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2010年03月15日

遺骨収集 Part2

いよいよ今日から遺骨収集に向います。
今回から空援隊の遺骨収集はノンアルコールです。
私の人生で1週間も禁酒生活は初めてです。
それだけにまじめに遺骨収集を取り組もうという空援隊の意気込みです。

今回はジャングルに入るのではなく、軍艦や駆逐艦、輸送船が米国の戦闘機によって沈められて、命からがら泳いで近くの小さな島へ逃げ込んだ帝国海軍の水兵さんの遺骨を回収します。

だから、小さな島々をボートで回って、各島に無数に点在する洞窟にある水兵さんのものと思われる遺骨を収集してきました。

しかし非常に残念な事に、今回はそこの地域の村長が許可書を出してもらえなくて、今回もまた、ご遺骨を日本へ持ち帰る事が出来ませんでした。

全員、悔しさが込み上げて来ました。

結論から言うと、結局はすべてが高額なお金を許可書1枚にも求めてこられるので、日本の役所とは全く異なる文化とルールがそこにはあります。
はっきり言って裏金です。
空援隊の倉田さんは絶対に無駄なお金は払いません。
そこで結局は交渉になるんですが、厚生労働省の方々も参加されていましたが、こればかりは、日本政府の役人には絶対に出来ない交渉です。
以前にも書きましたが、日本政府のODAと遺骨との交換条件なんて有りえない話ですし、そこは絶対に譲ってはいけない部分です。
綺麗な海桟橋

01遺骨収集2

崖桟橋

こんな感じで、島には無数の洞穴があり、その中にご遺骨があります。
ただこの島には、川もなく、水をどうやって入手したのか?という疑問は残りました。対岸には川がある島には、ナパーム爆弾が随所へ投下されていて、65年たった今でもそこには木が生い茂ることができません。コールタールが含まれてして、土の上にそれが覆い被さり、65年経っても木が生えないと言うことでした。

これは米国の政治力でそんな話は抹殺されているんだそうです。
実際に対岸の島の山々は今でもハゲヤマでした。

その理由は米軍機が日本の船を沈めて、泳いで逃げる日本兵を発見し、その逃げ込んだ兵士を掃討する為に、島の上空からナパーム爆弾を投下したそうです。

それによって米国海軍だけで作戦が完結でき、米国陸軍に依頼して、わざわざ逃げ込んだ日本兵を掃討する為に上陸する手間が省けるということです。

非常に合理的なアメリカらしい作戦です。

だから対岸の島へは潜むことが出来なかった日本兵の方々はこの小さな島の自然洞窟に身を潜めるしか無かったんでしょう。

今までのジャングルには小銃や弾薬や手榴弾が沢山、遺骨と一緒に出てきましたが、彼らは武装していない水兵さんなので、遺骨だけというのも納得が行きます。

それにしても周りの風景は綺麗でした。


遺骨収集崖のぼり

各島の岩は花崗岩で出来ていて、ナイフのように切り立っています。
軍手を持ってこなかったんで、崖へ上る際にも、手を慎重に痛くない岩を選んで上らなければ行けません。

私はクロックスのサンダルで登っていたので、靴底に穴が開きそうでした。

健さんはスポンサーのニューバランスのナイスなさんサンダルとシューズの合いの子の靴を履いてました。次回からあれをGETします。

危険頭切り傷

ここの縦穴にもご遺骨がありました。

そのときです。「ドス〜ン」と大きな音がして、

下で山際先生が「健ちゃん、もう少しで死ぬところだったよ
100kg程もある鍾乳洞が頭上3メートル以上ある所から、健ちゃんの頭をかすめてリックサックにだけ当たって落ちてきたんだよ

もし健さんに当たってしたら、もうシャレになりません。本当に危険がすぐそこにありました。

私も知らない間に足や手が傷だらけでした。

空援隊スタッフが「もう時間が無いので、その辺で次へ移動しましょう。」
というんですが、その洞窟の下の土を手で掘ると、幾らでも骨が出てきます。
私も夢中で、手が切れても手で掘ってしまいました。
本当にスコップが欲しかったです。
骨の一片でも持ち帰りたいという気持ちが全員が一致した気持ちでした。

福岡から参加された久富さんも頭から血を流してしまい、健さんからマキロンを塗ってもらっているところです。

一番やばかったのは、私が崖に上っている時に踏み込んだ岩がグラッと動いて、下にいた倉田隊長に目がけて落ちてしまいました。
倉田さんのとっさの判断で太ももで、その大きな岩を避けて、足の上や頭の上には落ちませんでしたが、一歩間違えれば大惨事になっていました。

ここは決して観光地ではありません。そんなことは100も承知です。
みんなそれよりも何よりも1体でも多くの遺骨を日本へ帰したい一心で参加しているメンバーばかりです。
必死の手ジャンプ

ご遺骨崖の上から

渋い綺麗な海

島を捜索しては、次の島へ渡って行きました。
しかし、本当に波もなく、美しい景色が続きます。
トカゲトカゲ料理

地元ガイドが、生きたオオトカゲを捕まえて、ご馳走してくれました。
私は「殺生はだめですよ。止めましょうよ
と言っても誰も耳を傾けてくれません。

そうこうしている間に、そのオオトカゲは美味しい料理となってしまいました。

でも、信じられない程、メチャクチャ美味しくって全員で完食してしまいました。
旨い!!移動

バスビュー

バス?で移動して、また捜索です。
川渡り壕の中

川を渡って、また山へ登って行きました。
そこにもご遺骨が沢山ありました。
2人船

遺骨収集海祈り

ご遺骨景色

一旦、回収した遺骨をまとめて、対岸にある東屋のような小屋で、人数のカウントを行います。その作業はフィリピン国立博物館の客員のエルニーさんが人数のカウントを行います。
カウント頭蓋骨

大量の遺骨遺骨収集作業

海と桟橋ホテル

遺骨収集もその日は終えて、借り切ったパワーボートで(普通の船にエンジンが2つ付いただけの高速船)ホテルへ帰りました。


つづく

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コメント一覧

5. Posted by 野口剛   2010年03月16日 13:41
お疲れ様でした、やはり一部削除してありましね

でも私はそれが正解だと思います!

誰が見てるかわからないですから('◇')ゞ

新美さんは藤岡さんのブログを毎日チェックしているらしいですよ!
4. Posted by 鼓動館   2010年03月16日 10:36
よしさま

書き込み感謝します。
パラオでもそうですよね!私もダイバー暦20年ですが、沈潜や零戦なんてあれば、ただ単に沈潜かあ!と私も思っていました。ただ現場に入ると、沈潜の横腹には大きな爆破跡があり、これで何名の将兵の方々が亡くなり、何名が岸へ泳ぎ着いて、食料もなく、援軍を待ちわびて、祖国日本の家族を思い、亡くなっていからたかが身にしみる思いになりました。
だから現場へ行くことが出来た少数人数ですが、声を大きく知らない方々へ知らせる責任って感じて帰ってきました。これからも空援隊、野口健さんへの応援をよろしくお願いします。
3. Posted by 鼓動館   2010年03月16日 10:30
野口健さん

コメント書き込み感謝です。お腹は私も現在、ピーちゃん状態です。やっぱり何故か毎回フィリピンから帰ると体が少しだけおかしくなってしまいますねえ!
くれぐれも健さん、健康第一ですよ!

空援隊全員が、一生懸命行っている分、批判に対して、怒りも比例するのは当たり前ですが、健さんの他団体との融和作戦には感銘させられました。

あれだけ一緒にいても、まったくメッキの剥がれない健さんは深い意味で本物です!

これからも日本の為に頑張ってくださいね!
微力ですが、付いて行きますよ!!

でも、そんなに俺って関西人?
2. Posted by よし   2010年03月16日 09:27
お疲れ様でした。

様々な出来事があり大変だったようですね。落石による大惨事にならなくて本当に良かったです。写真を拝見する限りではご遺骨が多く眠るとは思えない位の場所ですね。

健さんのブログにコメントで書き込みましたが、パラオに旅行で行った際、零戦の水没地点を観光として訪れました。お恥ずかしいことに、その時には何も感じませんでした。今思うとパラオでも同じように多数のご遺骨が帰還されていないのであろうと思っています。観光地化してしまうのはいたしかたないのかもしれませんが、やはり知らないというのは悲しいことですね。パラオも写真と同じように平穏できれいな場所でした。
1. Posted by 野口健   2010年03月16日 01:03
どうも フィリピンお疲れ様でした。今回もそうでしたが、空援隊の活動はいちいち熱いですよね。帰国し少しだけほっとしたのか僕もお腹を壊しました。

でもね、フィリピン相手に日本人将兵のご遺骨を奪還するのに命を賭けることは構わないですが、後ろから弾が飛んできたと思ったらそれが日本からだったので悲しく情けなかったね。

日本同士でなにをやっているのかね。戦う相手は違うだろうに。国民が一致団結して取りくまなければならない時に足の引っ張り合い。キムヨナが金でまおちゃんが銀であったことが象徴していますが、今の日本に必要な事は団結です。

それはさておき、ダイエットまでしてよく参加してくれました。苛酷な現場で藤岡さんのもろ関西人キャラ丸出しは現場を明るくしてくれています。大切なことですよ。ではまたね。

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