高脚ジブクレーンの製作7

○グラブバケットの製作
 グラブバケットは石炭をつかみとる装置で、クレーンの先端に取りつけられ、高山機関区のものは定格荷重(一つかみの重量)が約1トンでした。
▼まずはバケットのパーツをプラ板から切り取ります。

1グラブバケット
▼パーツを組み立てます。一応、真鍮線を差し込んで可動できるようにしました。
2グラブバケット
▼さらにバケットの開閉装置のパーツを作ります。
3グラブバケット
▼パーツを組み立てて完成です。
4グラブバケット
▼このバケットは開閉可能ですが、プラ材のため壊れやすいので、破損防止のために開いた状態で固定することにしました。これでグラブバケットの完成です。
5グラブバケット

高山の9600形19648号【前編】(保存蒸機1)

 今回から高山機関区に配属された蒸気機関車で、現存する車両をご紹介していきたいと思います。

1.高山機関区の蒸気機関車
 蒸気機関車は多くの形式に区分され、高山機関区には1000形、2400形、6760形、8620形、9600形、D51形、C58形の7種類の蒸気機関車が在籍していました。このうち、現存している車両は2400形が1両、9600形が5両、D51形が3両、C58形が4両で、それぞれの車両を訪ねてみることにしました。

2.9600形蒸気機関車
 まず、紹介するのが9600形で、国産初の貨物列車牽引用車両です。
 1913年(大正2年)から1926年(大正15年)までの間に770両が製造されており、また国鉄最後の蒸気機関車(1976年3月)となった車両がこの9600形で、同一形式としては実に63年もの間、稼働していました。
 高山機関区においては、開業の1934年(昭和9年)10月から9600形が配備されており、同機関区で蒸気機関車が廃止となる1968年(昭和43年)1月までのすべての期間において稼働していたことになります。ちなみに高山機関区に配備された9600形は、私が知る限り、延べ25両の車両が交代で在籍していたようです。


3.9600形の付番方法
 それぞれの車両を紹介していく前に蒸気機関車の機関車番号(ナンバープレートの番号)の付番方法を理解する必要があります。9600形の場合は製造順に1番目が9600で、以下2番目が9601,3番目が9602という順番で付番されています。しかし、製造101番目の付番が9700では既に9700形が存在するため、付番は19600から始まり、102番目は19601となり、最後の79669まで続きました。

4.19648号
 最初に紹介する現存車両が19648号(149番目に製造)で、岐阜県高山市の昭和児童公園(愛称:ポッポ公園)に静態保存されています。この車両は高山機関区には1939年(昭和14年)12月から1950年(昭和25年)3月までの約11年間配属されていました。
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 なぜ、この車両が選ばれたかという資料は確認できませんが、廃車が予定されている車両の中で高山機関区に縁があるということで選定されたと推測できます。
 それでは残されている記録(高山市民時報の記事)からまとめてみました。
 まず、1970年(昭和45年)1月元旦号にて、この車両が国鉄から高山市に無償貸与されることが伝えられています。同機関区では前年の1969年(昭和44年)9月末日で蒸気機関車C58形での客車運行を終了し、9600形による貨物輸送もその前年の1968年(昭和43年)1月に終えており、完全にディーゼル機関車での運行に移っていました。また、全国的に消えゆく蒸気機関車の保存が広がっていたことも要因だったようです。

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 なお、記録では同機関区には1969年(昭和44年)12月4日付けで廃車となったD51338がこの時点で機関区内に留置されており、翌年4月に解体のため長野工場に運ばれています。この車両を保存対象とせず、敢えて9600形を選んだのは、同機関区による9600形への思い入れが強かったと推測されます。
 次に伝えられたのは、国鉄から年度末である3月末日までに引き取るように高山市に通知があったことで、同市は機関区近くにある市立の飛騨体育館横に用地を確保し、約50メートルの仮設レールを敷設して運ぶことになりました。(工事の見積価格は当時で約500万円)
 3月中に車両は高山機関区に鉄路で届いたようですが、移動作業は雪のため当初の予定である春の高山祭(4月14日)には間に合わず、4月23日の午前10時から始まりました。
▼写真は機関区でのお別れ神事の様子(「50年のあゆみ」から)

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 国鉄から高山市への受渡式は翌日の午前11時に行われ、高山市は車体保護のため、上屋根とフェンスを取りつけました。(腕木式信号機も併設)
 なお、この車両は高山に移動する前は雨ざらしで、サビが目立っていたことから受渡式までの間、高山機関区が協力してサビを落としたようです。また、保存展示後も機関区のOBがこの車両の保護に努め、同年10月25日の高山本線開業記念日には機関区OB80余名による「九六会(クンロク会)」が結成され、民間による車体保護活動が本格的にスタートし、現在まで続いています。
 また、同年11月には機関区がこの車両の保存展示を記念して砲金製のナンバープレートのレプリカ(縦3.5センチ、横15センチの小サイズ)を製作し、当時500円程度で頒布されていました。
 翌年の1971年(昭和46年)7月に高山市は、この機関車を中心とした公園を整備し、その愛称は公募により「機関車広場」(正式名称は昭和児童公園)と名付けられました。その後、この公園は区画整理事業により2005年(平成17年)7月に移動整備され、その愛称は公募により「ポッポ公園」に改められました。

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 なお、この機関車と後から追加展示されたラッセル車は大型クレーン車により現在地に移動されました。
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◎この車両は今年(2017年)12月で、めでたく100歳となります。
 おめでとうございます!! 
 次回はマニア的視点でご紹介します。

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車歴
1917年(大正6年)12月29日 川崎造船所兵庫(現川崎重工業) 新製
1917年(大正6年)12月    名古屋機関庫 使用開始
1931年(昭和6年)1月    直江津機関庫
1934年(昭和9年)10月    美濃太田機関庫(1936年から機関区に改称)
1938年(昭和13年)4月    福井機関区
1939年(昭和14年)12月   高山機関区
1950年(昭和25年)3月28日 富山機関区(1966年から富山第一機関区に分区)
1970年(昭和45年)3月19日 廃車(富山第一機関区)
1970年(昭和45年)4月24日 高山市昭和児童公園(機関車広場)にて保存展示開始
2005年(平成17年)7月21日 高山市昭和児童公園(ポッポ公園)に移動、現在に至る
走行距離 2,122,685.5km
「デゴイチよく走る!機関車データベース」より
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プロフィール

高山のキューロク

Author:高山のキューロク
岐阜県高山市在住で、高山駅の歴史を調べたり、それを鉄道模型で再現することをライフワークにしています。

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