ジョウビタキ(尉鶲) ~気がつけば~
- 2016/01/31(Sun) -
尉鶲311

作業が捗り一段落。

小鳥の声がする。
柿の枝で頭が動く。
逆光ではっきり見えない。
でも聞き慣れた声。
ツッツッツッはジョウビタキ。
白い三角紋もぼんやりと。

折れそうな細い脚。
レッグウオーマーもせず靴も履かずに。
冷えない?
寒くない?

さてと、もう一働きして。

  ひとまずの一月終わり模様替え (あや)

尉鶲312
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モンシロチョウ(紋白蝶) ~いのちのかたち~
- 2016/01/30(Sat) -
死んだモンシロチョウ

モンシロチョウは死んだ。
翅をたたみ固くなって落ちていた。
部屋の中で羽化してから1週間程経つ。
その間、厳しい寒さもあった。

昆虫の死骸を時々取っておいたりする。
子どものようだとか、変だとか思われるかも知れない。
標本にするというのではない。
その造型の妙趣に惹かれるからだ。
そしてその色や形を単純に美しいと思う。

真夏の庭に落ちていた蝉がある。
今にも動き出しそう。
真夏の庭で遊んでいた玉虫がある。
金属質の光沢はそのままに。

このモンシロチョウもしばらく取っておこう。

  或日あり或日ありつつ春を待つ  (後藤夜半)

死んだ蝉

死んだ玉虫
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ハクモクレン(白木蓮) ~準備する~
- 2016/01/29(Fri) -
白木蓮161

寒中の陽だまり。

白木蓮の冬芽が膨らむ。
光を浴びて艶やか。
柔らかな猫の毛のよう。

芽は仲良く寄り添って二つずつ。
ふっくらと少し大きいのが花芽。
その下の小さいのは葉芽。

準備の時。
がまんの時。
じっと待つ時。
静かに感じる時。

一枝取って人差し指で撫でてみた。

  冬木の芽ことば育ててゐるごとし  (片山由美子)

白木蓮162

白木蓮163

白木蓮164
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クリスマスローズ(Christmasrose) ~日脚伸ぶ~
- 2016/01/28(Thu) -
クリスマスローズ赤紫1

いくつかのクリスマスローズが蕾を開きかけていた。
早い春の訪れになりそうだと思っていた。
暖かな日が続いていた年の始めの頃のことだった。
しかしその姿は変わることなく、今もずっと同じようである。
急な寒波も来るし、クリスマスローズもきっと戸惑っている。

部屋に射し込む西日が奥まで届く。
陽の入る時刻が遅くなったことを感じる。

  日脚伸びゐしと気づきしよりのこと  (稻畑汀子)

クリスマスローズ赤紫2
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リンゴ(木彫林檎) ~コツコツと彫る~
- 2016/01/27(Wed) -
リンゴ制作2

このところのデザートはリンゴ。
いただきもののストックがたくさん。
しばらくはこれ。
皮を剥くのは私。
果物ナイフで薄く。
こういうことはけっこう器用。
楽しいし、好き。

彫った。
欅は堅い。
ザクザクとはいかない。
スッスッと少しずつ。
コツコツと丸みの形に。
木目のあるリンゴ。
肩が凝った。

  寒波きぬ信濃へつゞく山河澄み  (飯田蛇笏)

リンゴ制作1
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シジュウカラ(四十雀) ~この冬一番の冷えー~
- 2016/01/26(Tue) -
シジュウカラ1261

ツツピーツツピー、ツツピーツツピー。
庭に響く歯切れの良い軽やかな声。
桜の枝に2羽の四十雀。
番いだろうか。
つついた嘴には花芽が挟まる。
食事に来たようだ。

冷えた。かなり厳しく冷えた。
晴れた。すっきりと晴れた。

空の上では冬と春が「そろそろかね」と、ひそひそと会話し始めているころかもしれない。

   山晴るる日は呼び合ひて四十雀  (中島畦雨)

シジュウカラ1262

シジュウカラ1263

シジュウカラ1265
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モンシロチョウ(紋白蝶) ~寒くない?~
- 2016/01/25(Mon) -
1月のモンシロチョウ2

モンシロチョウは元気?
このところ、朝はその姿を見つけることから。
強い寒波だというが、大丈夫かな。

カネノナルキの葉の中だ。
指を近づけると乗ってくれた。
翅の一部が欠けている。
カーテンの開け閉めの際に傷つけたのかもしれない。

砂糖水を入れた深皿にティッシュを含ませて置いてあるが、吸う様子はない。
寿命は2週間程だと言うが…。
皿の中に大根の葉の部分でも添えてみよう。

窓ガラスが開かない。
雪が凍っている。

モンシロチョウはじっとしている。

  凍蝶に指ふるるまでちかづきぬ   (橋本多佳子)

1月のモンシロチョウ1
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ツバキ(椿) ~♪雪の降る町を…♪と雪かきする~
- 2016/01/24(Sun) -
椿に雪1

雪が好き。

降る雪。
眺める雪。
積もる雪。
ものの形を覆い隠す雪。
どれもこれも。

若い頃から雪が好きだった。
雪の日は子犬のようになる。
おかしい話である。

雪かきも好き。
昨日は2回した。
今朝も大分積もっている。
♪雪の降る町を…♪

椿の上にも雪。

  風景の何処からも雪降り出せり  (柿本多映)

椿に雪2

椿に雪3
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ヘクソカズラ(屁糞葛) ~艶やかないい色の実です~
- 2016/01/23(Sat) -
冬の屁糞葛1

このところ連日のように夢を見る。
中味は日替わり。
しかも、かなり昔のことだったり、まったく関係性のない登場人物だったり。
あるいは過去の勤務中の様子だったり。
知らない土地で財布を紛失したことだったり。
会話のやりとりも具体的で場面や状況がリアルである。

昨日のは空港の発着ロビー。
外国の方とトラブルになっている。
変だ。

ストレスがあるのだろうか。
疲れているのか。
欲求か、あるいは何らかの警鐘か。

深層心理の映像?
潜在意識の伝言?
訳が分からないが、まっ、無料の個人映画館ということにして、しばらく提供されるままに鑑賞することにしよう。
さて、今夜はどんなシネマストーリーが展開されるか。
たまには素敵な女性が現れてのラブストーリーなんてもいいが…、無理だろうな。

木槿の枝に絡んで艶々とした朽葉色の実がたくさん。
えーっと、何の実だったか…。
部屋に入ってからも、ん~ん。
たしか、そこにに咲いていた花はヘクソカズラ。
そうだ、ヘクソカズラの実だ。
思い出すまでに少し時間がかかった。
記憶の抽斗がきつくなったり、引っかかるようになってきた。

   かぐはしき冬青空といふ奈落  (柚木紀子)

冬の屁糞葛2
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モンシロチョウ(紋白蝶) ~えっ、どこ?~
- 2016/01/22(Fri) -
紋白蝶161223

ダイニングの椅子に腰掛けた時だ。

「モンシロチョウがいるよ」
「えっ、どこ?」
「窓ガラス見て」

外に向かって止まっていた。
どこから入ってきたのだろう。
いや、窓は閉め切っている。
家の植物の中で生長したのかも知れない。
外は冷え冷えとしている。
出さずに中で過ごさせてやるのがいいか。

大寒の昨日のことだった。

  冬の蝶日溜り一つ増やしけり  (小笠原和男)

紋白蝶161222

紋白蝶161221
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タンポポ(蒲公英) ~どこまでいったのかな~
- 2016/01/21(Thu) -
冬のタンポポ4

たんぽぽだよ。

まんまるだね。
しろいわたのようだね。
さわってみようかな。
さわっちゃだめ。

こっちのはぼうずだ。
ゆびぬきみたい。
かぜでとばされたんだ。
どこまでいったのかな。

たんぽぽはいいね。
いいねたんぽぽは。

   たんぽぽの絮とは吹いてみたきもの (安部弘範)

冬のタンポポ3

冬のタンポポ1

冬のタンポポ2
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イトバハルシャギク(糸葉波斯菊) ~日常の用心~
- 2016/01/20(Wed) -
糸葉波斯菊1201

雪が降った。
少しだけ積もった。
これまで全然無かった。
いつもと違う様相の冬だった。
ようやく普通の冬らしくなってきた。

なにごともいつもと同じようだと安心する。
なにごともいつもと違うと慌ておろおろする。
“平常心”、頭では分かっていても、なかなか難しい。

光のない白い景色を見て、なぜか穏やかになっている自分。
これはたしか秋桜にも似た黄色い花のイトバハルシャギクだった。

   雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし  (飯田龍太)

糸葉波斯菊1202
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ロウバイ(臘梅) ~ヒヨドリは食べる~
- 2016/01/19(Tue) -
臘梅を啄むヒヨドリ

ピーヨ、ピーヨ、ピーヨ。
臘梅に止まるヒヨドリの声。
このところ毎日だ。

蕾を嘴で挟んでは食べる。
そのサイズが丁度飲み込みやすくていいらしい。

去った後、そばに寄ってみる。
一つ二つは綻び始めている。

水玉の中に小さな景色があった。

  臘梅を無口の花と想ひけり  (山田みづえ)

雨の臘梅

臘梅と雨粒
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ヘデラ(Hedera) ~心の修行~
- 2016/01/18(Mon) -
蔦1181

石井鶴三はこう言い遺している。
「美を本当に美としてとらえられる感性、豊かな感性を持った人でありたいと思うのです」
「心が明るく正直でなければ、美を美としてとらえることはできません。だから心の修行が大事です。人間が問題です」
彼は彫刻家であるから、これらは当然表現の世界について述べている言葉である。
しかしそれは身のまわりにある多くのコトについても言えることかもしれない。
たとえば「美」を「正義」に置き換えてみる。
「美」を「本物」に、「真実」に置き換えてみる。

一生、心の修行。

   桟やいのちをからむつたかづら  (松尾芭蕉)

蔦1182

蔦1183
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マサキ(柾の実) ~愛の手紙~
- 2016/01/17(Sun) -
マサキの実0

中原悌二郎集を読んでいた。
71頁からは『妻 信への書簡』が載る。

―大正6年1月16日の手紙― (長文につき部分を抜粋)
二人は前年に婚約し、東京と新潟に離れて暮らす。

(六行略)
 東京は毎日好天氣、然し寒さは可成り強い。だがそれも朝晩だけ
なので日中はもう春のように暖い。毎日、新聞であなたの方の大雪
だといふ記事を見て、さぞおつらい事だろうと心配して居った。
毎日何と言ふ事なしにあなたの事のみを思つて暮らして居る
(五行略)
 あなたの言ふ通り愛程強い力を持つて居るものはない。そして
愛から出る力は最も眞實な力である。それは萬物を生かす力であ
るからである。
エマーソンが言つて居る。「戀とは一人の人間を通じて全宇宙
を愛し全人生を愛する事」だと。
 愛は生活を創造する。凡てのものを生み出す力である。私達は
我々の愛の形の上に現實の上に表現していかなくてはならぬ。又
表現をせずに居られないのが愛の力である。
(二行略)
 愛は實現を欲し、表現を欲する。愛情を實現して行くのが卽ち生
活である。かゝる生活は不斷の喜びであり、不斷の感謝である。
かくてこそ、人生は賛嘆す可きもの、生活は賛美す可きものであ
る。私達は二人の愛情によつて最も幸福な生活を送り度いものと
思って居る。よし多少の障害があつたにした處、また物質的の苦労
があつたにした處、そんなものは二人の愛情を弱めるよりは却つて
力をそゝぐ肥料になるだらう。
我々は我々の愛情を空想や想像の上ではなく現實の上に表現し
て行かなくてはならぬ。そして表現して行くのは喜びであるから
だ。兎に角、全力を盡くすと言ふ事は、それが愛が動期になつて
居る時は何時でも身軆の上にも精神の上にも健康をもたらすもの
だ。

二人の間では、こんな熱くて真っ直ぐな内容の手紙のやりとりがかなりの数に上る。
その一年後挙式をあげる。
しかしその間、悌二郎は病に冒され、麗しきはずの新婚生活もままならず、その三年後この世を去る。享年34歳。
彼の手紙に綴られた賛美すべき幸福な家庭は形とならずじまいのまま。

およそ100年前の若き彫刻家の愛の手紙。
いつの世にも往々にして、純粋で繊細な人程、訪れる悲しみが早い。

   木に眼が生つて人をみてゐる   (八木重吉)

マサキの実8

マサキの実5
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肉筆浮世絵展 ~美の競艶~
- 2016/01/16(Sat) -
美人愛猫図1
葛飾北斎 「美人愛猫図」

肉筆浮世絵展が上野の森美術館で開催されている。
並ぶまでもなくスムーズに入館できたが、中は思いの外混んでいた
滅多に目に触れる機会もなく、どちらかというとマニアックなジャンルかと思っていたが、意外であった。
最近はこうした和文化に造詣の深い外国人が多いということで、その姿も散見される。

~美の競艶~のサブタイトルが付いたシカゴ ウエストンコレクションからの日本初公開の展示である。
江戸初期の寛永年間から大正に至るまでの129点がほぼ時代の順を追って並べられる。

浮世絵の代名詞にもなっている多色摺版画の錦絵は絵師、彫師、摺師の共同作業によって生まれる。
多数に摺られた絵は版元によって一般庶民に販売される。
比して肉筆画は絵師が和紙や絵絹に直接絵筆を執って描き上げた一点物である。
多くの注文主はおそらく財を成した商人かあるいは裕福な武家なのだろう。
今回展示されていた軸物には刺繡などが施され、その豪華な表装から相当に高価であったことが伺える。

一点一点、どれも見逃せないほどの繊細かつ重厚な存在感がある。
時代ごとの絵師の豊かな感性と描写力が存分に発揮された逸品ばかりである。
描かれる美人の周りに配置された小物や、身につけている着物の柄、そしてその仕草に興味を惹かれる。
花魁、禿、遊女、夜鷹など当時の風俗も垣間見ることができる。

歩を進めた中程には3点の北斎、足が止まり、目が釘付けになる。
あらためてこの絵師の凄さを実感する
代表作『富嶽三十六景』やよく知られる『北斎漫画』とはまったく異なるは繊細な美人画。
「美人愛猫図」、その極められた表現力にただ見入る。
奇人と称された北斎だが、天才というに相応しい。

もう一つ、特に印象に残ったのは河鍋暁斎の『一休禅師地獄太夫図』。
骸骨たちが太夫の周りでどんちゃん騒ぎ。
袈裟を着た一休さんが三味引くのの頭の上で楽しげに踊る。
太夫の着物の柄は閻魔地獄か。
暁斎奇天烈ワールドが遺憾なく発揮されていてうならせる。
こちらは変人、奇才、鬼才の魅力。

この二人の肉筆画を見るだけでも出掛けた価値があるというものと納得し、しばしその余韻に浸り合う。
それにしてもこれだけの秀逸なる作品が一外国人の手元に所蔵されているとは、いろんな意味で嘆息しきり。

西郷隆盛像の近くでは民族衣装を着たパフォーマー達がケナーとサンポーニアで「コンドルは飛んでいく」を演奏していた。

   わが胸に旗鳴るごとし冬青空  (野澤節子)

美人愛猫3

一休禅師地獄太夫図
河鍋暁斎「一休禅師地獄太夫図」

一休禅師地獄太夫図1

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女(楠・木彫) ~とりあえず切る~
- 2016/01/15(Fri) -
19.jpg

鼻の奥まで届くような木の香りが部屋中に充満する。
ドアを開けると、隣の部屋にまで行き渡る。
それを発しているのは楠。

納得出来る作品ではない…と、公募展から帰ってからずっとそう思っていた。
毀損するか、新たに手を加えるかと作業場に運び入れたものの、何することなく時が過ぎた。

今年に入ってから何も作っていない。
「いけない…、始めなければ…」と、道具を手にする。

もとは胸像だが、特に頭部が気に入らない。
額から鋸で切り落とす。
その上に別の材を継いで、新しく造形し直すとする。
で、作品に鋸を入れた途端にあの特有の強い香りが広がったのである。

とりあえず気になる部分は取り除かれた。
原型を生かしながら想を再構築する。
今回はじっくり時間を掛ける。

それにしても楠はいい材だ。

  屑払ふにもかけひきや日脚伸ぶ  (安住 敦)

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デンドロビウム・キンギアナム(Dendrobium kingianum) ~広がる香り~
- 2016/01/14(Thu) -
彫刻とキンギアナム

会合から帰ってきたら、彫刻の横に切り取られたキンギアナムが花瓶に挿されてあった。

ここ2日3日でようやく咲いたばかり、切るには少し早い気もしたが、そうしたかったのだろう。

花は小さく、石斛にも似る。
素朴で可憐だ。
蕾もまた三日月のように愛らしい。
強い香りを持ち、それが部屋に放たれる。

10年くらいになるのだろうか、冬の時が来ればこのように毎年咲いてくれる。

   月落ちてひとすぢ蘭の匂ひかな  (大伴大江丸)

キンギアナム1140

キンギアナム1142

キンギアナム1143

キンギアナム1141

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カネノナルキ(花月) ~こどもの貧困~
- 2016/01/13(Wed) -
カネノナルキ1131

新しい電気スタンドを購入しようとホームセンターに立ち寄った。
イメージしていた品揃えでなかった。
大型家電店の方が良いか。

一角にある園芸コーナーを覗いた。
花数が少なくなっている。
彩りも乏しい。
年末から正月にかけてのあの賑やかさを思えばかなりの落差である。

カネノナルキがいくつも並んでいた。
どの鉢もたくさんの花を付けている。
そうだった、冬の花だった。
家にも四つ五つあったはずだ。

帰宅して覗いて見る。
どれもが青々とした葉ばかり。
それでもと念入りに見ると、たった一輪咲いていた。
今年はこれだけなのか、それともこれからなのだろうか。

テレビでは「子ども食堂」の様子を流していた。
朝、夕に食事を摂れない多くの子達が居る現実。
先進国という我が国において、子どもの貧困率が高まっているという。

金は何処へ回っているのだろう。
金のなる木、花は5弁、星の形。
煌めき、輝き、希望と愛と…、ぼかしの入った子どもたちの無邪気な笑い声。

   冬の夜をいつも灯ともす小窓かな  (高浜虚子)

カネノナルキ1132
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ツバキ(椿) ~来なかった二十歳~
- 2016/01/12(Tue) -
二十歳

本来なら居るはずであろう成人式にその姿はない。
「良いお母さんになって幸せな家庭を築くこと」
そう綴った彼女は交通事故で亡くなった。
2014年6月、夢に向かってこれからという大学入ってすぐのことだった。

テレビに映し出される喜色満面とした晴れ着姿の新成人達。
その姿をお母さんはどんな思いで見ていたのだろうかと、心が痛む。

翻って、私の二十歳は何を考え、何を目指していたのか。
書架にはずっと手放せないままに、かなり色褪せた二冊の「二十歳」がある。
原口統三『二十歳のエチュード』。
高野悦子『二十歳の原点』。
時代のうねりの中で彷徨い傷つき、鬱屈した暗い日々。

明るく笑顔の素敵なお嬢さんだった。

椿が咲いている。

   成人の日の華やぎにゐて孤り  (楠本憲吉)

椿1123

椿1122

椿1121
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「をなご」と「盲目のエロシェンコ」と「少女」 ~三度目の正直~
- 2016/01/11(Mon) -
をなご
                       戸張孤雁「をなご」

三度目の正直というわけではないが、ようやくにしてというかである。
新宿中村屋サロン美術館が2014年秋に開館した折、早速訪ねた日の火曜日はうかつにも休館日だった。
そして昨年9月下旬、再び訪れた私たちの目に入ったのは「展示入れ替えのため休館」の案内。
いずれも休館日を事前に確認しなかった方がいけない。
地方から東京まで出掛けていくことは折々気軽にというわけにもいかないだけに自分を笑うしかなった。
それで今回は念を入れて確認し、思いを果たすことができたというわけである。

美術館はこじんまりとして、テーマ展示と常設の2室からなる。
今回の企画1室は彫刻家荻原碌山を語る上で欠かすことのできない無二の親友、戸張孤雁を取り上げる。
孤雁は碌山死後、その遺志を継ぐように彼の粘土を譲り受け、絵画から転向し彫刻制作を始めた。
まず目に飛び込むのは代表作「をなご」。
同伴者はそれに心惹かれたらしく、「この作品が一番好き」と、館を出る間際まで何度も何度も目を近づけていた。
私が最初にこの作品を見たのは1986年(昭和61年)の秋、碌山美術館での戸張孤雁展だったと覚えている。
芸術はあるいは作家は造形の何処までを完成とするか、そんな方向性を強く示唆された作品だったと、今も記憶に残っている。
彫刻以外に油彩、水彩、版画などにも孤雁の多彩な世界が展開されていて、その豊かで深い表現力を堪能することができた。

所蔵品を中心とした常設展第2室には碌山の絶作「女」、そして帯仏作の「坑夫」など。
これらはいつ見ても、何度見ても言葉を発することができいないような張り詰めた空気感を見る側に与える。
ただただ求道師の如き碌山の精神性を感じて見るだけである。
この部屋で特に目に留まったのは鶴田吾郎の「盲目のエロシェンコ」と中村彝の「小女」の2点である。
「盲目のエロシェンコ」の前に立ったとき、「オレ、この絵を見たことがある」と息子。
「私も見たような気がする」もう一つの声。
これは私を含め、三人にとって初めて見る作品、二人が勘違いしていることに私はすぐに気づく。
なぜなら、彼らが見たというのは家にある中村彝の画集の中の「エロシェンコ氏の像」だからだ。
同じモデルを競作のようにして中村彝と鶴田吾郎は並んで描いたのだから、表情や色調も含め作品は似通っている。
タッチが彝の方が強く明瞭なのに対し、鶴田のはソフトで緻密な描写という点で二つには違いがある。
いずれも個の深い人間性、あるいは情感が見事に表現された作品である。
感銘しきりの二人だったが、サロンを出る直前にそのもう一つの「エロシェンコ」のことを話してやると、納得したようだった。

そして彝の代表作の一つ「小女」。
自分の生き方に信念と強い意志を感じさせる目と口元、聡明な中村屋の長女俊子がモデルになった作品だ。
人物の内面性が十二分に伝わると同時に、男としての彝が「小女」に抱く強い思いの丈が筆に込められ表現されている。
彝の俊子への恋は実らず、中村屋との関係も悪化し、失意の中で徐々に体も蝕まれていき、37歳でこの世を去る。

作品数は少ないが、そのサロンは一人一人の作家の息づかいや生き様を肌で感じさせ、潔さと崇高さに導かれる空間だった。
満足である。

ところどころにはまだ銀杏の樹に黄葉が残っている1月の都会に心地よい温かな風が吹いていた。

   目つむりて己れあたたむ冬の旅 (岡本 眸)

盲目のエロシェンコ
              鶴田吾郎「盲目のエロシェンコ」

小女
                        中村彝「小女」
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コウバイ(紅梅)  ~咲いた~
- 2016/01/10(Sun) -
紅梅1101

”太宰府の飛び梅が一輪咲きました”と昨日のニュースは伝えていた。

「ふ~ん、梅もかあ」と軽い感慨で流して見ていた。
ほんの僅かな時間差でふと浮かぶ思い。
家の梅は?
駆り立てられるように庭に出る。

こちらの鹿児島紅梅と豊後は蕾にそれぞれの色が見られる。
桃色の八重の紅梅は?
おうおう、二輪咲いている。
この早さ、驚くやら嬉しいやら。

昨年の3月20日。
  暖かないい春日和です。
  紅梅もお日さまに「そろそろですよ」と促されます。
  蕾は半開きに。
  半開きは全開に。
  姿を香りの付いた華やぎの装いに。
その開花を私はこのように記していた。
そして続けている。
  私も車の冬用タイヤを履き替えました。
  濃くなりつつある日の力をいただきながら、身のまわりも軽やかになりましょう。

去年は冬が終わりを告げ、春が確かに訪れた日和の中で花開くこの紅梅だった。

世相も年明け早々から驚天の喧噪である。

   このころや梅咲くほとの日の力   (松岡士喬)

紅梅1104

紅梅1103
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ミツマタ(三椏) ~冬風の日~
- 2016/01/09(Sat) -
ミツマタ16181

ミツマタの蕾は白い毛に覆われる。
それを進め、少し黄色みを帯びているのもある。
やはりここでも咲くのを早めているか。
ところでミツマタは枝が伸びて三つに分かれるからミツマタ。
その先に咲く花も三つ三つ三つ。
わかりやすい。

たとえば行き着いた目の前の道が三つに分かれていたなら。
右に行くのか左に行くのかそれともそのまままっすぐに行くのか。
待ち受ける先に何があるのか、その吉凶、リスクは予見できない。
そんな状況が誰にでも何処でもある。
けれども選んで進む。
立ちどまる訳にはいかない。
自分自身で決める。

灌木に冬風が吹く。
小枝が小刻みに揺れる。

  風吹いて冬日浚はれたる如し  (中村若沙)  

ミツマタ16182

ミツマタ16183
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シュウメイギク(秋明菊) ~ふんわりの綿こなって~
- 2016/01/08(Fri) -
冬のシュウメイギク1

ん?
白い綿。
そうか、そうだ。
シュウメイギクだ。
その冬姿はこうなるのだ。
綿毛に付いている小さなごま粒が種。
それは風に飛ばされて何処かで新しい芽を出す。

小さな冬。
ふんわり綿のシュウメイギク。
いいモノ見つけ。

  一切の行蔵寒にある思ひ  (高浜虚子)

冬のシュウメイギク2

冬のシュウメイギク3
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ピンクの花 ~野に咲く花の名前は知らない~
- 2016/01/07(Thu) -
ピンクの花650

“自分に厳しくと思っていますがだめですねえ”と今年の彼の年賀状。
一歩も二歩も前を進んでいると思っていたそんな彼の言葉に少しの安心。
同じ職に就いた同期の彼は職場で指導力を発揮していた。
何があったかは知らないが、鬱屈を伴う弱い思いが伝わる。
誰にも、表には出さないけれど、見せたくない心がある。

三月には会う予定。
積もる話が出来るはず。

自分に厳しく今を生きる…。
昨日のテレビでプリンシパルが言っていた言葉が印象に残る。
「時間を無駄にしたらもったいないでしょう」
突然今日が最後の今日になることもある。
毎日の明日は毎日の昨日と同じではないのだから。
今時が一生と。

毎年この時期に咲くピンクの花がある。
名前は知らない。

   一月の汚れやすくてかなしき手   (黒田杏子)

ピンクの花652
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フユシラズ(冬知らず・Calendula) ~この先、寒くなるのか…~
- 2016/01/06(Wed) -
フユシラズ161

北から南から梅の開花便りが届く。
暦は小寒、これから本格的な寒さになるを告げているのに。
木々などはこの暖かさについてどう会話し合っているのだろう。
この状況、いろいろを狂わせて決していいはずはない。
まさかこうしたフユシラズのまま、春が前倒しで来るとも思えないのだが。

黄色い小花が群がり咲く。

   凭らざりし机の塵も六日かな (安住敦)

フユシラズ162

フユシラズ163
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アセビ(馬酔木) ~結果を生み出す力~
- 2016/01/05(Tue) -
アセビ161

「ジャンプするためには、かがまなあかん」
「9回くらいは失敗しないと、一回の幸運はつかめない」
山中教授の言葉。

「チャレンジすると必ず失敗する」
「失敗すれば必ず次に繋がる」
大村先生の言葉。

「やれることは全部やっている」
「残るのは運だけ」
113番目の新しい元素の発見者、森田教授の言葉。

科学の世界だけのことではない。

己を見る。
もっと深くかがまなきゃいかん。
失敗をおそれてとどまってはいかん。
自分を納得させるまで徹底しなくてはいかん。
歳のせいにするなよ。

桜が咲く頃の気温が続いている。
馬酔木の蕾も。

  新しき暦の月日は真白にて (あや)

アセビ163

アセビ162
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ソヨゴ(冬青・そよごの実) ~さてさて四日~
- 2016/01/04(Mon) -
そよご161

「いくつにする?」
「三つにする」
「オレは二つでいい」

今年の餅は少し特別。
やわらかく、かなり伸びる。
それは杵つき。
表面の少しのでこぼ。
手に感じるその肌。
一味違った美味さ。

そんなゆったりの日々も昨日まで。
終わりあれば始まりあり。
始まりあれば終わりあり。

また一つ増えた皺を友にして新しい日常へ。

  三ヶ日早過ぎ四日遅々と過ぎ (星野立子)

ソヨゴ162
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ノリウツギとヤマアジサイ(糊空木と山紫陽花) ~冬には寂多と味彩~
- 2016/01/03(Sun) -
冬紫陽花161

ディスプレーに表示された04で始まるナンバーは知らない地域からのものだったので一瞬取るのを躊躇った。
「おれ、わかる?川崎の…」
「ああ、もちろん。懐かしい」
声を聞くのは35年ぶりだろうか。
川崎在住の知人と言えば思い当たるのは彼しかいないのだから。

高校の頃、私の家の隣に下宿していた一つ上の先輩。
卒業後は一人故郷を離れて大都市に職を得、そして家庭を築いたのである。
電話では私の父のこと、母のことをよく覚えていて、その思い出を具に語ってくれる。
少し酒が入っているようで、耳に入る声が明るく大きい。
私をあの頃の愛称のちゃん付けで話し続ける。
お孫さんのこと、若夫婦のこと、じいじとしての自分のこと、亡くなられた奥様のこと…10分ほどほとんど一方通行だが。
私は近況報告を少し。

「東京出ててきたら、必ず寄ってよ」
「きっとそうする」

でもなぜ突然電話してきたのだろう。
毎年年賀状はやりとりしてきているのだが。
もちろん今年も届いている。

そんな正月二日の夜のことであった。

多くの紫陽花は秋までに剪定して短く切り、形を整える。
一方、その冬姿も好きで、数株はいつもそのままにしておく。
いつもながら、その枯れ色のままの形の、なんとも言えぬ趣に惹かれる。

   琴の音とウイーンの音交互に三日かな  (あや)

冬紫陽花162

冬の紫陽花163
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スノードロップ(snowdrop) ~初詣~
- 2016/01/02(Sat) -
スノードロップ1512311

正月一日、初詣は車で約30分の名刹。
近くなってから渋滞が始まり、なかなか進まない。
寺の山門が見えてから駐車場に入るまでにかなりの時間を要する。
車列の中、およそ数十分、よく耐えた。
立ち並ぶ屋台からイカ焼きなどの食をそそる香ばしい匂いが届く。
阿形像吽形像の間を抜けると、両側に大きな杉並木の参道はまたしても長い列。
赤子を胸に抱いた女性、孫に手を引かれた老婦人…、みんな小声で会話をしながら行儀良く並ぶ。
10分、20分…、元旦の働きで疲れたのか、「またにする?」と弱音。
「ここまで来て何言ってる」と応じる。
達磨や熊手を販売している中門を過ぎると、もうすぐ本堂。
手前の水路にいる鯉を見て、「寒くないのかしら?」
「………、人間より適応力があるんだろうね。」
最後の石段を上がってようやく不動明王をご本尊と仰ぐ本堂に辿り着く。
鰐口を打ち鳴らし手を合わす。
流れに促されて三重塔の横を通り、まだ山門まで続く列の脇を抜けて駐車場まで歩く。

風もなく暖かな陽射しに覆われた、手袋とマフラーとコートを身につけない初詣は初めての珍しい正月。
自分の中で思い描く目標へ向かって気を引き締め、何があっても、動じない強い心でと。
二つのアルプスを左右に眺めながら国道を南下し家路に就く。

落ち葉の間に覗く小さな白い花。
足元を照らす提灯のようなスノードロップ。
ひっそりとそして自分の居場所に確かな意思を持っているかの如くに。

   庭隅の幹に日のある二日かな  (桂信子)

スノードロップ1512312

スノードロップの蕾
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ヤブラン(藪蘭の実) ~秘めたあらたと確かめるあたら~
- 2016/01/01(Fri) -
藪蘭の実1

昨日と同じように正確に時は刻まれ、時間は感情を持たず直線的に繋がり続く。

でも、昨日は去年。
今は新しい年。
やはり漲るものがある。
やはり気持ちが違う。

庭に白い縁の笹。
青黒い藪蘭の実。
様々な表情を見せる落葉。
たとえば、それは斜め上から覗き込むような少年の顔。
たとえば、その横にはタツノオトシゴの黒い影。

膨らませる想像。
見つける楽しさ。

少年の眼、少年の心、元日の自分。

  元朝の空に七つ星爽快なり  (あや)

藪蘭の実2
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