神坐す山の物語 (双葉文庫)
浅田 次郎
双葉社
2017-12-14



作家 浅田次郎の「原点」が、垣間見られるような物語。

幼少の頃、母親の故郷である奥多摩の御岳山に里帰りした際、
伯父伯母たちや従兄弟たちと過ごした生活体験が浅田作品の精神世界の出発点になっているようだ。
門前の小僧のような生活から見た日常が面白おかしくもあり、人間の本質を覗いているようでもある。

神官屋敷での出来事や伯母が語る怪談奇聞は異界の神秘主義に満ち満ちている。
現代の合理主義では分け入る隙が狭まっている神の領域が、日常で主体として存在していた時代の情景が描かれている。
神との対峙が人生の修行であるような仙境は、八百万の神が遍満する神聖な山だからこそできたのかもしれない。
神道に日本古来の伝統が息づいているのを感じた。

「外国から渡来した神仏には、愛だの慈悲だのという人間性があるのだが、
 日本古来の神は超然としており、ひたすら畏怖すべき存在である。
 そうした意味では、一概に宗教とは言えまい。」

「私たちは未知なる自然や神秘なる現象を総括して、固有の神とした。
 長い歴史の中で、預言者の出現すら許さなかった、恐ろしい神である。」

紙垂の形が稲妻に似ているのは神の顕現を表したものなのだろうか?

幼少の頃の一つひとつの記憶の点景が愛おしく感じられた。

また、巻末のインタビューで浅田氏が、文章も表現も余分なことを一切排除することに心を砕いたことを知った。
いかに最小限の文章の中に、大きな物語を入れるか?
日本文学の特徴である短い定型詩の和歌や俳句を詠むような呼吸を大切にした方法論だという。
稀代の作家の真理を探究する姿勢と情熱に触れられて感服しました。