第二次世界大戦「秘話」3部作の完結編。
枢軸国で最後に残った日本がやがて敗北 (終戦)へ向かっていく状況を1944年6月から日を追って描いている。

結果論からいうと、日本は、実際の終戦までに降伏する機会は幾度かあったが、組織的にその機会をうまく活用できなかった。
歴史にイフは禁物だけど、ひょっとしたら広島、長崎の原爆投下やソ連参戦〜シベリア抑留などの大惨劇は避けられたのかもしれない。
少なくとも、世界各地で、それを事前に察知している人たちがいて、彼らは「最悪の事態」を避けようと行動していた。

(参考)戦後処理の会談プロセス カイロ、テヘラン会談以降
・ヤルタ会談 (クリミア半島、1945.2) 米:ルーズベルト/ 英:チャーチル / ソ:スターリン
 ソ連の対日戦参加を決定
・ポツダム会談 (ベルリン郊外、1945.7) 米:トルーマン/ 英:チャーチル / ソ:スターリン
 日本に無条件降伏を勧告し、ポツダム協定でドイツの4国分割管理を定めた

本書が「記録」する終戦までの1年2か月の戦況はまさに世界規模で流動的であり、かつダイナミックだ。
本作のような小説をフィクションやノンフィクションで分類することは、最近、さほど重要ではないんじゃないかと思うようになってきた。
なぜなら、史実に現れて来ないところでの出来事の実態や真相は、後世の人の想像力がどこまで及ぶかにかかってくるからだ。
そんな想像力の結実が本3部作であり、当時の雰囲気がまるでリアルであるかのように心に響いてくるのはこれらの作品が傑作であることの証だと思う。

■主人公たちがとても魅力的
・森四郎:日本生まれの孤児。異名バロン。パリで博打打ちをしていた不良デラシネ。彼の行動が密使遂行の鍵となる
・ヤン・コワルスキ:亡命ポーランド軍 情報将校。白系ロシア人の偽装もする。帝国海軍スウェーデン駐在武官室でロシアやドイツ情報分析で働く。森四郎のバディ
・大和田市郎:帝国海軍スウェーデン駐在武官。何度も極秘入手情報を暗号文で日本に送る
・大和田静子:市郎の妻。四郎に母性を感じさせる存在
・小川芳子:ソプラノ歌手。パリ→ロシアへ。再会した四郎と恋人関係に

■祖国とは何か?
枢軸国(独伊日)や
連合国(英仏米の他、枢軸国と不可侵を結ぶソ連、また中華民国など)の当事国、
及び中立国(スウェーデン、スイスなど)、
さらには、亡国の悲劇を持つポーランドなど、
それぞれにお国事情があり、そこには歴史や文化を共有し、受け継いできた民族や国民がいる。

登場人物たちが語る会話の中のことばが肉声のように心に迫ってきた。

・コワルスキー→四郎
「きみもポーランドのような国に生まれてみろ。繰り返し繰り返しまわりの大国に侵略され、切り刻まれ、収奪されて、自国語での教育すら禁じられたような国にだ。革命と戦争が唯一の希望であったような国にだ。そんな国に生まれたら、祖国、という言葉が、どれほど美しく甘い響きに聞こえることか。その言葉に、どれほど力づけられ、奮い立たされることか」

・芳子→四郎(以下、ドクトルはコワルスキー)
「ドクトルにとっては、祖国というのは、きっと歴史のことね。頭に刷りこまれた、歴史の見方のことでしょう。
でも、あなたにとっての祖国は、ひとりの女性なの。ひとりの女性の面影なの。もっといえば、母親なの」

■当時のポーランドと日本の状況対比が心に迫る
ポーランドのロンドンに移った亡命政府とワルシャワにできたロシアの傀儡である臨時政府の2重政府の状況は、同盟国側に切り刻まれる将来の日本の姿を予想させる。また、ポツダムで決まったドイツの4国分割管理の方針も。そして、差し迫るソ連の対日参戦は終戦後の日本にとって事態をもっと悪くするのが目に見えてきている。
日本に恩義を感じてくれているコワルスキーのポーランドと同じ悲劇を起こしてはいけないという全身全霊の思いは、祖国意識のなかった森四郎の気持ちを少しづつ動かしていく。
ポーランドと日本の戦況下で共有する気持ちの近さが人間として救いを感じられる思いがした。
設定では、コワルスキーの家族はユダヤ人に「命のビザ」を発行した外交官 杉浦千畝に救われている。

■日本の国体とは?
無条件降伏は受け入れられるのか?
日本という国が最後まで守らなければならないものは何か?
天皇、皇室なのか、国民主権なのか
即ち、君主制か共和制か
日本の指導部の総意が陸軍、海軍、政府でまとまらずに降伏を認めず、無謀な戦争を続けてきた根拠は何だったのか

■集団の精神は?
集団の利得と個の利得は一致しない。
集団の精神 が 全体主義を生み、ファシズムをつながりやすくはしなかったか?
そもそも精神の根源はカタチありきで上から強制で決められるものでなく、個の内から無意識のうちに自ずと湧き出てくるものではなかったか?
物語にも描かれているよその家庭のゴミ箱の中身までも監視するような隣組の制度は異常で行き過ぎだ。


人は組織によって動かされるのではなく、人によって動かされる、という本質がこの物語の底流にあるように感じた。
だからこその登場人物たちの絶妙な配材がこの物語を「本物」にしているように思う。

最後に。
いつもながら当作品でも音楽の演出がうまくはめ込まれていた。
ショパンのピアノ独奏曲「軍隊ポロネーズ」
1939年の9月、ワルシャワがドイツ軍の侵攻によって陥落した日、ワルシャワ放送は終日この曲の冒頭を流し続けたそうである。