父は囲炉のそばにわたくしをよんで云った。
「わしはあんた達を駅まで送ってやりたい。だが汽車が出る時、きっと泣きたくなるだろう。汽車の別れはせつないものだから、わしは家で送る。汽車が東能代を出て山にさしかかる頃、わしは庭に出てその方向に向って手をふることにする。」
ほんとうに父は、玄関までしか送ってくれなかった。力なく立ったまま、泣きたいような顔に無理に笑みを浮かべていた。
やがて、大勢の人に見送られて、わたくし達は東能代の駅に発った。母と妹がいつまでもいつまでも手をあげて立っているのが見えた。
その姿も見えなくなって、汽車が山の間に入った時、わたくしはこちらを向いて手をふっているであろう父の姿を思い描いた。
※父の病気は慢性の胃腸病であった。日露戦争の時八師団の兵隊は外套がなくて、零下三〇余度の満州においても与えられなかった。この寒さが父の一生の持病となったのである。
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- 2014/01/05(日) 19:21:34|
- 永遠の道 戸松登志子著
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帰京、里帰り
初夏の田園
冬の名残りの感ぜられる陰気な東北の春を後にして、一夜明けると、汽車は別世界のように明るい関東平野に出て来る。高崎あたりを過ぎる頃から平野はのびやかに広がって、人の心もその空間にしたがって解放されてゆく。
東の空はすっかりあけ渡り、朝日は平野一面にその新鮮な光りをなげかけ、十分な休息をとった総ての生物が、いきいきと活動を開始しようとしている。しっとりと露にぬれて小波をたててさやめく黄褐色の麦畑、整然と並んだキャベツ畑、葉のしげりあったジャガイモ畑、はるかにひろがる黄と緑の交錯する田園の中に、点々と木立がむらがって見える。長い年月、風雨にたえてきたであろうこれらの老木の間から、素朴ではあるが落着いた風格をもった家々のかまえがのぞき、旅人の心をひきつける。
窓に流れこむ大気のさわやかさ、関東平野はもうすっかり初夏であった。
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- 2014/01/06(月) 20:57:54|
- 永遠の道 戸松登志子著
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動と静との同在するこの生命力にみちた広大な田園は、昨日まで世の因襲のとりことなっていた若い心に、平和と希望をあたえつつあった。見合、結婚、新婚旅行、帰郷、この二十日ばかりの間に、私達の生活は次々と変化してきた。その上世馴れた大人達の真只中に、急に一人前の人間としてひっぱり出され、四方から眺められて、満弦のごとくはりつめていた心が、今ぱっとゆるめられたような感じである。
そこには、誰にも支配されない自分の心があった。そして眼に入る自然の風物は、自分の心と同調のものである。自然が心を支配するのか、それとも心が自然をつかむのか。何れであるにしても人間社会に対しているよりは、ずっと純粋で快いものであった。
こうした気分に、いつまでもいつまでもひたっていたかった。ところが熊谷にさしかかる頃、これものんびり窓外に眼をあそばせていた戸松が、
「さあ、洗面でもしてこようか。今朝は安部先生のところへ行くことになっているからね、三、四日お世話になるだろう」
といって立上り、洗面所の方に行ってしまった。
安部先生のお宅に?……東京につけばまず実家にかえって旅装をとき、ゆっくり一休み出来ると思っていたわたくしは、すっかりあてが外れてしまった。これは大変なことになった。神のように仰いでいる先生の生活の中に、たとえ三、四日でも割りこむことは、光栄とか感激とかを通りこして、重圧に等しい重荷であった。
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- 2014/01/08(水) 20:12:26|
- 永遠の道 戸松登志子著
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この偉大な先輩の前に、一対の夫婦として長時間行動するには、二人の心はまだ接近していなかったのだ。戸松が誠実をもっていてくれることはわかっていたが、彼がなにを私にもとめ、なにをよろこび、なにをきらっているのか、さっぱりわかっていなかった。今までの生活の中で、わたくし達の心は常におにごっこでもしているようであった。わたくしが真剣に彼の心を求めている時、彼はあたかも、高いところに登って大空に理想を描いているかのようであり、彼がはっと気づいてわたくしを求めて探す時、わたくしは庭のしげみの中で、一人すねて感傷にふけってでもいるかのように、よそよそしかった。
兄弟や同僚に対しては、自由に意見を交わすことの出来るわたくしであったが、どういうものか、この夫に対しては思うことが殆ど話せなかった。
どうも、彼とわたくしの心は、いつも違った次元にあったようだ。わたくしは彼がやさしく手をさしのべて、いたわりつつ導いてくれる生活を望んでいた。実際そうしてもらわなければ、全く見当もつかない程異性の取扱いを知らなかったのだ。過去の生活の中にあった男性は、単なる種類を異にする人間であるにすぎなかった。夫に対する時、わたくしの心は、今まで経験したことのない陰影を宿すようになっていた。
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- 2014/01/09(木) 20:19:18|
- 永遠の道 戸松登志子著
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夫が冷たい表情で語る時は、ぽんとつき放されたような侘しさで、心が縮んでいくような気がした。又にこにこと話しかけられる時は、手にとりすがっていきたいような喜びを感じた。更にもう一つ、不思議な感情があった。ゆきずりに、ふと眼をひくような美しい女性に会った時、自分すら感嘆なまなざしを送っておきながら、夫の眼がそれにそそがれる時、彼の心までその女性にうつっていくように淋しかったことである。これは今まで、心の中のどこかにかくされていた種子が、いきなり萠え出したのではないかと思われるほどで、我ながら驚くような新しい発見であった。
しかし、わたくしはその何れの感情も態度にあらわさなかった。わたくしのいたいたしい誇りがそれをひっしになって押えていた。
なぜなら……わたくしはまだ彼の心を、しっかりつかんではいなかったのだ。彼が愛情をもっていてくれるのかどうか、それははっきりわからないことであった。
結婚生活における夫婦の具体性は、わたくしにとっては何ら愛情の実証にはならない。それは夫婦となった以上、定められた世の中の掟のようなものだと考えていた。相手の心の総てを握らないかぎり、行動の積極性はとうてい起きてきそうにもなかった。わたくしはもじもじと控えぎみで、彼との間には何時も一定のへだたりがあった。
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- 2014/01/10(金) 20:41:30|
- 永遠の道 戸松登志子著
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それに対して彼は、夫婦という決定的な立場に立って考え、行動していたようである。二言三言わたくしに相談しかけるが、わたくしが心の中にためらっている中に、もう肯定されたものとして行動に移していた。
そのすばやい決断力と行動力は、複雑な女性の心の動きなど、のんびり待っているような種類のものではなかった。彼の頭の回転と決断に、ついて行ける女性があるとしたら、お眼にかかりたいものだと、わたくしは今でも思っている。彼の判断はその時々の状態によって変っていく。昨日こうであったからと思って、今日もそれを適用しようとすれば、彼の考えはすでに前進していた。
わたくしは内攻的に自分の思考の中でうろうろしていて、彼と歩調をあわせることの出来ない自分を悲しいと思った。彼はときどき、わたくしの態度をふしんがって、
「どうした?」
ときくこともあったが、わたくしには自分の気持をうったえる事が出来なかった。
このままの状態で、安部先生御夫妻の生活に立交わることは不安であった。先輩に対する遠慮から、かえって二人の間は冷却していくのではあるまいかという疑いがあったからである。
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- 2014/01/11(土) 20:27:31|
- 永遠の道 戸松登志子著
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朝の団欒
江戸川アパートについたのは八時頃であったろうか。
先生も、こまを夫人も、うれしそうに玄関に出てきて、我が子を迎えるような親しみを示して下さった。
「まあまあ、疲れたでしょう。荷物はここにおいてね、それからお食事はまだでしょう?」
夫人はいそいそと食膳をととのえて下さった。その頃先生のお宅には、走り使いをしている親類とかの老人がいたが、食事や接待は一切、腰の曲った老夫人の手によってなされていた。わたくし達は、秋田の母が心配してもたせてくれた弁当を開き、夫人の手製の味噌汁をすすりながらそれを食べた。夫人の手料理をいただいたのはこの時がはじめてである。
赤味噌仕立の汁の中に、小さくさいの目に切った豆腐がぱらっと浮び、みぢんに切った葱が之も香りをそえる程度にうかべてあった。それは、味噌汁のあまり好きでなかった私の舌に、なぜかぴったり合った味で、夫人を思い出す時必ずついて浮んでくるものの一つである。多分味噌の味を上手に生かしうる人だけに出しうる、味わいであったのかも知れない。七十をいくつか越した長い生涯の大半を、家庭夫人として立派すぎる程に生きぬいてきた夫人である。若い女から見る時、何もかも及びもつかない程すぐれているように見えた。
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- 2014/01/12(日) 20:28:36|
- 永遠の道 戸松登志子著
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食後はテーブルをはさんで、お茶とお菓子をいただきながら、秋田の話がはずんだ。御夫妻ともまるで自分の郷里の話でもきくように楽しそうである。このように和気あいあいと語りあっていると、相手が大人物であることなどすっかりわすれてしまって、親しみやすい老人に思えて来る。
「わたくし、秋田にいる間に袷を一枚ぬってきました」
なにかしゃべらずにはいられないような雰囲気につられて、わたくしもあったことを全部報告したかった。すると夫人は眼をみはって、
「お母さんが材料をちゃんと用意していらっしゃったんですか」
とおどろいたようにきいた。嫁のお手並拝見とばかり、早速テストしたものと思ったのかも知れない。戸松もそれを感づいたのか、笑いながらいった。
「いや、それはわたしが上海から持って帰った生地で、着物をつくってくれるように母にいったんですよ。それを母がこの人に頼んだのでしてね」
「ああ、そうですの、お母さんはやっぱり女だから、そういう事を心配していらっしゃったんだろうと思いましたよ」
夫人も笑った。
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- 2014/01/14(火) 13:23:43|
- 永遠の道 戸松登志子著
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わたくしも無性におかしくなってきた。わたくしの母なら、それをやるだろうと思ったからである。縫物はどの位出来るか、料理はどの位出来るか、茶は、花はと、自分の眼で納得のゆく迄テストして見るであろう。そこまで見定めるのが、母親の義務だと思っている人である。
しかし、戸松の母はおよそ違ったタイプの人であった。母は中年過ぎてから視力を弱め、細かい針仕事は出来なくなっていた。そこでこの着物を誰にたのもうかと話しているのを、わたくしが引受けたのである。その時も母は、
「たった三、四日しかおらない人に、縫物までさせたら、悪いだろう」
といって、ずい分ためらっていたものである。
今までわたくしどもの話のやりとりを、黙ってきいていた先生が、
「しかし、それは丁度よかったですね。登志子さんの腕前を見せることが出来たんですからね」
と、面白そうにいって笑われた。こんな時、先生のゆたかな頬は少年のように無邪気であった。
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- 2014/01/16(木) 20:41:12|
- 永遠の道 戸松登志子著
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「三日位で袷を一枚ぬえれば、まあ上等ですよ。お母さんも、やっぱり安心なさったでしょうよ。それは本当にいい機会でしたね」
自分の世話した嫁が一点でもみとめられるということは、仲人としてやっぱりよろこびであるに違いない。これは達人も小人も共通の感情である。
「お早うございます」
この時、玄関に元気のいい声がひびいた。こちらから何の答えもない中に、声の主はもう襖をあけてそこに立っていた。
「あらっ、お帰りなさい」
「やあ」
戸松もざぶとんを外して挨拶をした。
「登志子さん、末の娘の夏子です」
「おつかれになったでしょう」
夏子夫人(丸山千里博士夫人)の声は、家中にひびきわたるように張りがある。これは声楽を学んだ人の音声だと思った。
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- 2014/01/18(土) 09:33:51|
- 永遠の道 戸松登志子著
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わたくしはふと、壁にかけられた夫人の若き日の写真と思い比べた。その写真は、さっき奥の間で食事をする時、興味ふかく見たばかりのものである。なんとなくキューリー夫人の面影に似ていて、大きな眼が理智的にかがやき、内面的な美をたたえた表情であった。
夏子夫人の顔は、母親ゆずりであったが、その印象はより個性的で、積極的なものである。その眼は声のように大きく、いきいきと力づよく輝いていた。その頃パーマネントの流行期で、殆どの女性が電気で頭髪を波うたせていた。くせのない真直な髪の毛が、いかにも田舎くさく思われる時代であったが、この若夫人は、ゆたかな黒髪をきりっとひっつめて、こぶし程のまげを後につけていた。白粉のあともない素顔のひふは、つやつやと光ってかえって美しい。いかにも安部先生の娘らしい人である。
夏子夫人と一緒に来たかわいらしい坊やが、盛んに活動をはじめ、先生も戸松もすっかりこれに気をとられて、幼い子供の動きを楽しんでいる。まるまると太って、これも母親似であろうか、ぱっちりとした眼の利口そうな子供である。たしか二歳だったろうと思う。
戸松は子供がすきだと見えて、
「しげちゃん、しげちゃん」
と、しきりに手まねいていた。
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- 2014/01/19(日) 18:48:36|
- 永遠の道 戸松登志子著
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しげちゃんは、自分にあたえられた菓子皿をたちまち空にしてしまった。そしてしきりにまわりを見廻していたかと思ったら、ツツツーと先生の側によってきて、いきなり片手を先生の菓子皿にさしのべた。
わたくし達は、その無邪気な動作に思わず笑い声をたてた。が、先生はさっと、菓子皿の上に自分の手を覆って、
「これは、おじいちゃんのです。しげちゃんのではありません」
と、重々しくさとすように云われた。
子供は別に泣きさけぶわけでもなく、あきらめたような顔で次のいたずらに移っていった。
孫に対する老人の、冷たくさえ感じられるこのような態度は、わたくしにはかつて見たこともないものであった。殆どの老人は、孫にだらしない位甘いか、でなかったら、孫が親しんで近よれないほど面倒くさがりであるかのどちらかであった。
しげちゃんは先生の肩につかまったり、手をにぎったり、この老人の愛情を独占しているかのように見えながら皿の菓子だけは自由にならなかった。
わたくしは、ここに先生の徹底した純粋な個人主義を見た。
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- 2014/01/22(水) 09:23:49|
- 永遠の道 戸松登志子著
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「なるほど……」わたくしは心深くうなづいた。そしてこの事を思い出す度に、なるほど、なるほどと、うなづきつづけてきたのである。
すぐれた個人主義理論を、どのように巧みに説ききかされるよりも、その時のなに気ない動きと雰囲気を思い出すことの方が、ずっと明確ですばらしい。
みちみちた慈愛の中にある、おかすことの出来ない尊厳なもの、その尊厳な一面は、子であろうと孫であろうと、自由にならないものなのである。一皿の菓子、それは僅かな物質ではあるが、心ない子供を躾けてゆくには、もっとも手っとり早い材料であった。自分のものを平らげて、人のものまでおかそうとする孫に、先生は愛情をのりこえて、人間の基本を示されたのである。ならい性となる~という言葉があるが、子供の教育というものは、このように生活習慣の中で立派な性格をきずいて行くものなのかもしれない。
とにかく先生の個人主義は、誰からもおかされないし、自分も絶対に人をおかさないといったもので、道徳的な精神の上に立っていた。権利ばかりを主張して、お互いにおかしあっている一般社会の個人主義は、正しい意味の個人主義ではなくて、利己主義なのである。
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- 2014/01/24(金) 08:55:45|
- 永遠の道 戸松登志子著
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つくろい
その中に、紅茶とパンの軽い昼食をいただき、戸松は鎌倉まで行ってくるといって出かけてしまった。
「今日一日ぐらい、ゆっくりしなさい」
と、夫人がしきりに止めたのであるが、秋田から持ってきた紅白の餅を、早く先輩のところに配らねばならなかった。
彼が出てしまうと、機械のねじがゆるんだように、家の中の空気がばらばらになって、先生はベットに横になり、夏子夫人はしげちゃんのお昼寝時間だといって帰ってしまった。
わたくしは、夫人に手伝って座敷を片づけたり食器の後始末をしたりした。
一通り方づいたところで、夫人とわたくしは茶の間のテーブルをはさんで坐った。六畳の部屋に大きなタンスや茶ダンスがきっしり並べられ、ここだけには長い生活の歴史が、積重ねられているような感じである。
いつの間に用意されていたのか、テーブルの横に針箱と二三足の靴下がおいてあった。夫人は靴下をとりあげるとわたくしのそばにすりよってきて、
「これね、戸松さんが秋田に帰られる時、よごれた靴下をわたしが取り上げて洗っておいたんですよ。この穴ね、あなたつくろってあげて下さいな」といって、踵のあたりをぐっとひろげて見せた。なるほど一センチ位の小さな穴があいていた。わたくしは早速針箱をひきよせ、針をとりあげた。当布には古靴下が出された。
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- 2014/01/25(土) 09:17:49|
- 永遠の道 戸松登志子著
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夫人はわたくしの手先をじっと見ながら、
「戸松さんはきちんとした人でしてね、年とったわたしでさえ、時々はっとすることがたくさんあるんですよ。家に泊られた時には、洗濯物ぐらいしてあげたいと思うのですがぜったいに出してくれません。全部自分で洗ってねえ、しかもその洗った後が、女のした後よりずっときちんとしているんですよ。この靴下もこっそりわたしがとっておいたの」
鼻のまわりに皺をよせて、背中を一層まるめるようにして、いたずらそうな顔で笑った。それはぬけ目のない戸松をだしぬいたことが、おかしくてたまらないといった風であった。
「きちんとしたことの好きな人だということ、あなた、もう気がついていらっしゃるでしょう?」
「そう云われれば、そうかも知れませんわ」
わたくしの返事は、いたって頼りない。
「なんだか学校の先生と結婚したような気がしてあの方から命令かけられないと、わたくし何一つ動けませんの」
わたくしは遠まわしな表現で自分の気持をうちあけた。
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- 2014/01/27(月) 14:36:32|
- 永遠の道 戸松登志子著
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「だんだん馴れてきますよ。初めはみんなそうなんですよ。戸松さんはいい人ですからね、それだけ信じていらっしゃれば、後は月日がたつにしたがっていい所がわかってきますよ」
なにもかも見透かしているかのように、夫人は自信ありげに話った。
話している中に穴はすっかりふさがれて、わたくしは結び止めをして糸を切った。
「どれ、一寸拝見」
夫人は手をさしのべて靴下をとりあげると、両手で布を軽くひっぱって、かがられた穴のあとを見た。そしてその眼をわたくしの顔に移し、真面目な表情でいった。
「登志子さん、つくろいがこれだけお出来になれば立派なものよ。こういう物はねえ、このようにまつり縫いにするのが一番いいわね。新しいものは誰でもおけいこしますけれどね、大切なことはつくろいの仕方ですよ。それが出来ないと、家庭のしまりがないですからね。つくろい物が上手に出来れば、わたくしはまあいいと思いますよ」
こまを夫人もどうやら、実家の母と共通点があるようだ、家庭をあずかる主婦が何処に重点をおくべきか、その点をこまを夫人もわたくしの母も、同じ考えに立っているらしい。夫をして社会的に活躍させるためには、妻は家庭で細心の注意を払わねばならないというのが、これらの婦人の持論のようである。
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- 2014/01/29(水) 11:16:56|
- 永遠の道 戸松登志子著
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「わたしはなんにも出来ませんが、家庭大学だけはどうやら卒業しましたからね」
と夫人は冗談をいっていた。実際これ程愛情をもって家庭をまもり、真剣に生活を組立てる妻がいたら、夫も存分に男子としての才腕をふるうことが出来るかもしれない。
わたくしはふと、母がよく兄嫁にいっていた小言を思い出した。
「夫の顔を見るとお金の話ばかりして、ほんとにだらしがない。そんな暇に押入のボロでもきちんと整理しなさい」
その頃は嫁いじめの姑の言葉として、あまりいい感じをもってきけなかった。しかし今こうして先輩の夫人からしみじみときく時、背を向けていた心が、くるりと向きなおったように素直にききとれるのであった。
今もこうして思い出をつづっていると、夫人の教えが大きな力をもってよみがえってきて、箪笥の中にほころびたまま突込んである衣類が、鳥のように頭の上を飛びまわりはじめたような気がする。
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- 2014/01/30(木) 12:07:39|
- 永遠の道 戸松登志子著
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