清水寺の貫首が太筆で一気に書き上げた漢字は「変」であった。
今年の世相を象徴的に表した肯ける一文字である。
予想も付かない通り魔的殺人の数々、偽造偽装、事故米に毒物混入と理不尽なできごとが次々に起こる。
この暮れに来て、内定取り消し、人員削減、解雇解雇の文字が躍る。
世界をリードする一流企業ですら赤字決算、生産縮小、工場閉鎖のマイナス発表のオンパレードだ。
あの夏の日、北島の活躍で楽しく盛り上がった北京五輪の話題も霞むほどである。
日本の社会は経済は政治はやはり「変」になった感は否めない。
「変」の意味に、かわる、あらたまる、うつりかわる、いじょうのできごと、みだれ、わざわい、ふしぎ、うごく…とある。
変心、変色、変乱、変貌、変相、変事、変造、変格、変動、変異、変節、変説…辞書のすべての言葉が実際のできごとになる。
来年こそはこんな世の中を「変革」して欲しいものである。
「牛」 高村光太郎
牛はのろのろ歩く 牛は野でも山でも川でも 自分の行きたいところへはまっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない がちり、がちりと牛は砂を掘り、土を掘り、石をはね跳ばし
やっぱり牛はのろのろ歩く 牛は急ぐことをしない 牛は力いっぱい地面を頼って行く
自分を乗せている自然の力を信じ切って行く ひとあし、ひとあし 牛は自分の道を味わっていく
踏み出す足は必然だ 上の空のことではない 是でも非でも 出さないではいられない足を出す
出したら最後 牛はあとへは帰らない (略)
牛はがむしゃらではない けれどもかなりがむしゃらだ (略)
牛は非道をしない 牛はただ為たい事をする 自然に為たくなる事をする 牛は判断をしない けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない(略)
何処までも歩く 自然を信じ切って 自然に身を任して
けれども牛は馬鹿に敏感だ 三里さきのけだものの声をききわける 最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する 見よ 牛の眼は叡智にかがやく その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちゃを喜ばない 魂の影に魅せられない
うるほひのあるやさしい牛の眼 まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼 永遠を日常によび生かす牛の眼 牛の眼は聖者の目だ
牛は自然をその通りにぢっと見る 見つめる きょろきょろときょろつかない 眼に角も立てない
牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ 外を見ると一緒に内が見え 内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力ぢゃない 牛にとっての当然だ そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
この後“牛”の詩は長々と続いていく 115行の長い詩である。
紅白の南天が仲良く実を付けている。この世の「難を転じて」くれよ。