、にありとあらゆる教会の鐘が鳴りまくり、耳が潰れそうであった。
この日、あちこちの教会を覗いてみたらば、どの教会も人でいっぱい。
信心深い人々が多い国なのだな、と実感。オランダ・アムスとは全く違う点である。
ここにもイエズス教会があり、やはり中が白い。
戦災で、教会のオルガンは失われて、新しく入れたオルガンが入っているが、
これもとても美しい。
マンハイム城。
嘗ては、文化の中心であった都市である。カール4世フィリップ・テオドールは
文化人であり、若いモーちゃんもここに2年滞在し、その時に妻コンスタンツェの姉、
アロイジアと出会っている。
若きモーツァルトは、この都市が大好きだったらしい。
モーツァルトは、マンハイムの音楽家たちから多大な影響を受けたそうである。
その中の、クリスチャン・カンナビヒ(マンハイム楽団のコンマス及び音楽監督)の
作品を城の中で聴いたが、佳い音楽だと思う。
城内は、むやみに華美でなく良い雰囲気の部屋が多かった。
早めの夕食は、ジプシー風カツレツを頂いた。
昔、ドイツのヴッパータールで同じ物を食べた時のこの野菜入りトマトソースの味が
忘れられませず。マンハイムのもおいしかった。
電車に乗ろうとした時に、駅のお店にカツサンドが売られていた。あるんだ!
電車がこの日もメチャクチャで、乗り換えをしたもう少し北の駅では
このカツサンドを見掛けなかったので、やはり南ドイツ特有なのかもしれない。
数日の1人旅だったが、自然と文化とドイツの食べ物・ビールを満喫した。
1人旅は、気ままでよろし。
今月のオランダ国立オペラのプロは、ウェーバーの「魔弾の射手」であったが、
忙しかった為、行きそこねてザンネンに思っていたら、YTに上がってきた。
めっちゃモダンなのだが、興味のある方はどうぞ!
昨日は、自分の合唱団の練習があったが、コロナテスト陰性及び風邪症状の人の
不参加の義務付けを始めている。
罹患者の入院数が600人台になった。気をつけよう。
コロナ退散!
「いいね!」と思われた方は、立葵をポチっとお願い致します。
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時代は、フランス革命前夜辺り、貴族のお抱え調理師のお話である。
カメラワークが美しく、音楽もクラシックがふんだんに使われて
私好みの映画だった。日本では、去年の横浜でのフランス映画祭で
上映されたのみ、なのかな?
ドイツ旅行の最後の日は、夕方の電車でアムスに戻る積りだったので、
マンハイムのお城にお邪魔した。
ここの入場料は、10ユーロだが、現金支払いのみなので、行かれる方は、
現金を用意されますよう。
このお城はマンハイム大学の校舎にもなっている。
訪れたのは、ペンタコステの日曜日だったので、大学はお休みだった。
朝10時頃、にありとあらゆる教会の鐘が鳴りまくり、耳が潰れそうであった。
この日、あちこちの教会を覗いてみたらば、どの教会も人でいっぱい。
信心深い人々が多い国なのだな、と実感。オランダ・アムスとは全く違う点である。
ここにもイエズス教会があり、やはり中が白い。
戦災で、教会のオルガンは失われて、新しく入れたオルガンが入っているが、
これもとても美しい。
マンハイム城。
嘗ては、文化の中心であった都市である。カール4世フィリップ・テオドールは
文化人であり、若いモーちゃんもここに2年滞在し、その時に妻コンスタンツェの姉、
アロイジアと出会っている。
若きモーツァルトは、この都市が大好きだったらしい。
モーツァルトは、マンハイムの音楽家たちから多大な影響を受けたそうである。
その中の、クリスチャン・カンナビヒ(マンハイム楽団のコンマス及び音楽監督)の
作品を城の中で聴いたが、佳い音楽だと思う。
城内は、むやみに華美でなく良い雰囲気の部屋が多かった。
早めの夕食は、ジプシー風カツレツを頂いた。
昔、ドイツのヴッパータールで同じ物を食べた時のこの野菜入りトマトソースの味が
忘れられませず。マンハイムのもおいしかった。
電車に乗ろうとした時に、駅のお店にカツサンドが売られていた。あるんだ!
電車がこの日もメチャクチャで、乗り換えをしたもう少し北の駅では
このカツサンドを見掛けなかったので、やはり南ドイツ特有なのかもしれない。
数日の1人旅だったが、自然と文化とドイツの食べ物・ビールを満喫した。
1人旅は、気ままでよろし。
今月のオランダ国立オペラのプロは、ウェーバーの「魔弾の射手」であったが、
忙しかった為、行きそこねてザンネンに思っていたら、YTに上がってきた。
めっちゃモダンなのだが、興味のある方はどうぞ!
昨日は、自分の合唱団の練習があったが、コロナテスト陰性及び風邪症状の人の
不参加の義務付けを始めている。
罹患者の入院数が600人台になった。気をつけよう。
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2022年06月25日
忙しい6月が漸く終わる...(3)
さて、今日は、ザビーネ先生の計画された朝コンサートの日であった。
5人が歌う筈だったが、4人(メゾ1人、ソプラノ3人)のホームコンサートである。
トップバッターは、先生の息子くん8才。チェロを習ってもう5年である。
しっかりしたいい子なんだな。コンサートもじいっと聴いているコ。
バッハとチャイコの小品を弾いて、これがとっても音楽的であった。
流石だね。将来が楽しみである。
自分は出番が最後であった。ちょっとアガったけど、ハバネラは、ほぼ思っていた
通りに歌う事が出来た。1番を仏語、2番を日本語で歌ったよん。ウケた。
次、ミカエラのアリア。こちらは、全仏語。ほぼ自分の思った通りに歌えた。
一番高いB(H)の長音も苦もなくクリア。少し息が短かった部分があったものの、
無事に最後まで歌えた。ほっ。
観客が近いと、アガる度が高くなるのだが、今日は、コロナ後の2回目の
演奏会。ムチャクチャアガる、と言うのはなかった。
次は、メシアンとかドビュッシーのリートを練習しようかと考えている。
(今日1人の生徒さんが歌ったドビュッシーのリート2曲、ステキだった。)
さて、ドイツ旅行の続きをば。
2日目は、マンハイムから電車で30分くらいの距離の所にあるWeinheimと言う街に
行ってみた。
小さい街なので、電車の駅から街の中心にはすぐ着いた。ここの教会に
上がってみると、やはり塔が見えた。
よし、登るぞ!と、登り始めたが、昨日より坂が急で、雨も少し朝降って
滑りやすくなっていたので、ゆっくり登って行った。
土の坂を登ると、アスファルトの坂になった。
そしたら、怪物君が2匹現れた。
街で、センダックの展示会をしてたので、その関連で作られたものである。
息子によく読んでいたなあ、と懐かしかったよ。
塔の上近くからみたWeinheimの街。かわいい街なのである。
兵どもが夢の跡...
街に降りて、1つしかない中華で、変わった焼きそば(味がすごーく薄味だった。)を
食べて、乗った電車の終着地Bensheimまで行ってみたが、ここはホントに
更に小さい街で、あまり見るものはなかった。
写真の真ん中の建物が10世紀位に建てられた古い教会だそうな。
中には入れなかった。
マンハイムにダイレクトで戻って、韓国料理屋(多分1軒しかないと思う)に
入り、ククスを食べたけど、これはあまり美味しくなかった。
最後の夕食だったので、ドイツ料理を食べた方が良かったな、と少し後悔。
まあ、この日もビールはあちこちで飲んでいた。やっぱり暑い日は
白ワインよりビールなんである。この日は、ほぼ15キロ歩いた。
流石に疲れて、夜は大人しくしていた。
只今、スキポール空港が労働人不足でうまく色々な仕事が回らず、
メチャクチャな事になっている。コロナの時に解雇された人が多く、
今、雇おうとしているが、労働条件が良くない為、希望者が少ないので、
この混雑は暫く解決を見ないと思う。飛行機に乗らなきゃいいわけだが、
日本に一時帰国するのに、まさか鉄道や船で帰るわけにもいくまい。
ヒースローやシャルル・ド・ゴールも混雑していると言う。
ドイツの空港は比較的マシだと投稿している人がいたが、さて。
一時帰国をどうするのか考えちう、である。
コロナ退散!!
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5人が歌う筈だったが、4人(メゾ1人、ソプラノ3人)のホームコンサートである。
トップバッターは、先生の息子くん8才。チェロを習ってもう5年である。
しっかりしたいい子なんだな。コンサートもじいっと聴いているコ。
バッハとチャイコの小品を弾いて、これがとっても音楽的であった。
流石だね。将来が楽しみである。
自分は出番が最後であった。ちょっとアガったけど、ハバネラは、ほぼ思っていた
通りに歌う事が出来た。1番を仏語、2番を日本語で歌ったよん。ウケた。
次、ミカエラのアリア。こちらは、全仏語。ほぼ自分の思った通りに歌えた。
一番高いB(H)の長音も苦もなくクリア。少し息が短かった部分があったものの、
無事に最後まで歌えた。ほっ。
観客が近いと、アガる度が高くなるのだが、今日は、コロナ後の2回目の
演奏会。ムチャクチャアガる、と言うのはなかった。
次は、メシアンとかドビュッシーのリートを練習しようかと考えている。
(今日1人の生徒さんが歌ったドビュッシーのリート2曲、ステキだった。)
さて、ドイツ旅行の続きをば。
2日目は、マンハイムから電車で30分くらいの距離の所にあるWeinheimと言う街に
行ってみた。
小さい街なので、電車の駅から街の中心にはすぐ着いた。ここの教会に
上がってみると、やはり塔が見えた。
よし、登るぞ!と、登り始めたが、昨日より坂が急で、雨も少し朝降って
滑りやすくなっていたので、ゆっくり登って行った。
土の坂を登ると、アスファルトの坂になった。
そしたら、怪物君が2匹現れた。
街で、センダックの展示会をしてたので、その関連で作られたものである。
息子によく読んでいたなあ、と懐かしかったよ。
塔の上近くからみたWeinheimの街。かわいい街なのである。
兵どもが夢の跡...
街に降りて、1つしかない中華で、変わった焼きそば(味がすごーく薄味だった。)を
食べて、乗った電車の終着地Bensheimまで行ってみたが、ここはホントに
更に小さい街で、あまり見るものはなかった。
写真の真ん中の建物が10世紀位に建てられた古い教会だそうな。
中には入れなかった。
マンハイムにダイレクトで戻って、韓国料理屋(多分1軒しかないと思う)に
入り、ククスを食べたけど、これはあまり美味しくなかった。
最後の夕食だったので、ドイツ料理を食べた方が良かったな、と少し後悔。
まあ、この日もビールはあちこちで飲んでいた。やっぱり暑い日は
白ワインよりビールなんである。この日は、ほぼ15キロ歩いた。
流石に疲れて、夜は大人しくしていた。
只今、スキポール空港が労働人不足でうまく色々な仕事が回らず、
メチャクチャな事になっている。コロナの時に解雇された人が多く、
今、雇おうとしているが、労働条件が良くない為、希望者が少ないので、
この混雑は暫く解決を見ないと思う。飛行機に乗らなきゃいいわけだが、
日本に一時帰国するのに、まさか鉄道や船で帰るわけにもいくまい。
ヒースローやシャルル・ド・ゴールも混雑していると言う。
ドイツの空港は比較的マシだと投稿している人がいたが、さて。
一時帰国をどうするのか考えちう、である。
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2022年06月22日
忙しい6月が漸く終わる...(2)
音楽に追われる、と思ったので、ペンタコステの期間、
ドイツに小旅行した。コロナ後の始めての旅行である。
ハイデルベルクに行ったのは、大学の時だったが、それ以来一度も
行ってない。ホテルを調べたら、アムス並みに高いではないか。
で、そこに電車で15分で行ける街、マンハイムに宿を取った。
かつて、モーツァルトが幸せな時代を過ごした街でもある。
ICに乗って行ったのだが、デュッセからの電車が、フランクフルト空港
手前辺りから時間通り動かなくなり、1時間遅れでマンハイムに着いた。
暑い日で、街の温度計が26℃になっていた。
この街って京都みたいに道が縦横に作られた街で、ABC...と、123…で
道路の名前になっているので、すごーく分かりやすい。
夕方前に着いたので、街を色々散策してから、ドイツ料理の夕食を摂った。
このレストランに、面白いウェイトレスがいて、2日目もここで食べた。
結構なお年で、お顔はいつも怒っている感じ。なのに、お客さんにジョークを
言って笑わせたり、さらっと気を遣ってくれたりする人だった。
きっとレストランの看板になっている人なのだろう。また、ここで食べたい。
翌日、早起きしてハイデルベルクへ。
駅からバスに乗って、大学前で降りる。朝早いので、カフェもまだ営業してない。
教会が開いていたので、中に入ってみた。
素晴らしいオルガン演奏が聞こえる。時々止まっては同じところを繰り返したり
しているので、どうも練習中の様であった。
最後に素晴らしい演奏を通しでされたのを聴いた。降りて来られた方を見たら、
すらりと長身の中年男性であった。(後に、有名なオルガン奏者と知る。)
小さくBravoと言って、拍手をしたら、ペコっと頭を下げて出ていかれた。
朝から、オルガンの演奏を聴いて、調子がいい。教会の名前は、イエズス会教会で
あった。
そうやっている内に、やっとカフェが開いたので、コーヒーを飲んで(ドイツの
コーヒーってオランダのと比べると、薄い。ちょっとザンネン。)、
有名な橋を渡って対岸に行ったが、日が照って暑すぎる。写真だけ撮って、
とっとと戻った。(写真はクリックすると大きく出ます。)
で、自分の足で、ハイデルベルク城に登った。
途中で下を見る。
で、上を見る。
頑張って登った後、塔を見たらば、こんなんだった。
更に登って、くるっと回って、ビールをゲットして風景を観ながらボケッとした。
中世の城の中は、あまり興味がないので、入らなかった。
端っこまで歩いて行くと、向こうは森になっていて、緑の匂いがいっぱい。
ここでもぼけっとする。ドイツ、やっぱりビールが安くてウマい!
勿論、徒歩で降りて行った。
降りて、大学の方へ行ってみた。
メンザ(大学食堂)へ行ってみて、学生がどんな物を食しているのか、
見てみた。あら、けっこーおいしそー。
一般人も食べてOKになっているので、色々お皿に入れて一般人プライスを払って、
遅い昼食を摂った。
雨降ってきたし、疲れていたので、メンザの隅っこでぼけっとして過ごした後、
少し冷えた街に出て、ご当地お土産として名高いStudentenkussと言うチョコを
幾つか購入。ドイツは、まだまだ現金支払いを要求する所が多く、この店も
現金支払いでしか払えない。現金を取りに行って戻ると、おまけのチョコをくれた。
親切ね。
電車でマンハイムに戻り、例のレストランでカツレツを食べた。
イマイチ、かな。
この日は、トータルで12km歩いた。えらいやん、私。
ドイツの乗り物の中では、皆、マジメにマスクをしている。
たまに外している人がいると、怒りのまなこでその人を見る人がいる。
やっぱりマジメな人が多い感じ。
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ドイツに小旅行した。コロナ後の始めての旅行である。
ハイデルベルクに行ったのは、大学の時だったが、それ以来一度も
行ってない。ホテルを調べたら、アムス並みに高いではないか。
で、そこに電車で15分で行ける街、マンハイムに宿を取った。
かつて、モーツァルトが幸せな時代を過ごした街でもある。
ICに乗って行ったのだが、デュッセからの電車が、フランクフルト空港
手前辺りから時間通り動かなくなり、1時間遅れでマンハイムに着いた。
暑い日で、街の温度計が26℃になっていた。
この街って京都みたいに道が縦横に作られた街で、ABC...と、123…で
道路の名前になっているので、すごーく分かりやすい。
夕方前に着いたので、街を色々散策してから、ドイツ料理の夕食を摂った。
このレストランに、面白いウェイトレスがいて、2日目もここで食べた。
結構なお年で、お顔はいつも怒っている感じ。なのに、お客さんにジョークを
言って笑わせたり、さらっと気を遣ってくれたりする人だった。
きっとレストランの看板になっている人なのだろう。また、ここで食べたい。
翌日、早起きしてハイデルベルクへ。
駅からバスに乗って、大学前で降りる。朝早いので、カフェもまだ営業してない。
教会が開いていたので、中に入ってみた。
素晴らしいオルガン演奏が聞こえる。時々止まっては同じところを繰り返したり
しているので、どうも練習中の様であった。
最後に素晴らしい演奏を通しでされたのを聴いた。降りて来られた方を見たら、
すらりと長身の中年男性であった。(後に、有名なオルガン奏者と知る。)
小さくBravoと言って、拍手をしたら、ペコっと頭を下げて出ていかれた。
朝から、オルガンの演奏を聴いて、調子がいい。教会の名前は、イエズス会教会で
あった。
そうやっている内に、やっとカフェが開いたので、コーヒーを飲んで(ドイツの
コーヒーってオランダのと比べると、薄い。ちょっとザンネン。)、
有名な橋を渡って対岸に行ったが、日が照って暑すぎる。写真だけ撮って、
とっとと戻った。(写真はクリックすると大きく出ます。)
で、自分の足で、ハイデルベルク城に登った。
途中で下を見る。
で、上を見る。
頑張って登った後、塔を見たらば、こんなんだった。
更に登って、くるっと回って、ビールをゲットして風景を観ながらボケッとした。
中世の城の中は、あまり興味がないので、入らなかった。
端っこまで歩いて行くと、向こうは森になっていて、緑の匂いがいっぱい。
ここでもぼけっとする。ドイツ、やっぱりビールが安くてウマい!
勿論、徒歩で降りて行った。
降りて、大学の方へ行ってみた。
メンザ(大学食堂)へ行ってみて、学生がどんな物を食しているのか、
見てみた。あら、けっこーおいしそー。
一般人も食べてOKになっているので、色々お皿に入れて一般人プライスを払って、
遅い昼食を摂った。
雨降ってきたし、疲れていたので、メンザの隅っこでぼけっとして過ごした後、
少し冷えた街に出て、ご当地お土産として名高いStudentenkussと言うチョコを
幾つか購入。ドイツは、まだまだ現金支払いを要求する所が多く、この店も
現金支払いでしか払えない。現金を取りに行って戻ると、おまけのチョコをくれた。
親切ね。
電車でマンハイムに戻り、例のレストランでカツレツを食べた。
イマイチ、かな。
この日は、トータルで12km歩いた。えらいやん、私。
ドイツの乗り物の中では、皆、マジメにマスクをしている。
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やっぱりマジメな人が多い感じ。
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2022年06月20日
忙しい6月が漸く終わる...(1)
6月は、荒れるな、と思っていたが、何とかこなして、
あと1つ残すのみとなり、この1週間は、この残りのコンサートの
入念な準備をしたら、夏休みとなる。
身体的には疲れてないけど、少しメンタルに来たのか、お日様の所為なのか
(太陽光アレルギー有り)、まぶたと首筋と頬にアレルギー症状が出ている。
何年も前に処方されたステロイド入軟膏をほんの少し付けて、応急処置を
しながらこなした。
合唱は、3つの団体で歌い、そのうちの1つは、4回同じものを場所を変えて
演奏。映画「グラディエーター」の生音楽付き鑑賞会演奏である。
これは非常に特殊な演奏会であった。目の前にスクリーンが用意され、
演奏曲が始まる前にキューが出る。小節のナンバー/拍数がスクリーンに
出るので、出番を間違える事はない。指揮者もオケもそのスクリーンが
設置されており、それを観ながら演奏をするのである。
コンセルトヘボウでは、オケが合唱団の下になるので、困る事はなかったが、
ナイメーヘンとアントワープでは、オケが同じ位置で、ひな壇も用意されて
おらず、合唱団の前には、4人の打楽器奏者が演奏をしていた。
耳栓を渡されたが、色々な打楽器がすごく面白くて、耳栓なんかしなかった。
打楽器奏者、いいなあ、楽しそう。音が大きいから、間違ったりしたら、
もろ演奏に響きそうだが、楽しそう。ちょっと羨ましかったのである。
アントワープの演奏会場のStadsschouwburg。観客席がうえーの方まであり、
驚いた。高所恐怖症の私は、多分この観客席には座れない。
映画終了後は、やんやの拍手喝采をどこでも貰って、楽しい演奏会であった。
私の所属するToonkunstkoor Amsterdamは、ロッシーニの「小荘厳ミサ曲」を
演奏した。日本ではあまり演奏されない曲だが、オランダの合唱界では、
非常にポピュラーな演目であり、2,3度歌っている団員もいた位である。
私はこの曲を初めて歌ったが、ハーモニーの動きの癖を頭に入れたら、そんなに
難しくない曲である。(一見難しそうなんだけどね。)
演奏会のステキな写真を。
テノール歌手は、Ian Castro。この歌手が一番歌詞と音楽を理解して歌っていたと
思う。解釈が素晴らしかった。
我が団は、練習の時はあまり上手ではなかったが、演奏会は、またまた
バッチリ決めた。
演奏会が得意な不思議な合唱団であると言えよう。
昨日は、アムステルフェーンで開催されたジャパン・フェスの舞台で演奏する
日本人合唱団「風」のアルトパートのお手伝いとちょっとだけソロ。
舞台だと押し気味に歌う事が多かった高音(A)を、さらりと伸ばす事が出来たのは
今回私の収穫だったと言える。
聖子ちゃんの「瑠璃色の地球」の歌詞、いいね。
うな丼も食べられたし、マンゾク。
欧州では、9月からの演奏会が「来季」の演奏会と数えられる。
TKA(Toonkunstkoor Amsterdam)の演奏会は、
8月29日(月)午後8時~コンセルトヘボウで、モーツァルト演奏会。
10月23日(日)午後8時15分~アムスのドメニコ教会で、ドボちゃんのニ長調ミサと
F.マルタンのミサ曲。ジュネーブから遠征してくる合唱団と合同演奏会となる。
12月1-5日(木ー月)ゲゲッ!毎日演奏会とな。
1日(木)アルクマールのDe Vest、2日(金)ハーレムのDe Philharmonie、
3日(土)アムスのヘボウ、4日(日)ユトレヒトのVredenburg、
5日(月)アムスのヘボウ。
今を時めく若きピアニストの兄弟、Lucus&Arthur Jussenと共に
ベートーベンプログラム。
合唱団は、Elegischer Gesang 'Sanft wie du lebtest', op. 118(日本語だと、
「悲歌-生けるごとく安らかに」既に練習・演奏会をして歌えている曲)と、
Chorfantasie in f, op. 80(合唱幻想曲 ハ短調)を歌う。
兄弟は、ベトベンの5番のコンチェルトを弾くが、2人で弾くのかね?
お客さんで参加している合唱団NCK(Nederlands Concertkoor)は、23年の初頭に
CavPagの舞台形式の演奏会と2月にマーラーの2番に参加予定である。
その練習は、年内にもあるので、結構忙しい。
コロナが私達のジャマをしませんように!
この週末は、いよいよカルメンのハバネラと、ミカエラのアリアを演奏会で歌う。
集中あるのみ。
コロナ退散!
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あと1つ残すのみとなり、この1週間は、この残りのコンサートの
入念な準備をしたら、夏休みとなる。
身体的には疲れてないけど、少しメンタルに来たのか、お日様の所為なのか
(太陽光アレルギー有り)、まぶたと首筋と頬にアレルギー症状が出ている。
何年も前に処方されたステロイド入軟膏をほんの少し付けて、応急処置を
しながらこなした。
合唱は、3つの団体で歌い、そのうちの1つは、4回同じものを場所を変えて
演奏。映画「グラディエーター」の生音楽付き鑑賞会演奏である。
これは非常に特殊な演奏会であった。目の前にスクリーンが用意され、
演奏曲が始まる前にキューが出る。小節のナンバー/拍数がスクリーンに
出るので、出番を間違える事はない。指揮者もオケもそのスクリーンが
設置されており、それを観ながら演奏をするのである。
コンセルトヘボウでは、オケが合唱団の下になるので、困る事はなかったが、
ナイメーヘンとアントワープでは、オケが同じ位置で、ひな壇も用意されて
おらず、合唱団の前には、4人の打楽器奏者が演奏をしていた。
耳栓を渡されたが、色々な打楽器がすごく面白くて、耳栓なんかしなかった。
打楽器奏者、いいなあ、楽しそう。音が大きいから、間違ったりしたら、
もろ演奏に響きそうだが、楽しそう。ちょっと羨ましかったのである。
アントワープの演奏会場のStadsschouwburg。観客席がうえーの方まであり、
驚いた。高所恐怖症の私は、多分この観客席には座れない。
映画終了後は、やんやの拍手喝采をどこでも貰って、楽しい演奏会であった。
私の所属するToonkunstkoor Amsterdamは、ロッシーニの「小荘厳ミサ曲」を
演奏した。日本ではあまり演奏されない曲だが、オランダの合唱界では、
非常にポピュラーな演目であり、2,3度歌っている団員もいた位である。
私はこの曲を初めて歌ったが、ハーモニーの動きの癖を頭に入れたら、そんなに
難しくない曲である。(一見難しそうなんだけどね。)
演奏会のステキな写真を。
テノール歌手は、Ian Castro。この歌手が一番歌詞と音楽を理解して歌っていたと
思う。解釈が素晴らしかった。
我が団は、練習の時はあまり上手ではなかったが、演奏会は、またまた
バッチリ決めた。
演奏会が得意な不思議な合唱団であると言えよう。
昨日は、アムステルフェーンで開催されたジャパン・フェスの舞台で演奏する
日本人合唱団「風」のアルトパートのお手伝いとちょっとだけソロ。
舞台だと押し気味に歌う事が多かった高音(A)を、さらりと伸ばす事が出来たのは
今回私の収穫だったと言える。
聖子ちゃんの「瑠璃色の地球」の歌詞、いいね。
うな丼も食べられたし、マンゾク。
欧州では、9月からの演奏会が「来季」の演奏会と数えられる。
TKA(Toonkunstkoor Amsterdam)の演奏会は、
8月29日(月)午後8時~コンセルトヘボウで、モーツァルト演奏会。
10月23日(日)午後8時15分~アムスのドメニコ教会で、ドボちゃんのニ長調ミサと
F.マルタンのミサ曲。ジュネーブから遠征してくる合唱団と合同演奏会となる。
12月1-5日(木ー月)ゲゲッ!毎日演奏会とな。
1日(木)アルクマールのDe Vest、2日(金)ハーレムのDe Philharmonie、
3日(土)アムスのヘボウ、4日(日)ユトレヒトのVredenburg、
5日(月)アムスのヘボウ。
今を時めく若きピアニストの兄弟、Lucus&Arthur Jussenと共に
ベートーベンプログラム。
合唱団は、Elegischer Gesang 'Sanft wie du lebtest', op. 118(日本語だと、
「悲歌-生けるごとく安らかに」既に練習・演奏会をして歌えている曲)と、
Chorfantasie in f, op. 80(合唱幻想曲 ハ短調)を歌う。
兄弟は、ベトベンの5番のコンチェルトを弾くが、2人で弾くのかね?
お客さんで参加している合唱団NCK(Nederlands Concertkoor)は、23年の初頭に
CavPagの舞台形式の演奏会と2月にマーラーの2番に参加予定である。
その練習は、年内にもあるので、結構忙しい。
コロナが私達のジャマをしませんように!
この週末は、いよいよカルメンのハバネラと、ミカエラのアリアを演奏会で歌う。
集中あるのみ。
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