はじめに

よしあきら様から、長編小説をいただきました。

第4回小説コンテストエントリー作品(『二木の木は残った』)の続編となりますので、まずはそちらからご覧いただくようお願いいたします。


全4部。本日より4日連続でお届けします。


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乃木藩南町捕物帳
~第1部~

作者 よしあきら(@yoshiakira2ndg1





第一章 獣たちに笛を吹け

漆黒の闇に満月が浮かんでいる。冬の月の美しさに誘われ、化け物の一つや二つ出てきそうだ。愛未は柄にもなくそう思い笑った。登城の日は真っ直ぐ家へと帰っていたが、今夜ばかりは通いの飯屋にでも寄ってやろう、そう思い立ったのもこの月のせいかもしれない。すっかり満腹になって意気揚々と帰り道を進む。勝手知ったる町家の路地、それもこの月夜とならば迷うはずもない。いつもの刻限には遅れるが、家人を心配させるほどのこともないであろう。そのはずであった。
少しばかりの茶目っ気を出し、小径を進んだのが愛未に変事を引き寄せた。この角を曲がれば、家まであと少しというところで人とぶつかった。
「おっと、悪い」
二本差しの身分でも無礼者といって手打ちにするのは御法度、それも女人が治める世になってより武士身分は統治者として領民慰撫に努めたのもあって、いくら代々槍奉行を拝命する能條家に生まれた愛未でもことさら刀を抜くことなどなかった。
月に照らされ相手の顔が見える。相手も二本差しだが、自分よりも背丈は小さく華奢な女子だ。そして何より顔面蒼白で震えていた。よほど走ってきたのであろう、肩の上下が止まらない。
「すみません、すみません。お助け、お助けを」
息も絶え絶えに囁くように言った。一瞬、情けない、とも思ったが、この華奢さならばどんな災難でも振り払えまい。頼られたが縁と割り切って、よし、と返事をしていた。
路地には人影はないが、通りには殺気が少しばかり感じられた。この時間帯だ、まだ領民の通行もあるかもしれない。陰から通りを確認する。気はあるが、人っ子一人いなかった。よほどの手練れに狙われているらしい。通りを走って角を曲がれば我が家なのだが。懐の笛で応援を呼んでもいいが、小径では刺客の餌食だろう。
「おい、走れるか」
小さな二本差しはこくりとうなずく。まだ震えは止まらないらしい。それにまだ謝っている。呆れて、愛未は笛を取り出し思い切り吹く。
「よし、走れ」
走り始めればすぐに、刺客が10人ばかり出てきた。妖の狐の面。構わずそのまま走り抜ける。が、さすがに追いすがってきた。
「抜け」
「いや、でも」
愛未はこの二本差しがなぜか刀に手をかけさえしないのが気にかかっていた。もしや。そう思った時には、刺客が回り込んでいた。構わず踏み込み、抜き放ちながら一人を斬る。返す刀で左手より斬り込んできた相手の小太刀に合わせ、叩き落した。その勢いを殺さず、右に当て身を食らわし、左に刀を振って威嚇する。相手の動きが止まると、もう一度走り始める。
「次の角、曲がれ」
そう叫んだとき、脇腹に鈍痛が走った。振り返る。苦無を構えた刺客が屋根に上っていた。容赦なく次の苦無が飛んでくる。
「伏せろ」
声にならない。と、小さな二本差しは足を絡めて転んだ。苦無はその上を通過する。運のいい奴だ。それに比べて、自分は。振り向きざま、刺客の刃を受け止める。太刀を跳ね除け、刀を振るうが踏み込みが甘くかわされる。脇腹の痛みで、思わず膝を折った。上からの斬撃は受け止めるしかない。例の二本差しはへたり込んで、わなわなと震えている。狐面がより力を込める。傷口がうずき、力が入らない。まずい、このようなところで。
別の狐面が震える二本差しに飛びかかった刹那、馬蹄が響いた。狐面が音の響く方を見ると闇から何かが飛んできて、肩に当たった。思わず狐面が飛び退く。転がった何かに月の光が反射する。火箸だ。
「これで勝ちだ」
自分が笑みをこぼしているのが分かる。「奴」が駆けてきたのだろう。狐面たちは無理をせずそそくさと立ち去った。一気に力が抜ける。その場に崩れ落ちた。
「愛未、愛未」
「奴」は馬から飛び降り、愛未の身体を抱きかかえる。全く、大げさに騒ぐことだ。鬼と言われようが、所詮は人の子だな。そう思ったが、声にはならなかった。「奴」の身体は妙に暖かく、ひどく眠気を誘う。このまま眠ってしまおう、声など無視してそのまま目を閉じた。


第二章 悪党お掃除人

「これでよし」
珠美は自らの出で立ちを確認すると、両親に挨拶に行った。今日は南町奉行所へ初めての出仕の日である。
暖かく見守ってくれている父もこれまで厳しくしつけてくれた母もこの度の栄転には喜んでくれた。ただ南町と告げた時の父の表情が気になり、噂を集めることにした。苦労するまでもなく、南町奉行は「鬼」と呼ばれていることが分かった。高貴な身分の些細な罪を厳正に処罰したというもっともらしいものから、金剛棒片手にあぶれものを率いていたという眉唾物の話まで様々であった。
恐ろしい噂を思い返すたび気が重くなる。いっそ逃げてしまおうか、いや、自分の誇りは剣の腕と度胸だと思い定め、玄関を踏み出す。幸い天は門出を祝うかのように澄み渡っていた。

南町奉行所と大書された看板の門をくぐる。いよいよ「鬼」との対面だ。
「なんだ、新顔は珠美のことか」
横から明るい声がした。見知った顔が出迎える。
「美月もここの与力なのか」
美月―山下美月―というのは、藩校からの同門で年齢は少しばかり上、容姿端麗、文武に秀で、同年代の出世頭だと見込まれていた。気心のしれた者がいるならば心強い。
「与力『頭』だけどね」
少し皮肉っぽい、相変わらずの口の利き方だ。気の置けない仲にしかこういう物言いはしないことも珠美は知っていた。
「それで、御奉行に会いに来たんでしょ。残念だけど不在よ」
今まで張りつめていた緊張が少しはほぐれた。ただ、今日出仕することは事前に分かっているはずだ。
「何かあったの」
「ご明察。昨夜、槍奉行の能條様が襲われたの。それで御奉行様が助太刀に向かわれたらしいんだけど、そのまま帰ってこなくって。それで私が留守を預かっているわけ」
そういえば、奉行所に至るまでの道筋が騒がしかった覚えがある。出仕早々に大事件だ、と珠美は息まいた。

南町奉行所は乃木城のすぐ南に位置しており、その仕事は多岐にわたる。奉行の配下に与力がおり、美月はその頭で、美月、珠美のほかにもう一人いるらしい。その下に同心がいて市中の警戒に当たっている。奉行所の中を案内してもらいながら、美月にもう一人の与力について聞いたが、
「そのうちすぐ会うよ」
といってはぐらかされた。美月の表情を見る限り悪い人ではないらしい。
与力の仕事場に着き、自らの荷物を整理しながら、「鬼」の存在に気もそぞろになっていた。初日の仕事は書類の整理や細かい訴訟の処理で美月に倣いながらこなしていく。一刻もすれば、ある程度の慣れは出てくるものの、やはり気になるのは「鬼」である。今日一日、ずっとこのまま緊張しなければならないのかと悲観していると、
「御奉行様がお帰りになられたぞ」
と、誰かが叫ぶ声がした。ついにその時が来たと覚悟を決め、玄関へ向かう。
そこには、長身の女性がすくっと立っていた。色白でまだ若いようだが目つきは鋭く長太刀を佩いており「鬼」と言われるのも納得してしまいそうな風貌だった。先手を取られてはなるまいと、珠美は勢い込んで挨拶した。
「お初にお目にかかります。阪口珠美と申します。与力として参りました。よろしくお願いします。」
「あ、いや」
様子がおかしい。女性は驚いて、何も言えない空間が生まれた。どうすれば、と振り向けばなぜか美月が笑っている。すると、
「おお、新しい与力とは君か。よろしく頼むよ。」
と、女性の背後から声がした。ひょっこりと顔を出したその人こそが、南町奉行、若月佑美であった。珠美は顔から火が出る思いで、頭を下げた。

「ははは、確かに美波も風貌は鬼のようだしな」
佑美が明朗に笑う。奉行の間にて、改めて挨拶を行い、先の非礼を謝罪した。
「御奉行、やめてください」
美波と言われた長身の女性は珠美と同じ与力ではあるが、本来は次席家老・白石家に仕える梅澤家の生まれで、諸事見聞を広めよとの命により南町奉行所に配属となったそうだ。
「私も『鬼』なんてあだ名はやめて欲しいけどね」
「あの、どうしてそのようなあだ名が」
それを尋ねるか、というような目で美波が見つめてきた。美月は苦笑している。佑美は構わず答えてくれた。
「ある事件で咎人を打ち据えたことがあってな、女だてらに恐ろしいということになって、ちょうどそのころ北町の小百合が病のものを助けたとかで仏とか言われていたものだから、私は鬼なんて呼ばれるようになってしまったということさ」
そういえば、『仏小百合に、鬼の佑美』と耳にしたことがある。しかし、肝心の佑美は珠美よりも背が低く、初対面の自分にも柔和に接してくれた人柄であり、珠美には鬼などとは思えなかった。
「さて、我が乃木藩槍奉行が襲われたのは聞いているな」
「はい」
早速、仕事の話だ。珠美の声が若干上ずる。
「その場にいた者が今番所にいるらしい。話を聞く故、ついてまいれ」
「かしこまりました」
部屋には秋の優しい光が降り注いでいた。軒先から眺めれば雲一つない空。どうやらここでやっていけそうだ、と思案しながら珠美は鬼のお供についた。


第三章 無口な虎

「能條さんは元気なんだ。よかった」
七瀬の報告が終わると、藩主の飛鳥は胸をなでおろした。幼げでありながら美しい顔立ちに安堵の表情が見える。いつからか飛鳥は感情を隠さなくなった。以前は怒りも悲しみも喜びも困惑もすべて無表情でやり過ごしていた。出会った時を思えば、多少は信頼を置いてくれるようになったのだろうか、七瀬は思いを巡らした。
隣をみれば、次席家老・白石麻衣が眉間にしわを寄せてたたずんでいる。眉間のしわでさえ装飾品のように彼女の美貌を飾り立てている。怒っている。そしてそれを明らかにしてもいい存在なのだ。感情を隠すようになった自分に比べて、出会った時から変わらない、その普遍性も彼女の魅力なのかもしれない。
仲間が傷つけられて、それでも平静を保っている。自分も少しは「大人」になったのだろう。そう思いながら七瀬は飛鳥を藩主に迎えた日のことを思い出した。

藩の分裂を何とか回避し、乃木藩は新しい主を迎えることになった。筆頭家老の桜井玲香を始め、大半の家臣が幕府に従うべきだと主張した。最後まで反対していたのは「乃木の龍虎」たる白石・西野両家だった。
伊丹家からやってきた飛鳥に七瀬は近づこうともしなかった。師走に到着した飛鳥が正月に家臣へ挨拶するまで、こちらから訪うこともしなかった。藩のありようを壊された。その思いしかなかった。正月の挨拶に出るように、と奉行衆の高山一実に諭されなければ、出奔していたかもしれない。
友人であった一実の懇切丁寧な説得により、元日、七瀬は城の大広間にいた。飛鳥は感情を全く表に出さず、淡々と口上を述べた。それが余計に癇癪に触れて、七瀬はひたすら下を向いて感情を押し殺していた。
ふと、ぎりぎりと音がした。目で周囲を伺う。音は隣にいる麻衣からだった。彼女はよほど悔しいのであろう、歯がなくなってしまうのではないかと思うほど強烈に噛みしめ音を立てていた。透き通るような白い肌を真っ赤に充血させていた。側に控える奉行衆の松村沙友理は心配そうに見つめていた。
城から退出すると七瀬は一実相手に当たり散らした。麻衣も同じようなものだったらしい。龍虎がまだ怒っていると城下で噂されるようになるほどであった。

今思えば恥ずかしい限りである。藩のことを考える立場にありながら、飛鳥とよく話もせずに毛嫌いするようになったのは、自分の不甲斐なさに尽きる。困難を乗り越えるたびにお互いの心が知れ、ようやく距離が縮まった。飛鳥も乃木藩のことをよく考えてくれていると実感できた。
「では、負傷した能條様に藩から見舞いを出しておきます。調べは南町に任せるということで、この度は散会といたします」
七瀬がもの思いにふけていると散会の運びになった。いつの間にか麻衣が迫ってきている。「今回のこと、城下での無法、許せない。佑美にも言っておくから、心配しないで」
麻衣は自分の感情を確認するように断じた。二言目には仲の良い愛未が傷つけられたことに対して、七瀬をいたわっている。こういうところが自分とは違うな、と思いながら軽くうなずいて、城を後にした。

帰宅し飼っている鳩に餌付けをする。動物を世話することは七瀬の癒しになっていた。
「今日はあんまり食べてくれへんなぁ」
つぶやけば、家人が駆け寄ってきて告げた。
「西野様、高山様がいらっしゃっておいでです」
顔をあげれば、そこにいつもの顔があった。
「なあ―」
「分かってるよ。愛未のこと伝えてきたんでしょ」
「うん」
「今日は時間あるよ」
一実にはかなわないな、そう思って彼女に微笑みかけた。

その日は道場の外の街道まで竹刀が触れ合う音と叫び声が響き続けたという。