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第2回ノギザカッション小説コンテスト
エントリーNo5

てぃんさぐの詩
20170902-35
 
(1)空

「せーんせっ」

私を呼ぶ華やいだ声に、離れの入り口を振り返った。
彼女はそこにいた。

「出たな、僕女」
「なんだよ!僕は僕だよっ」
「年頃なんだから、『僕』はやめろって言ったじゃないか」
「うるさーい!グズグズ言うと、可愛い僕を見せてやんないぞ!」
「押しかけてきたくせに」

彼女のふくれ面に、私は思わず吹き出した。
彼女も釣られて大笑いした。

「どうしたの?その『伊豆の踊子』みたいな格好」
「踊子じゃないよ!エイサーの服。先生に見てもらいたいな、と思って」
「エイサーかぁ。初めて見た」
「でしょ!でしょ!良かったぁ」

可愛いじゃないか、と言いかけて言葉を飲み込んだ。

「身体小さいからネズミみたいだなぁ。黄色いから…そうだな…電気ネズミ」
「電気ネズミってなんだよ!」
「なんですかチュウ、だろ?」
「じゃ、先生なんか電気でしびれちゃえ!喰らえ、10万ボルトだ!」
「うわ~やられたぁ!」
「もう!バカにして!医者だからっていっつも白衣着て、ゴーヤーのワタみたいなくせに!」
「ゴーヤーのワタ?」
「そう、ワタ野郎め!ピカピーカ!」
「何それ」
「怒ってるから、僕の電気が光ってるの!」

私が爆笑すると、踵を返して「ワタ野郎の頭にピカピーカ!」と囃しながら、母屋の方に帰っていった。

やれやれ、元気だな。

下宿になっている離れから出て、思い切り伸びをすると、沖縄の空はどこまでも青かった。



(2)海

海を見ていた。

海軍下士官になって、南洋戦線へ出征した兄は無事だろうか。虚弱だった私はこうして医者の身だ。お国のためになれているのだろうか。
この美しい海の向こう、我が日本が鬼畜米英と闘っているなんて。
鬼畜米英?戦火を交えているアメリカ兵にも、こうやって心配する弟がいて、無事を願う父母と帰りを待つ恋人があるのではないのか。
何のために人は人と争っているのだろうか。
何を求めて殺し合っているのだろう。


いつの間にか、水着の彼女が隣に座っていた。
私が気配に気づいたのを察すると、彼女は何も言わずに海にざぶんと入っていった。

彼女は泳ぎが上手かった。
水を得た魚とはこのことか、と思った。

ひとしきり泳ぐと、身体を拭くのもそこそこに、またそばにちょこんと座った。

「泳ぎ上手いじゃないか」

褒め言葉にはにこりともせず、話し始めた。

「先生、僕はね」
「ん?」
「諦めた時が人生の始まりなんじゃないか、って思うんだ」
「え?」
「全てをありのまま受け止めてから、人は初めて歩き始められるんだ」
「……」
「この海はね」
「海が?」
「全てを受け入れて、それなのにこんなに穏やかで美しいんだ。時に荒れても、必ず美しさを取り戻す」
「……」
「そして、みんなの生命の源であって、みんなを幸せにしているんだ」
「そうだね」
「……そんな人に…僕はなりたい」

真剣な横顔を見つめることしか、その時の私にはできなかった。

「戦争が終わったらね」
「戦争が終わったら…」
「やりたいことがあるの」
「将来の夢だね」
「僕は、歌うたいになって、歌って踊るんだ。世界中で。そう、世界中」
「大きい夢だね、宝塚みたいな?」
「いやもっと、流行り歌とかなんでも。いろんな言葉のいろんな歌を、日本だけじゃなく支那でもアメリカでもイギリスでもドイツもイタリアもフランスもソヴィエトでも、世界中どこでも」
「世界をひとつにする勢いだね」
「僕はそこで、愛と平和を歌うんだ。爆弾や機関銃の音に負けないように、大きな声で」
「愛と平和…」
「殺し合いなんか嫌いだよ、僕は」

私が言葉を失っていると、彼女はすっくと立ち上がった。
『てぃんさぐぬ花』を透き通った声で歌う。実に心地良い。

「なんか変なこと言っちゃったでチュウ」
「大事なことだよ」
「…そう思ってくれたなら、嬉しい」

真っ直ぐな細い腕をさっと海の方に伸ばした。

「さ、もうひと泳ぎしよう。先生、お母さんが薪割り手伝って欲しいって」
「あ!まずい!忘れてた!」

私の人魚姫は珊瑚礁の海に吸い込まれていった。



(3)ひめゆり

先輩である陸軍将校から、半ば軍令ということで、中国戦線に軍医として加われ、と連絡があったのは予想もしないことだった。

「大尉殿のご下令とあれば、断らぬように」
わざわざ田舎から手紙まで来た。
不穏になって来た沖縄。
彼女を残して去りたくなんかない。
まったく、ひとの気も知らないで。

浮かぬ気持ちで荷物をまとめ始めてみたものの、まったく気が乗らない。
期限はもう少し先だ、と不貞寝を決め込むことにした。

パタパタパタ。
彼女の足音だ。

浮き立つ気持ちを押さえ込むように、がばっと起き上がった。

「せんせっ!」
「どうした、そんなに急いで」
「支那に…支那に行くの?」
「えらい早耳だね」
「やっぱりホントなの?」
「ああ、大尉殿からどうしても来いと。医者不足らしい」
「そんなの…ここだって医者不足なのに…断れないの?」
「軍令だし、田舎ではみんながお世話になっている大尉殿だし」
「そっか…軍医として皇国のために、だね。まったくあの大人たちめ!」
「どうしたんだい」
「あいつらさ、先生のこと沖縄が危ないから逃げるんだなんて!アカンベーしてやったよ」
「……!!」

私はその時、周りがどう思ってるかを知った。

「良いんだ、僕は先生を信じてるから」
「……」
「まだ噂だけどさ、今度学徒隊ってのを募集するんだって」
「学徒隊…か」
「先生が支那に行ってる間、留守は僕が守るよ!」

寂しげな彼女の瞳から、私は目を逸らすことしかできなかった。

「皇国女子ここにあり!細腕なれど報国の志高し!」

無理に張り上げる声が、心に刺さるようだった。


冷たい目線の中過ごす日々は、出立まであっという間だった。



(4)星

中国に着いた私は、大人たちの中傷が現実になったことを知った。
私は愚かだったのだ。

医者不足はもちろん事実で、満足に休む間も無いほど忙しかった。
が、心は沖縄に置いてきたままだった。

伝え聞く沖縄の戦況は芳しくなかった。
アメリカ軍との死闘。
私は遠い支那の夕陽に「愛と平和、愛と平和」と呟くことしかできない、自分の無力さを呪った。
私は彼女を見捨ててここに来てしまったのだろうか…。

ある夜、大きな流れ星を見た。

数日後、傷病兵の手当中に、沖縄隊総員突撃と玉砕の大本営発表を聞いた。
その日はもう仕事はできなかった。


ようやく引き揚げて帰国した私を、「沖縄は外国」という現実が打ちのめした。

私は星を見失ってしまった。



(5)君の名は希望

学徒隊の戦没者名簿に、彼女はいた。

それを確認した図書館で、私は職員に追い出されるまで、立ち上がることができなかった。

沖縄は怖くて…いや悔恨と懺悔とで自分が焼き尽くされてしまいそうで、ずっと行くことができなかった。




今、私はこうして90過ぎまで生きながらえてしまった。
死ぬ前に沖縄に行かねば悔いが残るだろう。
大学生のひ孫を「沖縄旅行」で釣って、私は沖縄の地に72年ぶりに立った。

彼女と私が暮らした家の辺りは、さとうきび畑になっていた。
ざわわ…ざわわ…
風に揺れる葉音は、彼女が泳いだあの時の波の音のようだった。
目を閉じると、水着の彼女が微笑んでいた。
「済まない……私を赦しておくれ」


「じいちゃん!いつまでこんな畑にいるの?もう2時間になるよ!」

ひ孫に促されて、渋々その場を離れ、慰霊碑に向かった。

石碑の中ほどに名前はあった。
名前に指を触れたら涙が止まらなかった。

ひ孫も黙って見ていた。

「サトシよ、好きな女がおったらなあ」
「なんだよ急に、じいちゃん」
「全力で愛せよ!死んでからその娘が自分の希望だったと気づいてもどうにもならないから」
「う、うん。わかったよ」

いつにない私の迫力に、彼も何かを感じたようだった。


長い長い黙祷を捧げ、ホテルに戻った頃はすっかり夜だった。

「なにが『沖縄旅行』だよ…どこも行けなかったじゃん」

ぶつぶつ言うひ孫をなだめて、夕飯の後で部屋に戻った。

「はい、じいちゃんお茶」
「すまんね」

ひ孫がテレビを点けた。
ふと画面を見た瞬間、私は雷に撃たれた。

「アチッ!じいちゃん、茶碗落としたよ!」
「サトシ、この娘は?この娘は?」
「あ~もう…ふきんふきんっと。え?じいちゃん、アイドル興味あんの?」

画面で屈託なく笑う女の娘から目が離せない。そんなまさか…。

「この娘は?」
「なんだよ、じいちゃんもアイドル好きか。血は争えないね〜」
「だから、この娘は誰なんだい?」

お茶を拭きながら、さも当然というように答える。

「乃木坂46三期生の、伊藤理々杏ちゃん。中学三年生15歳!いや、まだ14歳か。沖縄県出身」
「…沖縄……」

ふきんを洗いながら、サトシは続けた。

「いや~じいちゃんが、まさかりりあんとはねぇ〜。お目が高いっつーか、なんつーか」

私はそれには応えず、画面をじっと見つめた。




その夜は眠れなかった。

風を求めて、庭に出た。
まだ微かに見える天の川を見上げた。

「りりあん、だってさ」
「君に瓜二つの沖縄の娘が、歌うたいになったって」
てぃんさぐの花から、ポトリと露が滴った。

東の空はもう紫色だった。
夜明けの近いことを告げていた。

(完)

20170902-36