飛騨小坂駅と転車台跡

 ラッセル車の方向転換で使用された飛騨小坂駅の転車台が気になったので行ってきました。

●飛騨小坂駅
 開業は1933年(昭和8年)8月25日で、高山駅開業の約1年前でした。
 国有林からの木材の搬出と御嶽山の登山口として栄え、その駅舎は杉丸太造りの木造駅舎は「中部の駅100選」に選ばれています。

01osaka.jpg
▼改札口から乗降ホームへの移動は地下道を利用する必要があります。この地下道は旧高山駅を思い出され、懐かしさが感じられます。
02osaka.jpg
▼ホームには待合室が設けられ、これも開業当時のもので、駅舎と同じ意匠です。
03osaka.jpg
▼ホーム上屋の支柱は古いレールが利用されていました。(飛騨一ノ宮駅でも見られました。)
04osaka.jpg
▲レールには製造年と思われる1934の数字が確認できました。
▼ホーム上のベンチも当時のままのようです。

05osaka.jpg

●転車台跡
 飛騨小坂駅(転向所)の転車台(ターンテーブル)は開業当時、高山線(当時)の終着駅であったために設けられたようです。
 現在は撤去されているので、場所を確認してみました。
▼これは1948年(昭和23年)に米軍が撮影した空中写真です。(国土地理院提供)

06osaka.jpg
▲駅の北側(富山方面)に転車台(矢印)が確認できます。
▼これは1977年(昭和52年)の写真です。(国土地理院提供)

07osaka.jpg
▲この時点でも転車台は残っていたようです。
 高山本線全線開通後は飛騨小坂駅から富山の笹津駅までの区間を高山機関区及び客貨車区が担当し、ラッセル車(キ100)とそれを後押しする9600形蒸気機関車の方向転換に使用されました。
 ちなみにラッセル車(キ132)は1980年(昭和55年)9月に廃車となり、代わりに赤いDE15形ディーゼル機関車(DE15-1541)が引き継ぎました。この機関車は両頭式(機関車の両側にラッセルヘッド車を連結)であるため、方向転換の必要が無くなり、転車台の役目は終わりました。
 なお、高山機関区の転車台は1993年(平成5年)に解体されました。

▼現在の空中写真で転車台の位置を確認します。(GoogleMap提供)

08osaka.jpg
▼ある程度の位置が確認できましたので、ホームから転車台があった方向を見ます。
09osaka.jpg
▲転車台まで延びていたレールは撤去されており、空中写真から転車台は奥の白い二階建ての建物の辺りにあったようです。
▼転車台の跡地に建てられた建物は消防団の詰め所でした。

10osaka.jpg
 転車台の当時の写真がないかと調べたところ、飛騨小坂駅友の会のホームページで確認できました。
 写真の下に転車台の一部が確認できます。
 この転車台は直径約15m(50フィート)の上路式で、人力で回転させるものだったようです。
▼同じ15m級の転車台が長良川鉄道の北濃駅に保存されているので、参考までに掲載します。

11osaka.jpg

渚駅(なぎさ) (高山本線の駅①)

 今回から高山市内の駅をご紹介したいと思います。
 まずは渚駅で、市内で最も小さな駅です。
▼駅舎

1渚駅
▼駅名標
2渚駅
 駅名の「渚(なぎさ)」は地名から由来しており、長野県松本市にも同名の駅が存在します。
 渚は現在、海の波打ちぎわを意味しているため、勘違いされてしまいますが、和訓抄では「奈岐左(なぎさ)」、日本書記神代巻では「波瀲(なぎさ)」、古事記では「波限(なぎさ)」と書かれ、当時は海には限らず、用いられていたようで、実際にこの地には川の渡船場があったようです。
▼1番線ホームから高山方面を見る

3渚駅
 気になったのは、当時の人口が4,300人の久々野町になぜ2つの駅が存在していたかということですが、この地域は久々野町が合併する前は河内村に属し、小学校もあった集落だったからだと推測されます。
▼1番線ホームから岐阜方面を見る

4渚駅
 乗降客は終戦後をピークに減少傾向が続き、1日の乗員数は2017年(平成29年)には4人となっています。
 なお、元プロ野球選手の金田正一氏(愛知県稲沢市出身、400勝投手、元ロッテ監督)が戦時中にこの地に疎開していたという話を叔父さんから聞いたことがあります。
 
【資 料】
○所在地
 高山市久々野町渚(旧大野郡久々野町大字渚字小原)

○歴史
1934年(昭和 9年)10月 運営開始(職員5名)
1942年(昭和17年)12月 倉庫・便所新設、事務室拡張
1947年(昭和22年)8月 終戦直後の輸送強化のため職員数を15名に増員
1951年(昭和26年)6月 碎石場新設、下り1番線延長、下り2番線新設
1953年(昭和28年)3月 場内信号機移設
1963年(昭和38年)4月 貨物の取扱い廃止(職員7名)
1969年(昭和44年)1月 手小荷物の取扱いを廃止し、無人駅に
1998年(平成10年)2月 簡易駅舎新築

○乗降客
1948年(昭和23年)度 乗客 78,029人 降客 77,948人
1955年(昭和30年)度 乗客 32,843人 降客 33,794人

○参考文献
 ・久々野町史(全、第二巻)
 ・「飛騨路を走る40年」(中日新聞、昭和49年)
 ・ウィキペディア 

 さて、拙ブログでは、模型で再現するための資料として、この旧渚駅舎や高山機関区施設、所属蒸気機関車の写真を探しています。
 ご家族のアルバムに写真が残されていましたら、ご連絡いただければ幸いです。
 ご提供方法はメールにて送っていただければよいのですが、飛騨地域であれば、こちらからご自宅にお伺いしますので、メールフォームにてご連絡ください。
プロフィール

高山のキューロク

Author:高山のキューロク
岐阜県高山市在住で、高山駅の歴史を調べたり、それを鉄道模型で再現することをライフワークにしています。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
訪問者数
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QR
  翻译: