カラヤン最後の録音。このCDが発売された時は、ジャケットにわざわざ「The last recording」と書いてあり、カラヤンの分厚いディスコグラフィーがついていた。そのおかげでCDケースは通常の物より厚くなっていたのだ。
一応セッション録音という事になっているが、カラヤンの伝記を読むとウィーン・フィルのメンバーが「このCD録音のためのセッションを持った覚えはない」と言っており、最後の演奏会となった1989年4月23日のウィーン、ムジークフィラインザールでのライブと、その前に行われたリハーサルを編集して作成したのがこのCDなのだろう。因みにCD―Rで4月23日のライブ録音が発売されているので、両者を子細に聴き比べたらどこか違う所が見つかるかも知れない。
ウィーン・フィルの弦の音色がとても清らかで、美しい真水のような透明感がある。全体の響きには、ベルリン・フィルとの録音に見られるような低音の充実がないので、余計にそう感じるのかも知れない。
フレーズの歌い方には全く無理がなく、力が抜けた自然体になうている。そのせいか物悲しいメロディは本当に寂りょう感を持って聴こえて来るし、心なしか「間」も大きく取られていて、音楽が行き先を逡巡しているような印象を持った。
多少縦の線が合ってない所も見受けられ、完璧なコントロールでオーケストラを掌握できているわけではない事が分かる。淀みなく流麗に流れて行っていて、勿論盛り上がる所の迫力は十分にあるが、カラヤンのライブ録音で聴かれるような、渾身の力を込めて叩きつけるような所は聴かれなかった。
第2楽章の冒頭も寂しそう。一旦盛り上がった後はウィーン・フィルの弦の緊張感が強く、鋭い音を聴かせてくれていて、純粋な音に惚れ惚れしてしまう。力が抜けた中でもしっかりした運びが保たれている。
第2楽章最後の盛り上がりは凄い迫力。金管楽器の叫びも凄いが、それ以上に弦の張り詰めた音が壮絶な表現を聴かせる。その後は心の平安を表すように穏やかな表現に戻っていった。
その後も自然に揺るぎなく流れて行き、儚い抒情性を感じさせる世界は、カラヤンが最後に到達した境地だろうか。それとも体力の衰えで結果的にこんな演奏になっただけなのか。その両方がない交ぜになった結果と言うしかないのかも知れない。
カラヤンはこのコンサートの次の日、4月24日には長年連れ添つたベルリン・フィルに対して、全ての役職を辞任する旨の発表を行っており、当然このコンサートの時には辞任の決意を固めていたと思われる。カラヤンはどんな心境でこのコンサートに臨んだのだろうか。悲壮な決意があったんじゃないかと想像したりするが、心中を察すると余りあると言った所だろう。
アントン・ブルックナー
交響曲第7番
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 .
収録:1989年4月18-23日ウィーン、ムジークフィラインザール