生命の実体は何か? 
人間の体内で起きているミクロの世界の仕組みが見えてきた。

巨大な宇宙と同様に極小のミクロの世界も日常の認知範囲を超え、大きな想像力がその解明の原動力だった。
観念的ではなく実在論的に真実を発見し、行きつ戻りつしながらも次の新発見へと事実を積み重ねてきた分子生物学の歴史(ほぼ20世紀に該当)に人間の叡智が詰まっている。

犯人を追うミステリ小説のように、未だ神秘の世界に仮説を立て、その証明のための実験に失敗、成功を繰り返す科学者たちの格闘に個々の人間力が見えてくるようで惹きこまれた。

量子力学のシュレディンガー然り(「生命とは何か」)
アンサング・ヒーロー(an unsang hero, 縁の下の力持ち) のエイブリー然り。

Chance favors the prepared minds. チャンスは、準備された心に降り立つ。
これはパスツールが語った言葉だそうだが、科学者たちを励ます名言だなと感じ入った。

案内役の福岡さん自身が当の分子生物学者であり、ポスドク時代、ニューヨーク、ボストンで最先端の研究所に身を置いた環境のなか身体で感じ、作り上げてきた世界観がある。
本書は、それがとても文学的に昇華されているようでもあり感動的な「物語」だ。

文章の表現力がすばらしく、かつ美しい。

メタファー(暗喩)が作品全体、あるいは文章の中にも自由自在に繰り広げられている。
メタファーは、読者にとっては難解なものを理解する一助になる一方、
実は、科学者である福岡さん自身にとっても日々の実験で起きる現象を理解したり考察するとき、
極めて有用な思考方法としているのが感じられた。

・海辺の砂の城:砂粒も体内の分子も入れ替わる
・ジグソーパズルのピース:10万種類におよぶ たんぱく質のかたちが体現する相補性
  cf. DNA 4種類のヌクレオチド、タンパク質 20種類のアミノ酸
・かすかな口づけ:タンパク質というピースの柔らかな相補性。くっついたり離れたり
・風船を持つ子どもたち:小胞膜を形成するメカニズム
・折り紙:時間の流れに沿って角々を折りたたんでいく生命、不可逆的

動的平衡(dynamic equilibrium)がカギ
エントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質である。
「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」
シュレディンガーの予言と重なった。

原子が秩序を生み出すために
生命現象に必要な秩序の精度を上げるために粒子の数が増えれば増えるほど誤差率は急激に低下する。
原子はそんなに小さい = 生物はこんなに大きい
ここでもシュレディンガーの予言は重なった。

ウイルスは生物か?
生命が自己複製するシステムという定義だけならば、たとえ寄生によってであってもYESといえる。
しかし、ウイルスは栄養を摂取しない。呼吸をしない。二酸化炭素や老廃物を排泄しない。
つまり、生命の律動を感じさせない。よってNOだ、と感覚的には理解できる。
では何が、生物の条件として足りないのか?
それがまぎれもなく「動的平衡」の有無にあることを分子生物学では解明している。

ここ数年のコロナの現象に対しても、副次的に学べることが多々出てきたのが思わぬ収穫だった。

生物学と文学が融合した傑作と思います。
第1回新書大賞受賞 (2008年)