乃木藩南町捕物帳
~第3部~

作者 よしあきら(@yoshiakira2ndg1) 


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第七章 眠れぬ夜

「よっ」
「まだ起きてたの」
「誰かさんが、こってり絞られてると思うと心配で眠れなくって」
美月がそう笑うと美波は少し悲しそうな顔をして部屋に戻っていった。
「ちょっと言い過ぎたかな」
一応の心配にと美波の部屋をのぞく。案の定、美波は文机に寄り掛かって傷心していた。
「放っておいて」
「あ、はい」
ここは引き下がるべきだろうと判断して静かに戸を閉める。
まだ眠れそうもない。冬だが今日はまだ暖かいほうだ。庭に出て夜の空気でも吸おうかと思っていると、庭の向こうに誰かいた。奉行所の庭は、北町奉行所に接していて互いに背中を預ける格好になっている。
「史緒里か」
声をかけられたことに驚いたのか、彼女は恐る恐るこちらを振り向いた。冬の月のような白い、いや青白い肌と細い体つきながら、剣術の冴えと頭の回転は同期の中でも随一で、美月とよく比較されていた。史緒里が北町、美月が南町の与力筆頭であることも比較の種になっている。
実際のところ、対して意識もしておらず、世間に言われる出世争いもしていないのだが、その才覚だけは美月を刺激することが多かった。そんな史緒里がその青白い顔を月にさらしてより青くしている。
「どうした、そんな顔して」
「それが、さっき、外のお濠で」
そこまで言って史緒里はしゃがみ込んだ。
「大丈夫か」
柵越しに声をかける。よろつきながら立ち上がりうなずいてみせる。
「お濠に死体が浮いていて」
「ああ、そういうことか」
史緒里の線の細さはあいかわらずだ。天は二物を与えるけど、弱いところも作るんだなと一人納得した。
「そういうの美月は大丈夫なの」
「まあ、慣れたよ」
「う、強い」
「こっちはこっちで美波が落ち込んでいるよ」
「あれ、槍奉行様の事案でしょ。美波、真面目だから変なことしないと思うけど」
「その真面目が祟ったんだよ」
情報交換かなと思って、美月はそれまでにあったことを史緒里に語り始めた。

北部郡奉行の伊藤純奈が奉行所に駆け込んできたのは昨日の夕方だった。
「おお、ご苦労」
純奈は長身で武芸百般に通じ見る人によれば威圧感もあるが、実のところ人の懐に入るのが上手く郡奉行に推挙された。以前、佑美に世話になったとかで何かと情報を回してくれる。
佑美がかけた声に手で挨拶しながら、息を切らせている。用意された水を一気に飲み干すと、ようやく話し始めた。
「今、川後様から連絡があって、紫苑寺が燃えてるって」
「なんだと」
「必ず南町奉行に伝えるようにって」
「分かった。すぐ用意する」
美波も珠美も事件の情報収集に当たっていた。奉行が不在の時は、留守を守ることが多かった美月は、久々に同行することになった。

紫苑寺に着くと、郡奉行の同心が警戒に当たっていた。
「中もちょっとは焼けちゃったけど、なんとか消し止めたよ」
やれやれといった感じで眞衣が説明する。その後ろでは、陽菜が泣いているのを琴子が見守っていた。陽菜がこちらに気づくと、ずんずん近づいてきて『聖母』と深川麻衣が別人だときっぱり述べた。眞衣もそれに同意する。
「美波、連れてこなくてよかったですね」
小声で佑美に話しかける。だな、と佑美は二人に分からないように返した。
「中には入れるかい」
純奈の同意を取り付けると、寺の中へ入っていく。
入口と本堂の一部が焼けているようで、奥には火がいきわたらなかったようだ。
「陽菜、そういえば髪飾りは見つかったのか」
「なかったよ、探したけど。きっとそいつらが持って行って、宿屋に置いていったんだ」
「そうだね」
そう呟いて、佑美はあちこち探っている。美月もそれに倣って何かないかと辺りを見回した。幸い仏具や医書の類は無事なようだ。ふと佑美が腰をかがめた。
「何か見つかりましたか」
「いや、下ばかり向いていたら立ちくらみがして」
「気をつけてくださいよ、もう」
自分のこととなると、とんと無頓着になる。佑美の悪い癖だ。
結局、狐面の手掛かりは見つからず、帰路に着こうとした。
「狐面の奴らで覚えていることはないか」
佑美は鉢合わせたという三人に話を聞いている。
「最初に会ったのは琴子だよね」
「でも、女の人に会っただけだし」
「なに」
佑美は思わず前のめりになる。琴子は一瞬ひるんだが、佑美に促されて続けた。
「その女の人が慌ててお寺の中に入って、そしたら狐がいっぱい出てきて」
「女の顔は覚えているか」
琴子はうなずいた。重要な手掛かりはあっさりと転がっていた。

「それで、琴子さんが奉行所まで来て女の似顔絵を描いたってわけだよ」
「ああ、南町奉行は絵がお上手だもんね」
「今日はそれ持って、町の中を探してたよ。奉行はお城に報告。美波は寺社奉行に謝りに行ったと思ったら、家老の白石様からお呼びがかかってね」
「慰めてもらってたの」
「それが、御家老も深川様のことを敬愛されていたんだって」
「うわ、お怒りだったんじゃ」
「案の定ね。それに何故か若年寄の衛藤様までご同席だったとか」
「衛藤様もそうだとしたら、弱り目に祟り目。美波もご愁傷様」
二人で苦笑する。美波には悪いが、史緒里の気も紛れたようだ。
「そういえば、その女の似顔絵は今あるの」
「そうだ。見つけたら、知らせて」
美月が懐から似顔絵を手渡すと、それを見た史緒里の顔色がまた悪くなった。
「おい、どうした」
「これ、今日、見た」
「え、まさか」
史緒里が口を押えながらうんとうなずいた。
女は死体となって北町の濠に浮いていた。事件はまた振り出しである。


第八章 嫌われお松の一生

美波は佑美と北町奉行所にいた。
「つまり、愛未を襲った奴と今回の下手人は同じ奴ってことか」
北町奉行、井上小百合は一人息巻いている。彼女は「仏」として名高く穏やかな印象を与える容姿をしているが、正義に燃え悪を憎み、「鬼」はこちらなのではないかとささやかれてさえいた。
「それで、下手人を見たってものは」
「音を聞いたものはいるんだけどね。夜だったし、姿は誰も」
「しかし、似顔絵を作った途端にこれですか」
「女は顔を見られている。早めに消した方がいいと思ったのかもしれない」
「ったく、人の命を何だと思ってるんだ」
小百合が地団駄を踏んで悔しがる。北町でこんな事件が起こることが許せないのだろう。
小百合の提案で遺体の顔を拝みに行くことになって、濠にほど近い番所に向かった。
手を合わせ、遺体にかけられた筵を剥がす。まだ時間は経っていないようだが、直視するには憚られるものだ。そんな中でも佑美は腰を落として顔を観察している。
「やっぱりな」
「やっぱりって、見覚えあるの」
「下長屋町のお松って厄介者がいて、前に世話をしたことがあるんだが、絵を描きながら似ているなと思っていてね」
「そんな話、聞いてませんが」
「悪い。昨日美波が出かけている間に、美月と珠美に話して探らせておいたよ。まあ、ずいぶん前からどこに行ったか分からず仕舞いだったけどね」
昨日のこととなると頭が痛い。憧れの人を怒らせたのは当然だが、怒ってないんだけどね、といいながら目だけ笑ってない美彩は尋常ではない怖さがあった。
佑美はそんなことはお構いなしに美波に同行を命じた。気が滅入るところだったので、佑美なりに気を使ってくれたのだろう。
「それで、お松はどういう人なの」
「不幸な生い立ちでね。親に見捨てられ、男に見捨てられ、少し金を貯めては派手に使ってしまうから、よく家を追い出されていたようだ。最近は金遣いが荒くなったって評判だ」
「その薬師団から金をもらっていたのかもしれませんね」
ああ、といいながら佑美はお松の持ち物を確認する。
「銭を入れる巾着に手ぬぐい、かんざし、キセルにあとは懐紙の包みだな」
「キセルはやっぱり薬師団に」
「好きだな、その薬師団っての」
小百合に指摘されて、思わず言葉に詰まる。一度これと思い込むと頑として譲らないのが自分の悪い癖だ。もう少し柔軟になれと言われたばかりなのに。
「まあ、当たっているとは思うよ。それより、この懐紙開けてもいいかい」
「そのつもりで置いといた。もう乾いていると思うけど」
佑美が慎重に封を開けると中から白い結晶がうっすらと現れた。
「これ、例の阿芙蓉じゃないか」
「詳しく調べてみないと分からないが、たぶんそうだろうね。これでつながった。お松は阿芙蓉を常用していたことになる。で、中毒を起こして自ら飛び込んだか」
「眠りこけて突き落とされたか」
美波が佑美の言葉をつなぐ。ことは着々と大きくなってきている。
小百合が重苦しい空気を打ち破るように言った。
「お松のことは北町に任せろ。何かあったら必ず連絡する」
心強いな、と笑顔で佑美は返したが、一瞬顔が曇ったことを美波は見逃さなかった。

「どうしたんです」
「え、何が」
「とぼけても無駄です。ご懸念でもあるんじゃないですか」
「他人のことより自分のことを心配したらどうだ」
「なっ、そ、そうやって誤魔化そうと」
ふふん、と佑美が笑う。その笑みがどこか寂し気でやはり美波は気になった。
「おお、捜査は順調かい、南町奉行殿」
「順調に見えるか、これで」
後ろから声をかけられたにも拘わらず、佑美はそれが誰かをはっきり認識しているようだった。呆れた顔をしている佑美に構わず肩を組んでくるその人は筆頭家老、桜井玲香だった。佑美も気兼ねなしに対等に話している。今では見慣れたこの風景も始めのうちは驚いたものだ。美波は一歩下がって見つめている。ひと通りやり取りが終わると佑美が聞いた。
「で、今日の用は何」
「いや、たまたま見かけたから、捜査はどうなってるのかなって」
「昨日も報告した通りで、進展はなし。また何かあれば伝える」
「あれま。藩の大事だからね、よろしく頼むよ」
「それより、今日は阿芙蓉の件で家老衆と奉行衆の会合じゃなかったか」
「あ。ありがと、助かった。行ってくる」
そういって、玲香は駆け足で城へ向かっていく。
「おかしいですね」
「ん、どうした」
美波の呟きを佑美は聞き逃してくれなかった。
「あ、いえ、御家老は城の一番近くにお住まいのはず。こんな町外れにどういうご用だったのでしょう」
「さあね。それよりも、懐紙の中身だ。奉行所にいったん戻って確認してみよう」
佑美の言葉に促され、玲香のことはいったん頭の隅に追いやって、美波は歩を進めた。

その後ろから鈍く光る眼が二人を捕らえていた。


第九章 思い返す日々

冬の日暮れは早い。もう少しすれば西の空に日が沈むだろう。奉行所への足取りは重い。今日も特に何も見つからなかった。珠美は深く嘆息してから、門をくぐった。
「ただいま帰りました」
自分の声が小さいのが分かる。同心たちは挨拶してくれるが、彼らの声にも元気がない。
奉行の部屋の前で挨拶をして足を踏み入れると、美月と美波が先に帰っていた。
「おお、おかえり」
「一日中町で聞き込みをしましたが、特に発見はありませんでした」
珠美の正直な申し出に、そうか、といってそれ以上の言葉はなかった。それが余計に堪える。珠美の様子を知ってか知らずか、佑美は二人に顔を向ける。
「やはり懐紙の中身は阿芙蓉だったようです」
美波が報告する。大方予想はついていたことだが、これで二つの事件がつながった。
「北町からは何か言ってきていないか」
「下手人を見たというものは見つかっていないようで、難航しているようです」
美月の報告に場の空気は一層重くなった。いよいよ手掛かりが尽きてしまった。
「今日はみんな疲れただろう。帰ってくれて構わないよ」
奉行の心遣いに三人がそれぞれ帰宅しようとすると、珠美と佑美から声をかけられた。
「珠美は残ってくれ」
何かまずいことをしただろうか。緊張が走る。佑美は障子を閉めるように指示すると、辺りに誰もいないことを確認して声を潜めていった。
「この話、誰にもしないと約束できるか」
「は、はい」
いきなり重い話のようだ。珠美はさらに膝を進めて佑美の口元に耳を寄せる。
「珠美も阿芙蓉が入っていた懐紙を見ただろう」
「桜色の美しいものでした。お松が持っているには不釣り合いな」
「それを私は見たことがある」
「え」
思わず声が大きくなる。周囲を伺うが誰もいないようだ。佑美は咳ばらいを一度すると
「玲香の屋敷だ。新年の茶会に招かれた時に、同じものを見た」
「つまり、茶会に招かれた方が関わっていると」
「もう一人いるだろう」
「まさか」
「玲香だよ」
なんてことを言いだすのだろう。美月から二人は家老と奉行以上の信頼関係にあると聞いていた。友人、いや家族に近いのだと。
「御家老様をお疑いに」
「疑い、か」
もはや詮議は無用と言わんばかりに諦めたような顔がそこにはあった。
「おかしいと思ったのは、似顔絵を描いた後、すぐにお松が殺されたことだ。私が城に報告に上がってから間もなくのことだった。当然、城には玲香もいたさ」
「それだけでは」
「第一『聖母』と呼ばれていたのを知っているのは藩の中の人間だけだ。髪飾りのこともそう。陽菜が深川様に渡したことを知っているのも限られたものだけ」
ふう、と一呼吸置く。珠美にはその間が異様に長く感じられた。
「番所に寄ったときに会ったのときも、おかしな気がしていたよ。今考えれば、探りを入れていたんだろうね」
「証拠がありません。懐紙だけでは御家老を訴えることも、裁くこともできません。それに御家老がそんなことをする動機もありません」
「動機は本人から聞くよ。昔からつかみどころのない奴だったし、こちらで察することもあまり意味がないだろう。証拠は」
そういって、懐から手袱紗を取り出す。中から現れたのは小さな根付だった。桜をかたどった精緻な逸品だ。
「これは」
「紫苑寺の焼けた部屋の一角に落ちていたよ。玲香のだろう。少なくとも、これで狐面と玲香の関係はあることになる」
「桜のかたちだけではそうと決まってないのでは」
「北町であいつから肩を組んできたときに、印籠の根付が変わっているのに気づいたよ。ひと月ほど前にこの桜の根付を自慢してきたばかりだってのに」
佑美の顔は落ち込んでいた。藩の中で代えがたい人に裏切られること、その辛さを噛みしめるようだった。
「し、しかし、この話、美月や美波に話した方がいいのでは」
「美波は白石様に話すだろう。そうなれば家老同士の争いになる。藩にとっても具合が悪い。美月は、次に家老付になると言われている。玲香と接点のあるものに話をすることはできないよ」
「美月はそういう人じゃありません」
「分かってる。でも、できるだけ何にも縛られないほうがいい。それで、珠美に話すことにした。明日、玲香の屋敷にこれを持っていってほしい」
「この書状は」
「どういう理由でこんなことをしでかしたのか、最後に聞きたくてね。捕縛されれば私から尋問する機会はないだろう。いつどこで会うかここに書いてある。もちろん中身は見ないでくれよ」
珠美は頭を下げた。その上から重いものを被せられたようにしばらく頭をあげられなかった。