※この記事は主演の畠中清羅さんをメインに書いてあります。ほかの演者さんファンの方はそこを踏まえてご覧いただければ幸いです。





 ――2015年4月4日。今からおよそ2年前。"せいたん"こと「畠中清羅」さんは乃木坂46を卒業しました。正直、それから彼女が何をして、どんな現在に至っているのか。積極的に情報は追っていませんでした。我ながら薄情だとは思います。卒業したら興味がなくなるのかと。

 そんな折、畠中さん主演の舞台があると小耳に挟みました。戦時中の"従軍看護婦"の話。どう考えたって明るい物語ではありません。嫌な気持ちになるのは間違いないでしょう。もちろん、今を生きる人間として、知っておかなくてはいけないことも多くあると思います。でも、ごめんなさい、自分は戦争からは逃げ続けていました。直視するのが怖かったんです。

 でも、せっかくの主演舞台。しかも、場所は池袋。庭みたいな場所です。だからtwitterで「せいたんの舞台は当日でも大丈夫かな・・・」なんて何気なくつぶやきました。白状すると、きっとこのままでは行かなかったと思います。ただつぶやいただけ。重苦しいお話と畠中さんの舞台。天秤にかけたとき、こんな話見たくないと思ったのが正直なところです。

 しかし、その何気ないツイートに思いがけぬ反応がありました。なんと畠中さん本人から「大丈夫だよ」とリプライをもらったのです。

 最初は目を疑いました。成りすましなんじゃないかと思いました。けど、何度見ても本人。本当にびっくりしました。しかしこれは自慢でも何でもありません。自分だから返事があったわけでは当然なく、きっと、まめに検索して、ひとりでも多くの人に舞台を見てもらおうと努力しているのでしょう。

 そんな姿を想像したら、居ても立ってもおられず、すぐにチケットを予約。本日14時からの観劇に至ったわけです。

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 ここからネタバレを含みますので、これからご覧になる方は閲覧にご注意ください。



 はっきりいって地獄絵図の様相を呈した舞台です。

 病院とは言えないような野戦テントで奮闘する看護婦。食料も薬も徐々になくなっていくなか、そこに逃げ込んできた3名の兵隊によって事態はますます混乱。追い詰められた人間の成れの果て。救いなんてものは何ひとつありません。刻一刻と悪化する現状が、無慈悲に、無慈悲過ぎるほどに、そして生々しく流れていきます。

 畠中さん演じる"鈴木サチコ"は特志看護婦として登場。若さゆえの正義感と無邪気さをもって、過酷な現実と対峙していきます。恋も知らないサチコに少しだけのロマンスが訪れるものの、この状況がそれを許してくれるはずもなく、最悪の形でふたりの関係は幕を閉じます。

 戦争の過酷さを示す物語。そのラストも、推して知るべし、です。多くを語りたくはありません。

 しかしこの陰惨な物語において、畠中さんはじめ、従軍看護婦の面々の躍動が光となり、絶望しかない世界に希望を見せてくれました。命を賭して仕事への誇りを見せる。たとえそれが報われない結果になろうとも、目の前で苦しむ患者がいれば、我が身を犠牲にしても全力を尽くす。敵味方など関係なく。その愚直にして清冽な姿勢を演じきった役者さんたちには拍手しかありません。

 畠中さんにフォーカスをあてると、まさに"ヒロイン"でした。血と土でドロドロになった服を着ても隠し切れない愛くるしさ。彼女がかわいらしく、愛嬌があり、汚れを知らないまっすぐな声を発すたび、この物語は残酷に彩られます。こんなかわいい子が……と、より悲惨さを伝えられるからです。その点、畠中さんはぴったりでした。


 舞台の途中、何度も「もう終わっていいよ」と叫びそうになりました。繰り返される惨劇は目を覆わんばかりです。でもこの脚本は、実際に経験された方のエピソードを元に作られたもの。現実はもっともっと無慈悲な世界であったはずです。

 それを思うと、目を離すことができませんでした。今の自分たちの生活は、この歴史の上に成り立っている。舞台用に脚色している箇所は多々あると思います。それでも、胸に迫るリアリティーは演者さんたちが必死だからこそ。目の前でそんな必死で"何か"を伝えようとしているのに、そこから逃げるなんてもってのほかです。

 最後スタッフロールが流れ、演者さん一同が横並びになったとき、はじめて涙があふれました。哀れみや悲しみではありません。この地獄-舞台-から開放された喜びからです。でも、現実は終わらない。作りものじゃない戦争では、これ以上の終わらない地獄があった。それを思うとまた涙があふれました。


 舞台は最後列で観劇。立ち上がってすぐ動くことができず、邪魔にならない場所で会場から出ているお客さんを見たあと、舞台に近寄り、ここで繰り広げれた地獄に思いを馳せ、会場を後にしました。

 ロビーと外では演者さんたちが、お客さんと交流しています。小さい会場ならでは。でも、畠中さんとはすれ違いで終わり……。せめてほかの演者さんと話を!と思ったのですが、それぞれの方が話し込んでいて遠くから眺めることしかできませんでした。

 外の手すりでひとりぼーっとしてた青い服に黒いズボンの丸刈りチックな男。あれ、私です。何名かの演者さんに「あの不審者か!」とピンときてもらえたら嬉しいです。畠中さんはずっとロビーの中だったのかなぁ。ずかずか入り込んでいけば良かったといまさら後悔。でもそれは次の機会に、ね(坊主ウインク

 それから池袋をふらふらと徘徊し、今、漫画喫茶でこうして書いています。書きながらクリームパンを食べたのですが、「サチコたちは何も食べられなかったのにな……」と感傷にふけるあたり、そうとう物語にやられたようです。今も舞台を思い出すと胸が……いたたた……。あー本当に痛くて、痛過ぎて、心にずっと残る舞台になりそうです。おもしろいだけじゃない。こういう話の体験は貴重でした。

 でもそこから受けた感銘は計り知れません。遅筆どころか途中で放り出すことで有名な自分が、舞台が終わってすぐにこれを書いているのですから。





 まとめとして。

 今回の舞台は167席~というキャパシティの会場。チケットも当日購入できます。今の乃木坂46の勢いで考えてしまうと、それはとても寂しいものです。でも比べることに意味はなく、畠中さんは「今」に全力で取り組んでいます。"せいたんなう"は確かにここにありました。


 むかし――。

 畠中さんが卒業を発表したとき。このブログでこんなことを書きました。


あなたが点してくれた「左胸の勇気」は、時を越えてなお、確かな鼓動を刻んでいます。


 今回の舞台で演者の皆さんが見せてくれたもの。それもまた、「左胸の勇気」です。生の声、生の感情、生の畠中清羅さんが身をもって教えてくれました。舞台のテーマでもある献身愛、自己犠牲。それが絶対的な「是」とは思いません。けど、あの舞台で、あの地獄を作り出した皆さんの想いは絶対的な「是」です。

 苦しい思いをさせてくれて、ありがとうございます。

 苦しい思いが、明日の自分の糧になりそうです。

 すばらしい舞台を、本当にありがとうございました。


 そして畠中さん。偶然とはいえ、あなたの後押しがあったから、こんなにもすばらしい舞台に巡り合えました。心から感謝します。

 ロビーに畠中さん宛てのたくさんのお花がありましたね。その人たちが、乃木坂時代のファンなのか、卒業後のファンなのかわかりません。

 でもそのお花を見ながら確信したことがありました。

 公式ブログの最後にいつも書いていた言葉、覚えてますか?

 願いともいえる、あの言葉です。

 その願いは、確かに叶えられているんですね。

 
 「ずっと、せいたんの傍におってな」


 だいじょうぶ。

 あなたなら、きっとだいじょうぶ。

 そう確信しました。


 今を生き、前に進む畠中清羅さんの今後の活躍をお祈りいたします。


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 最後に感動をぶち壊す余談!!

 閲覧は自己責任で!!








 畠中さん、舞台中ずっとカバンをたすき掛けしているんですが、それで胸が強調されるわけですよ。それがまた、「おっきい……」わけですよ。たまんないでしょ、ね、ね、ね!?

 苦しい場面がある度に、

「Nice Oppai!!」

 と気を紛らわせておりました。

 小さい体に大きなお胸。畠中さんの将来は明るいでしかし!!