本題の前に。
ブログを長期間放置してしまい申し訳ありませんでした。持病により病院と布団の往復を繰り返す日々を送っていました。 完治はしていませんが、今は日常生活を送れるレベルまで回復しています。
もう更新しないのか、とご心配をおかけしてしまいましたが、だいじょうぶです、また今日から再開です。(タッグトーナメントは明日の21時)
病気の間の出来事などは、おいおい、個人ブログ「感情スクランブル」で綴っていきますので、そちらもよろしくお願いします。
さて、復帰第一弾の更新は、かずみんの初の長編小説「トラペジウム」について。
「ダ・ヴィンチ」5月号からスタート。隔月連載になります。(参考:乃木坂46・高山一実による初の長編小説連載がスタート!/ダ・ヴィンチニュース)
かずみんは今年に入って短編小説「キャリーオーバー」を発表しています。このキャリーオーバーは、まさに「高山一実」による小説でした。展開のテンポや文体のリズム、言葉のチョイス。書きたいものを書いている印象を受けました。
結果として「キャリーオーバー」は大きな話題になりました。ダ・ヴィンチサイト内のPV数ランキングで1位を獲得。内容ももちろん大事ですが、それ以上に結果を求められる世界において、かずみんは確かな結果を残しました。
そして満を持して、長編小説の連載開始です。
ダ・ヴィンチでは、今回の小説にこんな煽りコピーをつけています。
「現役アイドルの小説と侮るなかれ」
これは攻めてきたなと思いました。現役アイドルが書いた。それでハードルを下げる人は多いと思います。それを、侮るな、ときました。軽く見るなということです。であればこちらも襟を正し、真剣に向き合おうじゃありませんか。
まず内容。
何もはじまっていません。おもしろい、おもしろくないを考えるには材料が不十分です。でもそれは、まだプロローグですから分からなくて当然、次に期待ですね。主人公やその他キャラクターも「顔」が見えてこないので、今後どのような個性が開花していくか楽しみです。
文体についてですが、うーん、これがまた難しいところで。
「キャリーオーバー」は、先にも述べた通り、肩の力を抜いて楽しんで書いているように思いました。しかし今回の「トラペジウム」は非常に苦しんで書いている印象です。要所要所に「キャリーオーバー」に連なる「作者らしさ」が見えるのですが、言葉選びと描写に不必要な力み、背伸びを感じました。
ひとつひとつの文章が、作品全体の雰囲気を形作ります。難しい言葉を使えばいいわけではない。一番大事なのは調和。それがまだとれていない気がします。もしかしたら作者自身、まだ物語の雰囲気をつかみあぐねているのかもしれません。
もしそうであれば、今後書き進めていくうちに洗練されていくと思いますが、かずみんのブログにちょっと気になる記述を見つけました。
今回ダ・ヴィンチさんに載せていただく
第1回目も、完成してから何度も何度も
直しがありました。
それだけ熟考できたのも
皆さんのお陰です。
(´-`).。oO(かずみ ×ポメラ/高山一実オフィシャルブログ
読んでくださる方によりよいものを届けるために熟考する。それは必要なことで大切だとは思います。しかし直しの数が多いほど良いものになるとは限りません。それでも本人が納得できずに、何度も書き直すならまだいいです。どれだけ書き直しても、本人の手によるものなら、本人がつくった世界観は崩れないからです。
しかしそこに他人の手が入ると、せっかくの世界観にノイズが走ります。
直しを入れる人間がどこまで作者の世界を理解しているか。作者は世界のすべてを伝えているか。あるいは決して譲れないところをもっているか。
文章のやりとりは命のやりとり。作家にとって文章は命そのものですから、その表現は決して大げさではありません。そのやりとりの甘さが、物語の甘さになり、ひいては今回の「トラペジウム」に感じた文体の違和感に繋がっているのではないかと思います。
まだ第1回、しかも初の連載小説で文体云々言うのは酷かもしれませんが、かずみんの「心から湧き上がる何か」が、他者の手によって歪められないか。それが心配です。かずみんには毅然とした態度で、自分の世界観を貫いてほしいと思います。
自発して燃えることって、
今まであんまりなかった私ですが
初めて心から湧き上がる何かがありまして、
これを書き終えるまでは
捨てるものがあっていいのかなと
思うくらいです。
(´-`).。oO(かずみ ×ポメラ/高山一実オフィシャルブログ
捨てるものがあっていいと思えるぐらいの覚悟。その意志で紡ぐ物語、しかと見届けます。
本当の本当に期待してますよ!