同志社大学教授の椎名亮輔が書いたデオダ・ド・セヴラックに関する本。椎名亮輔は1960年生まれの音楽学者、哲学者。著者はこの本で2011年の第21回吉田秀和賞を受賞している。

日本語で書かれたセヴラックに関する本がほとんどない状況で、この本の存在はセヴラックの人となりを知るうえで、貴重な、唯一の本だ。一応伝記ということになっているが、セヴラックが生まれて死ぬまでを時系列でたどっていくのではなく、時々時の流れを前後させたり、時には著者が顔を出したり、そしてセヴラックが生きた時代の音楽的な潮流にも目を向けながら立体的に語られていく。

Amazonの紹介文を見てもわかるとおり、セヴラックには「都会の喧騒に背を向けた、スローライフの自然派作曲家」といったイメージがつきまとう。それに対して著者は「セヴラックが、がむしゃらに都会に背を向けた単なる「田舎の作曲家」ではないし、ましてや畑の泥をつけた靴でオルガンを演奏する「農民作曲家」でもなければ、政治のことなど何も考えてない「ノンポリ・スローライフ・アーチスト」などではまったくない」と書いており、セヴラックが持っていた政治的思想についても検証されている。

この本で最も感動的だったのは、著者が2009年にセヴラックの子孫を訪ねて南仏に行った時の話だ。そこで出会ったサウンド・スケープは、毎時に2回、毎時半に1回、日中はもちろん夜中も鳴らされる鐘の音だった。

村人たちはこの鐘の音を四六時中聴いている。村人たちは「この鐘の音に包まれていることによって神に見守られていると感じているだろう」。セヴラックの篤い信仰心はここから生まれたものではないだろうかと著者は推測している。

セヴラックの音楽の中に頻繁に現れる、鐘の音を思わせる音型。「それは、郷愁の香りをあたりに漂わせながら、音楽全体を包み込んでいくのである。ここで、すべてが一致する。生家の香り、故郷の風景、鐘の音、それらすべてをデオダ(セヴラック)の音楽は表現しようとする。すなわちそれは、取り返しのつかない、もう二度と戻ってこない、失われた郷愁の音型なのである」
Déodat_de_Séverac