【注意】
この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。また妄想成分が多大に含まれていますので、閲覧にはじゅうぶんご注意ください。 

20150717-01



――これは、わたしたちが、わたしたちを見つける、わたしたちの物語。


小説<乃木坂>

第1部【ぐるぐるカーテン】

第3話「白い雲にのって」 





 晴れた空だった。雲が泳ぐように流れている。きっと雲の上にいければ、悩みも苦しみもない、すばらしい世界が広がっているのだろう。しかし、生きている限り、そこに行くことはできない。地に足をつけて生きている以上、現実と戦うことを宿命づけられている。

「あーあ、ばっかばかしい」

 星野みなみはかわいらしい声で言うと、壁に背中をつけ、足を放り出す。

 乃木坂学園の1年生である星野は、その愛くるしい容姿と、耳がとろけるほどの甘い声で、一躍学年の人気者となったが、性格はいたってドライ。反抗期真っ只中だった。

 今日も学園に来たはいいものの、授業を受けるのがめんどくさくなり、屋上にきて時間をつぶしている。

 そもそも決めれらた時間に、決められた授業を受けなくちゃいけないのがおかしい。もっと自由にやらせてくれてもいいじゃないか。縛りつけようとするから抵抗するのに、先生たちは何もわかっていない。

 とりあえず最初の授業をさぼって、その後、教室に戻ろうか。

 ぼんやりと空を見上げていると、遠くで屋上の扉が開く音がした。つづいて、足音。誰かはすぐに分かった。

 星野はため息をつく。

 面倒なやつがきたなぁ……。

「なにやってんのよ」

 冷たい声が降ってくる。視線を上げると、クラスメイトの齋藤飛鳥が腰に手をあて見下ろしていた。学園どころか、世界で一番小さいのではないかと思えるほどの小顔を怒りで埋め尽くしている。

「そっちこそなにしてんの? もう授業はじまってるでしょ?」

 星野が顔を背けて言うと、飛鳥はその場にしゃがみこみ、視線を強引にあわせる。

「先生につれてこいって頼まれたのよ」
「なんで飛鳥が?」
「仲良いって思われてんじゃないの? いい迷惑よ」
「それはこっちの台詞」

 星野と飛鳥はしばしにらみ合いと、ほぼ同じタイミングで視線を逸らす。

「あんた、間違ってる」

 飛鳥がそっぽを向いたまま言う。

「なにがよ」

 星野は、そんな飛鳥と逆の方向を向いたまま言った。

「それじゃ逃げてるだけ。何も変わらない」
「は? 意味わかんないんだけど」
「不満のぶつけ方が間違ってるって言ってんだよ。あんたそもそも何に怒ってるの?」
「なんでそんなこと飛鳥に言わなくちゃいけないの」
「どうせ自分でもわかってないんでしょ、イライラする原因が」
「うるさい。わかってる」
「わかってないね。わからないから、こうやって逃げてる。逃げて解決することなんてないのに」
「何がわかるんだよ、飛鳥に」

 星野が、飛鳥を睨む。飛鳥はその視線を苦笑で受け流した。

「わかるよ。わかるんだよ」

 ひとりごとのように言うと、その場で立ち上がり、大きく伸びをする。

「わたしも問題児だからね」

 星野はそんな飛鳥を見上げて、内心で彼女の言動を思い返した。

 確かに自分で言う通り、飛鳥はクラスの問題児だった。アイドル顔負けのルックスにも関わらず、粗野で荒っぽい。納得するまで引き下がらない勝気な性格は敵もつくりやすかった。

 しかし、クラスで浮いていたわけではない。歯に衣着せぬ物言いは、対面を気にして、回りくどい表現を多用する女子からすれば憧れにもなった。話していて心地よさもある。相談事を一刀両断で回答する飛鳥は、クラスのご意見番でもあった。

 そんな飛鳥だが、教師陣からの評判がすこぶる悪い。たとえ授業中であっても、おかしいと思ったことは、ばしばしと切り込んでいく。それが的を射ていればいいが、若さゆえに見当違いの指摘もあった。それらすべてに回答していては授業がままならない。いつしか各授業の担当教師は、飛鳥の意見を聞き流すようになっていた。

 星野もまた、教師から疎まれる存在だったが、飛鳥とはまるで理由が違う。星野の場合、すべてにおいて無気力。そのやる気のなさが目をつけられる原因だったが、飛鳥は逆。やる気がありすぎることが目立ち、釘を刺される原因となっていた。

「飛鳥とわたしは違う。一緒にしないで」

 絞り出したその言葉に、飛鳥は笑った。

「それもそうね。わたしも一緒にされたくないわ。でも周りがね、一緒くたに考えるから。ほんとに迷惑」

 目を伏せていた星野の前に、飛鳥が小さな手を差し出す。

「学生の仕事は勉強すること。ほら、教室に戻るよ」
「だから、戻らないって――」

 星野が手を払いのけようとした、そのとき。


「きみがいい」


 声がした。男の声。

「え? だれ?」
「どうしたの?」
「今、男の人の声しなかった?」
「男? ここにいるわけないでしょ」
「でも、確かに今……」

 星野は立ち上がって、屋上を見渡す。遮るものがないので、屋上の全景はここから見渡すことができる。自分と飛鳥。ふたりしかいない。


「3人目は、きみだ」


「だれ!?」

 叫ぶ。

「ちょっと、みなみ。どうしたのよ」

 その飛鳥の声は、校舎から聞こえてきた悲鳴でかき消された。 

 許して、許して、許して――。

 何度も繰り返される声は、空に吸い込まれるように響いてくる。その空に雲はない。先ほどまで流れていた雲はない。

 誰かが白い雲に乗って動かしたかのように。

 あれだけあった雲は、どこにもなくなっていた。




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 教室中の視線が生駒に向かう。そこには頭を抱えて苦しむ彼女の姿がある。そのあと視線は、生駒が名前を叫んだ生田に向かう。生田はそんな周囲の視線を気にかけることなく、じっと生駒を見ていた。

 咄嗟の出来事に誰も声をだせない。生駒のうめき声だけが教室に響く。

 その状況は、生田に生駒が何かをされているようだった。少なくとも、生駒が苦しんでいることと、生田が無関係でないのは明白。

「なにしたんや?」

 静寂を破ったのは、生田と席の近い川村真洋だった。生駒と仲の良いグループの川村は、普段はおっとりとしているが、仲間のことになると熱い面を見せる。生駒グループにおいて、畠中清羅と川村真洋が武闘派を担っていた。

 しかし、そんな川村に生田は動じない。川村の向こう側、生駒をじっと見ている。

 ここにきて、ようやく教室が騒然としはじめた。後ろの席の万理華をはじめ、寧々や市來が生駒の元に駆け寄っている。それを横目で見た川村は、生駒をみんなに任せ、生田に立ち向かう。

「まさか、生駒ちゃんにも声が……」

 生田はあくまで無表情のままつぶやく。

 自分のことを無視する生田に、川村は苛立ちが募る。さらに詰め寄ろうとした川村だったが、不意に後ろから肩をつかまれた。

「だめだ」

 畠中清羅だった。生駒と同じように苦しそうな顔をしながら、川村を見つめている。しかし、それは苦しみではない。唇が青ざめ、つかまれている手が震えている。

「生田に関わっちゃ、だめだ」

 畠中はいまだ生田の瞳の闇に囚われていた。決して触れてはいけないもの。その一端を垣間見た畠中は、生田がトラウマとなっている。

 だが、そんな状況を理解していない川村は、その肩を振りほどき、一歩前へと進み――

 生田のあの瞳を見る。





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「どいて」

 生田はクラスメイトをかき分け、生駒の前に立つ。

 しかたないとはいえ、また“あれ”を使ってしまった。川村さんと畠中さんには悪いことをしたが、説明してもわかってはもらえないだろう。今はおとなしくしてもらうしかない。いつかくる対決のときに、ふたりは必ず生駒の力になる。

 生駒は涙を流しながら、生田を見上げた。

「声がするんだね?」

 生駒が頷く。生田もまた頷き返し、生駒の頭にそっと手を乗せる。伊藤万理華がそれを遮ろうとしてきたが、伊藤寧々と市來玲奈に止められた。そんなふたりは、生田が生駒を救えると思っているのか、何かをお願いするような視線を向けてくる。

 寧々さんと市來さん……このふたりは頭がいい。頭がいいからきっと……やつに狙われる。

 守らないと。

 でもその前に。

(生駒ちゃんは幸せだね。みんな生駒ちゃんのことを大切に思ってる)

 内心で思いながら、生駒の短い髪を撫でた。

「生駒ちゃん。その声はなんて言ってる?」
「きみは、だれだ……って」
「どんな声?」
「男の人。今まで聞いたことない……」
「他には何か言ってる?」
「ううん、それだけ。それだけずっと聞こえてる……っ!」

 生駒は急に立ち上がる。勢いで椅子が後ろに倒れた。

「ねえ! ほんとにみんな聞こえないの!? こんなにはっきりと聞こえてるのに! どうして聞こえないんだよ! みんなしてわたしを騙してるの!? だったらごめん! もう許して!」

 錯乱状態となった生駒は、叫びながら教室の隅へと移動していく。そこは生田に、監視されていると告げられた場所だった。開け放たれた窓から吹き込む風にカーテンが揺れている。

 生駒はそのカーテンにしがみつき叫び続ける。

「もうやだ! 許して! 許して! 許して」

 計画変更だ。

 生田は無表情を貫いたまま決意する。錯乱状態になった生駒を止めるには、力を使うしかない。しかしそれは、自分の存在をやつに教えることになる。それでも生駒を放ってはおけない。このままでは、生駒は取り込まれる。そうなっては手遅れ、生駒の存在が世界から消えてしまう。

 生田は左手で右の腕をつかみ、右の手のひらに意識を集中させる。徐々に手のなかに重みが生まれてくる。具現化まであと少し。

 そのとき。


 ぱしぃん!


 乾いた音が教室に響いた。そして静寂。

 集中していた生田は、一瞬何が起きたか分からなかった。気づけば生駒の叫びも消えている。力を抜いて、音の出所を見る。

 生駒の傍に万理華が立っている。生駒は頬を抑えたまま、流れる涙を止めようともせず、呆然と万理華を見つめていた。 

「生駒」

 万理華はそんな生駒を抱きしめる。静寂に満ちた教室に、万理華の声が流れる。

「落ち着いた?」

 万理華が何を思ってそのような行動に出たのか、生田は理解できなかった。確かなことはひとつ。万理華は生駒の頬を叩いた。そしてその行動が、生駒にかかった呪縛を解き放った。

 まさか彼女にも力が……?

「いくちゃん」

 背後から声をかけられる。寧々だった。

「全部、聞かせて。生駒ちゃんがどうしてああなったか、知ってるんだよね?」
「クラスのみんなにもね」

 つづけて市來が言う。みんなの視線が生田に注がれていた。言い逃れも誤魔化しも通用しそうにない。これでは生駒に秘密で伝えた意味がない。できるだけ秘密裏にしたかったが、もう無理か。

 生田は周囲の視線を集めながら、窓へと近寄る。そこから空を見ると、雲ひとつない青空が広がっている。先ほどまであった白い雲はどこにもなくなっていた。

 もう、ひとりで戦うのは無理みたいね。

 嘆息し、すべてを打ち明ける覚悟を生田が決めたとき、教室のドアが開く。誰もが先生がきたと思ったが、そこに立っていたのは、見ず知らずの生徒だった。リボンの色から下級生とわかる。

 その下級生は、教室全体を見渡し、生田を見つけると、かわいらしい声で静かに一言だけを発する。


「殺す」


  教室に静寂が満ちる。下級生が教室に飛び込んでくる。悲鳴があがったのは、その後だった。





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