インド

2013年06月13日

インドで音楽ワークショップ(6)

気温20℃位で曇り。何を着たら良いのか分からない天気。
そんな調子の天気だから、風邪引きさんがまた増えている模様。
息子も今日はお腹の調子が良くない、と合唱団の練習をお休みした。
「誰が風邪引いてるの?」と言うと、「A君。A君のママ、厳しいんだよ。
A君が病気なのに、学校に行きなさいって言うの。遅れるから休んじゃダメだって。」
お母様、スパルタでよろしい教育方針ですが、息子さんがクラスメートに
病気を移すかもしれないって事、考えて下さいませ。
6月って先生も生徒もナーバスになるのよねえ。
ちまたでは、高校卒業試験の盗難があったりして、なんか不況を反映してる。
今日のFBではこんなのが出た。

学年始めの先生。 学年終わりの先生。

先生、お疲れ様でございます。

インドの話に戻る。
何だかんだあったが、無事最終日を迎える事が出来た。
カルカッタ室内合奏団の練習が最終日にあり、ハンスさんは、病気の体を押して
立派に練習を付けた。よく頑張られました。


Yは、フルーティストだが、ピアノも上手い。
フォルテと言うと、ピアノをガ~ンと叩けば(弾けば、と言う表現はその音に
そぐわない。)良いと思っているインド人ピアニストが多すぎる。
彼女は、歌手に合わせてどの様に伴奏を持っていくかをカウシック先生に教えた。
この先生は、初見が得意で、伴奏も色々なジャンルで出来ると言う器用なピアニストで
あるそうだ。
ペルセフォネさんは、タゴールの詩を使った歌を演奏会で歌った。
これは、ゲネリハの風景。
この先生も、もっと欧州辺りで勉強したい、と言っておられた。
謙虚な方であった。

学校側がまたまた宣伝を怠っていた為、演奏会には人があまり入らなかったが、
ユースオケ、ペルセフォネさんが鍛えた歌の生徒さんたちのソロ、私とペルセフォネさんの
デュエット(オペラ「ラクメ」の花のデュエット)、ペルセフォネさんのソロ(Do not
go, my loveと言う美しい曲)、と言う形で粛々と進み、最後には、大きな拍手を
貰って終わった。
この日は、Yの誕生日だったので、ホテル・オベロイにみんな移動して、美味しいご飯を
食べたのだった。

帰る日。
5月13日の朝の空(5時半過ぎ)。
もう1ヶ月も経つんだなあ。
インドは、そろそろ夏休みが終わる頃であろう。
少しは、涼しくなっただろうか。

オランダから音楽家をインドに連れて行って、演奏会もしたいと思っている。
次のワークショップは、2015年の初め辺りにしたい。(やはり気候の良い時期を
選ばないと、先生も生徒も大変だと思う。)
まだまだ終わらせないぞ!
このインドの音楽ワークショップにご質問、ご意見のある方は、下記に
ご連絡下さい。
musicworkshopnl2011@yahoo.com

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2013年06月11日

インドで音楽ワークショップ(5)

オランダの天気は、錯綜ちう。
昨日は、スカウトデイで、ワリビと言う遊園地に出かけたが、
最初は、冬のジャケットが要る位寒かったのに、昼過ぎには、お日様が
顔を出して、ジャケットが要らない天気になった。
か、と思うと、今日は又寒かったのだ。
今日は、合唱団の指揮者、ボーデワインが振れない日だったので、代理の
指揮者が来られたが、この人が又面白くって。オペラをよく知る人で、
ヴェルディのレクイエムを表情豊かに歌わせるのが上手かった。
久しぶりに気持ちよ~く合唱団で歌えたなあ。

今日は、ワークショップの番外編。
今回一番タイヘンだったのが、タクシー運転手との戦いと、夏の暑さだった。
タクシー運転手は、今はちゃあんとメーターを回して、常に料金表を車に
置いて、客が料金表(メーターに出た数字の横に料金が書いてある。)を
所望したら見せねばならない。
タクシーが客がなくて暇そうに流している時間は、「メーター回して。」と
言うと、ちゃんと回すのだが、混んでいる時間とか、タクシーの台数が
少なくなる時間は、平気でふっかけてくる。
そこをどう交わすかが、しまいにゃゲーム化していた。6勝4敗位だったかな?
最後の運転手さんは、勿論我々を空港に連れて行ってくれる運転手さんである。
スーツケースを入れて、タクシーに乗ると、神様の像に掛けてある花が
枯れている。
「新しい花買わなくちゃ、交通事故に遭うよ。」と言うと、「マダムの言う料金だと
お花が買えないもん。あと50ルピー払ってくれない?そしたら、お花を買うから。」
んー、ま、最後だし、いっか、と50ルピー上乗せに同意した。
暑さの所為か分からないが、私とハンスさんはお腹を壊した。私は、2日で治ったが
何故かハンスさんは、後半1週間苦しんだ。
後の2人は、最初から最後まで元気だった。

休みの日などは、ショッピングモールへ買い物にも行ったし、夕方の時間が
空いた時には、ビクトリアメモリアルに行ったりした。
何だかタージ・マハルに似てませんかね?後ろから撮ったビクトリア・メモリアル。

一日休みの時には、お寺巡りをした。
2つのお寺をボートを借りて、巡ってみた。
お寺の構内は、写真撮影を厳しく禁じているので、写真は撮れなかった。
ガンジス川を渡る途中の写真。
ロッテルダムのマース河よりまだ幅が広い感じ。

沐浴する人々。
あまりの平和さ、平凡さが何だか物凄く羨ましかった。今度は、こうやってガンジス川の
傍でガンジス川の水と共に素直に暮らせる人間として生まれ変わりたいと思った。

同じホステルに泊まっている気前の良いベンガル人のおじさんが、コンサートに
招待して下さった。
丁度、ラビンドラナート・タゴールの誕生日があり、それを記念してのタゴールソング
演奏会だった。
タゴールソング、悪くないけど、聴いているうちに子守唄に変わる歌なのである。
でも、ひょっとしたら、眠らないかもしれないし、コルカタの演奏用ホールも見て
おきたかったので、招待券を頂いた。
その日は、有名な女性歌手たちが6人も出るコンサート、と言う触れ込みだった。
いやあん、おばさんばっかり。なんか顔がコワイ…

最初は、座った時から、女声合唱団のタゴールソングに囲まれたのだった。
このコーラスは、フレッシュでなかなか良かったよ。
もっと歌って欲しかったな。

でも、メインは上記の女流歌手たちである。
舞台を撮ったが、携帯のカメラでは限度があり、あまり上手に撮れなかった。
派手な色遣いで、絶句。タゴール氏が見たら、びっくりするかもしれない。
音をスピーカーを使って、マックスにしてるので、このホールのアコのレベルは
わからなかった。
やっぱり寝てしまった。
25曲も歌うので長いコンサートだった。途中でガンガンの冷房に耐えられなくなり、
ホールを出た。

ホールの入り口には、芸事の女神、サラスワティの像があり、花のランゴリ(床飾り)が
あった。
ジャスミンの花も沢山あちこちに掛けてあり、その馥郁たる香りに陶然となる。
先に出てしまった事を仲間やおじさんに謝った。
やはり、カーディガンの一枚を持って出るべきだった。

インドの記念すべきコンサートにも行けたのは良かったと思う。
おじさんに感謝。
お宿のご飯を食べずにご飯を外で摂る事もあった。
中華料理がやっぱり美味しかったけど、味の素を結構使っているのがちょっと
ザンネンだったかな。
最後に、パークストリートにある、ホテル・オベロイでご飯を食べたが、
そこで頂いたベンガルの特別料理の魚(バナナの葉で魚の切り身をマスタードと共に
包んで、蒸した料理)が最高に美味しかった。
お宿のマイルドなインド料理は、それはそれでとても美味しかった。
インドでの食事には、みな結構満足していたので、ほっとした。

まだ1ヶ月しか経ってないのに、またぞろインドに行きたい病が顔を出す。
でも、夏休みはやはり日本に里帰り。
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2013年06月06日

インドで音楽ワークショップ(4)

今日も良い天気。風が吹いて少し涼しいけど、爽やかな日。
だけど、息子が間違って目覚ましをかけた所為で6時半起き。
ねむい…
インドでは、寝る時間が午後11時。5時半に起きて、洗濯して、6時から
宿の廊下で太極拳をやって、6時半に朝の紅茶を頂いていたのが夢の様。
(朝食は7時半だった。)
インドってやっぱりエキストラのエネルギーをくれる国なんだと思う。

今回カルカッタ音楽学校(Calcutta School of Music)に行ったお陰で
色々な情報が入ってきておもしろかった。
2011年に訪れた時も、今回もそうだが、何故かバイオリンの先生が
自分の楽器を持って、生徒にお手本を示すと言うのをしないのだ。
教える時には、生徒のバイオリンを取って、教えている。
それがフシギでしょうがなかったのだが、理由が判明。
この学校、基本的に先生が校内で演奏をするのがタブーなんである。
理由?競争になったらコマルから。だから、先生も自分の楽器を持ってこない。
最初に理由を聞いた時には、「はあ??」その後、笑いが止まんなくて困った。
まあ、部屋に依っては、隣の教室の音がよく聞こえる場合もあるけど、良い意味での
競争はあって良いと思う。よく分からないタブーである。インド人は嫉妬心が
激しいのかな?
この学校の他に、私立で2校、西洋クラシックを教えている学校が
あるのも判明した。
実は、最近カルカッタ音楽学校のレベルが落ちつつある、と言う噂もベンガル人の
友人から聞いたりした。
私立の学校が出来たのは、割と最近の出来事だそうである。
ふーん、なんだか面白い時期にきたな、と思った。
一つの学校しかなくて、そこが権威ぶって中で色々問題が起き始めると、分裂が
起きるのは、どの国でだって起こる事だと思う。

その一つの学校を経営する先生の出身学校に行ってみた。その先生自身は、
バイオリニストである。
カルカッタの郊外に、孤児や親に捨てられた男児が勉強する寄宿学校がある。
イギリス人の牧師たちが始めた学校だそうで、イギリスとも繋がりがある学校
なんだそうだ。
そこでは、小さな時から子供に音楽の教育を施す。この学校に子供がいるのは、
15,6歳までで、その後は独り立ちする。
つまり、小さい時から音楽学校で勉強しているようなものなのだ。
カルカッタ室内合奏団の殆どの音楽家は、ここの出身者であると聞かされた。
習う楽器も様々で、インドの伝統楽器もあれば、西洋の楽器もある。
ハンスさんは、自分の作曲した弦楽合奏の曲を持って行き、ここで少し教えた。
初見のレッスンを小さい時から受けるので、子供たちは、ハンスさんの曲を
さっと弾いたのだった。素晴らしい!

小さな子どもたちが勉強していた楽譜。この楽譜はスズキ式ではないが、
スズキ式の勉強も取り入れていると言う。

リコーダーを習う子どもたちもいる。タゴールソングをみんなで演奏披露してくれた。
みんなとっても真面目で良い子たちだった。1人だけ淋しそうな瞳をした子が少し
気になったんだけど…

もう一つの学校にも行った。
こちらは、荒削りだが良いピアニストが育っている。
先の楽しみな、西洋クラシック音楽専門の学校が2校あるのが分かってよかった。
もう一つ分かったのは、先生たち自身も教え方・弾き方なんかを勉強したいと思っている、
と言う事実だった。
その為には、西洋クラシック音楽が確立している欧州・アメリカへの短期留学が
出来たらと考えている先生も少なからずいる。
日本の音大で、こういう先生たちに教えてくれる学校ないかな?勿論、その先生が
英語を喋るとか誰か通訳が付くとかが必須になるんだけど。
このブログを見ている日本の音大の先生方、よろしく!

一つのこの私立校が、ヒドいピアノで練習を付けており、そこの先生は、新しいピアノを
手に入れる為に金策に奔走している。
私も少しは助けたくて、帰蘭してからあれこれやっている。
前にも書いたが、インドの西洋クラシック音楽界は、まだまだ黎明期にある。
沢山の助けが必要だと、今回益々思った事だった。
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2013年06月04日

インドで音楽ワークショップ(3)

前回のブログを書いてから、大分時間が経ってしまった。
5月の後半は、本当に寒くて、昨日の夜も合唱団の練習を終わって
外に出たら、空がまだ明るい夏の空なのに、気温はグンと低いのだった。
今年は、ちゃんと夏が来るんだろうか??

さて、再びインド音楽ワークショップの続きをば。
最初の1週間は、水曜日と木曜日にレッスンが出来ない、と言う不幸はあったものの、
ペルセフォネさんもハンスさんも頑張って生徒にレッスンを付けた。
ペルセフォネさんは、クラシックの歌手だが、ポップの生徒にも発声を細かく
教えて、殊に最初は声がすごく小さかった生徒もそれなりに声がきちんと出る様に
なった。ポップを歌っている生徒の中に、Mさんと言う声がとっても良い生徒が
いた。クラシックに転向したら、ツヤのある素晴らしいアルト歌手になれそうな声で
ある。でも、クラシックには、全く興味がない、と言うのがザンネンだった。

火曜日の朝、自分たちの練習が終わった時に、事務室から呼ばれて、練習部屋の
指定をされた。
ピアノだけを弾くYは、1階で、歌を歌う私とペルセフォネさんは2階。
そのうち一つの部屋のピアノは、全くオンチのピアノだった。何時調律したの?と
言う位めちゃくちゃオンチのピアノ。音楽学校だから、もう少しマシなピアノを
置けばいいのになあ、と思いつつも学校の事情もあるだろうし。しかし、
生徒が可哀想だな、と思った。
私がその部屋を貰い、アンドロイドにピアノを入れておいたので、それで音を
取りながら練習していた。

この土曜日に事件は起きた。
土曜日には、学内コンクールをするので、審査員になってくれ、と頼まれていた。
(楽器は、混ぜこぜのコンクールなんである。)
そのコンクールコンサートは、午後6時半から始まる。
その前に、ユース・オーケストラの指導をハンスさんがしていた。6時前に
ホールに行ってみると、Yとハンスさんが憮然とした顔で立っていた。
事情を訊いてみると、5時半に練習が終わる頃に、ガングリ先生がやってきて、
まるで犬でも追いやる様に、手を外側に振って、オケとハンスさんをホールから
出したと言うのだ。
Yもあまりの事に、咄嗟に利く言葉を失っていたようだ。
(これは、後で、学内での先生同士の軋轢が原因と理由が判明した。バイオリン科は
色々と問題があるようである。)
私もこの事件で、かなり怒りを感じていたので、コンクールの時には、この先生と
殆ど口をきかなかった。

コンクールは、年齢別に組んであった。
点数用の紙が配られた。1人に付き、曲の選択・演奏・全体と3つのカテゴリーで
10点満点で付ける様になっていた。
上手い子・下手な子、たくさんの子供たちが演奏したが、全体を見て言える事は、
音楽性が結構高い、と言う事である。惜しむらくは、その音楽性に反して、テクが
なさすぎ。(きちんと教えられる先生が少ないのだと思う。)
のだめちゃんじゃないけど、弾けない所は、すっ飛ばして弾いたりする子もいたりした。
他に2人の審査員がいて、演奏が終わった後は、別室で3人で協議となった。
不思議な事に、難しい曲を選びながら、ヒドイ演奏をした子に賞をあげようとしたり
する。「難しい曲を選んで弾けない、と言うのは、選曲ミスをしていた、と判断
するべきです。」と私が突っぱねた。何か既に根回しがあったのかい?と思うシーンも
あったりしたが、なんとか順位も決まり、表彰式で入賞者のメダルを掛けたり、
一言コメントを言ったりした。
日曜日は、ノン・クラシカルの西洋音楽学内コンクールだった。
これには、ペルセフォネさんが審査員を頼まれていた。
こちらの演奏会の方が、技術・音楽性の差がはっきりしていて、優劣は付け易かった
ろうと思う。
(写真は、ペルセフォネさんがメダルをあげるシーン)
ちなみに、このホールのヤマハグランドピアノは、カルカッタの日本領事館が数年前に
寄付したものである。
勝手に弾いてはいけないピアノにされていて、何時もは鍵が掛かっていた。
ギター科のアンサンブルが演奏された(人数は、6人)が、これはワールドレベルと言って
良い位上手だった。


もう、あれから1ヶ月。月日の経つのは早いものである。
まだまだまだお話は続く…
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2013年05月23日

インドで音楽ワークショップ(2)

今日も暖かくならなかったオランダ。外の気温は、12℃位だった。
来週から暖かくなると言う話だが、さて。
インドの話の続きをば。

4月27日と28日には、カルカッタ音楽学校の演奏会があり、
ハンスさんやペルセフォネさんが教えるであろう生徒さんや、
ハンスさんが指導をするジュニアオケ(弦楽器のみのオケである。
この学校には、管楽器の学科がない。) 、大人の演奏するカルカッタ室内
合奏団の演奏があった。生徒のレベルはピンキリである。
ジュニアオケは、悪いレベルではなかったので、ハンスさんも嬉しそうにしていた。
29日月曜日朝には、同僚のYさんも無事カルカッタに着いて、午後からは
もうワークショップが始まるので、学校に行った。

ペルセフォネさんと一緒にやっていく学校の先生は、P先生。
多分お年は、80近くの筈である。多分学校でも長老的存在の人だと思われる。
お顔がベンガル人のお顔ではないので、訊いてみるとデリー出身の先生だった。
生徒は、ほとんどがポップを歌う人たちであるが、一人だけテノール歌手を
目指している19歳の青年がいた。
「愛の妙薬」のあの有名なアリアを見てほしいと言っている。
P先生は、年の割には、PCに長じた人で、ポップやクラシックの伴奏をPCで
再現して、カラオケの様に生徒に歌わせていた。(ピアノで伴奏して貰う、と
言うのはなさそうだった。弾ける人があまりいないのだそうだ。)
クラシック歌手であり、教師であるペルセフォネさんには、ちょっときついかも
しれないと思ったが、彼女はニコやかに最初の生徒から教え始めた。

生徒に教えるペルセフォネさん。窓際の生徒がクラシックを習うR君。

ハンスさんの方が、気になるので、歌のレッスンが調子に乗ってきたところで
教室を抜けて、ハンスさんの方に行ってみた。
彼の方に付いていたYが私に寄ってきて、「ちょっとこれを見て!」と
見せてくれた紙が私を驚かせた。
この学校の先生がする普通のレッスンに、ハンスさんが入り込んで教える
形でプログラムが組んであったのだ。
これじゃあ、話が違う!
バイオリンの生徒のリストが、何だか妙なリストになっていたのは、こういう
事だったのである。
仕方がないので、ハンスさんは、1番目の生徒をその先生と一緒に教えていると
言う事だった。
おまけに5月1日はメーデーで休日だから、学校が開かず、木曜日は、
全面的にインド古典音楽のレッスン日になっているので、ワークショップは
出来ない、と言う事だった。
土曜日は、レッスン日だが、日曜日は、また休みである。
タルい学校なんである。やれやれ。

ペルセフォネさんもY(彼女はフルート奏者だが、ピアノも弾くので、
今回は伴奏者も兼ねていた。)も自分の練習がしたい、と言うので、
宿に練習スペースがあるか訊いてみたが、それは無かった。
学校の事務局に、「朝の時間に教室が空いているなら、使わせて貰えませんか?」と
聞くと、「全部詰まってます。」と言う答えだったが、ひょっとしたら
どこか空いているかもしれないから、と火曜日の朝に学校に行ってみた。
朝の9時半頃着いた。
学校の小遣いさんみたいな男性たちが4人程いるのだが、その人たちだけが来ていて、
学校の先生も事務の人も誰も来てなかった。
それぞれの教室の前に、どの先生のレッスンがあるかと言う時間割があるのだが、
朝の時間は何も入ってない。
「なあんだ、事務のおばさん、勘違いでもしてたのかね?」と3人の女達は、
部屋をとって、それぞれ練習を始めた。
誰かが来たら、勿論部屋を出る積りだったが、誰も来なかった。

練習が終わってから、一旦宿に引き上げて、暫くするとハンスさんから電話。
一番最初の生徒が朝11時に入っているのに、誰も来ないと言う。
西洋音楽主任のガングリ先生に電話すると、事務局のミトラ女史に訊いてくれ
との事だったので、ミトラ女史に電話すると、「ガングリ先生に訊いて。」
「いや、彼女に電話をしたら、あなたと話をしろと言う事だったのですよ。」
「私がガングリさんに連絡してみます。」とミトラ女史は電話を切った。
結局、1番目の生徒は、連絡無しのサボりだったらしい。
この連絡無しサボりは、結構頻発するらしく、生徒が来なくてボケッと
待っているギターの先生と話をしたりした。
「今時の生徒は、何も先生に対する尊敬の念がない。」と嘆いてらした。
(ボケッと教室で待っている先生は、その後他の教室でも見掛けた。)
Yが見た風景は、もっと面白かった。インド古典声楽の教室だったそうだが、
男の子がハルモニウム(声楽で使う鍵盤楽器)を弾きながら歌っているのに、
老女教師が、船を漕いでいたそうである。10分後にもう一度見たら(それぞれの
ドアに小窓が付いているので、中が見えるのである。)、女教師は、完全に
寝ていたそうである。
夏休み近くで、生徒も先生もダレ気味だったのか(学校の中は冷房でキンキンに
冷えているが。)、元々そういう風紀がある学校なのかは分からないが、ほんま、
タルいなあ、と言うのが第一印象だった。


いやー、一度行ってみるもんですね。色々な事が分かります!

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