戸松は一瞬周の熱意に圧せられると共に同じ構想をもっていたことに驚き、そして、なぜ自分のような無力な者に政府の副首席がこんな重大な問題を語るのであろうか……と思った。周仏海は恰もそれを見抜いたごとく、
「いや、戸松さん、突然でビックリなさったでしょう。ご存じでしょうが、日本政府の文官や軍部は誠意を聞かない、逆らえば殺害します。貴方方若い日本の青年が生命がけでやらなければやり遂げられないことです。蒋介石政府の方は私が責任もってやります。お互い秘密を守りながらやり抜きましょう。いかがですか」といった。
周の眼は、己の言葉を実証づけるかのように熱情的にきらりとかがやいていた。
さすがは大政治家だ。現状の数歩前方をすでに考えているのである。
(43 43' 23)
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- 2014/10/01(水) 08:58:27|
- 永遠の道 戸松登志子著
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日米戦においては日本の勝算はうすい。負けないにしても、日本の疲労と弱体化はまぬがれないであろう。それは共産勢力の立上りを容易にし、彼らを育てることになる。そうなると、目下共産党に牛耳られている国民政府は、一たまりもないであろう。
日本の敗北はアジアを共産党に提供することである。日本が負けないうちに手をうつべきである。
周の政治的思想は、戸松のそれよりも数段も幅広く深いものであった。戸松は今更のようにこの政治的先輩の前に圧倒されるものを感じたのである。
息をのむようにして、周の眼を喰入るようにみつめて傾聴している戸松の心をいざない立てるかのように、周は言葉をつづけて、
「わたくしが、このような考えをもっていることを知ったら、おそらく日本の軍人はわたくしを殺してしまうでしょう。日本軍人の上層部の人間は話しあえばわかる人達ですが、佐官級がいけません。彼らの考えは一方的で、自分の気に合わないものは、どんどん抹殺してしまいます。そこへいくと尉官級はまだ純真ですから、人の話を素直に消化するでしょう。
戸松さん、一つあなた方若い人達が立ち上って下さい。そしてあなた方の力で軍上層部や政府を説いて下さい。われわれは国民政府の方にはたらきかけます。あなたの運動に必要な工作金は、わたくしが作ることを引受けます。一つ思い切ってやってみて下さい。」
(43 43' 23)
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- 2014/10/02(木) 09:24:31|
- 永遠の道 戸松登志子著
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戸松もかねがね考えていた和平構想をのべ、「もし日中和平が実現した暁、南京政府はどうなるか、かつ政府要人の貴方方はどうなるかを伺いたい」と云った。周はためらいもなく「我々はフランスに亡命するつもりでいる。」と語った。
周仏海は彼自身長く日本に留学していた上に、蔣介石のもとで、長年政治主任をしてきた男であるから、日本軍人というものを日本人以上によく研究し、知っていた。それに国民政府にある間は、蔣介石の信任も厚かったから、蔣の心の奥までも知っていたのである。
ソロモン諸島の敗戦も、おそらく蔣や周の耳には入っていたことであろうから、周はこの機をのがさず、アジアの未来を開くことに着手しなければならないと思ったのであろう。我が時きたれり、戸松は身体中の血が躍動するのをおぼえた。
周仏海は南京政府の大立者であるから、おそらく多数の日本軍人や文官と、親交をむすんでいたにちがいないのだが、とくに戸松を選んで自分の胸奥を開いてみせたのである。
自分と誓いのむすべるのは、この青年より外にないと思ったのか……彼の周囲の日本人の中には、彼の心をうけとめて、遠大な理想に身をかかげ切れるだけの、純粋な人間がいなかったのかもしれない。とにかく彼は、この無名の一人の青年に、情熱と期待をかけたのであった。
並いる彼の腹心の部下は、彼の言葉を腹中にかみこむかのように神妙に聴いている。いざ実際活動となると、おそらく彼は周の意を体して、周の手足のごとく活動することであろう。
この会議の内容の行動化が、もし実をむすんでいたとするならば、日米戦争の終末はもっとちがった形となり、この白い機密室は、アジアの未来を蔵した部屋となっていたことであろう。その時周仏海四十七歳、戸松は二十九歳であった。
(43 43' 23)
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- 2014/10/03(金) 09:13:50|
- 永遠の道 戸松登志子著
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夫の前に立つ者
滬西の家は、わたくしにとってはじめての洋館住いであった。
高い天井と広い床にいだかれた空間や、ガラス戸の多い明るい窓は、開放的で快適な感じであったが、反面なんとなく落ちつかなかった。
ソファーに腰かけてみても、大きな寝台の上に坐ってみても、どうも家庭にくつろいでいるという気がしない。おまけに陛下は花野とその家族が独占しているから、あとから来たわたくしども三家族は二階で雑居生活をしなければならない。
しかし、これもそう長いことではないと思っているので、それほど気にならなかった。
わたくしども夫婦の家は、戸松が軍に官舎をもらうように申込んであったし、掘下は間もなく香港に行くことになっていた。
わたくしにとって一番たのしいのは、庭に広い芝生があることであった。中ほどはテニスコートになっていたが、長い間手を入れないと見えて、芝が四面から這いこんでいた。
(43 43' 23)
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- 2014/10/04(土) 10:07:48|
- 永遠の道 戸松登志子著
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田舎の古い家に育ったわたくしは、樹木と石と花とのせせこましい組合せを、庭の概念としてもっていたから、一面に緑のじゅうたんを広げたようなこの庭に、単純な、すがすがしさを感じていた。
戸松を役所に送り出すと、庭に面した窓に立って、わたくしはいつも長い時間庭に眼をあそばせた。或時とつぜん、
「奥さん」
と、牧谷に声をかけられ、彼の眼にいざなわれるように、テーブルをはさんで彼の前に腰をおろした。
「最初にいっておきますけどね……」
なにか含みをもったような眼を、じっとわたくしの顔にそそぎながら、彼は、重々しい口調でいった。
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- 2014/10/05(日) 11:43:32|
- 永遠の道 戸松登志子著
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「戸松氏と僕とは、もう十年になる長いつきあいです。堀下などになると、二十年以上の竹馬の友ですよ。
長いつきあいの間に、僕らはもうすっかり骨肉の間がらになっているんですよ。戸松氏は僕よりは年下だた、僕は兄のように尊敬しております。
あなたは、結婚してまだ一ヵ月にもならないんだ。とにかく、僕らの方があなたよりずっと戸松氏とは深い関係にあるということを、心にとめておいて下さい」
わたくしは啞然とした思いで、牧谷を見返したまま、しばし言葉がでなかった。彼が何をわたくしに求めているのかよくわからなかった。
自分を戸松の肉親と思って大切にしろといっているのか~
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- 2014/10/06(月) 09:11:54|
- 永遠の道 戸松登志子著
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それとも、戸松と自分との結合の前に、はるかに引き下っておれというのか~
男の仕事上の結合は、夫婦の結合より大切である、ということを教えているのか~
しかし、若い心は素直であった。ややたって~歴史をつくろうと志す男達の人生は、こういうものであろうかと、おぼろげながら彼の心をさぐりあてたような気がして、
「はい」
と、わたくしは、心もとなくうなずいて見せた。
このことがあって以来、わたくしは戸松と自分との間に、第三者の介在なしに二人の間を考えることが出来なくなってしまった。
それに、戸松は家にあっては、机に向ってコツコツと書き物をするか、そうでない場合はたえず多くの人にとりかこまれていて、彼らは支那を語り日本を語り、世界を語っていた。
事実、夫はつねに公人であったのだ。
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- 2014/10/07(火) 17:19:15|
- 永遠の道 戸松登志子著
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中国の富者
上海について一週間もした頃であろうか。この滬西の家を彼に提供している潘三省が、わたくしども夫婦を晩餐に招待してくれた。ついでに三家族全員きてくれということになって、家中大はしゃぎで仕度をはじめた。
何しろ相手は支那の大富豪だというので、女性達はそれぞれとっておきの自慢の着物をきて出かけた。
潘の邸宅はフランス租界にあった。中国の上層階級の人たちは、殆どといっていいくらいフランス租界に住んでいた。フランス人のかもし出す文化的香気に魅力があるのか、建築そのものが美的で快適であるのか、とにかく、美しいところ、清潔なところに住みたいという人間の本能は、これらの気持をフランス租界にひきつけたのであろう。
藩の家の門は、東洋風の城門式になっていた、門につづいて横に門番の家が並び、レンガ塀によって一切が囲まれていた。
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- 2014/10/08(水) 08:41:37|
- 永遠の道 戸松登志子著
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門から玄関までの五十米ぐらいの間は、今花盛りの蔓バラのトンネルである。生き生きとしたみどりの葉の間に、くれないの中輪の花が、わたくしどもをよろこび迎えるかのように咲きにおっていた。
玄関番は背の高い若い西洋人であった。彼は愛想よい笑顔で、いんぎんにわたくしどもを迎え入れた。いくつか並んでいる客間の一つに通されて、壁ぎわに三つ四つ並べられた銀製の見事で大きな軍艦の模型にながめ入っていると、この家のあるじ潘三省が、にぎやかな声をまきちらせながら入って来た。
彼の黒のダブルの服の胸に、大輪の真紅のバラをつけていた。中背ではあるがデップリと太って両頬と両耳が、彼の人生を物語るかのように豊かであった。
彼は戸松の手をにぎり、はげしくふりながら数語談笑をかわしてから、太った身体に不似合な敏捷さでわたくしのそばに近づいてきた。
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- 2014/10/09(木) 09:31:12|
- 永遠の道 戸松登志子著
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「潘さんだよ」
戸松が紹介しかけた時には、潘の大きな手がわたくしの手をもとめてさし出されていた。
わたくしは顔にはほほえみを浮かべていても、内心ギョッとした。男性から握手をもとめられたのは、生まれてこの方はじめてだったのである。
おずおず差出した手を、潘は実になれた手つきでしっかりと握り軽くふった。
その大きな手は、つきたての餅のようにやわらかであった。母の手、姉の手、叔母の手と、わたくしの記憶の中の手をつぎつぎ思い出してみても、こんなやわらかい手は一つもない。
パールバックは、その著「大地」の中で、主人公、王竜の長男の手が非常に大きくてやわらかいといって、梨花という女性にけいべつさせているが、おそらくこんな手であったのであろう。これは美食の生んだ手、力仕事をしない手である。
しずかに手をはなしてから、北京語でうれしそうに語りかける潘のデリケートに動く厚いくちびると、胸の真紅のバラを交互にみながら、わたくしは彼が誠意をもった好人物であることを感じた。
彼は一人一人に握手と歓迎の笑みを配ってあるき、牧谷の二人の子供の頭をなでてその成長ぶりをほめ、再びわたくしのところに帰ってきた。
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- 2014/10/10(金) 10:11:05|
- 永遠の道 戸松登志子著
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そして、銀製の菓子皿のいく種類かの菓子を一つ一つゆびさしながら、これは抗洲のなになに、これは広東のなになにと、それらが中国各所の名菓であることを説明し、さあどれでもとって食べてくれとすすめた。
彼がしゃべるそばから、通訳が日本語で話してくれるのであるが、その北京語から日本語に代るタイミングが実にえんかつで、一つの演技を見るようであった。
明か清の時代のものであろうか、鳳凰を染付けたフタ付の大ぶりの煎茶茶碗をボーイがうやうやしく捧げてきた。蓋をとるとプーンと芳気がただよい、うすみどり色の湯の底に一つまみほどの茶の葉がしずんでみえた。
中国では古くから茶は貴重視されていたものらしい。「大地」の中の王竜は、まだ土百姓だった頃、唯一の親孝行として父親に毎朝一ぱいの茶を捧げた。彼が茶碗の中に湯を入れ、それに一つまみの茶の葉をおとしたと書いてあるのを、その頃わたくしは、王竜は貧乏できゅうすがないのでそうしたのかと思っていたが、今、潘氏の客間でこうした茶を手にとってみて、なるほどこれが中国の喫茶法であったのか、と心ひそかにうなずいたのであった。
間もなく、食堂からの案内があり、わたくしどもは潘を先頭に、ぞろぞろと食堂に移っていった。
ここは二十畳ぐらいの部屋であろうか。真中にまるい大テーブルがどっしりと位置をしめ、広い芝生やその向こうの植込みがベランダにつづいて広がって見えた。
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- 2014/10/11(土) 10:24:34|
- 永遠の道 戸松登志子著
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この部屋の隣りは調理室になっていると見え、壁の中ほどに料理を差出す窓がしつらえられていた。
食堂でも潘は如才なくふるまい、戸松とわたくしを庭に向って並んですわらせ、その真向いには自分が位置をとり、他の人達にも着席をすすめた。そして自分の両わきには二人の通訳をはべらせた。
銀製のカップに酒がなみなみとつがれ、大皿に前菜がはこばれてくると、潘はカップをささげてうれしくてたまらないというように、並いる人達に笑みかけながら乾盃をうながした。
乾盃がおわると長い銀の箸をとり、先ず自分が料理をとってみせてから、なにやら北京語で云いながら、「サアサア」というような身ぶりをしてみせた。それにさそわれるように、わたくしどもも量感のある銀の箸をとりあげた。
銀は金属の中でも、毒物にたいして非常に敏感ですぐ変色するときいている。この国では銀の食器で客をもてなすことを礼儀としているらしい。
五族入り乱れ勢力を競いあってきた五千年の歴史をもつこの民族は、ねりにねられた図太い精神をもっているから、容易にお互いの心底をみぬくことができない。談笑のうち毒をもられないとも限らないのだ。相手にたいして殺意のないことを示すためにつかった銀の食器が、いつしか饗応の礼儀とかわったものであろう。
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- 2014/10/12(日) 08:55:18|
- 永遠の道 戸松登志子著
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今ではこうした特権階級の一つの形式となっているのであろうが、潘は伝統の風習にしたがって、まず自分でこの箸で料理の毒見をし、それからわたくし共に証明ずみの料理をすすめたのである。
又、彼は西洋風のレディーファーストのところもあって、しきりに婦人客に気をつかい、ボーイに命じて三、四種類の酒ビンを運ばせ、これはどうか、あれはどうかと、わたくしどもの顔色を見ながらすすめた。
日本の家庭の主人と主婦の両役を、この家では主人ひとりで演じているのである。
「奥さまは」
わたくしは、隣りの戸松にそっときいてみた。
「中国では、こういう大きな家になると、よほど親しい人でないと夫人は出て来ないんだよ。彼は夫人を四人持っているんだ」
戸松は小声で話してくれた。
「四人ともみんなこの家にいるんですの」
「さあ、どうかね、多分いるんだろう」
四人の夫人をもつというこの精力絶倫の初老の実業家は、わたくし達の小声の会話など意に介することなく、にぎやかに酒をすすめ、如才なくふるまっている。
彼はフランス建築の家に住みながら伝統的中国料理に舌つづみをうち、封建的一夫多妻の家族関係を保持することに何の矛盾も感じていない、典型的な近代中国人であるといえよう。
(43 43' 23)
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- 2014/10/13(月) 08:37:36|
- 永遠の道 戸松登志子著
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料理のはこばれるスピードは早かった。四つづつの大皿が常に中央におかれ、次から次と料理がはこばれてくる度に、皿はじゅんじゅんに位置を転じ、一巡した頃下げられていった。もち去られる皿の中には、料理の半分は残されたままであった。
山のように盛られた卵のクンセイは、誰も手をつけないまま下っていった。
「中国料理は、後になるほど御馳走が出るから、初めの間はあまりガツガツ食べない方がいいよ」
と、前もって注意されていたから、みんながあとの方に期待をかけていたのであろう。
メニューが大分すすんだ頃、深めの皿にすんだスープをたっぷりそそいで、その中に七寸角ぐらいのかたまりを沈めた料理がまわってきた。
「この豚肉はおいしいよ。五時間も六時間も煮たものだから豆腐のようにやわらかいんだ。少し食べてみなさい」
と、戸松はナイフで切りわけて自分の皿にもとりわたくしにもすすめてくれたが、わたくしはとうとう食べなかった。なぜなら、わたくしはいまだ一度も四つ足といわれる動物の肉を食べたことがなかったのだ。神を信仰した父のかたくななまでの潔癖は、そのままわたくしの性格の中に残っていた。
十七、八種類も、次から次と料理が運び出されてすべての人が満腹した頃、大きな鯉の姿煮の料理が運ばれてきた。
「ファー」
(43 43' 23)
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- 2014/10/14(火) 08:34:13|
- 永遠の道 戸松登志子著
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隣に坐っていた掘下夫人が、あきれたような溜息をついた。もう義理にも食べられないというように、彼女は胸をそらせて帯の間に右手をさしこみフーとかるく息をもらした。
食べ物はそれで終ったわけではなかった。
最後にきらきらと光った御飯と、青々と色よく煮上ったソラ豆と漬物のようなものが出た。やっと好みにあったものに出会ったわたくしは、たっぷりと煮豆を皿にとり、一つ口にいれてがっかりした。油と砂糖をつかったその豆は、見かけよりはずっとしつこい味であった。
アイスクリームと果物という型どおりのデザートが終って、わたくしどもはやっと食卓から解放された。
なんというボリュームのある食事であろうか。魚ににわとり、あひるに豚というように、各種の肉類のほかに、各地から集めたと思われる珍しい野菜やきのこや筍、これらが油や香料をほどよくつかって調理されている。山海の珍味というのはこのような料理をいうのであろう。潘のゆたかな頬も、肉の厚いやわらかな手も、ひとかどの役者のようにふるまうそつのない応待も、エネルギッシュな事業慾も、色慾も、すべてこの食事に起因しているのではないかと思われた。
人々が別室に移って喫煙している間は、わたくしはベランダづたいに庭に下りて見た。食堂からは見えなかったが、左手の方はバラ園になっていて色とりどりの大輪のバラが姸をきそって咲きそろっていた。
(43 43' 23)
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- 2014/10/15(水) 11:14:26|
- 永遠の道 戸松登志子著
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ふと見ると、一本のバラの木のそばに、美しい陶器の腰掛がおかれ、その上に大きな真白なペルシャ猫が気持よさそうに眠っていた。
なんという見事な毛並、そして又なんというゆたかな尾であろう。この猫も潘と同じように総てにみち足りているのであろうか。それとも彼の四人の夫人のように、主人の生活とは無関係に自分の時間をもてあましているのであろうか。気だるそうにまるめたその小さな身体には、暇にまかせて磨きこんだ貴婦人のような美しさがあった。
ベランダに立っていた牧谷夫人に手招かれて彼女の後についてゆくと、食堂の隣りの広間に入っていった。そこはダンスホールであった。
テーブルも椅子もなく、ひかった床は広々とひろがり、四面の壁はペルシャ風の装飾とでもいうのであろうか、花模様をうき出した色ガラスによってかこまれていた。
バンドのボックスも各種の照明もそろっている。通訳が室内に照明をあてると、色ガラスに反映してあやしいばかりの雰囲気がただよいはじめた。
「鬼が出る……」
突然牧谷の四歳になる坊やが叫び声をあげた。子供の直観は、この雰囲気から鬼を連想したものであろう。その声に大人達はどっと笑った。
「いかがですか、踊りませんか」
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- 2014/10/16(木) 19:15:32|
- 永遠の道 戸松登志子著
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通訳が儀礼的にすすめたが、無粋な日本人達は顔を見合わせて苦笑するだけであった。
「正式にダンスパーティーを開く時には、一流のダンサーをよんで客の相手をさせるんだそうですよ」
と、牧谷が主の代弁でもするように、誰にいうともなく婦人達をふりかえっていった。
潘は中国人の中でも、特に社交好きな人なのかもしれない。彼は別棟に、客を招いて芝居や寸劇を見せる劇場ももっていた。せいぜい百五十人位で見る小規模のものであるが、お気に入りの役者をよんで好みのものを演じさせるということであった。
やがて、潘の笑顔に送られて、わたくしどもはこの富者の家を辞去した。
初更をすぎた夏の夜の町は、空気もしっとりとして、幾組かのアベックの男女がよりそうようにしてゆらゆらとあるいていた。
わたくしどももブラブラとあるいて帰った。すると、町角のあちこちから、きたない車をひいた車夫たちが出てきて、
「シーサン」「ニャンニャン」
と、よびかけながらついてきた。
「いらん、いらん」
三人の日本の男達はうるさがって、まるで蠅でも追いはらうように、手をふってしつこい彼等を追いはらった。
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- 2014/10/17(金) 08:51:58|
- 永遠の道 戸松登志子著
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彼らは昼といわず夜といわず、こうして垢と埃にまみれつつ、客をもとめて町から町へカラ車をひいて流れあるいているのである。
この頃の上海は車にのる人の数より、客をもとめる車引きの方がはるかに多かったから、賃金は徹底的にたたかれ、彼らは奴隷のように卑屈になっていた。
もはや乞食の一歩手前であるといってもよかった。
彼らは車で寝、車と共に歩き、車だけが彼等の支えであった。
「大地」の中の王竜も、北方の飢饉で食いつめた時、南の都会で車ひきをしていた。彼が車をひいて町から町へさまよっている間、夫は子供達に乞食の仕方を教えていた。
今はこうして夜の町浮浪者のような姿でうろついている車引達の妻子も、おそらく人間以下の生活に沈んでいることであろう。
この道筋のあちこちにも、老人と子供、或いは母親と子供がコンビになって、通りゆく人にあわれみを乞うていた。
息もたえだえの老婆が、子供の前に倒れ伏したまま、顔だけを往来にむけて切ない声でよびかけている。子供は子供で、声をはりあげて泣かんばかりに人の情を求めている。
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- 2014/10/18(土) 11:04:04|
- 永遠の道 戸松登志子著
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又、もう一つの組は、母親が半死のようにぐったりした子供をだきかかえ、片手でその子をゆびさしながら、道ゆく人々に何やらしきりに訴えていた。
「この子が死にそうだから、恵んで下さい」
といっているのであろうか。
日本なら、人間のこのように切迫した悲惨な姿が、そのまま見逃されているはずはない。
しかし、ここでは、人々は道ばたで鳴きたてる蛙の声でもきくように、素知らぬ顔をして通りすぎていく。
たまに気まぐれな人間が、思いついたようにポンとビタ銭を投げあたえるだけである。
家の近くにきた頃、掘下夫人が面白そうにクックッと笑っていった。
「昨日はおばあさんが倒れて死にそうだったのに、今日は子供が死にそうになっているわ」
なるほど、そう云えばこのコンビは四、五日前から、同じ場所に同じ顔ぶれでたむろしているのであった。
彼らにとっては、乞食も一つの仕事であり、生きるための演技であったのだ。
つい先程、レンガ塀の内側で、一人の男のたくましいばかりの能力と金の威力を見てきた眼には、やせこけた車引の群や乞食の姿は、なんとみじめに無力にうつったことであろう。
見えざる手によって劃された二つの世界……
だが、ここには富の不平等をなげく以前のものがある。
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- 2014/10/19(日) 21:35:02|
- 永遠の道 戸松登志子著
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貧しき人々が、彼らの力を発揮して、生活をきずきあげていくように、社会が成り立っていないのだ。
又、潘の如き富豪が、余れる富を貧しい同胞のため、社会に還元するように民族精神が成育していないのである。
この国の社会は、あらゆる面で、いまだ混沌たる後進性の中によどんでいた。
世界史にけんらんたる唐や宋の文明も、ずっと遠くは堯舜の王道も、世界帝国をめざした元や清の偉業も、今の中国には全く無関係のごとく、この民族は世界の帝国主義のぎせいになり果てていた。
その中で、外国勢力をたくみに利用する者のみが権力を得、富を得ているといってもよい。義を尊び節を重んじた彼等の祖先は、おそらく歴史の彼方から、「この漢奸めらが」と叫んでいることであろう。
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- 2014/10/20(月) 10:07:40|
- 永遠の道 戸松登志子著
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清朝の貴族
二、三日して、外出中の戸松から電話がかかってきた。
「今日は呉夫人のところへいくから、支度して出てきなさい」
この呉亜男という夫人については、日本にいる時から旅のつれづれに断片的にいろいろきいていた。
彼女が清朝末期にときめいた李鴻章の孫であること、娘時代東京の青山学院に学んだこと、数ヵ国語をあやつることなど~一応興味をいだかせるに足る経歴の所有者である。
滬西の西安寺という停留所から電車にのって、黄浦江岸に出ると、江に面した或ビルディングの入口に戸松と牧谷が待っていた。そこからバスにのってフランス租界に出た。
真昼だというのに、町はひっそりとして人影も少なく、汚い人間がうろうろしている滬西にくらべるとさすがに清潔な感じである。
呉夫人は、三回建のアパートの階下に、住んでいた。
ドアーを叩くと、まちかまえていたように内から開かれ、奥から色白の老夫人が小走りに出てきた。
母親が息子を迎えるように、彼女は戸松の背中をたたいたり腕をとったりして、北京語と日本語をチャンポンにしてにぎやかに言葉を交していたが、今度はわたくしの手をとって、
「ようこそ、いらっしゃい」
と云いながら、ぐんぐん部屋にひっぱりこんだ。さして広くない部屋の中は、ソファーやテーブルその他の家具でぎっしりとうめられている。
わたくしをソファーにかけさせてから、自分も隣に席をとり、女中の運んできた紅茶茶碗をわたくしの手にもたせた。それは丁度母親が幼児の世話をやくような心くばりである。
(43 43' 23)
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- 2014/10/21(火) 08:24:27|
- 永遠の道 戸松登志子著
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もたされた紅茶を、わたくしは一口ぐっとのんでみた。砂糖気の全然ない茶である。
彼女は今度はテーブルの平たい菓子皿をとってわたくしにつまんで食べるようにすすめた。
「これ、カボチャの種子、おいしいです。どうぞ……」
ギクシャクしたような日本語である。そして、わたくしに英語がしゃべれるかときいた。全然だめだというと、困ったような顔をして、
「わたし、むかしは日本語上手でした。でも今はだめ、たくさん言葉わすれてしまいました」
と、とぎれとぎれの日本語で語り出した。
「わたし、若いとき、青山学院で勉強しました。日本大へんいい国です。下宿のおばさんとても親切です。お味噌のスープ大へんおいしい。ほかの国の人の親切、大へんうれしいです。わたしも日本の人に親切しますよ」
それから、彼女は自分の若かりし頃の話を熱心に話し出したが、一句一句日本語を思い出すのが容易でないらしく、時には顔をしかめたり、口をとがらせたりしたあげく、ええ面倒とばかりにベラベラと北京語か英語にかえてしまったりした。
そばから戸松の注釈がなかったら、とても彼女の話を理解することは出来なかったであろう。五ヵ国語をかたれるといっても、自由に話せるのは北京語と英語とフランス語である。
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- 2014/10/22(水) 09:10:53|
- 永遠の道 戸松登志子著
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彼女の夫は今は重慶にある蔣政府の要人、徐瑞林で、彼女は奥地の生活をきらって上海にとどまり、十歳の孫と女中の三人暮しをしている。夫は抗日、妻は親日というように、対立した主義主張に生きていながら、少しの矛盾も悩みも感じていないのか、生活をたのしんでいるように見えた。
白地に水色の花模様を染めちらした明るい感じの支那服を着て、両の耳にきらきらと耳飾りをゆらめかせている姿は、顔のしわさえなかったら、とうてい六十をすぎた老女のものではなかった。
若い頃、ヨーロッパに遊んだ思い出が御自慢らしく、ローマの話、パリ―の話を、手ぶり身ぶりを加えながら話してきかせた。
話が日本留学の頃にもどると、むずかしい日本語をまじえた会話につかれてしまったのか、ますます北京語や英語が多くなってきた。
彼女が青山学院の学生の頃は、中国全土は騒然としていて、民主主義革命の炎がもえさかっていた。
偉大なる歴史の恩恵で、アジアのねむれる獅子として敬遠されていた清国は、日清戦争によって極東の小島と軽視されていた日本にもろくも破れ、その弱体をばくろしたのが運の尽であった。ヨーロッパの帝国主義はその弱体につけこんで、じりじりと侵略の手をのばし、義和団事件後はいよいよ列強の半植民地と化してしまった。
無能な清朝政府はヨーロッパ勢力に屈従し、人民に重税を加えていたから、清朝打倒と反帝国主義の声が澎湃とわきあがり、江の南北に民主主義革命の運動がひろがってきた。
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- 2014/10/23(木) 08:07:06|
- 永遠の道 戸松登志子著
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それは政治や外交や経済への反発であるばかりでなく、怒濤のように流れこんでくる西洋文化にたいする東洋大陸の伝統文化の反抗でもあった。
これは、中国民族の純粋な血のさけびともいうべきものであったから、清朝の官費で日本に留学している青年までが、ほとんどこの運動に参加していた。彼らは清朝の恩恵によくしながら、清朝の打倒をくわだてていたのである。
清朝の名門に育った呉夫人も、その例外ではなかった。彼女が日本から故郷の北京に帰る時には十七、八の乙女には不似合なほどの沢山の書物や調度品の荷物をもって帰った。
李家の令嬢の持物に、誰も不審をもつ者はあるまいというのが眼のつけどころであった。革命軍の首領孫文の親友であった萱野長知先生は、呉夫人の書物や持物として武器弾丸を荷造りし、革命軍々司令黄興の元に送ったのである。
若し、荷物の内容が見やぶられたならば、彼女は当然処刑されるであろう。しかし、血気の女丈夫は泰然としてこの役目を果したのである。
こういうことが何回おこなわれたか知らないが呉夫人はしきりに、
「わたし、十七のとき……」
と、くり返していたから、十七の時の記憶が余程強烈に残っているのであろう。
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- 2014/10/24(金) 09:01:21|
- 永遠の道 戸松登志子著
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やがて清朝はたおれ、中華民国の時代となったが、孫文は大統領の地位を清朝の官僚であり軍閥であった袁世凱に奪われた。しかし袁の背後からは、イギリス、アメリカ、日本などの帝国主義勢力が彼をたすけていたから、結局革命の本来の目的は達することが出来なかった。
列強の帝国主義は、もはや中国に深く根をおろし、これとの結合なしにはどんな勢力も育つことが出来なかったのである。
こうした悲劇の中にあって、外来勢力にたいする中国人の反感は、いつしか大地の中に潜入し、民衆は自国の運命にあきらめを感じていた。
彼らは西洋文化にたいしても、日本の明治時代のように批判なくうのみにすることなく、ずい分と抵抗をこころみたのであるが、その強烈さには抗しがたく、そのうちに彼らの心まで日に日に文化的植民地と化していった。
若かりし日の理想も消えはてた呉夫人自身、もはや中国人というよりも、西欧人といった体臭の人となっていた。
根気のいる会話がしばらく続いたのにち、呉夫人はふとわたくしの手をとって、隣りの部屋につれていった。そして壁にとりつけた化粧台のそばにつれていって、銀製の粉入れをさし出し、パフをとって鼻の頭をたたけと命令した。
鏡の中の顔を見ると、成程少し油がういて光っている。いたれりつくせりのおせっかいだ。わたくしは苦笑して彼女の云うとおりにした。
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- 2014/10/25(土) 09:43:29|
- 永遠の道 戸松登志子著
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部屋にもどると、彼女の次男、徐甡夫妻がきていた。彼らをまちかねていたように、早速晩餐会がはじめられた。わたくし達と徐甡夫妻を一緒に夕食をまねいてあったのかもしれない。
料理は潘邸の比較にはならない軽少さで、肉料理、魚料理、野菜料理とりまぜて六、七種類ほど出ただけである。
徐氏は御飯がきらいだというのでパンを持参してきて、大きな坊やのように母親にたしなめられながら、健啖ぶりを発揮していたが、彼の夫人は猫のように少ししか食べなかった。
呉夫人も食べるよりはしゃべる時間の方が多く話す相の手に少しづつ口に入れるだけである。
徐夫人の柳のように細くてしなやか身体は、このように油と肉を少量づつとることによって出来上ったのかもしれない。
この若夫婦は、美男美女の好一対であった。そして又、西欧の植民地的教育によってそだてられた雛形でもあった。呉夫人は若い嫁をゆびさしながら、
「この人は呼名はデージィー(ひな菊)、上海大学を出ました。自分の国の言葉よりイングリッシュの方上手です」
と紹介した。
この国では中国語の外に、英語かフランス語が話せなければ、客間の空気に入っていくことができないようである。人の顔さえ見れば、英語が話せるかフランス語が話せるかときく。日本人と中国人が話しあうのに、英語かフランス語によらねばならないというのは、一体どういうことであろう。
これは、東洋の文化が西洋の文化に屈従していることを意味している。
このハイカラな姑と嫁は、二人で話す時には、なにやら英語でべらべらと言葉を交わしていた。自国語よりは他国語に練達しなければならない彼等に、わたくしはひそかな同情と軽蔑をかんじた。
彼らは意識していないかもしれない。しかし、こうしたことの中に、中国は一歩一歩亡国の運命をたどっていると云える。
彼らは時代の先端をゆく文化人であると思っていたかも知れない。しかし自分の唄をわすれたカナリヤは、いずれは、月夜の海に流されねばならないのだ。自国の文化や伝統をわすれつつある中国は、やがて一度死んで生まれかわらねばならない時が来るであろう。
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- 2014/10/26(日) 10:59:37|
- 永遠の道 戸松登志子著
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虹口の新家庭
六月中旬のある日、わたくしは、はじめてガーデンブリッジを渡って虹口にいった。
揚子港の支流の黄浦江、又その支流の河口にかけられたこの橋は、上海名所の一つで、この橋の東は日本人の居留地になっていて、多くの日本人が住んでいた。ここが、虹口といわれる地域である。
虹口の人々が、一口に河口といっているガーデンブリッジの西の方には、滬西やフランス租界や各国の共同租界があった。
つい一年半程前、日米戦争がはじまるまでは、この橋の東半分は日本兵が、西半分はイギリス兵が守備していて、橋の真中にノッポと小柄の両人種が、銃を手にして立っていたのだというが、開戦と同時にイギリス軍は打ちやぶられて、日本軍に全く占領されてしまった。
鉄材でできた近代的なこの橋の両たもとには、堂々たるビルディングがそびえ、南西の黄浦江岸に面しては「中国人と犬は入るべからず」と立札した西欧人専用の公園がひろがっていて、ここが中国の本土であるとはとても思えないほどである。
ビルディングがつくる日かげに、蟻のようにかたまってたむろしている放心したような車引や、ゆきかう中国服の婦人でもいなかったら、中国の面影は、その一片すら感じられなかったにちがいない。
戸松とわたくしは、上海を東西にむすぶ市電にのっていた。滬西の西安寺を始点として繁華街の南京路を通過し、黄浦江岸の公園にそうて走りガーデンブリッジを渡ると、更に虹口を東にむかっていくこの電車は、半世紀も前の電車のように小さくて、のろのろとしていた。
しばらくいくと、電車道は興亜院の大きな建物によってさえぎられ、ここが終点になっていた。道はここで左右にわかれて曲り、更に又それぞれ東にむかってのびていた。そしてこの二つの道にはさまれて、興亜院、上海神社、上海公園等の公共の施設が道の方向に並んでいた。
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- 2014/10/27(月) 13:24:50|
- 永遠の道 戸松登志子著
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わたくし達は電車を下りると右の道をあるいた。道幅は広く舗装も完全で街路樹も美しいが、人通りはあまりない。自動車もなければあのいなごのようにむらがる車引すらいない。ここは上海の郊外に近い住宅街で、この大通りから幾筋もの短い小さい通りが横に出ていて、その小道にそうて三階建の長いレンガ造りの家が並んでいた。
百メートルも行ったころ、
「あっ、ここだ」
戸松は左側の建物をゆびさしながら立止った。
みると、石畳の小道の入口に、高く細い鉄の棒が渡してあって、「七友小築」と書いた札がさがっていた。
「あの一番つきあたりの家だ」
戸松は急に大またになって、奥をめざしてあるき出した。
七友小築とはよくも名づけたものだ。洋風の長屋ともいうべきものだろう。学校の校舎のような三階だての家が七軒にくぎられていて、小道にむかって一軒々々に小さな庭と門がついていた。おそらく国民政府の役人の官舎か、会社の社宅であったのであろう。
一番奥の家は、道の行きづまりが門になっているため、外の六軒よりは道幅だけ庭もひろく、小さな池や植込みがつくられていた。ここが軍からあたえられたわたくしどもの宿舎であった。
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- 2014/10/28(火) 09:25:21|
- 永遠の道 戸松登志子著
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ドアーをあけて中に入ると、一坪ほどの土間の向こうは、二階に上る階段と台所にむかっての通路にわかれている。人気のない家の中は、シーンとして、陰気なくらい空気がたちこめていた。うすぐらく殺風景な通路の奥をじっとうかがっていると、火野葦平の中国の怪談が連想的にうかんでくる。
戸松はどんどん通路にむかって並んだ部屋のドアーをあけて見廻ってあるいたが、わたくしは玄関のドアーのかげに立ったまま、不安な気持におそわれていた。やがて奥から出てきた彼は、
「下はどうも陰気だ、二階に住むことにしよう」
と、階段をかけ上っていった。何かの巣窟のような感じのする階下に恐れをなしていたわたくしは、あわてて彼の後を追って階段をのぼった。
ところが、階上は家がちがったのではないかと思われるほど明るく、開放的である。窓のすくない階下にくらべ、ここは三面がほとんど通しガラスの窓で、南の窓下には上海公園の緑がひろびろと見渡された。公園と七友小築の境が高い塀になっていて、そのため階下が洞窟のようにくらいのであった。
二階はバスルームと洋間の二つと畳の部屋が一つあった。日本人が住むようになって、急ごしらえにつくらせたものであろう。芝居の舞台のように部屋の三分の二ほど特別に高くしつらえ、そこに六枚ほどの畳がしいてある。そのため、窓ぎわにすわると膝すれすれのところに窓があり、ねそべったままでも公園の樹木や花を眺めることが出来た。
「この部屋をわれわれの根拠にしよう。この部屋一つでも沢山だよ。」
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- 2014/10/29(水) 08:54:53|
- 永遠の道 戸松登志子著
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