最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

偉人像コレクション

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

魯智深像コレクション

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 魯智深と言えば、中国の怪奇小説『水滸伝』に出てくる人物である。もちろん水滸伝が基本的には架空の話であるので、登場人物もほぼ架空である。魯智深はたくさんの英雄豪傑が出てくる水滸伝の中でも1,2を争う人気のキャラクターだと言ってよいだろう。

 水滸伝を読んだことのある人には言わずと知れたことであるし、読んでいない人に説明するには書ききれないので、人物についての詳細説明は割愛させて頂くが、その義侠心や勇気が溢れる言動と直情型でたびたび大失敗をやらかす人間臭さが大きな魅力だと思う。

 物語中では義侠心から悪徳商人を殴り殺してしまい、助けた父娘の手引きをきっかけとして、かくまわれるように入った五台山で出家する。以降、僧侶の姿で活躍するので、後世に描かれる絵や像などはほぼ僧形である。

 とはいえ、元は架空の小説なので、各地で見られる像にしても、千差万別で面白い。私の旅行写真で残っている中にもいくつか見つけたので、まとめておく。他にもあったかも知れないし、写真に残っていないのもあるかも知れない。

 上の写真は開封市の萬歳山。たぶん私が今まで見た魯智深の像の中では一番かっこよかった気がする。

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 こちらも開封の万歳山で、武松(右)とのツーショット。物語中でも二龍山で一緒に山賊をしていたり、行者と僧侶で行動を共にすることも多かった。

 ちなみに開封は水滸伝の舞台である宋の時代の首府で、物語中にも多く出てくる。魯智深が大相国寺で柳を引き抜き、林冲と出会うのも開封である。水滸伝や魯智深となじみのある都市とも言える。

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 こちらは山東省の梁山。まさに梁山泊があったとされる場所である。もちろん水滸伝は架空であるが、数十名の山賊が籠っていたという元の史実はある。そして水滸伝の梁山泊が実際にあったとすればここだ、とされている山は、現代では広大なテーマパークのようになっている。ただしそれは我々が想像するようなテーマパークではなく、梁山泊っぽい忠義堂やら砦などが作られているだけの、一見すれば史跡公園のような場所である。

 ここは丁寧に百八星の多くの像があった。水滸伝ファンとしては、あまり原作では日の当たらないキャラクターも像になっていてうれしい限りだった。とはいえ、魯智深像は、手の甲や服の皺などがリアルに作られているのに、なぜか質感に乏しいのは気のせいだろうか。

 なんだか李逵が混ざってない?身に着けているものでかろうじて魯智深だとわかるけれど。

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 こちらは杭州の六和寺。

 物語の最後(正確には百二十回本の最後)、魯智深はこの杭州の六和寺で海嘯の音を聞き円寂した、となっている。六和寺や海嘯については以下の過去記事に書いているのでご参照頂きたい。



 聞き耳を立てているように見える像は、おそらく海嘯の音を聞いていることを表現したかったのだと思うが、私的には音を聞いて悟りを開いているようには見えないと思う。

 一応物語の最後なので、一番歳を取っているはずなのだが、ここの像が一番若く見える。そういえば髭がないからか。原作で六和寺に残るときに髭を剃った表現があったかなぁ?と思ったが、覚えていない。

 まぁ元は小説なので、表現や解釈が色々あるのも悪くはない。あまりに原作の描写からかけ離れすぎるのはどうかと思うが。

【写真】開封:2017年10月、梁山:2014年8月、杭州:2007年8月
【文章】2019年7月


現在の松江の礎を作った戦国武将

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 日本全国を巡っていると、特定のエリアでは非常に有名なのに、世間一般ではあまり知られていない歴史上の人物を見つけたりすることがある。これはその土地に行ってみないとなかなか発見できないことが多い。というのも、そのエリアに住んでいる人や出身者にとっては常識であり、当然他の人も知っているものだと認識しているので、わざわざ知っているかどうか確認したりしないからだ。

 歴史上の人物の話だけでなく、例えば自分は皆が普通に知っている言葉だと思って話していたら、実は方言だった、という経験をした地方出身者もいらっしゃるのではないかと思う。

 さて、写真は松江城の近くの堀尾吉晴公の像である。堀尾吉晴も松江では超有名であるが、歴史マニア以外では一般的にあまり知られていない人物かも知れない。

 詳しい話はネット上でいくらでも載っているので、こちらでは詳細は割愛させて頂く。端的に書いておくと、堀尾吉晴は織田家、豊臣家に仕え、関ケ原では東軍に味方した。関ケ原には息子の忠氏が参戦し、その功により出雲に加増転封されている。直後に忠氏は急死して孫の忠晴が継ぐが、幼年であったため祖父の吉晴が政務を代行した。

 当時、出雲の中心は現在の安来市の月山富田(がっさんとだ)城だった。戦国時代には尼子氏が本拠地としていた地である。しかし月山富田城は山城だ。戦国時代には強固な要塞であっても、平和な時代を迎えると不便なのだ。そこで吉晴は松江に城を築き、本拠を移す。

 しかし城が完成した直後に吉晴は亡くなり、孫の忠晴にも子がなく、堀尾氏の嫡系はその後20年程で改易となってしまう。だが、松江は以降も出雲の中心として発展を続け、山陰随一の街になったのである。

【写真】2017年9月
【文章】2019年5月

杭州西湖の湖畔に立つ呉越国の銭鏐の像

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 中国の歴史において五代十国と呼ばれる時代がある。唐が滅び、宋が成立するまでの数十年間を指し、黄河流域の北部では5つの王朝が興っては滅ぼされることが続き、長江流域の南部ではいくつかの国が割拠していた。その時代の有力な十国をもって名前が付いている。

 その五代十国時代、現在の江蘇省周辺にできたのが呉越という国で、杭州に都をおいた。その初代がこの銭鏐(日本語読みではセンリュウ)である。

 杭州出身の銭鏐は元々塩の密売をしていた無頼の徒、つまりいわゆるチンピラだったわけだが、唐代末の黄巣の乱において地元で挙兵して功を挙げ、そのまま勢力を伸ばして建国に至っている。この呉越国は周辺の国々と争いながらも五代十国時代を駆け抜け、銭鏐から数えて5代目の王の時、建国から約70年後に宋に吸収されることになる。

【写真】2007年8月
【文章】2019年3月

ウドーンターニーの王子像ロータリー

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 タイ東北部ウドーンターニーの街には、街歩きの目印となる大きな3つのロータリーが連なっている。このうち噴水のロータリー時計塔のロータリーは、以前のリンク先の記事でも紹介している通りだ。

 タイの街では大きなロータリーを見かけることが多い。日本や中国に比べても非常に多いと思う。都市計画がどういう風に行われてきたのかわからないのだが、恐らく日本とずいぶん違うのではないかと思ったりもする。

 3つのロータリーのうち一番南にあるのが、写真の王子像のロータリー。プラジャクシンラッパーコンというラーマ四世の王子とのことだが、私も不勉強でその功績などは知らない。ただしウドーンターニー県に属する郡の名前にもなっているので、この辺りでは敬愛されているようだ。

 この写真はバスの車窓から撮ったもので、実はこの旅ではウドーンターニーにはやってきたものの、バスの乗り継ぎをしただけだった。だからほとんど写真も残っておらず、この場所の記憶を思い起こすのに若干時間がかかった。なにせ前の写真はサコンナコーン、次の写真はコーンケンであったのだから。



 Googleストリートビューでも確認してみた。像自体は変わっていないが、その周囲の街並みや看板などは大きく変わっている。

【写真】2006年5月
【文章】2019年2月

謎多き水滸伝の作者と施耐庵の像

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 中国では四大奇書の一つに数えられ、大変な人気と知名度を誇る水滸伝。しかしその作者はよくわかっていない。

 通説では施耐庵が最有力の候補とされているが、この施耐庵には他の作品が一切ない。彼について記された書物もあるにはあるが信頼性に乏しい。実在したかどうかさえ怪しまれている。

 三国志演義の作者とされる羅貫中も水滸伝の作者候補の一人である。が、この羅貫中にしても、来歴不明であるし、水滸伝を書いたことも断定できない。

 そもそも民間伝承の物語であったものを、明代に幾人かのグループで調べてまとめ、一つの物語として書き上げたと考えるのが、私的には一番納得の行く説明に思える。そのグループの名前というか人称化したものが施耐庵なり羅貫中なりだったのだろうと思う。もちろん私の勝手な想像で、学説ではない。

 とすると、上の写真のような施耐庵の像というのは、元々存在しないことになってしまうのだが、結局は想像にすぎない。恐らくこれからも解かれないかも知れない謎に想像を巡らせてみるのも、私は嫌いではない。

【写真】2014年8月
【文章】2018年10月


  
プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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