乃木藩南町捕物帳
~第2部~

作者 よしあきら(@yoshiakira2ndg1) 


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第四章 他の国から

そのか弱そうな女はまだ震えていた。寒い日であるが、それだけではないだろう。
「南町奉行だ、顔をあげよ」
佑美がそう促しても、なお頭をさげたままにしている。しばらくの間があってようやく顔をあげた。目に怯えの感情がありありと見える。これでよく刀をさしているなと佑美は逆に感心した。
「昨日助太刀したものだ。顔は覚えているな」
こくりとうなずく。小動物のようで愛らしい。
「名を名乗りなさい」
「は、はい」
珠美に促されて、女は声をあげた。ひきつった顔で問答する二人が佑美にはおかしかった。
「矢久保村の美緒と申します」
「ほう、ずいぶん遠くから来たのだな。何をしに参った。どうして昨日狙われたのだ」
彼女はたどたどしくこう答えた。
村にとある一団がやってきて、流行り病を研究している薬師の集まりだと名乗った。美緒の親類にも病に罹るものがいて、村に医療機関がなかったこともあり、藁をもすがる思いで薬をもらった。薬を飲んだ病人は痛みが治まるように寝息をたてた。ところが、薬師が立ち去ると途端に苦しみだし、多くのものが亡くなってしまった。美緒は郷士の家系らしく、村を代表してその薬師を訴えようと城下まできたのだという。
「村の皆で金子を出し合ったのです。それがこんな」
「いくら出したのだ」
「十両です」
「十両」
珠美が素っ頓狂な声をあげる。確かに大金だ。
「そうなんです。そのお金を工面するのに家宝の刀を質に出してしまいまして。このままでは流れてしまいます」
それで昨日刀を抜かなかったのか、と佑美は合点した。
「それで、奉行所に訴えるのは分かるが、薬師のあてはあるのか」
「薬師も城下に泊まると耳にしておりまして、居場所も突き止め一度会いにいきました。そしたら、知らぬと言われまして」
「それでその夜襲われたのか」
またこくりとうなずいた。目には涙も浮かんでいる。自分の不甲斐なさを嘆く気持ちもあるのだろうか。
「まずはその宿屋に行こうか。まあ、薬師はいないだろうけど」
番所の役人に美緒のことを頼んで、佑美は三本木町の日村屋に向かった。

「それが昨日の晩、突然消えちまって、お役人さんに言おうかと思ってたところですわ」
主人の勇吉が丸々太った頬を撫で、商人らしい笑顔をつくりながら言った。勇吉の話では五日前に来た団体客は大金を払った代わりに、飯も要らぬ、敷物の世話も要らぬ、と言って入室を断ったらしい。顔は編み笠をかぶったものが多くはっきりとは覚えていないという。
「収穫なしですか」
珠美が嘆息していると、勇吉の奥方が思い出したように大声を出した。
「そういえば、女の方が一人交じってましたよ。確かあなた様よりも大きな方でした」
珠美よりも大きいとなると限られてくる。礼を言うと佑美は外に出た。
「女がいることは分かりましたが、それだけでは」
珠美が小難しそうな顔をしている。
「あてはもう一つあったね」
「薬の方ですか。毒のようなものだとは思いますが、それ以上は分かりませんよ」
「なら詳しいものに聞こうか」
佑美は戸惑う珠美をよそに、思いついた人物のもとへ足を延ばした。

潮泊町の岡田屋は城下きっての薬問屋である。佑美は主人の昇左衛門を訪ねた。
「それで、この薬か毒かが何か、この昇左衛門が当てればよろしいのですな」
昇左衛門は好奇心を抑えきれないように美緒が持ってきた白い粉を眺めた。鉢にいれた小魚に粉を与えると、小魚の動きも止まりだした。
「うむ。毒のような薬のような、よく分かりませぬな」
そう言うなり、昇左衛門はぺろりと粉を舐めた。珠美はあっけにとられている。昇左衛門は城下でも飛び切りの変人だが、こと薬には詳しく、毒でない限り大体のものはひと舐めで分かるそうだ。昇左衛門はひとしきり吟味した後、口をゆすいで答えた。
「これは阿芙蓉に近きものかと。痛みを鎮静させる薬でございますが、中毒になりやすく、使い方を誤れば毒になりますな。しかし、このようなものどこで手に入れられました。幕府の禁制がありましょうに」
昇左衛門の疑問を苦笑で誤魔化して、佑美は礼を渡し、岡田屋を去った。

「そのような危ないものが藩に出回っているとなると危険ですね」
珠美の純粋な意見に佑美もうなずく。これは上奏して藩全体の問題にすべきものであろう。当初考えていたよりも数段厄介な案件になりそうだと、気を引き締めた。
と、そのとき二人の背後から駕籠が近づいてきて、簾が開いた。日村屋の勇吉である。
「丁度よろしゅうございました。御奉行に言いそびれていたことがございまして」
「ふむ。わざわざ済まない」
「編み笠の奴らの部屋の前を通ったときに聞いてしまったんですが、例の女、聖女か聖人なんつう高貴な名前で呼ばれてまして」
佑美は身体に重いものがのしかかったような気がした。この藩において、それは。
「日村屋、確認するが、それは『聖母』だったんじゃないかい」
「ああ、そのような気もいたします」
疑問が解けて晴れ晴れしたような表情の勇吉をよそに、佑美にはこの事件がいよいよ藩を揺るがしかねないと戦慄した。


第五章 疑念の髪飾り

陽菜は南町奉行所にいた。寺社奉行の自分が南町に出入りすることはほとんどない。しかも、密事を相談したいと佑美が言っている、顔も見知らぬ使者はそう告げた。
奉行所も案外手狭だな、と周囲を見回しながら、陽菜は佑美の到来を待っていた。ここに来ることも、気乗りはしなかった。第一、自分に相談する密事にろくなものなどない。この前だって、そこまで心の中でつぶやいたとき、佑美が現れた。
「ごめんな、待たせて」
「ううん、全然。今、門前町から帰ったとこだし。それで、愛未は大丈夫なの」
雨井神宮の門前町は乃木藩の東に位置する重要な拠点で、西の城下町と対を成している。
「見舞いにいったら、お前には見られたくなかった、って、すぐに追い出されたよ」
「ひでぇ。けど、愛未らしいね。元気そうでよかった」
武芸一筋に生きてきたから、人付き合いが下手なのだ。特に同期の佑美に見られれば恥ずかしく思うのだろう。そんな愛未を可愛らしく思った。
「で、用って何」
「そのことなんだけど」
佑美にしては歯切れが悪い。居住まいをただすと思い切ったように話し始めた。
「襲われたのは愛未だけじゃなくて、矢久保村の美緒という郷士もいたんだ。どうやらそっちが襲撃者の狙いらしい」
「ふーん、それでその子の警護でもしろっての」
「いや、違うんだ。その美緒が襲われた理由が問題でね」
そう言って佑美はこれまで調べたことを陽菜に伝えた。聖母という言葉を聞いて陽菜の顔色が変わった。
「嘘、そんなことあるわけないでしょ。嘘に決まってる」
「自分もそう思って調べたよ。『聖母』が聞き間違いじゃないか、日村屋の奥方や番頭にも聞いたさ。そしたらみんな耳にしてる。さらにはその美緒も聞いているそうだ」
「じゃあ、その薬師団が勝手に名乗ってるだけでしょ」
「それだけじゃないんだ。日村屋の一団がいた部屋をくまなく調べたら、畳の隙間にこれが挟まってたんだ。」
「深川様にあげた髪飾り。なんで」
青天の霹靂とはこのことだ。陽菜が幼少のころから世話になっている『聖母』―深川麻衣―へ寺社奉行に就いたお礼の髪飾りがここにある。私には派手だよ、と言いながら恥ずかしそうにつけていた姿を思い出す。佑美や玲香にも見せていたはずだ。佑美はそれを覚えていて陽菜に話を持ち掛けたのだろう。
「で、佑美自身はどう思ってるの。疑ってるわけ」
「南町奉行としては、話を聞かないといけないとは思う。ただ、あの深川様に限ってそんなことはないと信じたい」
「そうでしょ、だったら」
「お待ちください」
横で控えていた与力のうち背丈の高いのが口を挟んだ。
「若月様らしくないお言葉です。これほどまでに証拠が揃っているのです。それにその方は寺で医務を行っていたと聞きます。ならば、薬の知識もあるでしょう。身柄を捕らえて仲間の居場所を聞き出すのが筋ではないでしょうか」
「あんたにねぇ、深川様の何が分かるってのよ」
思わず荒い言葉になる。与力はこちらを一瞬にらみつけると落ち着いたように切り出した。
「深川様のお人柄については存じ上げませぬが、川後様はそのお方を大変敬慕されておられるご様子。それならば邪心を抱いても分かりかねるのでは。ならば我々が詮議する―」
丁寧な言葉遣いの裏であからさまに大切な人を傷つけられた。これだけは許せなかった。頭が空になる。
「やめろ、陽菜」
気づいたときには、佑美が自分の刀の柄を抑えていた。自分の右手はしっかりとそれを握りしめている。瞬時に抜きそうになったのだろう。いくら自分のことを言われてもこうはならない。与力はじっとこちらを見つめている。
「美波、謝れ」
「しかし」
「白石様にそのような物言いをするものが現れれば、許せるのか」
言葉に詰まったその与力は長い体を丁寧に折り曲げて非礼を詫びた。
「私からも謝らせてくれ、申し訳なかった」
「いい、帰る」
これ以上、ここにいたくもないし、いる必要もない。そう思って陽菜は奉行所を後にした。

いつも彼女は陽菜の世話をしながら付き添ってくれた。優しくて穢れがない人だった。海の向こう側ではそういう女性が崇められていて『聖母』というらしい、と陽菜がつけた呼び名だった。そんな人が他人を騙し、死に追いやるはずがない。
しかし、あの髪飾りはなんなのか。大切にするね、と言ってくれた髪飾り。それがあっさりと宿屋の隅に落ちていたとは。苦しさと悲しさが一度に襲ってきて、投げやりになりそうだった。その気持ちをどうにかしたくて思い出の寺に向かった。


第六章 想い人の残り香

静寂の中に落ち葉を踏む音が響く。むしろ、音が鳴るように踏みしめる。
「待ってください。」
「とろい。」
与力の中村麗乃がかけた言葉を一蹴して、陽菜は紫苑寺の階段を上っていた。
「そんなわけあるか、そんなわけ」
つい思っていたことが口に出る。自分の声が思ったよりも轟いた。感情が上ずっている。そう思っても止められない。大切な人を救うのは自分だけだ。決意が背中を押してくれているようで、いつもよりも足が前に出た。
山の中腹まで来たときに陽菜は思わぬものを見た。
とんでもない勢いで一人階段を下りてきているものがいる。
「あれ、えっと、二木の琴子だっけ」
二木藩とひと悶着あったときに、寺社奉行に頼みを入れに来たのが佐々木琴子だった。白い肌に整った顔立ち。表情を崩さないと怖さすら覚える。笑ったところが愛くるしいことを知らないものからすれば、会うことをためらうこともあるかもしれない。最初は陽菜自身も嫌だった。
それが、明らかに焦っている。顔に似合わぬ余裕のなさだった。陽菜を見つけると急いで後ろに隠れる。
「な、なに」
「上、狐、来る」
「はあ―」
相変わらずよくわからない奴だなと思いながら、陽菜は階段の上へと視線を移した。
その時には、狐面が飛び降りるように階段を下ってきていた。手には短剣が握られている。琴子が見たのはこれか、と抜刀し構える。
「麗乃。下は」
「囲まれてます」
「琴子、抜け」
「う―」
さも嫌だと言わんばかりに刀を構える。こういうことには明らかに向かないのは構えをみれば分かった。じりじりと包囲が狭まる。
そういえば、愛未は苦無で傷を負ったと聞いた。まずいと思って周囲を伺う。木に登った刺客が今まさに琴子に向かって投げようとしていた。
「琴子、御免」
そう言って、陽菜は琴子の膝裏を蹴った。琴子は思わず膝を折る。その上を苦無が通過した。
それを合図に刺客が斬りかかってきた。琴子を立たせて、防御に専心する。麗乃も何とか敵の刃を受け止めてはいるようだ。でも、このままじゃ時間の問題。そう思った時、階段の下から緊張感のない声がこだました。
「え、なに、危ない感じ」
この状況をみれば、誰でも危機的状況だと分かるだろう。一瞬腹が立ったが、刺客の攻撃を跳ね返して下を伺う。敵の援軍ではないようだ。狐面も何人かがその女に向かっていく。
「え、そういう感じなの、これ」
未だに状況がよくつかめていないようだ。これは当てにならんな、と陽菜は落胆した。
すると、その女は仕方ないな、と一言呟くと、両手に刀を構えた。意外にも二刀流らしい。左右両方から攻撃してくる狐面の刀をあっさり叩き落とした。狐面が思わず飛び退く。
麗乃が一人の刀を弾き飛ばし、陽菜が琴子に打ちかかっている刺客を蹴り飛ばしたところで、刺客たちは山の中へと消えていった。

「ありがと。助かったよ」
陽菜が礼を言う。その女はいいよいいよ、と手を振りながら答えた。
「あ、新内さん」
琴子がその女の正体に気づいたようだ。どうやら、二木衆家臣団筆頭の新内眞衣らしい。ひと悶着あったときは僧籍にあったが、今は還俗して乃木藩の家臣に加えられている。
「ふう、疲れた。なんなの、あいつら」
自分にも分からないと琴子の方を向く。琴子はしばし頭の中を整理すると口を開いた。
「能條さんのお世話をするのに、御奉行―彼女は松村家に仕えている―から深川様の医書を借りてきてってお願いされて。そしたら、お寺にさっきの狐がいっぱいいて、追いかけてきたから急いで逃げたの」
「先にいたのか、あいつら」
こくこくと琴子はうなずいた。階段をのぼりながら、眞衣に尋ねる。
「で、そっちはどういう要件なの」
「ああ、たまたま都で久しぶりに深川様にお会いして、もし乃木藩に帰るなら大事な医書と髪飾りを取ってきてほしいって」
「え」
「いや、だから医書と髪飾り」
「その前」
「都で」
「誰に」
「深川様に」
「それを先に言え」
なんで、と情けない声を出す眞衣とそれを見て大笑している琴子をよそに、陽菜は喜びを噛みしめていた。あの人は無実だった。ここから都までは何日もかかる。五日前に村で見たという『聖母』は偽物なのだ。嬉しさに浸っていた陽菜に山の上から声がかかった。
「大変です。お寺が」
先に上っていた麗乃が焦った様子で呼んでいる。そういえば奴らは先に寺にいたんだ、と思い直し、階段を駆け上がる。
目を疑う。ぱちぱちと音を立てて寺から火が上がっていた。
かすかな嗚咽が自分から聞こえる。火に飲まれたように体が動かない。
「ほら、急いで、消す」
眞衣が井戸から水をくみ上げてかけていく。火にとらわれていたが、外壁が燃えているだけで中は無事かもしれない。何とか気持ちを奮い立たせて、水を運んでいく。
消させない、大切な思い出だけは。