自分が本当は他人と関わってはいけない人間だということを、ひとと関わることで幸福を感じることも、ひとに幸福を与えることも決してできない人間だということを、何度も何度も、思い出しては忘れ、忘れては思い出す。
「すべてに見放されることで、僕に僕の愛が約束される」――この言葉が歌の詞のように、病のように僕を満たしていくことを、僕は本当は、いつも望んでいた。
今よりもっともっと若かりし頃のこと。
僕はボーカルの女の子と組んで、ピアノを弾いていたことがあった。あの頃は後先考える余裕もなく忙しくて、いつもせっぱ詰まっていて、楽しかった。
僕は元から、音楽を一生懸命にやるなんて馬鹿げていると思うような人間で、その時も、今のところ頼めそうなのはあなたしかいないのです、どうかどうかお願いします、担当の人が見つかるまででいいから、と麻矢本人に拝まれてしぶしぶ引き受けただけだった。
ところが。ひとりではなくフタリで音楽をやるというのは、なんとスリリングで楽しいことか。僕は緊張と昂揚の心地良さへ急速にのめりこみ、その感覚の虜になった。
しだいに麻矢と一緒に音楽をやることが、僕の生活の中心になった。
が、実際の中心は音楽をやることではなく、「麻矢のこと」だという事実に、あの頃僕は気づいていなかった。麻矢が仕事として歌を歌えるようになったらいつでも辞められるようなバイトをいくつか掛け持ちし、麻矢の都合に沿って日に二度だろうとスタジオを予約し、寝るためだけに借りた粗末な部屋では寝る間も惜しみ、麻矢の歌を録音したテープに合わせて楽器を練習した。
あるとき麻矢が、真新しいスーツ姿でスタジオに現れた。聞けば、会社巡りをしている、ということだった。残念そうに、「ママがね、ちゃんと就職するんだろうね、って心配そうに言うの」といつもの調子で笑った。
そういうことなら仕方がないなと思った。会社勤めを始める四月の少し前に、最後のライブをやろう、と約束して、その日も予定通り練習を終えた。不満はなかった。当然だ。
気づいてはいないにしろその頃の生活の中心は麻矢であり、すべては麻矢の決定によってしか動かないようになっていたのだから。「麻矢が仕事として歌を歌えるようになったら…」というのも僕が勝手な思いこみで張った、麻矢のための予防線にすぎなかったのだから。
麻矢のための日々は麻矢のために終結する、ただそれだけのはずだった。
でもそれよりも早く、僕の中であの歌が鳴りはじめた。
――早く、早くこっちへ来い。僕がお前に、幸福を約束してやるから。僕だけがお前に幸福を与えることができるのだから。お前の幸福は僕なのだから。さあすべてに見放されろ、見放されろ、見放して、見放されろ。
麻矢のテープの代わりに、毎晩毎晩、毎時間毎時間、毎分毎分、いつでもいつでも、僕が僕に、言うのだった。僕の言葉は僕に、どんどん染みこんでいった。一刻も早く、僕を満たして欲しくなった。
もうすべてを投げ出す他はなかった。麻矢を、麻矢を、麻矢を。
「裏切り女、ライブなんか知るか、ひとりで歌え」
そうして僕は確かに、僕による僕のための幸福へたどり着いた。麻矢に告げたのもまた本心だったかもしれないけれど。あの言葉で麻矢がどれほど傷ついたか、考えると胸が痛むけれど。僕は本当に幸福だよ。
「すべてに見放されることで、僕に僕の愛が約束される」――この言葉が歌の詞のように、病のように僕を満たしていくことを、僕は本当は、いつも望んでいた。
今よりもっともっと若かりし頃のこと。
僕はボーカルの女の子と組んで、ピアノを弾いていたことがあった。あの頃は後先考える余裕もなく忙しくて、いつもせっぱ詰まっていて、楽しかった。
僕は元から、音楽を一生懸命にやるなんて馬鹿げていると思うような人間で、その時も、今のところ頼めそうなのはあなたしかいないのです、どうかどうかお願いします、担当の人が見つかるまででいいから、と麻矢本人に拝まれてしぶしぶ引き受けただけだった。
ところが。ひとりではなくフタリで音楽をやるというのは、なんとスリリングで楽しいことか。僕は緊張と昂揚の心地良さへ急速にのめりこみ、その感覚の虜になった。
しだいに麻矢と一緒に音楽をやることが、僕の生活の中心になった。
が、実際の中心は音楽をやることではなく、「麻矢のこと」だという事実に、あの頃僕は気づいていなかった。麻矢が仕事として歌を歌えるようになったらいつでも辞められるようなバイトをいくつか掛け持ちし、麻矢の都合に沿って日に二度だろうとスタジオを予約し、寝るためだけに借りた粗末な部屋では寝る間も惜しみ、麻矢の歌を録音したテープに合わせて楽器を練習した。
あるとき麻矢が、真新しいスーツ姿でスタジオに現れた。聞けば、会社巡りをしている、ということだった。残念そうに、「ママがね、ちゃんと就職するんだろうね、って心配そうに言うの」といつもの調子で笑った。
そういうことなら仕方がないなと思った。会社勤めを始める四月の少し前に、最後のライブをやろう、と約束して、その日も予定通り練習を終えた。不満はなかった。当然だ。
気づいてはいないにしろその頃の生活の中心は麻矢であり、すべては麻矢の決定によってしか動かないようになっていたのだから。「麻矢が仕事として歌を歌えるようになったら…」というのも僕が勝手な思いこみで張った、麻矢のための予防線にすぎなかったのだから。
麻矢のための日々は麻矢のために終結する、ただそれだけのはずだった。
でもそれよりも早く、僕の中であの歌が鳴りはじめた。
――早く、早くこっちへ来い。僕がお前に、幸福を約束してやるから。僕だけがお前に幸福を与えることができるのだから。お前の幸福は僕なのだから。さあすべてに見放されろ、見放されろ、見放して、見放されろ。
麻矢のテープの代わりに、毎晩毎晩、毎時間毎時間、毎分毎分、いつでもいつでも、僕が僕に、言うのだった。僕の言葉は僕に、どんどん染みこんでいった。一刻も早く、僕を満たして欲しくなった。
もうすべてを投げ出す他はなかった。麻矢を、麻矢を、麻矢を。
「裏切り女、ライブなんか知るか、ひとりで歌え」
そうして僕は確かに、僕による僕のための幸福へたどり着いた。麻矢に告げたのもまた本心だったかもしれないけれど。あの言葉で麻矢がどれほど傷ついたか、考えると胸が痛むけれど。僕は本当に幸福だよ。