Complete Symphonies
Gulbenkian Orch
Nimbus Records
1992-12-02

エティエンヌ=ニコラ・メユールは、1763年、フランス生まれの作曲家。生まれが貧しかったが、幼い頃から才能を発揮し、修道院オルガニストに採用された。15歳でパリに出、苦労の末1790年にオペラ「ウフロジーヌとコラダン」を上演し大成功を収める。

1792年に発表したオペラ「ストラトニース」が熱狂的に受け入れられ、ベルリオーズに高く評価されるなど、オペラ作曲家としての地位を確立した。その後発表したオペラは成功したりしなかったりだったようだが、幾つかの作品でその地位を不動のものとしている。

交響曲を4曲書いており、第1番はベートーヴェンの「運命」と同じ年に作曲され、荒々しい表現や一つの主題に徹底的にこだわって展開する特徴がとても似ている。それはシューマンが「メユールはベートーヴェンを知っていたのでは?」といぶかる程だったとか。

第3番の冒頭、堂々としてモーツァルトかハイドンかって感じ。第1楽章はオペラの序曲のような曲。演奏に勢いがあるので今からどんなドラマが始まるのかワクワクさせられる。第2楽章は一転して悲痛な音楽に変わり、次第に雲が晴れるようにあたりが明るくなっていく。

第3楽章がスリリングなフレーズで始まり、思わず引き込まれる。このままの調子でフィナーレまで突っ走ってしまった。少々一本調子な気もするが、興奮すること請け合いだ。第3番は3楽章でおしまい。

ミシェル・スウィチェフスキは、1955年パリ生まれ。20世紀音楽をこよなく愛し、1981年から1985年までアンサンブル・ムジーク・オブリークのディレクターを務め、1983年からはアンサンブル・アンテルコンタンポランでピエール・ブーレーズのアシスタントを務める。

ミラノ・スカラ座ではクラウディオ・アバドと、パリ・オペラ座ではジョルジュ・プレートルと共演した(1985-86年)。フランスでは、パリ管弦楽団、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、リヨン・オペラ座、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、リヨン、リール、ボルドー、ストラスブール、ペイ・ド・ロワールの各国立管弦楽団など。その他、ロンドン・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、ストックホルム・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルガー交響楽団、ベルリン・シンフォニー管弦楽団、ミュンヘン放送交響楽団、ブレーメン国立管弦楽団、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団、グラーツ・グロス管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、フランダース・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、シンフォニア・ヴァルソヴィア、クイーンズランド管弦楽団、MDRライプツィヒ交響楽団などと、8年近くにわたって共演している。

1991年から1996年にかけて、スィエシェフスキは、コンピエーニュ帝国劇場のオペラ・フェスティバルに参加し、最も重要なフランス・オペラのいくつかに関心を呼び起こした: グスタフ3世」(オーベル)、「クリストフ・コロン」(ミヨー)、「逃亡者」(モンシー)、「ある教育」(シャブリエ)、「夜の歌」(トマ)、「ドミノ・ノワール」(オーベル)、「メデ」(ケルビーニ)などである。

グルベンキアン管弦楽団との録音は、最初はアデスと、その後ニンバス・レコードとなったが、国際的に高く評価され、いくつかの賞を受賞している(フランス・レコード協会グランプリ、シャルル・クロス協会グランプリ、レーザー・ドールRTL、サンデー・タイムズ・レコード・オブ・ザ・イヤー、リリック・レコード協会マスネ賞)。更新 2009年2月

メユール「交響曲全集」
ミシェル・シフィエルチェフスキ Michel Swierczewski  指揮
グルベンキアン財団管弦楽団 Orchestra of the Gulbenkian Foundation

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