【2014年大晦日企画24-4】
【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。
握手会にはいろいろな人がいる。年齢も性別も、国境さえも、共通の目的があれば飛び越えられる。中元日芽香はその雰囲気がとても好きだった。
自分には何もないと思っている。もし、才能というものがあるとするならば、その欠片すら宿ってはいない。 だから控えめ、控えめに生きてきた。きっと生涯そうだと思っていた。そんな自分がアイドルでいる現実が、いまだに信じられない。これは夢なんじゃないかと、毎晩、不安になる。朝、目が覚めたら、すべてが覚めてしまう恐怖感が常につきまとう。
握手会とは、その憂鬱な気持ちを払拭できる最適の場所だった。
日芽香はいつものように持ち場に立ち、次々に訪れるファンに全力で対応する。笑顔はすばらしい。自分が誰かの笑顔になれるのなら、誰かの笑顔の源になれるのなら、自分がここにいる意味がある。逆に言えば、誰も笑顔にできなかったら、ここにいる理由はない。
「うわ」
大学生ぐらいのメガネの男性が、順番になって前に立つなり、声をあげた。
「どうしたの?」
日芽香は全開の笑顔でその手を握り、下から見上げるように顔を覗きこむ。
「お、思ってたより、かわいくて……」
「えへへー、嬉しいー。でも、それ、失礼だよ?」
言葉とは裏腹に、その声は柔らかい。 メガネの男は恍惚とした表情で、日芽香の大きな瞳に吸い込まれる。
「ま、またきます」
「うん。待ってるよー」
ブースから去る男の背中に、日芽香は最後まで手を振る。そうしてから次のファンに向き直る。
次にきたのは少年だった。高校生ぐらいだろうか。まだ幼さが残る顔立ちだが、鋭い瞳が、まっすぐに日芽香を見ている。笑顔はない。ただ意志のこもった視線を投げかけてくる。
緊張してるんだろうな。
日芽香は内心でそう思い、少年の手を両手で包み込む。
「はじめて?」
少年は何も話さない。ただ、日芽香を見る。
ブースに入るときにかけられた声で、この少年は握手券1枚できていることはわかっている。そうなると、5秒ぐらいしかこうしていられない。もう時間はない。このままでは、この少年にとって握手会自体が良い思い出にならない。それじゃ、自分がここにいる理由はない。
そのとき、ようやく少年が口をひらく。
「ひめ」
はじめての呼ばれ方だった。ファンからは、ひめたんの愛称で呼ばれている。ひめ、と呼ぶ人はいなかった。そう呼ばれることに抵抗があったことも事実。日芽香は常に、自分なんか、という劣等感と戦っていた。自分なんかに、ひめ、という呼称は気恥ずかしすぎる。いつだか、ファンに向けてのメッセージでそんなことを書いた気もする。
しかしこの少年は、何の躊躇もなく、日芽香をそう呼んだ。
「お時間です」
時間を計っていたスタッフが、少年の腰に手をあてる。
しかし、時間です、という声にも関わらず、少年は日芽香の手を離さない。日芽香もここにきて異常を感じ、ファンの前では常に絶やさない笑顔に影がさす。
スタッフは少し強く少年の体を押す。するとその少年は、日芽香の耳元に顔を近づけ、何かを囁いた。スタッフからは、小さい声で早口だったので、何を話したのかわからない。
日芽香は聞いた。少年の言葉を確かに聞いた。その言葉を理解する前に、表情が失われる。自分がどんな顔をしているのか分からなくなる。気づいたら、涙がこぼれはじめた。そこにきてようやく、体に心が追いつく。なんで泣いているのか、なんで涙が止まらないのか、なんでこんなに胸が苦しいのか、それがわかった。
少年は手を離す。
「ひめ」
その名を、また呼ぶ。“あのとき”と同じように。
「今度こそ」
少年は背中を見せる。その背中に手は振れない。体が動かなかった。
「必ず助ける」
すべてを心で知った日芽香は、身を乗り出し、叫ぶ。
「わたしを……っ!」
周りが騒然となる。しかし、そのすべてが違う世界のように感じる。日芽香はその先を叫ぼうとする。その先の言葉を、少年の背中にぶつけようとする。
しかし、それは不幸のはじまり。悲しみの連鎖。断ち切れない因果を、再びその身に受けることになる。
それでもいいのか。それでも少年の名を呼ぶのか。わたしはその先の未来に耐えられるのか。
日芽香の心が、未来へと飛ぶ。
そして、現在へと戻る。
迷いは吹っ切れた。
柵を飛び越え、スタッフを振り払い、少年の背中をめざす――。
後編に続く
【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。
握手会にはいろいろな人がいる。年齢も性別も、国境さえも、共通の目的があれば飛び越えられる。中元日芽香はその雰囲気がとても好きだった。
自分には何もないと思っている。もし、才能というものがあるとするならば、その欠片すら宿ってはいない。 だから控えめ、控えめに生きてきた。きっと生涯そうだと思っていた。そんな自分がアイドルでいる現実が、いまだに信じられない。これは夢なんじゃないかと、毎晩、不安になる。朝、目が覚めたら、すべてが覚めてしまう恐怖感が常につきまとう。
握手会とは、その憂鬱な気持ちを払拭できる最適の場所だった。
日芽香はいつものように持ち場に立ち、次々に訪れるファンに全力で対応する。笑顔はすばらしい。自分が誰かの笑顔になれるのなら、誰かの笑顔の源になれるのなら、自分がここにいる意味がある。逆に言えば、誰も笑顔にできなかったら、ここにいる理由はない。
「うわ」
大学生ぐらいのメガネの男性が、順番になって前に立つなり、声をあげた。
「どうしたの?」
日芽香は全開の笑顔でその手を握り、下から見上げるように顔を覗きこむ。
「お、思ってたより、かわいくて……」
「えへへー、嬉しいー。でも、それ、失礼だよ?」
言葉とは裏腹に、その声は柔らかい。 メガネの男は恍惚とした表情で、日芽香の大きな瞳に吸い込まれる。
「ま、またきます」
「うん。待ってるよー」
ブースから去る男の背中に、日芽香は最後まで手を振る。そうしてから次のファンに向き直る。
次にきたのは少年だった。高校生ぐらいだろうか。まだ幼さが残る顔立ちだが、鋭い瞳が、まっすぐに日芽香を見ている。笑顔はない。ただ意志のこもった視線を投げかけてくる。
緊張してるんだろうな。
日芽香は内心でそう思い、少年の手を両手で包み込む。
「はじめて?」
少年は何も話さない。ただ、日芽香を見る。
ブースに入るときにかけられた声で、この少年は握手券1枚できていることはわかっている。そうなると、5秒ぐらいしかこうしていられない。もう時間はない。このままでは、この少年にとって握手会自体が良い思い出にならない。それじゃ、自分がここにいる理由はない。
そのとき、ようやく少年が口をひらく。
「ひめ」
はじめての呼ばれ方だった。ファンからは、ひめたんの愛称で呼ばれている。ひめ、と呼ぶ人はいなかった。そう呼ばれることに抵抗があったことも事実。日芽香は常に、自分なんか、という劣等感と戦っていた。自分なんかに、ひめ、という呼称は気恥ずかしすぎる。いつだか、ファンに向けてのメッセージでそんなことを書いた気もする。
しかしこの少年は、何の躊躇もなく、日芽香をそう呼んだ。
「お時間です」
時間を計っていたスタッフが、少年の腰に手をあてる。
しかし、時間です、という声にも関わらず、少年は日芽香の手を離さない。日芽香もここにきて異常を感じ、ファンの前では常に絶やさない笑顔に影がさす。
スタッフは少し強く少年の体を押す。するとその少年は、日芽香の耳元に顔を近づけ、何かを囁いた。スタッフからは、小さい声で早口だったので、何を話したのかわからない。
日芽香は聞いた。少年の言葉を確かに聞いた。その言葉を理解する前に、表情が失われる。自分がどんな顔をしているのか分からなくなる。気づいたら、涙がこぼれはじめた。そこにきてようやく、体に心が追いつく。なんで泣いているのか、なんで涙が止まらないのか、なんでこんなに胸が苦しいのか、それがわかった。
少年は手を離す。
「ひめ」
その名を、また呼ぶ。“あのとき”と同じように。
「今度こそ」
少年は背中を見せる。その背中に手は振れない。体が動かなかった。
「必ず助ける」
すべてを心で知った日芽香は、身を乗り出し、叫ぶ。
「わたしを……っ!」
周りが騒然となる。しかし、そのすべてが違う世界のように感じる。日芽香はその先を叫ぼうとする。その先の言葉を、少年の背中にぶつけようとする。
しかし、それは不幸のはじまり。悲しみの連鎖。断ち切れない因果を、再びその身に受けることになる。
それでもいいのか。それでも少年の名を呼ぶのか。わたしはその先の未来に耐えられるのか。
日芽香の心が、未来へと飛ぶ。
そして、現在へと戻る。
迷いは吹っ切れた。
柵を飛び越え、スタッフを振り払い、少年の背中をめざす――。
後編に続く
コメント
コメント一覧 (4)
台無し(いや緊迫に耐えかねてですね?)
これまでと全然違うテイスト。
次を、次をはやく!
走った先にバスケットゴールがありませんように!(笑)
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