近代国家の特質として揚げられるものは大体三つである。
いわゆる近代国家の三原則と呼ばれているものである。
即ち
第一が権力の一体性である。
第二が個人の自由権の保障である。
第三が権力の一体性と個人の自由権を結びつける代議制の確立である。
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- 2013/01/01(火) 13:12:35|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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近代国家は分裂的な多元的封建社会を解体し、民族を土台として国王を中心に統一的権力体を成り立てた国家体制である。
即ち一方では、世界帝国を打破し、他方では封建的割拠勢力と自由都市の分立を克服し、この帝国を中心とする民族的意識を基本として、近代の統一国家を成り立てたのである。
従って権力は悉くこの国家に統一せられ、国家は対外的にも対内的にも主権を有する独立体となり、即ち対外的には、中世の世界国家を克服して独立的な主権国家の成立となり、対内的にはいかなる形に於いても国中国を許さぬ統一国家となったのである。
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- 2013/01/02(水) 06:00:00|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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近代国家の権力的一体性は、中世又古代の統一性と大いに異なる。
中世のそれは分裂的多元国家の統一性であり、古代の統一性は都市国家の統一性であり又世界帝国としての統一性であって、近代国家の統一性は民族的基盤の上に立った統一性であるところに相違性が見られる。
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- 2013/01/03(木) 06:00:00|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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このように近代国家は民族意識を紐帯として権力の一体性を確立することが第一原則となっているが故に、如何なる形式であるにせよ国家内に国家の成立を許さないのである。
この意識からして戦後我が国に見られるイデオロギー中心の政党は、国中国的性格を帯び分裂的行動を正当化し、権力の一体性を拒む点に於いて、近代国家の原則に反するものといわねばならぬ。
茲に我が国は権力の一体性を確保する意味に於いてその前提となるべき国民共通の広場又は基盤とも言うべき理念、宗旨、国教を設定せねばならない。
つまり自由国家群に於ける国教キリスト教、中近東諸国に於けるマホメット教、東南アジア諸国の仏教、共産国家群におけるマルクス主義の如き民族に共通する概念である。
それは憲法の前提をなすものであり、憲法を規定する本源性のものであることを日本人は認識し且つ自覚せねばならない。
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- 2013/01/04(金) 14:09:31|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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権力の一体性を確立せずして近代国家とは云えない。
日本の与党の対立は、多元的、分裂的、封建国家の近代判であり、別名であるというべきであろう。
世界広しと雖もその例もなければ同類もない。
正しく不統一国家であり近代に於ける唯一の分裂国家と称すべき珍奇な国家である。
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- 2013/01/05(土) 09:43:10|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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近代国家はすべて憲法をもって主権の所在態様や行使の規範を規定しているが、憲法は同時に原則とて、個人の人権、自然権、基本権、自由権等の諸権利を規定している。
個人の権利として認められているものは、信仰、財産、生命、身体、職業、居住、移転、信書の自由と共に更に、参政権の自由及び言論、出版、集会、結社などの政治的自由が含まれている。
勿論訴訟の自由、請願の自由と権利なども同様に与えられ保障されている。
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- 2013/01/07(月) 11:22:32|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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凡そ憲法「成文法」をもって権利や義務を明記しているのは、人間が群生動物-社会的動物であると同時に利己的、我欲的動物であるから、社会内に諸種の分化や対立が生じ、相剋、闘争、混乱状態を惹起する可能性があるからである。
本質的に人格と魂をもって結ばれた共同体には、成文法の如きものは不必要である。
本来人間は法治主義よりは徳治主義を重んじ、無律よりは倫理道徳を尊ぶ傾向が強いものである。
近代国家が成文法を重んじ法治主義を誇り、法治国たることを進歩であるかの如く錯覚しているのは、それが本質的に共同体的基盤を失って利益社会的な基盤に立っているからである。
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- 2013/01/08(火) 11:50:05|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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中世から近世初期にかけて、教会と国家、宗教と政治、王侯貴族と国民大衆との激烈な対立抗争を通じて、初めて「人権宣言」の意義があるのであって、又同時に憲法制定も意味があるのである。
いわゆる個人の自由権即ち人権は、国権との調和均衡を保つための講和条件的性質を有するものである。
同時に創造発明の主体は個人であるという原理から凡ての人間の人格価値を認めなければならないというところに人権に対する概念の重さがあるのである。
これが近代国家の第二の特質であり原則である。
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- 2013/01/09(水) 10:02:31|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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代議制は代表であって代理ではない。
国民の代理者は国民意思を無視し否定することはできないが、代表者は代理と違って自己の自由意思で決定し実行することができるが故に、国民意思を越脱し離反することがあり得る。
その越脱離反の傾向を防ぐのが権力の一体性を原則とする代表制である。
この原則を無視して代議制は成り立たない。
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- 2013/01/10(木) 13:05:47|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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古代ギリシャの民主主義は、直接民主主義なるが故に代表ではなく代理であった。
現代の民主主義は代理制でなく代表制であるから、その基盤条件又は前提として権力の一体性の確立なくして成立しないというのが民主主義政治の原則である。
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- 2013/01/11(金) 13:53:04|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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古代ギリシャ国家や初期ローマ国家のようなポリスに於いてはすべての市民が直接国家権力に参与し、全市民が屋外の広場に集合して直接役人を選び、政策を決定し、法を定めるというように、国家思想の決定と行使に直接参与する所謂直接民主政治の形態をとったのである。
ギリシャでは、各ポリスの人口が一定数をこえて増大するときは、そのポリスは細胞の如く分裂して、新しい都市国家を創立したが、ローマはどこまでも都市を膨張せしめるという方式をとった。
従ってローマは都市人口が幾十万に殖え直接民主主義政治形態を保つことが不可能になり、已むを得ず市民権に差等が認められて、参政権のない市民ができるようになった。
やがてポリスの形態を棄てて完全な帝政とならざるを得なかったのである。
而して帝政の下では、自由市民の政治参与ということは最早許されなかった。
即ち古代では、ポリスに於ける直接民主政治か、国民参政の認められない帝政かの二つしか存在しなかったのである。
従って中世に至っては自由な国民参政は全く姿を消し、封建諸侯の専制政治のみが存在するだけであった。
唯僅かに自由都市に一種の民主政治が存在したが、しかしそれは古代に於ける自由な個々の市民でなく、むしろギルドやクラフトなどの組合であって古代のそれとは本質を異にするものであった。
この中世の都市から選ばれた受任者が、会議に参加するという形式は一見代議制のように考えられるが、これは僧侶貴族、市民から成る等族会議と同一のものであって、近世に見る代議制とは種を異にするものである。
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- 2013/01/12(土) 15:36:24|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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代議制の本質は代表の意義に於いて初めて理解することができる。
代表の本質は、代理と違って代表者自身が自由意思と独立的判断とに基いて一体意思の形成に参与し、代表者の参与によって成立した一体思想はそのまま団体員全体を拘束する意思として通用するところにある。
その点、代表と代理とは異なる。
代理者は独自の判断と自由意思によって行動するのではなく、あくまで委任者又は委託者の意思に拘束せられ、その指令に従い、委任せられた範囲の中で行動し、委託者の意思を越脱した場合は無効であり、又委託者の意思に反してこれに損害を及ぼした場合は賠償の責任を負わねばならない。
代理はあくまで委託者の意思を代理するものであって、その埓外に出ることは許されないものである。
これに反し代表は個別的意思を立場としながら、公共の一体的意思(主義やイデオロギー)に統合帰一し且つそれを表わすものである。
故に議員は選挙区の代理者ではなく、国民全体の代表者であり、国民の委託や委任に拘束されることなく、そこに代議制への不信の問題が生ずると同時に行詰りがおこってくるのである。
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- 2013/01/13(日) 06:00:00|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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要するに近代国家は、自由平等等の個々人を一体的な国家権力と結びつける代議制が一大特質であると見るべきである。
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- 2013/01/14(月) 13:42:24|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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近代国家の政治形態は、国民が先ず議会の議員を選び、議会に多数を占めたものが内閣を組織し、議会の信任を得て存立するという議院内閣もあれば、議院も大統領も国民が選び出して分立の形をとり、その任期の間は大統領は、議会の信任如何に拘らずその地位を保持し、従って又議会の解散ということもないところの大統領もある。
いわゆるこの代議制を欠く近代国家というものは殆どなく、独裁国家でさえ代議的要素を欠くということはないのである。
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- 2013/01/15(火) 15:09:54|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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代議制なるものは、自由平等を信条とする個々人を一体的な国家権力と結びつけるために存在するものであるが、運営途上に於いて内的矛盾を生じ、予期せざる方向に進み、本来果すべき使命を完全に見失うに至った。
その第一は、国民全体を代表する筈の議員が、代理でなく代表であるため、国民の委託や委任を離れて自己の判断で行動し、自己の思想意識を基本とするがために、自然に自己の属する政党を代表することになる。
従って、思想、主義、政策を異にする他党に対立相剋するのは必然である。
殊に共産党の如き階級闘争原理をもつ国際的基盤に立つ政党は、他党の存立を否定するのみか国家をも根底より覆さんとするに至るのである。
抑々議員は国民全体の代表となって国政に参与する筈であるにも拘らず、政党に支配拘束され、党利党略に走り、国民共通の中心を無視し、国中国をつくるという自己矛盾に陥るのは、代表制そのものの中に欠陥が内包されているからである。
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- 2013/01/16(水) 14:20:22|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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そして第二は代表者を選出する選挙の方法に大きな欠陥のあることが見出される。
従来まで行なわれて来た選挙は、直接立候補者に投票者を獲得させ投票数を管理させて来たため、買収、汚職、違反が不可避となり勝つためには金権万能主義に陥らざるを得なかった。
従って政党の腐敗堕落はもちろん政治の崩壊を来たし社会混乱を惹起するに至ったのである。
続 く
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- 2013/01/17(木) 15:48:28|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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第三は、国民共通基盤である広場(国教・キリスト教・マホメット教・マルクス主義等)もなく、権力の一体性をも認めない日本の政党は、恰も敵国の如く議会で対立しているため、与野党は議会の運営に全力を奪われ、国家国民を慮る余裕をもたない。
政党の政策はこれを実現するためでなく、自党の存在を知らしめる一つの看板にほかならない飾物になっている。
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- 2013/01/18(金) 13:30:49|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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この三つが事実上政党政治を瓦解せしめ、近代国家及び近代政治の存立を脅かしている。
代議制は政党政治と衝突し、議会政治を行詰らしめる要素をもっている。
これを排除せず、内部的矛盾を克服せずして近代国家及び近代政治を維持することはできない。
続 く
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- 2013/01/20(日) 16:07:35|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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この内部的矛盾からおこる代議制の根本的改革は、外面的形式的小手先の改革、即ち選挙法の改革ではなく代議制の改革にまでさかのぼらなければ解決するものではない。
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- 2013/01/21(月) 09:51:53|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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古代ギリシャの直接民主主義は、代表と代理をミックスしたようなものであった。
又中世の等族会議や結合会議に派遣せられた使節も、近代国際会議に派遣せられる使節も同じく、代表又は全権大使の名による代理であるにすぎない。
彼らはその派遣者の意思に拘束され、その指令や訓令に従って発言し行動するものである。
更に会議によって決定されたことも委託者の批准を経て初めて承認されるのである。
これも又前者同様代表と代理に折衷であるというべき性格のものである。
近代の初期に於いても尚議員が選挙区の「命令的委託」拘束され、又随時リコールせられたのは、未だ「権力の一体化」即ち一体的な国民共同体・国民共通の中心・基準・基盤・広場が明確に自覚されず、尚等族即ち藩族又は地方分権的(封建諸侯・大名)な代理の観念から脱却できなかったためである。
その後、中央集権制が確立され一体的、国家権力が確立されるに伴って、議員は選挙区の代理者ではなく、選挙民の意思に拘束せられることなく、全国民の代表者として、自己の思想・政策・主義主張・意思によって行動することができるようになった。
そこで初めて代理的立場から解放され、近代的意味の代表的代議制が成立するに至ったのである。
即ち代議制の成立条件は、権力の一体性を前提とするか否かにかかるものであって、国民共通の中心・基準・広場を無視して成立するものではない。
然るに日本に於ける代議制は、政党中心に国中国を形成するかの如き傾向を帯び、権力の一体性を無視し、且つ国民共通の中心広場を否定して、その圏外に立って行動しているのである。
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- 2013/01/22(火) 15:45:10|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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代議制の改革は、選挙方式を廃止して選出制を採用し国家試験をもって立候補を定め、その中から定数を選抜して決定する。
而も選出は完全公営とし、この制度を犯したものは終身代表に選出される資格を喪失するものとする。
又選挙権(選出権)も年令によって与えられるものでなく、政治に参与する国家試験(立候補資格試験)を受け、その資格を取得するものに改めなければならない。
と同時に、立候補者を選挙する従来の方式を、国民組織がこれを選抜し選出する方式に改めなければならない。
この方式の実現には、全有権者を教育し訓練すると共に、代表者に価する代表者を選抜選出するには先ず全国民(有権者)を皆組織せねばならない。
続 く
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- 2013/01/23(水) 13:54:45|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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国民を特別な政治指導訓練せずに、一定年齢を基準にそれに達した者に一列平等に選挙権を与えることは、近代啓蒙思想の齎した方式であるが、これは実に無責任というよりは無謀であるというべきである。
国家又は政府は国民の一人一人を政治的知識と教養と責任のあるものに指導教育する任務を負わねばならない。
なぜなら、専制政治の場合は、政治権力を行使する者が公正で良識のある指導者であれば、国民大衆は格別高い教養・知識・道徳的責任がなくとも運営せられるが、民主主義の場合は、国民が参政権をもって政治に参与するものであるから、心して訓練・教育・指導せねば、衆愚政治に堕する惧れがある。
民主政治は民主主義の原則を身につけたものでなければ、民主政治の機能を発揮することができない。
民主主義の理念は人間性を信頼するということである。
人間が互に人格を尊重し合う精神をもつことであり、互に信頼に価する人格を養うことである。
そこで初めて個人の自由権が保障され、言論・結社・集会・出版などの政治的自由が認められ、政治参政権が許されるのである。
それに価する国民になるには、国民相互が人格の尊厳と人間の基本的人権の意義を自覚し、人格教養を深め、政治・社会問題を理解し、それを正しく判断し、その判断を自由に表明する知識と教養を身につけ、責任と義務とをもった教養の高い国でなければ、専制主義国家よりもはるかに劣悪な社会現象を生ずることになる。
道義心の低い無責任な者に政治的自由を与えたら、参政権も政治的行為も全くその意味を失うことになり、大変な政治的混乱をおこすことになる。
民主主義の理念ともいうべき人間性の信頼と人格の尊重は、余程高い教養と道徳と知識を身につけた者で、而も責任感と義務感とを結び合わせた国民でなければ実現し得るものではない。
要するに民主主義は国民一人一人の自覚と教養と人格が直ちに政治の優劣となって現れることになるのであるからこの点に関して国家も国民も心して意を払い努力せねばならないと考える。
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- 2013/01/24(木) 15:00:36|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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今日進歩主義文化や左翼主義者共が必要以上に民主主義を濫用しているが、彼等が考える程民主主義は易しいものではない。
平和を弄び民主主義を安売り投売りして、それで平和が実現でき、民主主義が実現できるものであるならば、民主主義の父と仰がれているジャンジャック・ルソーが「民主主義の理想を完全におこなえる社会は、ただ神のみから成っている社会であろう。」といい、政治学者ケルゼンが「民主主義は英雄のみならず、専門官史も指導者も教育者をも否定せざるを得ない。」といい、カーライルも又「悪魔の子等にも自由を認め、犬や馬にも参政権を認めなばならぬ。」と歎くはずはない。
続 く
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- 2013/01/27(日) 09:09:53|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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戦後の日本民主主義はその典型ともいうべきもので、民主主義の原則や理念を歪曲した完全な逸脱者であり、最低の衆愚政治であることは、世の信頼を裏切り、他人の人格を侮蔑し、社会規律や秩序を破壊する春秋二度の定期ストや国会に於ける与野党の紛争を見てもわかる如く劣悪な民主主義である。
続 く
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- 2013/01/27(日) 09:22:45|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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真の民主政治を実現するには徹底した国民教育を実施せねばならない。
尠くとも共産中国が国民教育を行っているような学習学究を採用し、土曜日は国民政治教育の日とし、日曜日は宗教・倫理・道徳の日として精神訓練に励まなければならない。
続 く
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- 2013/01/27(日) 09:30:09|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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民主主義の原則や理念は教育し訓練して初めて実現できるものであって、人は生れながらにして自由平等であるとか、国家社会の運営は契約と多数決で成立するものであるとかいうセンチメンタリズムは、甚だ耳触りもよく、又人間性の信頼や人格尊重は実に美しくて麗しいものであるが、軽率にもそれに誘惑され本性を見失い、神と悪魔を同居せしめている人間を一列平等に取扱うことは破滅を招くことになる。
人間は不完全にして未完成且つ不合理のものである。
而も人間と人間の差は、人間と猿の差よりも甚しい場合が多い。
複雑多岐な人間世界に於いて、何等の条件も定めずに、自由平等、信頼、人格尊重等を期待するのは全く危険である。
続 く
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- 2013/01/27(日) 09:39:42|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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教育され訓練された人間を、市町村、町内会、隣組を組織し、その国民皆組織化せられた中から国民代表として議員候補者を選抜し、更に厳選の試験(代表者候補者の相互競争)を経て定数を選出(投票)する方式に改める。
つまり代議制の主体を代表を選出する国民大衆におき、代表者はその客体として選抜され選出せられるという在り方に変えなければ、従来の選挙の欠陥を改めることができないばかりでなく、小手先の小選挙区制であるとか、外面的選挙制度の改正を弄んで百年河清を待つの愚を繰返すことになる。
要は国民を教育し訓練して自覚と責任を有せしめ強大なる国民組織をつくることにある。
この点ソ連や中共の党治政治を参考にすべきである。
政党政治の欠陥を是正するものはこの党治政治であるからこれに見習わなければ改革することはできない。
もちろん党治政治が政党政治よりも優れているというのではない。
党治政治の欠陥は政党政治に学ばねばならないことはもとよりいうまでもない。
党治主義を建前とする共産主義国家はやはり代議制をとり議会政治を行っているが政党政治と違うところは政党政治の欠陥である人民代表の擬制的要素を排除するため直接党が権力を握り、人民を指導し支配する方法をとっていることである。
政党政治と党治政治とは一長一短あって一概にその是非を論断することはできないが、しかし、民意を最も正しく政治に反映させるには、積極的に日常活動を通じて国民を指導教育し、その国民を組織化して民度を高め強力なる構成体に仕上げることに求められると思う。
それには共産国家が採っている党治主義の日常活動に学ばねばならない。
続 く
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- 2013/01/28(月) 20:58:25|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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政党政治が腐敗堕落し金権主義に堕し、買収汚職と深縁関係にあるのは、日常活動なく、国民の指導教育なく、国民組織なく、唯々選挙の期間のみ八方美人式政見発表と票釣の餌ともいうべき公約を振出すからである。
又選挙の完全公営国営に踏みきれず、権力にあぐらをかく小選挙区制などは自ら墓穴(共産革命誘引)を掘るの敗北主義といわざるを得ない。
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- 2013/01/29(火) 09:35:27|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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我々のいう党治主義は一党独裁専制主義ではなくて、各党が日常活動を通じて国民教育と国民組織をつくることに競争し、有権者を一人残らず組織化するという、自由を原則とした党治主義をいうのであって共産党の党治主義そのものを云っているのではない。
続 く
テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済
- 2013/01/30(水) 09:18:22|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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政党政治と党治政治の違いは、前者は選挙重点主義であるに対し、後者は日常活動をもって国民を教育し国民組織をつくりあげ、選挙を超越して選抜選出するところにある。
これまで政党政治時代に主張されて来た公明選挙がここで初めて実現を見ると同時に、金権主義、汚職、買収は根絶することになるのである。
続 く
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- 2013/01/30(水) 11:13:21|
- 遺言状(救國法典) 戸松慶議著
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