恍惚の人(新潮文庫)
有吉 佐和子
新潮社
2014-03-07



1972年のベストセラー。
自分が小学生の時だけど、当時、「恍惚の人」が世間で話題となっていたことは何となく記憶にある。

「恍惚 (こうこつ)」を辞書で調べると、物事に心をうばわれて、うっとりするさま。また、(老人となって)ぼけていること、とある。
人の状態を表す言葉であるが、前者は原因が何か感動的な出来事による好ましい状況が考えられるのに対し、後者は好ましくない老化現象を指している。
ぼける(惚ける・呆ける・暈ける)、痴呆という言葉も、今では差別用語と捉えられ、認知症という言葉が一般的に使われている(2004年に厚生労働省によって改定された)。

しかし、その形容する元の事実(状況の)は一つであり、時代によって呼び方が変わっているだけだ。
大事なことは、人がどの時代であれ、「それ」をどう認識して捉え、「それ」にどう対応するかだ。
そこにその時代の人間の知恵が問われる、または現れるということだろう。

主人公の昭子は義父の耄碌が進行していく過程をほぼ一人で面倒を看ている。
血を分けた息子である夫も孫である息子もほとんど役に立たない。
痴呆、幻覚。徘徊、人格欠損、寝たきりと症状が厳しくなっていくなか、悪戦苦闘しながらも介護する姿勢がすごい。
物語の中で彼女の複雑な心境と心の動きは、人の持つヒューマニズムの原点を表しているかのようだ。
老化は誰でも迎える。自分の延長線上でもある、というのが彼女の原動力であり、使命感にもなっている。
理屈じゃない。
近所の同じような境遇の主婦との会話に彼女の人間性が出ていた。
「信仰っていうのかしら、宗教というのかしら、神さまに奉仕しているような気がすることがあります」

痴呆は病気なのか?
医者が直せる病気なのか?
当時は行政の分類上、精神病に入れられていたようである。
そんなとところも昭子の義憤を燃えさせた要因になっている。

超高齢化は50年の半世紀前からすでに問題視されていることがこの小説で既にじわじわ伝わってくる。
この間、人間の知恵は社会を良い方向に変えてきているのだろうか?
そんなことを考えさせられる小説だった。