武揚が新しい日本に描いた夢はどのようなものだったのか?
脱走の行程で、仙台藩・玉虫左太夫など列藩同盟の諸士たちとの意見交換を通じて、”蝦夷共和国”の構想が固まっていく。
当初、徳川藩の減封により食扶持を失くす家臣団の救済を目的としていたところから、新政府とは相いれない全ての人々ための民主制を目指した独立自治州の成立へ方向を定めていく。
西軍の錦旗に対し、榎本艦隊の旗印は葵から日章旗に変わった。
しかし、押し寄せる西軍の前に列藩同盟の雄・仙台藩の降伏、会津は陥落。
そして最終決戦の函館へと戦いの場は進んでいく。
戦況の観点から見ると武揚の分身ともいえる開陽丸が荒天により満身創痍となり最終的には江差沖で座礁し、沈没したのは榎本軍の最大の痛手だった。
残された艦隊で諸々事後策を採るが、武揚の国際法の知識を駆使して局外中立をなんとか維持させていた海外各国の対応も変化し、幕府が発注して未納入だったストーンウォール号 (甲鉄艦) は西軍に渡ってしまった。
宮古湾まで出張って、アボルダ―ジュ(接舷作戦、乗っ取り)の奇策も試みたが、これも失敗。
津軽海峡の制海権は失われ、補給ラインを確保した西軍は上陸体制を確保。
陸上戦へ。
外国との交渉で、ストーンウォール号の西軍譲渡は阻止できなかったものの、アメリカ函館領事ライスの武揚への友好的な態度はとても印象に残った。イギリス、フランスが新政府側に流れていくところライスは最後まで”蝦夷共和国”を支援しようとした。
「わたしどもは、自由と独立を求めて戦うひとびとには、無条件で共感を寄せてしまう国民です」
後日を期し武揚に亡命も薦めている。
もう一つ印象的なのが、戦争の終局を迎え、榎本軍側から何度も自然発生的に聞こえてくる”ラ・マルセイエーズ”の歌声だ。
フランス人義勇兵から教わった歌が兵士の間に広まり、彼ら一体感の気持ちを表す魂の表現のように使われている。
結局、この函館戦争の陸上戦も、榎本軍が弁天台場、千代ヶ岱と追い詰められ、最後の砦である五稜郭を明け渡すことで終結を迎える。
千代ヶ岱での中島三郎助、兄弟2人の親子3人の体を寄せ合い敵軍に対峙する姿は、目頭が熱くなった。
武揚が描いた夢は、この敗北により潰えた。
その後、彼は投獄されたが、罪は問われず、釈放されている。
人材として彼の国際感覚や近代技術の知識を明治政府が必要としたのが実態のようである。
世間には、「二君にまみえた裏切り者」という評価もあるが、彼の本質は権力から見た側にあるのではなく、
「日本の近代化」に忠誠を尽くすことにあった。
というのが佐々木さんの見方だ。
色々資料を調べて版を重ねていき、本版が「決定版」となっている いきさつがあることを、あとがきで知った。
佐々木さんの半生をかけて思いが詰まった作品であることは間違いない。
とても読み応えのある本でした。
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