「コリアン世界の、旅」であり、「コリアン、世界の旅」でない。
表紙カバーのタイトル文字の並びから誤解してしまった。
旅をするのはコリアンでなく、著者の野村さんであり、
彼のコリアン世界の真相をつかもうとする旅である。
「私はただ、すぐ隣にあるが見えなくされてきた世界に、足を踏み入れただけであった。」
足で稼いだ取材(日本、米、ベトナム)を中心に主題を掘り下げた良書。

戦後、日韓朝の関係が目に見えないところで相対的な関係を持ち続けていたのが良く分かる。
その前の「日帝36年」という暗い絶対的な関係も含めると、日本との関係は永続的で宿命的に思える。
そこから生まれてきた3者(or 2者?)の国民感情は、国籍と民族という点で単一民族国家の日本の特異性から端を発するところが大きい。在米コリアンにとっては理解しがたいもののようだ。
戦後、差別されてきた在日の人たちの一部には金日成の北朝鮮に幻想を抱き彼の地へ渡った人もいる。
在日の人たちにとって朝鮮国籍(総連系の同胞)か韓国国籍(民団系の同胞)の選択は自分の思想や信条に従う場合もあれば先祖の故郷の土地による場合もある。
いずれにしても政治的な北、南は関係なく祖国への思いは強い。

「恨の心を超える心」
「忍耐する自分を忍耐する」

この2つのキーワードが深層であり、真相であると感じた。

*恨は野村さんの解釈では、積もり積もった情念とそれをなんとか晴らしたいという切なる願い。
「うらみ」と曲解しやすいがそれはごく一部の原因であり、ポイントは後半の過程のような気がする。