「ねこなべ」様より、妄想小説をいただきました。


 齋藤飛鳥が演じる“齋藤飛鳥”とでもいうべき、彼女の姿が描き出されています。切ない、脆い、儚い……そんな寂しさをまるごと包み込む優しさ。


 この物語を語るに言葉はいらないのかもしれません。 

 感じたまま、感じてください。


ねこなべ様の過去の投稿記事

20180418-01


おくり猫と、まもり猫

作者 ねこなべ






登場人物
主人公:瀬川優斗(せがわゆうと)
齋藤飛鳥
おくり猫:ジャック
まもり猫:ココ



私が勤めていた病院には、2匹の猫がいた。黒猫の「ジャック」と白猫の「ココ」。この2匹は、どこからともなく現れて、いつの間にかこの病院を住みかとし生活をするようになった。その第一発見者であった私が普段の勤務をこなす傍ら、猫たちのお世話もするよう、冗談半分ではあるが周囲の先輩や看護師から命じられた。ご飯や躾などの身の回りのことはすべて私の担当だ。ココは私に懐いてくれるのだが、ジャックはいつもそっぽを向いては、言うことを聞いてくれない。まったく、どうしたものか。

「今日は、206号室の佐々木さんか」

2匹のご飯の準備を早々に済ませ、患者の部屋へ向かった。私が務める診療科では、あまり大きな声では言いたくないが、患者が亡くなることもあるし、急死することもある。そこで私は精神的なケアや、重病に侵された患者の痛みを和らげたりすることを主とした仕事をしている。

いろんな患者の話しを聞くことが楽しかった。自分より長く生きてきた人の話しは、男性に多いのは、私には到底できないこと、気の弱い私なら絶対にやらないようなことばかり。女性だと、自分の旦那さんの話しであったり、お孫さんの話し。時には私の相談事にも乗ってくれる。ここにいる人たちは、みんな死ぬことに対して慌てるようなことをしない。きっと怖いはずなのに、笑顔で毎日を過ごしているのだ。自分の死を受け入れているのだろう。

ただ、この仕事は楽しいだけではない。最期を迎える人を見送るのは、とても辛いし悲しいのだ。ここに来る患者は、死期が迫っている人が多い。それは、医師や看護師は周知のこと。また、それだけではない。経験を続けると、不思議と「死期がわかってしまう」のだ。はっきりとした確証はないが、何となくそれがわかってしまう。

 しかし、そのことがわかるのは医師や看護師だけではない。それは、この病院中に広まっている、にわかにも信じ難い超能力とでも言うのだろうか。私は頭に、ふと昔の記憶が思い出されてきた。いや、今は関係のないことだ。


私は病室の前に到着し、気を取り直して扉をノックした。
今から診るのは佐々木徹さん。74歳。心不全を患っており、今は薬物治療をしているが、このままいけば確実に手術が必要となってくるだろう。会うときは毎回笑顔で接してくれる佐々木さんは、心の強い人だなと日々関心してしまうばかりだ。

「佐々木さん、失礼します」と私は挨拶をし、扉に手をかけ開け病室へ入った。中に入ると、どうやら誰かと話しをしている感じだった。見舞いに来てくれた奥さんだろうか。
「奥さんと一緒なんですか?問診に来ましたよ」と声をかけた。そして、そばにいる先客が誰なのかもすぐに分かった。

「ニャー」

 私はその先客を見て、一瞬怯んでしまった。
「こらこら、ジャック。くすぐったいからひっつくのをやめないか」と笑顔でじゃれあっている佐々木さん。私は言葉が出てこなかった。
「瀬川先生、どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません…。問診始めましょうか」
「ああ、よろしく頼むよ」


私の病院には2匹の猫がいる。しかし、この2匹の猫には、信じられない能力を身につけている。そのこともあり、みんなはこのように呼んでいる。
『おくり猫のジャックと、まもり猫のココ』

これは、この2匹の猫が来てから1ヶ月が経った時だ。当時、足立さんという患者の精神的なケアや病気の経過記録などつけていた。

「足立さん、問診に来ましたよ」とベッドの前に行くと、足立さんが寝ているところで黒猫のジャックが歩きまわっていたのだ。
「こら、ジャック。何してるんだ。足立さんが困るだろう」
「いいんだいいんだ。私のことを相手してくれるものがいてくれるだけで」と、ジャックの頭を撫でながら言った。頭を撫でられているジャックは落ち着いたのか、気持ちよさそうにしている。
「すみません。問診が終わったら、すぐにジャックを連れて行くので」
「いや、このままでいい。そのほうが落ち着くんだ」
「いいんですか?」
「それに、なんだかジャックが見送ってくれそうなんだ、私のことを」
「え?」
「もっと、自分のいきたいように生きていたかったなぁ」
足立さんの顔は何かを悟ったかのようだった。
「何言ってるんですか、治療して、病気治していきましょうね」
私はそう言い、問診を始めた。いくつか質問をしたが、特に異常は見られなかったし、このままいけば回復の見込みが望め、順調に退院もできるだろうと思っていた。

しかしその晩、足立さんは急死してしまった。

 その後も、ジャックが訪れた病室の患者は、近いうちに亡くなってしまうというのが、予言かのように続いた。そして付けられたのが『おくり猫』という肩書きだった。死を見届ける最後の猫として、役目をしていたのだ。

そしてもう一匹、白猫の「ココ」。ジャックとは、逆の存在として知られていた。ココが訪れた病室の患者は、治らないと言われていた患者でも回復へと向かい、無事退院ができるのだ。そのこともあり、付けられた名前は『まもり猫』という肩書きだった。命を守る猫として、役目をしているのだ。
 この2匹も、最初は病院内にある裏庭をうろつく猫だった。しかし、足立さんの急死を機に、しばしば患者の部屋に現れるようになった。ただ、この2匹が院内に入ったことはまず気づかれない。私の経験でわかったことは、まず最初にこの2匹の存在に気づくのは、生死に関わる患者だということ。その患者が視認できた後、院内に入る医師や看護師が気づくのだ。おそらくこれは「選ばれていないから」院内にいたとしても気づくことができないのだろう。これは私だけが知っていることだと思う。

「この2匹の猫が生死を教えてくれる」という噂は病院中に広まり、誰もが知ることとなり、私はとんでもない猫を病院に連れ込んでしまった…と後悔していた。そうしなければ、患者さんを悲しませないで済むのに。


 そんな佐々木さんのもとに現れたのがジャックだ。近いうちに亡くなってしまうのがわかった私は、少し元気なく問診を始めた。
「瀬川先生、どうして悲しそうな顔をしているのかな?」
「いえ、そんなことは…」
「ジャックが私のもとに来たからかな?」
私は返す言葉が見つからなかった。
「先生、死んでいく人が一番怖いものはなんだと思う?」
「死んでいく時の苦しみですか…?」
「それもそうだが、一番は生きていた私を忘れてしまうことなんだ。好きな人でも、家族であろうとも、いつか私と過ごした記憶は無くなってしまう」
「もちろん、瀬川先生だって私のことを忘れてしまうんだ」
「私は…」
「でも、ジャックは死んでいく人に対して『生きていたことを忘れないよ』と、教えるために来てくれると思うんだ」


「先生、一ついいかな?」
「はい…」
「ジャックは死を予言する猫じゃない」
「違うんですか?」
「死の恐怖に寄り添って送り出してくれる、とても心強い最後のパートナーなんだ」
「それで、おくり猫…」
「だから悲しい顔をしないでほしい。この世に未練が残ってしまうではないか」と佐々木さんは笑顔で言った。

 ジャックは、死んでいく人をあの世へ見送るだけの死神のような猫ではない。死の恐怖から手を差し伸べてくれる、唯一の理解者なのかもしれない。人は誰かがいないと生きてはいけない。ただ、死ぬときは生きた人を一緒に連れてはいけない。その代わりとして、人ではない存在「猫の」ジャックがそばにいてあげることが、心の支えとなっているのかもしれない。

佐々木さんの顔を見ると安心しているようだった。私は、今までジャックと関わってきた患者たちの顔を思い出した。たしかに、みんな安心した顔をしていた。私は大きな勘違いをしていたのかもしれない。ジャックは不吉な猫だと思っていたがそうではなかったようだ。

「これで問診は終わりです」
「ありがとう。いつも丁寧な対応で助かるよ」
「いえ、それが私の仕事ですから」
「瀬川先生と話しをしていると、心が軽くなるよ」
「こちらこそです。ありがとうございます」
私は、なぜかこのやりとりが最後のように思い、こう告げた。

「佐々木さん、ジャックを見てもらってもいいですか?」
「ああ、そうしてほしいな」
「お願いします。では、失礼します」
扉を開け病室を出ると、自然と涙があふれてきた。最期の別れのように感じたからだ。


そしてその予想どおり、翌日、佐々木さんは息を引き取った。


 私がこの仕事を始めて2年が経とうとしていた。季節は冬から春へと移り変わろうという3月下旬。受け持つ患者の数も次第に増え、様々な人のケアを任されるようになっていた。

 その中でも一人、気になる患者がいた。齋藤飛鳥、今年で19歳の少女だ。私は今、その患者の病室へ向かっているところだ。小さい頃から体つきが弱く、病気にかかることはしばしばあったそうで、通院を繰り返す日々が続いていたそうだ。今、その患者は脳腫瘍という病気を患っており、治療としては放射線治療をしているが、今後は手術が必要となってくるだろう。
 また、この子には家庭的な要因も気になる点があった。12歳の頃、両親が離婚し、母親が飛鳥さんを引き取ったそうだ。母子家庭になってからも、飛鳥さんは病気にかかっては通院をする生活が続いており、母親はその治療費を稼ぐために毎日朝早くから夜遅くまで、パートを掛け持ちして払い続けていた。次第に、母親が見舞いに来る回数も減ってしまい、一人でいる時間が多くなっていったそうだ。

 齋藤さんがこの病院に来たのは、前回通院していた病院の担当医の推薦で、ここを選んだそうだ。私が初めて齋藤さんと母親に会った時、母親は笑顔で対応をしていたが、顔はやつれており、疲れが出ているのが痛いほどわかった。飛鳥さんも同様、表情は暗く、ずっとうつむいたまま、担当医の話しを聞いていた。入院をしてからそろそろ1ヶ月が経とうとするが、窓の外をずっと見つめているばかりで、一度も笑ったところを見たことがない。私がいろいろ話しかけてみるも、なかなか元気になるようなことはなかった。

「はあ、どうしたらいいんだ…」
ほぼ初めての経験だった。若い子の心は繊細で、気持ちを汲み取ってあげるのはとても難しいことだ。それに、齋藤さんはずっと一人でいる。なんとかして心のケアをしてケアをしてあげたい。その一心だった。

齋藤さんの病室の扉の前に立ち、私は深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。今日こそは仲良くなって、少しでも力になってあげるんだ。
「失礼します」
ノックし、扉を開ける。中に入ると、齋藤さんは相変わらず外を見つめていた。
「齋藤さん、問診しますね」と言っても返事はなく、ゆっくりと私の方を向いて、今度は私の顔をジッと見つめた。悲しそうな気持ちが顔に表れており、何か励ましの言葉をかけてあげたかった。しかし、それも今は逆効果な気がした。

「では、問診を始めますね」
「気分はいかがですか?」
「普通です」
「どこか痛むところは?」
「ないです」
「熱などの症状なんかは感じられるかな?」
「ないです」
元気のない返事が、ますます齋藤さんの活力を奪っているように感じた。
「齋藤さん、少しでも元気になろうっていう気持ちがないと良くならないって思うんだけど」
「じゃあ、瀬川先生は今の質問で私が治るってわかる?」
「それは・・・わからないけど…」
「お母さんはお見舞いに来れないくらい働いて、疲れて。疲れ果ててさ。いつも電話をしても、今度はお見舞いに行くからってばかりで」
「瀬川先生は私じゃないからわからないんだよ。みんなだってそう」
「齋藤さんのことをわかりたいから、こうして毎日来て、お話ししてるんだ。病気のことじゃなくてもいい、好きなものや、好きなこと。やってみたいこと。なんだっていいから、齋藤さんのこと知りたいなって」
「私が瀬川先生と話すことなんてないよ」
「どうしてかな?」
「私、病院の人が嫌いなの」
「だから私とも仲良くならない?」
「仲良くなっても別れが来るし、無駄に寂しい思いをしたくないから」

「それにね、瀬川先生。私はお母さんにも見捨てられたんだよ」

 齋藤さんは孤独とずっと戦ってきたのだろう。でも、その戦う気持ちもいつの間にかなくなってしまったのかもしれない。自分の心の殻に閉じこもってしまい、孤独を選ぶ道へと進んでしまったのだ。

「問診終わりでしょ、もう帰っていいから」
「・・・また、あとで来ます」
私はその場から立ちあがり、病室を出ることにした。モヤモヤとした気持ちが、私の心を苦しめていた。病室を出る直前、もう一度齋藤さんの方を振り返ってみると、下を向いてうつむいていた。その姿は、今にも泣き出してしまいそうなほど、悲しみが溢れていた。


 齋藤さんの病室を出たころには、お昼時だった。ジャックとココにご飯をあげなければ。私は、お皿と缶詰を持って外へ出た。いつもご飯をあげる場所が裏庭と決まっているので、そこに行けば2匹はもう待っているはずだ。

「あっ、いたいた」
私が裏庭に着いたころには、ジャックとココはすでに待っていて、私を見つけては駆け寄ってきた。
「はいはい、ご飯の時間ですよー」
缶詰の中身をお皿へ移し、2匹の前に差し出した。

「ジャック、ココ。齋藤さんのこと、どうしたらいいと思う?」
ご飯をあげながらジャックとココに話しかけた。まず最初に私の相談する相手は、いつもこの2匹からだ。ジャックは相変わらず私のことを無視をしている。
「ジャックはいっつもカッコつけてばっか。たまには、助けてくれよ」と言うと「カッコつけとはなんだ!」と言わんばかりに、私の方を向いて訴えかけてきた。
「じゃあ手伝ってくれるのかよ」と、私はふくれっ面になりながら言い返した。

 すると「ニャー!」と、ジャックが鳴いて反撃をしてきた。わかってくれたのだろうか?いや、どうせふてくされているに違いない。そのやりとりを見かねたココが「まあまあ落ち着いて」と言いたそうに私とジャックを見ていた。
「ココは、私のことを助けてくれるからなー」とココの頭を撫でると、ココは目をつぶって気持ちよさそうな顔をしている。そうしている間に、ジャックは愛想なくそのままどこかへ行ってしまった。どうして私とジャックはあんなにも仲良くないのだろう。私がまだ死なないから、仲良くするつもりでもないのだろうか。
 ご飯もあげたところで、私は後片付けを始めた。お皿を洗いに行こうと病院内へ戻ろうとした時だ。病室の窓から、齋藤さんが顔を出しているのが見えた。

「齋藤さん、どうしたんだろう」
私は気になってしまい、お皿を片付けたら齋藤さんの病室へ顔を出そうと決めた。

「齋藤さん、失礼します」
私は病室の扉をノックし、部屋の中へ入った。
「フフフ、あー、何やってるの!」と、楽しそうな声が聞こえる。
「あれ、齋藤さんが笑ってる?」
ベッドの方から聞こえる笑い声は、いつになく楽しそうで、私も嬉しくなった。
「誰か来てるのかな?」
ゆっくり近づいてみると、見慣れた姿がそこにはあった。
「瀬川先生、見て見て!」
そこには、ジャックを抱っこしている齋藤さんの姿があった。
「嘘だろ…」
私は絶句した。

「この子、すごくいい子なの。私のこと元気づけようとしてくれて。ジャックは私の味方だもんねー」
「ニャー」
「こーら、そんなにくっつかないの。フフフ」

 どうやらすっかり打ち解けたようで、楽しそうにしている。頭をわしゃわしゃ撫でられているジャックは、気持ちよさそうにしている。私には一切見せない表情が、何とも憎めない。
 しかし、齋藤さんはこの先…。私はどうしたらいいのか、頭の中が真っ白になった。その時だ。

「ウニャー」
「えっ?」
私は辺りを見回した。予想が当たっていればここには…
「ニャーン」
「ココ!」
ベッドの下から、ココがひょこっと現れた。この2匹がいるなんて信じられない…!
「ほら、ココちゃんも一緒においで!」と手招きをする齋藤さん。それに従うココもまた、くっついては離れないでいた。今までにないくらい楽しそうにしている姿に、私は自然と笑みがこぼれた。
「瀬川先生、私、猫ちゃんにモテモテだ」
「そうみたいだね」
私と齋藤さんの間に、自然と笑顔が広がった。

「瀬川先生、私知ってるんです」
「何をかな?」
「ジャックとココのこと」
「そっか…、有名人だからね」
「私のこと見送りに来てくれたけど、守りにも来てくれた」


「私、もう死んじゃうんですね」
「そんなことないよ、大丈夫だから」
まだ死ぬと決まったわけではない。きっと助かる方法があるはずだ。
「今から先生呼んでくるから、待っててね」
「やめて!」と齋藤さんがいつにもなく大きな声を出した。
「もう、私は大丈夫だから」
「でも、まだきっと助かる方法が…」
私の声は弱々しくなっていき、次に出る言葉が見つからなかった。少しの沈黙のうち、齋藤さんが話し始めた。

「私は選ばれたんです。ジャックとココに、新しい道を進んでもらえるように」

 齋藤さんの目は真っすぐで、信念のようなものが感じられた。自分がこれまでしてきたこと。患者の痛みを和らげ、精神的なケアをしてあげること。それは前向きに生きていけるためにしてきたこと。ただ、本当はその人が死んだ時のことを、深く考えてあげられてなかったのではないだろうか。患者のために尽くしたケアで、安心して死んでいける道を作ってあげること。それが自分の役目だったはずだ。私が最期にできることとは、一体なんだろうか。考えてみたが、すぐには答えが出せなかった。

「瀬川先生、私、お母さんと電話してくるね」
そう言うと、齋藤さんは病室を出て、電話ボックスがある場所へと向かっていった。

 私は、ジャックとココのもとに駆け寄り、2匹の頭を撫でた。
「ジャックもココも、齋藤さんのこと気に入ったんだ」
「ニャー」と返事をするココ。
「ジャックも、やればできるじゃないか。ありがとな」
プイッと、そっぽを向くジャックは、どこか照れ隠しをしているようにも見えた。
「さてと、あとは齋藤さんになんて言うかだな…」
私は、最期にかける言葉を考え始めた。


「お母さん、電話出てくれるかな」
今の時間は仕事中だ。電話に出てくれるかどうか…。
私は電話ボックスにお金を入れ、母の携帯番号を打った。番号を打ち終わり呼び出し中になった。少しして、ガチャという音で電話が繋がったのがわかった。私は母との最期の会話を始めた。

「あっ、お母さん。仕事大丈夫?」
「ちょうど休み時間だから平気よ。何かあった?」
「ちょっとね」
「お母さん、私、瀬川先生と仲良くなったの」
「あらよかったじゃない」
「瀬川先生優しいから、安心するっていうか。他の先生と比べて良い人なの」
「でも、そんなこと言わないで、他の先生とも仲良くしないとダメよ」
「わかってるって」
「それでねお母さん」
「うん」
私は、このことを言うべきか言わないべきか。考えた。悩んだ。

「あのね…」
「お母さんにとって、私って邪魔だった…?」
急な質問に、母はすぐには答えられないでいた。病弱でお金のかかる子なんて、いらないに決まってる。それに、母にはもう迷惑はかけたくない。
「飛鳥ちゃん、一ついいかな?」
「うん」
ようやく母の本音が聞ける、そう確信した。
「私にとって、飛鳥ちゃんは一番大事な存在なの」
「飛鳥ちゃんが生まれる前から、ずっと私にとっての幸せだったの」
「お母さん…」
「だから、飛鳥ちゃんをこんなにさせちゃったお母さんが悪いの。飛鳥ちゃんは何も悪くないから。お母さんのことは心配しなくていいからね」
電話越しから聞こえる母の声は、泣いていた。自分を責めていた。
「お母さん頑張るから、飛鳥ちゃんはこの先もずっと生き続けてね」
「うん」
母の本当の気持ちを知った私は、その場でボロボロと泣き崩れてしまった。


 しばらくして、齋藤さんが戻ってきた。母親との電話が終わったのだろうか。
「お母さん、ちゃんと話せたのかな?」
「うん」
「そっか、よかった」
ベッドに上には、今か今かと齋藤さんの帰りを待ちわびていたジャックとココが、齋藤さんのもとへと駆け寄った。
「ほらほら、落ち着いて。そんなに急かしたら困るだろ」
「フフフ、私って今、この2匹にとって一番の人気者じゃない?」
「こんなに楽しそうにしてるのは、久しぶりに見たな」

 齋藤さんがベッドに入ると、布団の上に2匹は乗っかり、その場で丸くなりくつろぎ始めた。齋藤さんに迫っている死の時間は、おそらく刻々と迫っているのだろう。私が最期にしてあげられること。それを今する時だ。
「齋藤さん、一ついいかな?」
「瀬川先生の言うことだけならね」と、冗談混じりに返してくる。
「じゃあ、私個人の想いを伝えるとしよう」
「はい」

「私は今までいろんな患者さんを見てきて、病気を治して元気になってほしい。その一心でこの仕事を続けてきた。病気の痛みとか、苦しみとか。生きることに、少しでも支えてあげることが私の役目だと思ってた」
「でも、命の選択肢は、私が決めることじゃないんだって気付いたんだ」

「瀬川先生は、みんなに助かってほしいって思ってるんでしょ?」
「そう。みんなに助かってほしかった」

「でも、今までジャックに見送られた人たちのことを思い出していたら気づいたんだ。私のやるべきことは、みんなに『意味のある死に方』をしてもらうことなんだって」
「意味のある死に方って?」

「人の命を好きになってもらうことかな」

 私は医者になって命を扱うようになった。命が生まれて、そして死んでいく。そんな現場を幾度となく経験してきた。自分が生きてきたことには意味があって、周囲の人を助け、助けられ生きてきた。ならば『死ぬ意味』というのも、生きとし生けるものすべてに、絶対にあるはずなのだ。その助け舟として、もし医者という天職があるのなら、生死が一番近い場所にいる人が、命の価値をいうものを尊重しなければならないような気がしたのだ。


「じゃあ瀬川先生、私が死ぬ意味ってなんだと思いますか?」
「齋藤さん自身を許すこと。かな」
「なにそれ」と、私の答えに笑ってみせた。
「自分の生きてきた時間は、無駄ではなかったんだ。そう思わないことが、齋藤さんが死ぬ意味だと思う。決して、命に嫌われていたわけじゃないと」
 齋藤さんは目をつぶり深呼吸をした。心を落ち着かせ、言い聞かせているかのようだった。これで少しは救われたのだろうか。

「瀬川先生、最後にお願いしてもいいですか?」
「何かな?」
「死ぬ時、ジャックとココを一緒に連れて行ってもいいですか?」
「それは…」
「いや、一緒に天国や地獄に連れ回したりなんかしませんよ。一人だと寂しいから、そう願ってもいいですか?」
「ああ、いいとも。最期まで、見送ってくれるさ」
「ありがとう、瀬川先生」

私は、これが最期の別れの挨拶だと思った。また一人、患者の死期が見えたのだ。

「ジャックとココの面倒、お願いしてもいいかな?」
「任せてください。先生よりいい子に躾が出来る自信があるので」
「そうか、じゃあ任せた。ジャック、ココ、いい子にするんだぞ」と言うと、2匹は頷くように目をつぶってみせた。


 私はその場から立ちあがり、病室を出ることにした。
「瀬川先生!」と齋藤さんに呼ばれ、私は振り返り答えた。
「また明日。おやすみ、瀬川先生」
「ああ、また明日」
私は扉に手をかけ、病室をあとにした。


 そして、翌朝。
齋藤さんは安らかな顔をしたまま、19歳という若さで突然死をした。そして、その日を境にジャックとココの姿を見ることは、二度となかった。齋藤さんの最期の願いを叶え、共に旅立っていった。

寂しい思いをさせまいと、天国まで見守ってくれた『意味のある死』を遂げて。

20180418-02






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