モームの世界十大小説の七作目は、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』でした。
恋愛・家族・結婚・身分・道徳・財産など、18世紀という時代のギャップに影響されることなく、読んでいて理解できない難しい事柄もなく、ハッピーエンディングで終わることが疑うことなく予想されていて、安心して、面白く読めた。

面白かったところ

・一番最初の場面のベネット氏とその夫人の会話。結婚生活20年余りの夫婦の、まわりからは良好な関係だと思われている二人が、人間的には大きな隔たりがあるにも関わらず、家族という名のもとによりそわざるを得ない、平凡であり、当然であり、残念であり、長い時間が過ぎもう発酵する余地がどこにもない関係が、何気ない言葉のやりとりから読み取られ、とても面白いと思った。物語を通して私が共感できたのは、この厭世的で、本に囲まれて誰にも邪魔されることなく自分の部屋にいるときが至福というベネット氏なんだけど。。。

・大きな誤解を抱えたまま舞踏会で初めてペアになり、人に中断されて、話を続ける話題に困り、エリザベスからは「話なんかしていたような気がいたしませんわ。。。二つ三つ話題をかえてみてもうまく行かなかったんですもの、今度はなんの話をしたらいいのか、私にはとんと見当がつきませんわ」と言われてしまい、ダーシー「本のことはいかがですか?」。。。舞踏会で本の話とは、吹き出しそうになったけど、この一言でダーシーが好きになってしまった。

・何といっても双方全く見当違いの相互不理解のもとでの告白。収拾不可能だと思われる決裂がどう修復されていくのかが下巻で展開されるんだけど、これも「日常生活に普通の複雑な事態」の解決によって大団円。


モームの評は、『高慢と偏見』だけではなく、オースティンの作品を全般的に取り上げ、「どの作品にもこれといって大した事件は起こらない。それでいて、あるページを読み終ると、され次に何が起こるのだろうかと、急いでページを繰らずにはいられない。ところが、ページを繰ってみても、やはり何も大したことは起こらない。だが、それでいて、またもやページを繰らずにはいられないのだ。小説家で、これだけのことを読者にさせる力を持っているものは、小説家として持ち得るもっとも貴重な才能の持主なのである。」と結んでいる。

それから、「人生体験は狭い田園の社会に限られ、その狭い社会を扱うだけで満足していた。自分がよく知っていることについてだけ書いたのである。これはチャップマン博士が初めて指摘したことだが、男性が自分たちだけの時に行う会話を、一度として写しだそうとしなかった。そのような会話は、事の必然として、聞こうにも聞く機会がぜんぜんなかったからである」

??? そうだったっけ? 兄弟が6人もいたのに? 男性同士の会話に触手が伸びなかっただけじゃない??? 今度オースティンの作品を読むとき気にしてみよう。。。 

さて、残り3作品がたいへんです。。。