むかしのことはあまりよく覚えていません。
幼稚園、小学校、中学校、高校と、記憶は断片的。
ここ20年ほどの記憶は時系列でよく覚えているのに。
実家へ帰り、昔撮影した写真、録音した音源など、劣化しないうちにデジタル化しようと模型製作の合間に頑張っています。
そんな中に、各駅停車「山陰」と書かれた120分テープが2本出てきました。
これはいつ録音したものなのかという記憶は「高校~社会人1年の間の夏である」というあいまいな記憶と、出雲市で昭和天皇が来て食べた蕎麦屋でそばを食べたこと、車内で年下の男の子とよく話していたこと、という断片的な記憶のみ。そこまでどうやって行ったのか、何が目的で出雲へ行ったのかすら思う出せませんでした。
ポジフィルムを整理していた時、それらしき写真が5点出てきました。写真はあれど、撮影した記憶はありません。いつ撮影したものなのかすら思い出せない。
島根県出雲市の日の入りは1982年8月21日で06:51:51 PM、23日で06:49:20 PM。次回編集する音声データに「会社帰りの女性」が乗車していることから平日と思われ、この出雲市での「山陰」の光の具合から日没後10分以内であることが推察できる。
1982年8月の時刻表からは「山陰」の発車時刻は19時23分。写真はこの5~10分前の時間帯になるだろうから、おそらく8月23日から数日の間であった可能性が高い。
DD51 1111号(米)撮影時刻は19時頃。後位にスハフ42-223(米イモ)
2両目はこのスハ43-315(米イモ)録音は恐らくこの車両の後ろから2つ目のボックスの進行方向左側(海側)でした記憶がうっすら浮かんできました。先の写真から、先頭車は青、次位はぶどうである事が見て取れます。
先日、当時旅行した時に必ずもらっていた切符がある事は覚えていたのですが、その中に「それらしき周遊券」が出てきました。「山口・秋芳洞周遊券」日付は57年8月21日、天王寺駅発行。途中下車の印鑑は「呉」。何を目的にして「呉」で降りたのかなんて覚えていませんし、なぜ「山口・秋芳洞」のミニ周遊券を使ったのかすら覚えていません。
そのうち整理が進むと、記憶につながる何かが見つけられればいいですが。
今まで不明だった各駅停車「山陰」に乗車した日付が8月21日から1週間以内であるという
ところまで絞ることができました。
山陰線は、伯備線の電化完了時にダイヤ改正しています。1982年7月と8月の時刻は違います。出雲の出発時刻は19:23分なので1982年8月であることは違いなく、周遊券の日付がそれを証明してくれました。DD51の1111号機の運用が解れば、かなりドンピシャな日付が解るんじゃないかなぁと思っていますが、そういう資料はどこにあるのか教えてください。
「あこうホームページ」というサイトに、1982年8月14日の827ㇾの編成表が記載されています。スハ43-315は同じですが、ハネは私の乗車した日はオハネフ12-4号ですが、サイトに掲載されている編成ではオハネフ12-14となっています。
そういったイロイロな情報をかき集めて、いままで曖昧だらけでYoutubeに公開していた音源データに少し情報を加えて再編集してみました。
「鉄道模型工房」というチャンネルを立ち上げました。「山陰」の音源もここで公開しています。このチャンネルは今まで静止画ばかりだった模型製作の情報を「動画」でも情報発信して行こうと考えました。鉄道模型製作の情報を発信できる場所になればと思っています。興味があればお聞きください。できればチャンネル登録もお願いします。