やはり文章がうまい。
小林さんの紡ぐことばが、感性にびんびん訴えてくる。

ベトナム → パリ → ベトナム、と人生のシミュレーションの旅は続く。

「僕と同じように何者かになろうとしている人たちに会ってみたいと思った。
 パリという街で何かになろうとして、走っている姿を僕は純粋に見てみたいと思ったのだ。
 そして、アジアでは感じなかったことの何かを感じたかった。」

何者かになる、ということはnobodyからsomebodyになること、と勝手に英語で解釈してみた。
(英語は表現する思考がはっきりするのがいいな。no bodyでもsome bodyでないところもポイント)
会社を辞めて、自分探しをしてきたモラトリアムに決着をつける旅、それが今回の趣旨だったようだ。

人と自分を重ねて自分を旅する、という心理的な旅を実際の旅を通じて行っている。
旅は彼ら彼女らとのインタビューの旅だ。

「年齢ではなく、西暦2000年と2001年で自分の人生を考えている、
 だからわたしには30歳という年齢は関係ないの」
ベトナムで日本語教師をする27歳女性のことばが、還暦を過ぎたおじさんに なんか響いた。。

パリではそこで、旅ではなく、主に生活を始めた人たちから多くの示唆やヒントをもらっている。

「成熟しているし、積み重ねの文化だから。
 例えば髪のアップとかでもおばあちゃんに教わったとかって、
 当たり前に生きている。
 世代が違っても穏やかにパーティーできるし。
 でも日本は、どんどん変わっていて、世代によってぜんぜん違う。
 おばあちゃんの話なんてまるで別世界でしょ。
 でもここは何世代も同じように生きているから」

パリで「ヘアースタイリスト」として暮らす30半ばの男性からは地球人としての人生哲学を感じた。
パリには街にも人にも意思や決意や覚悟が感じられる。
一方で喜怒哀楽の感情も人生の重要な要素なのだけど、表現の仕方がとても深そうだ。


ときどき出てくる西洋人、東洋人という対比のことばが古いようで新しく感じた。
欧米、アジアという括りよりも双方の歴史と文化を感じさせてくれていい。

シリーズ2では、この旅で、小林さんの写真家あるいは人生の道は方向性が固まってきたに違いないと思った。

 フレームを決めて
 入る光の量を加減しながら
 シャッターを切る

この一連の流れの中に それまでの歩んできた人生哲学が詰まっている。
それは、人との出会いやつながりの中なかから生まれてきた。

自分だけの風景
何を表現しようとし、どのように表現するのか?

写真家の内面を見せてもらえる興味深いシリーズだ。