NadegataPapaのクラシック音楽試聴記

クラシック音楽の試聴記です。オーケストラ、オペラ、室内楽、音楽史から現代音楽まで何でも聴きます。 カテゴリーに作曲家を年代順に並べていますが、外国の現代作曲家は五十音順にして、日本人作曲家は一番下に年代順に並べています。

ヴァインベルク(1919-1996)ポーランド

ヴァインベルク「木管楽器のための室内楽集」


ヴァインベルクの珍しい木管楽器のための室内楽を集めたCD。木管楽器のための曲は、同じ室内楽の弦楽四重奏曲とは趣を異にしている。音楽が緊密に書かれていて充実度が高い弦楽四重奏曲に対して、木管楽器は内省的というか、緊密度が薄い替りに、音楽が心の中を彷徨い迷っているような印象を受けた。

また各楽器固有の響きや特性に音楽が影響を受けている。クラリネット・ソナタはほの暗く愁いを秘めた音色が音楽に生かされていて、ヴァインベルク特有の抒情的なメロディが心にしみる。イギリスの作曲家が書いているクラリネットのための曲と似たような印象だった。

「フルートとピアノのための12の小品」は、いかにも演奏会用の小品って感じ。前衛的で不気味な響きは後退し、明るく爽やかなフルートの音色を生かした音楽になっている。もちろんヴァインベルクの曲なので、古典派音楽のように朗らかではなく、不協和音の多用が歪んだ響きを作り出している。プロコフィエフのフルート・ソナタを彷彿とさせるが、そこまで緊張感のある曲ではなかった。

無伴奏ファゴットのためのソナタは大変珍しく、ロシアの名ファゴット奏者ヴァレリー・ポポフのために書かれた曲だ。ファゴットがひたすらモノローグを展開して行く様子はユーモラスで、ファゴットという楽器がこんな表情を出すこともできるんだと感心させらるが、これを聴いて弦楽四重奏や交響曲のように感動するかと言えば、そうは思わない。やっぱり音楽がスカスカで、充実度が薄い気がする。物珍しさも手伝って感心するが、感動するところまで行ってない。

フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタは、有名なドビュッシーのソナタと同じ編成。ドビュッシー以前にこの編成のソナタはなかったが、ドビュッシー以後は同じ編成の曲が増えている。武満徹も「そして、それが風であることを知った」という曲を作っている。

ドビュッシーはメロディがハッキリしていて古典的なスタイルを生かしながら、爽やかで神秘的な響きを作り出していたが、ヴァインベルクはハッキリ言って暗い。不協和音が不気味な音を響かせ、フレーズへの拘りが強迫的な印象を与えるが、編成のせいで頭を抱えるような重苦しさは軽減されている。

第1楽章は幽玄なフレーズで神秘的に始まる。旋律はハッキリ明確に聴こえて来るが、雰囲気はとても不気味な色彩が濃い。第2楽章は第1楽章よりは明るい雰囲気だが、かえってそれが虚ろな感じに聴こえる。無気力と言うか絶望的というかやるせないというか、素直に明るさを喜べない感じ。

第3楽章になってテンポが速くなり、ちょっとは爽やかになるかと思ったが、ホントにちょっとだけだった。相変わらず不気味な音楽が続き、編成の透明さとフレーズの不気味さが、奇妙な雰囲気を作り出しているような曲だった。

1 クラリネット・ソナタOp.28 
2 フルートとピアノのための12の小品Op.29 
3 無伴奏ファゴツトのためのソナタOp.133 
4 フルート、ヴィオラ、ハープのための三重奏曲Op.127 
P:エリザヴェッタ・ブルミナ 
Cl:ヴェンゼル・フックス 
Fl:へンリク・ヴィーゼ, 
Fg:マティアス・パイア­ 
Vn:ニムロッド・グェス 
Hrp:ウタ・ユングヴィルト 

ブリテン、ヴァインベルク「ヴァイオリン協奏曲」Vn:ロス、キュトソン指揮ベルリン・ドイツ響

Violin Concertos/Weinberg
B. Britten
Challenge
2014-02-14
amazonのサイトでは演奏者がパールマンになっている。買って大丈夫なんだろうか? 


ヴァインベルクのヴァイオリン・ソナタ全集をリリースしたドイツのヴァイオリ二スト、リナス・ロスが、今度はブリテンとヴァインベルクのヴァイオリン協奏曲を録音した。伴奏はミケル・キュトソン指揮のベルリン・ドイツ交響楽団。
 
ブリテンのヴァイオリン協奏曲は1939年に作曲され、翌年1940年にバルビローリ指揮ニューヨーク・フィルによって初演された。ブリテンは当時の潮流だった無調音楽には組しない姿勢を取っており、この曲でも特定の調性によっているわけではないが、一つ一つのフレーズごとの調性感は明確で、そのことが親しみ易さに繋がっている。
 
全体を覆う雰囲気はとても不気味だが、中間部の静かになった所などではイタリア風の懐かしいメロディが出て来たりして、甘い雰囲気に包まれる。無調的ではないが、奇妙な香りが感じられる音楽で、ブリテンの曲の中では取っつきやすい方だと思う。
 
第2楽章はヴィヴアーチェで、急速なテンポで音楽が疾走して行くが、フレーズが特徴的で耳に馴染みやすいので、曲想を把握しやすい。その上で奇妙な雰囲気はちゃんと保たれていて、ブリテン独自の音楽が展開されている。
 
第3楽章も同様の特徴を持っているが、ゴチャゴチャしてグロテスクな楽想の中に突然甘いメロディが出て来て意表を突かれる。これが周りの伴奏と一体になって抒情的な雰囲気を作るのではなく、突然そこだけ甘いメロディになるので、周りと調和せずにかえって変な気分を感じてしまうのだ。中程で盛り上がる所ではロシア風で、チャイコフスキーを思わせる所もあった。

ヴァインベルクのヴァイオリン協奏曲は1959年の作品。良くも悪くもヴァインベルクらしい作品だ。第1楽章は緊張感の高いカッコいい主題で始まる。ロシア民謡風の濃いメロディが至る所に顔を出し、不協和音も手伝って、適度に前衛的に感じさせるところがヴァインベルク風。それでもブリテンの曲に比べると、やはり穏健な気がする。ブリテンは楽想が分かり易くてもその奇妙さは突き抜けた個性があったが、ヴァインベルクにはそれがない。
 
やっぱりヴァインベルクの本質は、ロシア風の抒情的なメロディということになるのだろう。それがある程度の不協和音や前衛的な構成を伴うことで緊張感を高めている。「ショスタコーヴィチを抒情的にしたような作品」と言われるのもそこが原因だと思う。
 
第2楽章の悲劇的な開始は、いかにもそれを物語っている。暗い雰囲気で濃厚なメロディが歌われるのは聴いていてゾクゾクするが、なかなかそれが続かないというか、緊張感が維持できない所が弱い。
 
第3楽章もメランコリックなメロディが世をはかなむような雰囲気を作り出していて、ヴァインベルクの悲劇的な人生を思わせるが、第2楽章と同様、美しいメロディが突き抜けた爆発、慟哭といったものに発展して行かない所がもどかしい。
 
第4楽章は明るく前向きの音楽で、多少の邪気を孕んでいる。メリハリの利いた楽想が展閲され、楽しませてくれるが、やはりどことなく冗長さが拭えない。それはヴァイオリンのロスと、キュトソン指揮ベルリン・ドイツ響が負うべきところもあって、どうもこのコンビはヴァインベルクの曲から一歩引いて客観的な演奏を目指そうとしているようなのだ。

高い緊張感のある演奏で曲の良さを感じてもらおうという方法は、曲によってはアリだと思うが、ヴァインベルクの様な構成が少々弱い曲では、演奏者の思い入れの強さが必要なのではないだろうか。もっと曲にのめり込んで、曲と格闘して見せるやり方じゃないと、曲の良さが発揮できない気がした。

音質は非常に良い。ヴァイオリンの音はとても美しく、艶やかで鋭く、雑音や嫌な音は全く感じられない。オーケストラとの溶け合いもバッチリな一方、ちゃんとソロが存在感を持って浮き上がっているのは、協奏曲の録音としては特筆すべきレベルに達していると思う。
 
①ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)「ヴァイオリン協奏曲作品15」
②ミェチスワフ・ヴァインベルク(Mieczyslav Weinberg)「ヴァイオリン協奏曲ト短調作品67」
ヴァイオリン:リナス・ロス(Linus Roth)
管弦楽:ベルリン・ドイツ交響楽団(Deutsches Symphonie-Orchester Berlin)
指揮:ミケル・キュトソン(Mihkel Kutson)

ヴァインベルク「弦楽四重奏曲第5,9,14番」ダネル四重奏団

ヴァインベルク:弦楽四重奏曲集第4集
ダネル弦楽四重奏団
CPO
2010-09-15


ダネル四重奏団によるヴァインベルク弦楽四重奏曲全集のうちの1枚。以前第6集(第2、12,17番)を買って聴いてみたら結構良かったので、今度は第4集を買ってみた。
 
第5番は第2次世界大戦中の1945年、ヴァインベルクがモスクワに疎開していた時に書かれた曲だ。ゆったりとした美しいメロディで始まる。完全に美しいメロディではなく、少し歪んだところがあるのがヴァインベルクらしい。

各楽章に名前がついており、第1楽章「メロディ」、第2楽章「ユモレスク」、第3楽章「スケルツォ」、第4楽市「即興曲」、第5楽章「セレナーデ」となっている。その名の通り、第1楽章はちょっとおどけたような曲で、アジア的なテイストを感じる。ちょっと間違うと日本の「スチャラ力、チャンチャン」のリズムになってしまいそうなところが面白い。

第3楽章は明るく前向きなスケルツォ。前のめりになりそうなくらいのショスタコーヴィチ風でテンポの速い楽章だが、ショスタコーヴィチほど深刻ではなくて健康的。第4楽章ははっきりしたメロディが感じられずちょっと分かり難かった。

第5楽章は「セレナーデ」となっているが、そんな感じではなく、いろんなメロディが錯綜してごちゃ出ぜ状態のまま盛り上がり、このままフィナーレになだれ込むかと思ったが、一旦静かになって消えるように終わった。

第9番も似たような印象の曲だった。第1楽章は1度聴いたら忘れられないようなフレーズで、緊張感も高い。第2楽章はピチカートの扱いが特徴的で瞑想的な曲調だが、ちょっと静か過ぎるような気がする。第4楽章の民謡風で土俗的なメロディは力強さがあり、美しいメロディはないが、ねじくれたようなフィナーレが忘れられない。ただヴァインベルクらしいと言えばそう言えるが、ちょっとワンパターンな気もする。

第14番は1978年の作で、後年の作に当たるからか、曲調が晦渋になっている。5つの楽章があるが切れ目なく演奏されるので、楽章を感じることなくいつの間にか終わっていた。 無調ギリギリのところまで到達しているが、あくまで機能和声の範囲内にとどまっている。ヴァインベルクは無調音楽を書くつもりはサラサラなかったようだ。

第2楽章以降はとても瞑想的な雰囲気に支配されていて、それがかなり延々と続いていくので、ちょっと退屈してきた。沈み込んでいくのも悪くはないが、沈み込みすぎて、あっちの世界に行っちゃってるんじゃないの?って感じだった。

ヴァインベルクって、一見ショスタコーヴィチ風な中に分かり易くて美しいメロディが聴こえて来るところに特徴があるが、ショスタコーヴィチほど深刻でなく、ちょっと気楽な感じがする。生涯はショスタコーヴィチに負けず劣らず悲劇的な目に遭っているが、シリアスさが突き抜けてない所が、メジャーになりきれなかった所以かも。

ダネル四重奏団はこの夏(2013年9月20日)、福岡にもやって来てコンサートを開くことになっている。曲はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番大フーガ付で、平日お昼のコンサートなの行くことはできないのが残念。折角だからヴァインベルクを取り上げてくれればいいのに。
ダネル四重奏団

ヴァインベルク「交響曲第10番」ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第14番」クレメラータ・バルティカ

“器楽"の技法 -グレン・グールドへのオマージュ“器楽"の技法 -グレン・グールドへのオマージュ [CD]

クレメラータ・バルティカ(Kremerata Baltica)は、ラトビアのリガに本拠地がある室内オーケストラ。ドイツ・ハンブルクやオーストリアにも拠点がある。1997年にギドン・クレーメルが、バルト三国の若手奏者を集めて設立し、現在までクレーメルが芸術監督を務めている。

「クレメラータ」はクレーメルの名前から取っているのだろう。自分の名前を楽団の名前に付けるなんて、なんて白己顕示欲の強い奴だ。まあ、一流音楽家なんて自己顕示欲の塊みたいな人ばっかりじゃないか?と思うけど、クレーメルはその中でも輪をかけて白己顕示欲が強そう。それは音楽家にとって長所かもしれないけど。

この日聴いたのは昨年(2012)サントリーホールで行われた演奏会の様子。1曲目はバッハの曲を編曲したものが3曲続けて演奏された。バッハの美しいメロディを集めて繋ぎ合せたって感じの曲だったが、バッハの曲はいろんなジャンルの音楽にアレンジされても全然変にはならない懐の深さがある。静かにバッハのことを振り返り思い出すと言った風情の曲だった。

近年再評価が進み、交響曲や弦楽四重奏曲などの録音が活発になっているロシアの作曲家、ヴァインベルク。この日は1968年にモスクワ室内管弦楽団のために作曲された交響曲第10番が演奏された。
 
ヴァインベルクの魅力は、20世紀の音楽でありながら聴く人の心をすぐに捕えてしまうような魅力的なメロディを持っていて、それが不協和音を伴いながら力強く変容していく所だろう。一時期現代音楽は、何が何でも前衛的でなければ!という風潮が支配的だったが、結局みんなその難解さに疲れてしまい、それまで「厳しさが足りない!」と批判されてきた作曲家が見直されている。ヴァインベルクもその中にの一人だと言えるだろう。

こうした折衷主義ともいえる音楽は、バリバリの前衛音楽に比べると確かに甘いところがある。ぞっとするような恐怖感、絶望感を表現するには無調的な方がより厳しくていいかもしれないが、そればっかり聴いていたら疲れてしまう。適度にメロディがあって、適度に不協和音が鳴ってくれるという、ヴァインベルクの「ちょうどよさ」がうけているのだと思う。

この交響曲第10番は、そこまで魅力的なメロディが出てくるわけではない。弦楽四重奏曲などの中には、一回聴いただけで「あ~、いいな~」と思ってしまう曲があるが、この曲はそこまでではない。時々出て来るって程度だ。

テンポが速くて激しい楽章では、クレメラータ・バルティカの激しく充実した演奏もあって、高い緊張感を維持しているが、静かな楽章では音楽が弛緩してしまっている気がする。いくらなんでもモノローグが長すぎないか?コンサート会場では、クレーメルのカリスマと迫真の演奏で緊張感を持続できていたのだろうけど、ラジオを通して聴いているとちょっと間延びしているように思えた。

曲の冒頭にチャイコフスキーの弦楽セレナーデの冒頭の和音が出て来て、最後にまた弦楽セレナーデのフレーズを暗転させたようなフレーズで幕を閉じた。

ベートーウェエンの弦楽四重奏曲を弦楽合奏版に編曲する試みは、昔から行われていた。第14番の弦楽四重奏曲(作品131)はCDでも出ていて、バーンスタイン盤やブレヴィン盤があ る。この日演奏されたのは、クレーメルとキーシンが編曲したもの。

弦楽四重奏曲は室内楽である。室内楽はオーケストラに比べて音色の魅力に乏しい。どうしたってオーケストラが作り出す魔法のような音色の美しさは、たった4本の楽器のアンサンブルには求めようがないのだ。

当然作曲家はそのことを承知した上で、音色的魅力がなくても十分アピールするように曲を書いている。だからこそ弦楽四重奏曲が魅力的な音楽として成立しているのだが、それでも魅力的な弦楽四重奏曲に、さらに音色的魅力を付け加えて見たくなる。それはどんなに美しい世界だろうか?

第2楽章のようにメロディがハッキリしていて、聴衆が耳でメロディを追いかけている所では、合奏の効果はあまりないのではないだろうか。むしろ4つのパートが和音を奏でている所で、思いがけず美しいハーモニーが聴かれる。弦楽四重奏曲なら聴き流してしまうような経過的な楽想でも、ウットリするような豊かさが感じられるのだ。

反対に第4楽章で、他の楽器がメロディを奏でて、チェロが合いの手を入れる所では、チェロ1本の強いゴリゴリ感が、合奏によって薄められ、優しくなってしまっている。第5楽章のプレストでは、音楽がとても賑やかで華やかさが増していた。

1 「器楽の技法~グレン・グールドへのオマージュから“J.Sバッハに捧ぐ~バイオリンとエコーのための”」シルヴェストロフ作曲(3分32秒)
2 「器楽の技法~グレン・グールドへのオマージュから“パルティータ第6番ホ短調"からサラバンド~ヴァオリン・ソロと弦楽六重奏のための」バッハ作曲、デシャトニコフ編曲(6分10秒)
3 「器楽の技法~グレン・グールドへのオマージュから“ゴールドベルク変奏曲BWV988"からアリア」バッハ作曲、キーシン編曲(6分26秒)
4 「交響曲第10番イ短調作品98」ヴァインベルク作曲(37分12秒)
5 「弦楽四重奏曲嬰ハ短調作品131(弦楽アンサンブル版)」ベートーヴェン作曲、クレーメル&キーシン編曲(37分32秒)
(ヴァイオリン)ギドン・クレーメル(室内合奏)クレメラータ・パルティカ
2012年11月3日東京・サントリーホールで収録

SilencioSilencio [CD]

ヴァインベルク「交響曲第20番」「チェロ協奏曲」スヴェドルンド指揮イェーテボリ響、チェロ:ガンナルスゾーン

Cello Concert Symphony No. 20-Vol. 4Cello Concert Symphony No. 20-Vol. 4 [CD]

ウィキペディアのヴァインベルクのページには、「番号付き交響曲19曲+第19番の後に書かれた番号のない交響曲“カディッシュ"」があると書かれているが、ヴァインベルクの楽曲ー覧には交響曲第20番(1988)と書いてある。このCDに収録されている曲が何番なのか、なぜ番号に関する記述が錯綜しているのかよく分からないが、多分この曲は20番で間違いないのだろう。CDジャケットにそう書かれているし。

私がヴァインベルクの交響曲を聴くのは、この曲が初めてだ。弦楽四重奏曲が良かったので、今度は交響曲というノリで注文したが、数ある交響曲の中で20番を選んだのはジャケットの写真がとても美しかったのと、後期の曲なら完成度も高いだろうという、あまり根拠のない理由による。

弦楽四重奏曲から察するに、前衛的な響きの中にも抒情的なメロディが聴こえるような曲かと期待したが、思ったほど前衛的ではなかった。というか、完全に調性の枠内にあるような気がする。後期ロマン派交響曲と言ってもいいくらい。時々不協和音が出て来て不気味な雰囲気を出すくらいの扱いだった。

第1楽章はとても静かな音楽。静か過ぎていつ盛り上がるのかじれったかったが、一応盛り上がりはやって来て、また静かに戻っていった。

第2楽章は金管楽器の力強い合図で始まり、緊迫感のあるフレーズが展開される。この楽章が一番ショスタコーヴィチっぽい楽想に思える。

第3楽章は静かなスケルツォで、各楽器の旋律が複雑に交差し、不気味な雰囲気を醸し出す。といっても、あまり現代的無調的な音楽ではない。

第4楽章はティンパニィの連打をバックに金管楽器が吠えまくる。ティンパニィが終わると弦の一斉総奏が始まり、マーラ一風の美しく研ぎ澄まされたようなフレーズが聴こえて来る。

確かに美しいけど、ちょっと緊張感に欠けるというか、突き抜けたような慟哭というところまでは思えなかった。どうしても比べてしまうショスタコーヴィチのような自分の音楽を極め尽くしたような壮絶さという所まで行つてない気がする。

これは演奏のせいもあると思う。最新のSACDで広がりがある音響はとてもいいが、演奏は大人し過ぎる。もっと額に血管を浮き上がらせて大暴れしてくれでもいいのではないかと思ってしまった。

チェロ協奏曲は1948年、29歳の時の作品で、この年、妻のミホエリスがスターリンの反ユダヤ運動の犠牲になって死亡している。妻の死と言う人生最大級の不幸があったにしては、曲はそこまで悲劇的には思えないので、私はこの不幸の前に作曲されたんじゃないかと勝手に想像してしまった。

冒頭のチェロのテーマは、哀愁漂う美しいメロディだ。この抒情性はヴァインベルクの魅力と言っていいだろう。その後の展開も抒情的で、エルガーやフィンジなどの近代ロマン派風チェロ協奏曲に通じる所があるように思う。演奏もガンナルスゾーン(Gannarsson)の演奏も力がこもって迫力があり、音も美しく聴き応えがある物だった。私はどうしたって交響曲第20番よりも、こっちのチェロ協奏曲の方が良かった。

「交響曲第20番作品150 (1988)」
「チェロ協奏曲作品43 (1948)」
Cello:Claes Gannarsson
指揮: Thord Svedlund
Gothenburg Symphony Orchestra (The National Orchestra of Sweden) イェーテボリ交響楽団

ヴァインベルク「弦楽四重奏曲集第6集」ダネル弦楽四重奏団

ミェチスワフ・ヴァインベルク:弦楽四重奏曲集 第6集ミェチスワフ・ヴァインベルク:弦楽四重奏曲集 第6集 [CD]

モイセイ・サムイロヴィチ・ヴァインベルク(またはミェチスワフ・ヴァインベルク) (MoiseySamuilovich Vainberg、殆どのCDはWeinbergと表記している。1919~1996)は、ロシアの作曲家。

ワルシャワのユダヤ人の家庭に生まれ、ワルシャワ音楽院で学ぶが、1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻のため、ソヴィエト連邦に亡命する。ソ連でショスタコーヴィチと親交を結ぶが、スターリンの反ユダヤキャンペーンで1953年に逮捕されるなど、苫難の人生を歩んだ作曲家だ。

ショスタコーヴィチはヴァインベルクより13歳年上で、その作品を高く評価していたようだが、現在作品はほとんど知られていない。特に日本での知名度はほとんどなかった。最近になってCDの録音が進み、21曲もある交響曲や、17曲の弦楽四重奏曲、その他の曲についても聴くことができるようになった。弦楽四重奏曲はベルギーの四重奏団のダネル弦楽四重奏団がcpoに全集を録音している。

このCDはその第6集で、弦楽四重奏曲全集の完結編。第2番、第12番、第17番が入っている。私はレコード芸術の「海外盤試聴記」で、増田良介氏のヴァインベルクに関する記事を読んで買ってみる気になった。ショスタコーヴィチを影響が強く、抒情的なメロディに特徴があると書いてあったので、これは買って見なければと思ったのだ。

実際に曲を聴いてみると、果たしてその通りだった。冒頭に入っている第2番はとても清々しいメロディで始まる。朝、通勤途上iPodでこの曲を聴くと、1日の始まりになんともピッタリの爽やかな気分になれるのだ。しかしショスタコーヴィチと同じく、清々しいメロディはそう長く続かない。すぐに不協和音が入り込み、雰囲気は歪んでねじ曲がってしまう。このねじ曲がり具合が現代的で面白い。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲も似たような印象だが、ヴァインベルクの方が調性のある魅力的なメロディがハッキリしている。歪み具合もハッキリして分かり易く、その移り変わりの具合を感知しやすいのだ。ショスタコーヴィチは変化の色合いがもっと微妙な感じがする。

この曲は1987年に第3楽章を追加するなど大幅な改定を施されており、第2番だから初期の曲と考えるのはちょっと違うかもしれない。

1986年に書かれ、最後の弦楽四重奏曲である第17番も似たような印象を持った。ここで はヤナーチェクやバルトークなど、弦来四重奏曲に名作を残した作曲家からの引用が聴こえて来て、ヴァインベルクの作品がこうした歴史の延長線上にある作品だということが分かる。主題への執拗な拘りや、対位法的な緊張感を追求している所からも、ショスタコーヴィチとの類似性を感じることができる。

全体が1つの楽章出て来ていて、冒頭の主題はとても印象的。一度聴いたら忘れられないような主題が、何回も何回も形を変え、リズムを変え、バラバラになりながら変容していく手法は、不協和音に満ちているとはいえ、聴いている方にとっては分かり易い。

途中から瞑想的で静かな音楽に変わっていくが、ここではちょっと緊張感が弱い気がした。ヴァインベルクの持ち味は魅惑的なメロディと前衛的な不協和音、それに構成の緊密さだと思うが、静かな場面ではそのどれもが弱い気がする。

演奏も激しい場面ではそれなりの緊張感を感じるが、静かな場面ではちょっと抜いたような表現が気になる。これは敢えてそういう表現を取っているのだろうか。どうも私はアルバン・ベルク四重奏団がやっていたような「どんなところでも目いっぱいの緊張感で演奏する」と言う表現が頭にこびりついているので、力を抜いたような表現に当たるとすぐに「ベルク四重奏団ならもっと力強いのに」と思ってしまうのだ。

1970年の第12番は、他の曲と違って魅力的な主題がない。そのせいか、人の心の闇を覗きこむような暗い曲になっており、静かに、虚ろに、音楽が流れていく。決して分かり難く晦渋な音楽ではなく、個々のフレーズが取っつきやすいので、飽きてしまうようなことはなかった。

そんな中に突然激しい音楽が切れ込んできて、インパクトを与えるが、そのうちまた静かになって、自己の内側に引きこもってしまうような曲だ。第4楽章が割と激しい楽章で、単純なフレーズの積み重ねによって力感を出そうとしているようだった。
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