※本記事は握手会レポートに特化した内容です。その日一日をまとめたものは、また別記事にします。



 生駒里奈編
20150201-01
(画像は1月18日、横浜個別握手会のもの)


 朝から緊張感があった。それははじめて握手会に参加したときと同じか、それに匹敵するほどの強さ。その原因は生駒里奈の存在。彼女と握手をするという現実が、恐怖に近いほどの感情で襲ってくる。

 ほかに、ゆったんとひめたんの握手券を持っていたが、まず生駒ちゃんを消化しないことには楽しめない気がした。しかしなかなか並べない。並ぶ勇気がでない。

 見たままをそのままに言えば、1部において生駒ちゃんレーンに行列はできていない。並べばすぐに順番が回ってくるだろう。心の準備は今のうちに済ませなくてはいけない。

 そもそも生駒ちゃんに、なぜこんなにも緊張するのか。

 はじめに乃木坂46のMVをしっかり見たのが「制服のマネキン」。グループにどっぷりとはまるきっかけになった「君の名は希望」。言うまでもなく、生駒ちゃんがセンターで、もっとも輝いていたのは言うまでもない。自分のイメージは、あのときの生駒里奈のまま。いや、それは今も変わっていないだろう。

 兼任制度の是非はともかく、その経験は彼女の成長を促進した。乃木坂+AKBの未踏の地を進む彼女が、乃木坂躍進の立役者のひとりであることは間違いない。

 さゆりんのスキャンダルにしても、ある意味で乃木坂というグループが世間に問われたとき、その事件の中心人物の傍にいたのが生駒だった。あのとき、あの瞬間。発言次第では乃木坂が瓦解しそうなとき、それを支えた生駒の存在。それは乃木坂の精神的支柱であることの証明でもあった。

 握手会人気を取り上げ、生駒を責める声もある。それはひとつの側面から見た真実であることに間違いはない。しかし、それ以外で生駒が乃木坂のために身を粉にした現実にも目を向けるべきだ。物事は一方向から語られるものではない。

 閑話休題。



 生駒ちゃんの存在は、自分の中で別格。推しとかそういうものを超越した、「乃木坂46の核」に会うぐらいの気持ちがあった。

 いつまでも迷っていて券を無駄にするわけにはいかないので、気持ちを固め、レーンに並ぶ。前にはひとりだけ待っている。レーン横には、「風邪のためマスク着用させていただきます」の張り紙。そうか、体調悪いのか。しかたないこととはいえ、顔を見れないのはちょっと残念と思いながら待つものの、一向に列が動かない。

 ちらっと衝立の奥をのぞき見ると、そこに生駒ちゃんの姿はなかった。はて、どういうことかと思い、前に並んでいた人に話しかける。

 その男性の方はとても気さくな方で、今日は朝から体調が悪く何度も休憩を挟んでいることを教えてくれた。

「だれ推しなんですか?」

 唐突に聞かれたその質問に、一瞬言葉が詰まった。浮気性で明確な推しがいないことは、このブログの訪問者であれば周知の事実。しかし改めてストレートに聞かれた質問に、どう答えるべきか。

「あー……いや、実は明確な推しがいないんですよ。みんな素敵で。浮気性なんです」
「それじゃ、生駒ちゃんは?」
「ああ、はじめてです。なんだか緊張しちゃって」

 すると、その方は破顔一笑、嬉しそうに語ってくれた。

「ありがとうございます。緊張しなくてだいじょうぶですよ。ライブとかのイメージでくると、びっくりするかもしれませんが、本当に普通の子ですから。あ、それと朝は弱くて、体調も悪いからテンション低いかも」

 相槌を打ち、話を聞きながら、なんて素敵なファンなんだろうと思った。この方は最初、お礼を述べた。生駒ちゃんの握手にきた自分に、だ。それは生駒ちゃんを思っての言葉。彼女のファンが増えるのが純粋に嬉しいのだろう。メンバーの、言ってしまえば他人の幸せをここまで素直に喜べる。おそらく年下であろうその方に、心を洗われた思いがした。
 
 談笑しながら並んでいると、生駒ちゃんが戻ってきた。いかん、心の準備がまるでできていない。話に付き合ってくれた方は1枚。何度もループしているらしい。順番はすぐにやってくる。

 ええい、でたとこ勝負!

 1枚です、スタッフに促されついに握手のとき。

 生駒ちゃんは椅子に座り、マスクをして、毛布にくるまっていた。ぱっと見、まるで重病人。その毛布の隙間から、小さな手が弱々しく伸ばされている。はじめて生駒ちゃんに会えた感動よりも、その姿に衝撃を覚え、おそらくもっとも言ってはいけないことを口走ってしまう。

「みんなに言われてると思いますが、だいじょうぶですか?」

 大丈夫でないからこんな格好なのだ。誰でもわかる。生駒ちゃんだって、そんなことを聞かれるために、がんばって出てきてくれているわけではない。

 しかし言ってしまった言葉は飲み込めない。彼女ははっきりと目を伏せた。

「ちょっと長引く風邪をひいちゃってね……」

 間があった。生駒ちゃんは、うーん、と唸っている。何を言うか迷っているようだった。1枚における握手はおよそ5秒。一瞬の迷い。すなわち終了の合図。

 瞬発力があるファンであれば、生駒ちゃんに先を促すか、自分から何かを話しかけ、何度か会話を往復させられただろう。でも、自分は待ってしまった。普段の会話のように、彼女の次の言葉を待った。

 当然、いつまでも待てるわけがない。そのまま時間がくる。

 「安静にしてくださいね」

 最後にでた言葉は、またしても浅はかな言葉。それができる立場でないことも、それを良しとしない性格も分かっているじゃないか。何を当たり前のことを……。

「うん。またきてね」

 まるで病人。いや、事実、病人なのだろう。病院にお見舞いにきたかのような気持ちで、その場を離れる。去り際、振りかえると、まだ両手で手を振ってくれている。その健気な姿に、今度こそ何も言えず、ただ曖昧に笑って頷くことしかできなかった。


 握手はこれで通算4人目。はじめての感情だった。幸せな気持ちになった永島聖羅、あまりのかわいさに言葉を失った北野日奈子、ありきたりな言葉しか出せずに後悔した伊藤寧々。

 それらとはまるで違う感情。握手をさせてもらって言う言葉ではないが、もう休め!と叫びたい気持ちになる。体調不良をおして仕事をすることは、プロ意識とは違うのかもしれない。しっかりと休むのもまたプロだからだ。それにあれでは満足な握手はできないだろう。ただでさえ、その自然体がゆえに敬遠されている節もある。今回の件で、さらに不評が喧伝される恐れもあったはずだ。

 それなのに生駒ちゃんは出てきた。先々のイメージよりも、目の前の仕事に全力を尽くす。その彼女の精神が如実に現れているかのような姿。


 生駒ちゃんは、確かに自然体だった。アイドルを取り繕う余裕がなかったのかもしれない。並んでいたときに話があったように、極めて普通の女の子だった。オーラなんてあったもんじゃない。だからまるで、身内に話しかけるように、ごく普通の言葉しか出なかったのかもしれない。振り返れば、自分の発した言葉は、対アイドルというより、対“人”だった。家族においても、同僚においても、風邪をひいている姿を見れば、だいじょうぶか、と聞いてしまうのが普通だからだ。

 
 生駒レーンを振り返る。休憩の影響で伸びていた列も、今ではすっかりさばけている。奥を見れば、人気メンバーの長蛇の列ができている。

 これが現実。握手会における、誤魔化しのきかない残酷な事実。乃木坂の顔とされている生駒ちゃんにとって、握手会とは何なのだろうか。もしかしたら、毎回逃げ出したくなるような、過酷のイベントではないのか。いや、彼女はきっとそう思ってはいないだろう。病気を押してでも立ち向かう、真剣勝負の場なのだ。




なんかアイドルなのに可愛い対応とか出来ないけれど、
いつも応援ありがとうございますという気持ちを私は握手会で皆さんに伝えたいなと思います。

本当、。

可愛い対応出来なくてごめんね〜(;д;) 

テレビとかLIVEとかとテンション違うけど、

どちらかというと握手会の時はいつもの生駒ちゃんなんです。

テンション低い訳じゃないのよ〜

把握よろしくです

二桁。/生駒里奈オフィシャルブログ 

 実感をともなって把握。でもそれが彼女の魅力であることも、同時に把握した。病気でよりテンションの低い生駒ちゃんは、まさに普通の女の子。それがテレビやライブになると、あそこまでの輝きを見せる。その両面性のある人間、生駒里奈に引かれた。
 

 次は、今回のことに対してのありがとうも、ごめんなさいも必要ない。まじめで、誠実で、ちょっとだけ不器用な姿が見れればそれで良い。生駒里奈は生駒里奈。裸のまま戦う姿を見れてよかった。
 

 君は、君のまま突き進め。

 生駒里奈の魅力は、そこにある。

 20150201-02



 生駒ちゃんで書きすぎてしまったので、ゆったん、ひめたんはまた別記事で。