11月23日、第23回文学フリマ東京にて販売された『アイドルと文学 vol.1』にオリジナル小説を寄稿させていただきました。

 今回はその小説を公開いたします。

20161204-01

20161204-02


 キミ(アイドル)とボク(ファン)のミステリー(不思議)。

 この小説を書いている間、ずっと「ある人」を思い浮かべながら書きました。

 それが誰かは最後まで読んでいただければ分かるはずです。



 ――この出会いに、この別れに、意味はありますか?




同人誌『アイドルと文学 vol.1』掲載作品


「キミとボクのミステリー」
作 管理人(雪崩式ジャーマン)





 ――いつの間に、こんなにも好きになっていたのだろう。

 散らばった雑誌、山積みになっているCD、壁に貼られたポスター。「無味乾燥」と当時の彼女から驚かれた面影もない部屋でひとり思う。

 すべてが終わった。終わりははじまりと言うが、今のボクにはそれがまるで感じられない。思い出の詰まった部屋で記憶に寄り添う。それしかできない。そしてもう、新たな思い出が刻まれることもない。

 サヨナラ。

 そんな言葉、言いたくなかった。

 それまで、何かに夢中になったことがない。手をつけてみるものの、のめりこめない。何かに熱中する人を、なんでそんなものに、と冷めた目で見ていた。でもそれは、劣等感の裏返しでしかない。ただ羨ましかったのだ。何かに情熱を傾けられる人たちが。

 そんなボクが熱中できる趣味を見つけたのは30歳のとき。きっかけは、深夜のバラエティ番組だった。

 その日は、自分のミスにより休日出勤をしていた。残業しても終わらず、やりきれない気持ちを抱えたまま終電間際で帰宅。疲れと苛立ちを浄化しようとアルコールを流し込む。しかし疲労感は増す一方で、ちっとも紛れる気配はない。

 現実から逃れようとテレビをつける。スポーツ関係の番組が多い。つまらない、つまらないと次々、チャンネルを変えていく。心に癒しが欲しかった。

 手が止まる。若い女の子たちが楽しそうにしている。誰だろう。アイドルグループのようだ。番組名を確認すると、グループの名前が入っている。聞いたことはあった。あの秋元康が手がけたことで有名だったはず。でも見たのははじめてだった。

 そもそもアイドルの何が良いのか。このときの自分はまるで知らなかった。むしろ毛嫌いしていた。CDなんて1枚買えばじゅうぶん。複数買うことにまるで意味を見出せない。それなのに握手券という餌をつけ、不必要なCDを大量に買わせる。聞きかじりの知識だが、1枚で握手できる時間はほんの数秒らしい。バカバカしいにも程がある。そんな刹那の時間で何が得られるのか。

 しかし、気づけばその番組から目が離せなくなっている自分がいた。


 あれからどれだけの時間とお金を使ったのか。まるで把握できない。30代前半といえば、20代で培った経験を飛躍させる大事な時期。同期の仲間が次々とチャンスを掴んでいるとき、ボクは一切の脇目も振らず、アイドルのキミを追いかけていた。

 はじめて番組で見たキミは誰よりも輝いて見えた。とても陳腐な表現かもしれない。でも、ボクの目には間違いなくそう映った。一目惚れ。そうに違いない。まさか嫌っていたアイドルを好きになるなんて。いや、違う。ボクが嫌っていたのは、アイドルではなく、アイドルを軸としたビジネス。彼女たちに罪はない。そんなどうでもいい理屈を付け、アイドルを応援する自分を正当化しようとしていた。

 普通であれば、テレビの向こうの人物に恋焦がれても、会える機会はほとんどない。増してや接触などできるはずがない。しかしアイドルは違う。握手をして、面と向かって気持ちを伝えることができる。それがどれだけ価値のあるものか。昔の自分に教えてやりたい。

 はじめての握手は、記憶がほとんど残っていない。テレビの向こう側の存在でしかなかったキミが目の前に立っている。覚えているのは当たり前のその事実だけ。これではあまりにもったいない。最初は挨拶だけでいいと1枚しか買わなかったが、次は5枚、10枚と増えていく。

 時間は限られている。だからこそ尊い。言葉の隅々に神経を行き渡らせ会話を楽しもうとする。何度も通うと、顔を覚えてもらえる。そうなると最初の挨拶はなしで、いきなり本題に入れる。なによりも「認知されている」現実がたまらなく嬉しい。ライブでも必死で応援し、目線をもらおうと努力する。そうしていると、どんなに遠くても目線が合う瞬間がある。気のせいだと笑われるかもしれない。でもそのときの多幸感といったら言葉には言い現せない。

 調べれば調べるほど、触れれば触れるほど、好きになっていく。周りは不思議に思っただろう。アイドルに何の興味も示さなかったボクが、なぜこんなにもはまっているのか。自分でも不思議なのだから、人に説明できるはずはない。

 周りになんと言われようとも、アイドルであるキミを追いかけることがボクの生きがいだった。それで良かった。理由なんていらない。年甲斐もなく、と馬鹿にされてもいい。アイドルのキミから、ボクは幸せを教えてもらった。そのキミに感謝を示し、新たな思い出を手に入れられるなら、いくらでもお金と時間を消費できる。


 キミを応援する時間は、最高に充実していた。


 でも、終わりは必ずやってくる。


 すべてが終わった。ボクは何度となく思い、言葉にだして呟く。

 キミは今日、卒業を発表した。

 そのとき、ボクははじめて実感した。なんて儚いものを追いかけていたのだろうと。どんなに心の距離が近づいたとしても、しょせんキミは「アイドル」。ボクは「ファン」。その境界線を越えることは決してできない。でも、応援している間は、それを忘れられた。ひとりの素敵な女性と認識できた。

 しかし薄氷の繋がりを強固にできるわけもなく、ただのファンであるボクはキミの選択を受け入れるしかない。キミに駆け寄って話すことも、落ちた涙を一緒に拾うこともできない。キミがアイドルを辞めた瞬間、あっさりと、この繋がりは消え去ってしまう。そしてそれを拒否することもできない。

 無駄だったのだろうか。

 幸せはまやかしだったのだろうか。

 いつか。

 このサヨナラの意味を知ることができるのだろうか。

 放心状態のボクはただ、幻と悟ったキミの面影を追い、心の闇に落ちていく――。



 ――黒の世界で声がする。

「まだ起きてるの?」

 隣で寝ていた妻の声。目を開ける。

「なんだか寝れなくて。昔のことを思い出してたんだ」
 
 寝に入るために暗くした部屋のなかで、妻のお腹にそっと手を置く。

「信じられないよ」
 
 妻は静かに頷く。
 
「わたしも。違う命がここにあるんだよね」
「うん」
「ねえ、どうして昔のことを思い出してたの?」
「こんな自分でも親になれるのかなって」
「こんな自分って?」
「気にしなくていいよ」
「気にするって」
 
 苦笑する妻を見ながら、心では違うことを考えていた。

 「あれから」数年の時が経った。アイドルのみならず、芸能界を引退したキミの音沙汰は何も報じられない。キミとボクの線は完全に途絶えた。絶望したあの日。涙が止まらなかった時間。すべてを無駄と感じた日々。

 けど、今、振り返ると違う感情が生まれてくる。終わってなどいない。アイドルとの繋がりは、つまり、人との繋がり。それが簡単に消えることはない。記憶にまで「サヨナラ」はできない。

 若い女の子に熱中していた。決して人に誇れる趣味ではないのかもしれない。でも今なお続く幸せを得られた。そう、幸せは確かに続いていた。それはかけがえのない、生涯残る宝物。

 キミも今ごろ、お母さんになって子育てをしているのだろうか。そんなことを考えるだけでとても満たされた気持ちになる。

 会えなくなっても、思うだけで幸せになる。

 だから無駄じゃない。無駄じゃなかった。キミとの出会いは。

 こんな暖かな気持ちを今でも抱くことができるのだから。


 キミは今、幸せかな。

 ボクは今、幸せだよ。


「子どもの名前、さ」
「うん」
「ナナミってどうかな?」
「ナナミかぁ。理由は?」
「昔、好きだったアイドル」
「え?」


 相手は自分のことを何も覚えていないだろう。

 でも、その相手を思い、幸せを感じる。

 未練ではない。恋慕でもない。邪な気持ちもない。

 ただ一方的に感謝をし、幸福を得る。

 不思議ではじまった、不思議な関係は、 

 いつまでも、いつまでも、つづいていく。


「ねえ、パパ。わたし、アイドルになる!」
「そうかそうか。やっぱりパパの子どもだな」
「どうして?」
「昔ね……」

 ありがとうの記憶とともに。


(-完ー)